PINTSCOPE(ピントスコープ) 心に一本の映画があれば PINTSCOPE(ピントスコープ) 心に一本の映画があれば

生島淳の映画と世界をあるいてみれば vol.1

野球天国、ボストン。負け続ける球団にこそ、心躍る物語があった『2番目のキス』

(スポーツジャーナリストとして活躍する生島淳さんが、「映画」を「街」と「スポーツ」からひもときます。洋画のシーンに登場する、街ごとの歴史やカルチャー、スポーツの意味を知ると、映画がもっとおもしろくなる! 生島さんを取材した連載「DVD棚、見せてください。」はこちら。)
スポーツジャーナリスト
生島淳
Jun Ikushima
1967年生まれ、宮城県気仙沼市出身。早稲田大学社会科学部卒業。スポーツジャーナリストとしてラグビー、駅伝、野球を中心に、国内から国外スポーツまで旬の話題を幅広く掘り下げる。歌舞伎や神田松之丞など、日本の伝統芸能にも造詣が深い。著書に『エディー・ウォーズ』『エディー・ジョーンズとの対話 コーチングとは信じること」』『気仙沼に消えた姉を追って』(文藝春秋)、『箱根駅伝 ナイン・ストーリーズ』(文春文庫)、『箱根駅伝』『箱根駅伝 新ブランド校の時代』(幻冬舎新書)、『箱根駅伝 勝利の方程式』(講談社+α文庫)、『どんな男になんねん 関西学院大アメリカンフットボール部 鳥内流「人の育て方」』(ベースボール・マガジン社)など多数。

もう30年前のこと、卒業旅行の行き先に選んだのはボストンだった。
いま振り返ってみると、真冬のボストンに行くとは正気の沙汰ではないが、中学生の時から、「いつかボストンに行ってみたいな。いや、絶対に行く!」と雑誌を読みながら意気込んでいた。
なぜ、ボストンに惹かれたのか?
レッドソックスという、「劇的に負けるチーム」がそこにあったからだ。

私はスポーツの世界で、「常勝軍団」よりも、劇的に負けるチームの方に惹かれる。それは、一時的な満足を得るよりも、負けることで得られるその後の「物語」や、「希望」の方が、より面白いからだと思う。
つまり、贔屓チームが勝つ時よりも、負けた時の方が人間的な成長を得られる! というのが私の持論なのだ(こうやって、自分を慰めていると見ることも出来ますね……)。

このレッドソックス、1918年にワールドシリーズで優勝して以来、ずっと優勝から遠ざかっていた。しかもその後、ワールドシリーズに1946年、1967年、1975年、1986年に4度進出しては、必ず最終戦で負けていた。
最後まで気を持たせておき、奈落に突き落とされる。
悪女だ。
しかし、最高の物語を提供し続けてくれていたこともまた、事実である。

宮城の片田舎で育った私にとって、レッドソックスの本拠地、フェンウェイ・パークで野球を見るのが長年の夢だった。
そして、はじめてフェンウェイで野球を見た時、私は感動に震えた。
建設当時のままのレンガ。切符を売るためのチケットボックスもそのまま保存され、球場に足を踏み入れた瞬間、テーマパークに迷い込んだようだった。この感覚は、日本の球場では絶対に得られない。

そして通路を抜け、緑の芝生が目に入ったとき、
「ここは、野球の天国なんだな」
と、自分が小さい頃から、この球団に憧れていたことに感謝した。

それ以来、様々な季節にボストンを訪れ、フェンウェイに足を運んだ。
まだ肌寒い春。
レモネードが美味しい初夏。
そして、9月になれば濃厚に秋の気配が漂う。
そうそう、球場で8回裏に流れるニール・ダイヤモンドが歌う『スイート・キャロライン』は、球場で聴くもっとも美しく、楽しい曲だ(このキャロラインとは、前駐日大使のキャロライン・ケネディ氏の子どもの頃を歌ったものだ)。
ボストンは、野球とともに時間が流れていく街なのだ。

フェンウェイ・パーク史上最も飛距離の出たホームランが当たった席”通称:レッド・シート”と生島さん

そんなボストンを舞台にした映画がある。しかも、主人公はレッドソックスの狂信的なファンなのだ!
その映画のタイトルは『2番目のキス』。
“レッドソックス教”に入信している主人公のベン(ジミー・ファロン)は、高校の数学の先生。
伯父から譲り受けたレッドソックスのシーズンチケット(すべての試合を同じ席で見ることが出来る)を持っていて、11年にわたって試合を見逃したことがない。
家のクローゼットを開くと、ハンガーに架かっているのはレッドソックスのロゴがデザインされたTシャツやジャケットばかりだ。このシーンを見て驚いた。
「これは! これは俺のことじゃねえか!」
映画のベンと一緒で、わが家のクローゼットにはレッドソックスをはじめとしたスポーツウェアがあふれていて、ひょっとして、自分も大人になり切れない子どもなのか? と思ってしまった。
でも、入れ込んでいたのは自分だけじゃない、という安堵もあった。

