PINTSCOPE(ピントスコープ) 心に一本の大切な映画があれば…人と映画の物語

たかが人生、されど人生。映画でも見る?

滝口悠生 映画音雑記 第3回

『キッズ・リターン』と学校の音

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滝口悠生 映画音雑記

(芥川賞受賞で脚光を浴びた気鋭の小説家・滝口悠生さん。生み出す文章世界には独特のユーモアや優しさがあり、のびやかに広がっては読者の想像をかきたてます。実は映画が大好きという滝