レッドソックスは、人生のレッスンも与えてくれる。
映画の中で、伯父さんが7歳のベンを初めてフェンウェイ・パークに連れて行くのだが、伯父さんはベンに警告を発する。
「レッドソックスに期待しすぎるなよ」
しかし、毎シーズンごとに期待してしまうのがファン心理というものだ。

映画では、レッドソックスを愛するベンに割り込んでくるものがある。女性だ。
美しく仕事が出来るリンジー(ドリュー・バリモア)に心惹かれるようになり、人生が変わり始める。
彼女と、レッドソックス、どっちが大切なんだ?
そしてベンは、まっとうな人生を歩もうと、試合を捨て、デートに行く。そしてその晩、球場で起きたのは……。

レッドソックスがきっかけで訪れたボストンだが、訪れるたびに発見がある。
ボストンはシューズメーカーのニューバランスの本拠地であり、チャールズ川沿いをジョグしていると、川に漕ぎだしていく大学のボートクルーがいて、川面に映る朝日と整然としたクルーが得も言われぬ美しさを生み出していた。

さらには、街のなかで「JFK」、ジョン・F・ケネディのこじんまりとした生家を見つけたり、彼の母校であるハーバード大学も観光コースの一部。ついつい、ここの生協では大学のロゴが入ったフーディ(フード付パーカー)を買ってしまう。
そういえば、ハーバード大学の生協では村上春樹の『走ることについて語るときに僕の語ること』の翻訳本を購入したことがあった。

ボストンは、村上春樹が住んだ街でもある。彼のエッセイの中に、ケンブリッジにあるジャズバー、「レガッタバー」に通ったことがあったと記されてあり、友人と出かけたことがあった。
その夜、聞いたのはアメリカ人のシンガー、ステイシー・ケントで、それ以来魅了され、彼女が東京にやってきたときは、欠かさず聴きに行っている。
ジャズだけではなく、かつて小澤征爾氏がタクトを振ったボストン・シンフォニーも街の顔だ。
9月下旬に訪れた時はオープニング・ナイトと重なり、ロビーではシャンパンがふるまわれ、この時ばかりはジャケットを着ていかなかったことを後悔した。

いま振り返っても、ボストンの美しい情景が甦ってくる。
朝日が照らすチャールズリバー。
ボストン・シンフォニーのチューニングの音。
ハーバード大学の構内を駆けていくリス。

それでも、私にとってのボストンの原点は、負け続けたレッドソックスにある。
初秋、背番号19をつけた上原浩治がブルペンからマウンドに向かう姿を見た時の感動も忘れられない。

そして毎年春、私はメジャーリーグの開幕前に『2番目のキス』を見返している。
中でも、シーズンチケットが宅配便で届くと、ベンが小躍りするシーンが大好きだ。
このシーンを見ると、「今年も、レッドソックスのシーズンが始まるな」と気持ちが高ぶってくる。

実はいまや、レッドソックスは強豪チームになった。劇的に負け続けたチームは、今は劇的に勝つチームに変身している。なんだか、昔のチームが少しばかり懐かしく思ってしまうのだけれど。
また、行きたい。そう思っているうちに時間が経ってしまう。

BACK NUMBER
FEATURED FILM
監督:ボビー&ピーター・ファレリー兄弟
出演:ジミー・ファロン、ドリュー・バリモア、ジャック・ケーラー、アイオン・スカイ、ジェイソン・スピーバック
ボストンで暮らす数学教師のベン(ジミー・ファロン)は、リンジー(ドリュー・バリモア)の会社に生徒を連れて社会見学に行ったとき、彼女に一目惚れをする。エリートの彼女と一介の教師の彼。まるで住む世界が違う二人だったが、順調に付き合い始める。すべてはうまく行くように思えたのも束の間、ベンがボストン・レッドソックスの熱狂的なファンだったことから問題が生じはじめ……。
PROFILE
スポーツジャーナリスト
生島淳
Jun Ikushima
1967年生まれ、宮城県気仙沼市出身。早稲田大学社会科学部卒業。スポーツジャーナリストとしてラグビー、駅伝、野球を中心に、国内から国外スポーツまで旬の話題を幅広く掘り下げる。歌舞伎や神田松之丞など、日本の伝統芸能にも造詣が深い。著書に『エディー・ウォーズ』『エディー・ジョーンズとの対話 コーチングとは信じること」』『気仙沼に消えた姉を追って』(文藝春秋)、『箱根駅伝 ナイン・ストーリーズ』(文春文庫)、『箱根駅伝』『箱根駅伝 新ブランド校の時代』(幻冬舎新書)、『箱根駅伝 勝利の方程式』(講談社+α文庫)、『どんな男になんねん 関西学院大アメリカンフットボール部 鳥内流「人の育て方」』(ベースボール・マガジン社)など多数。
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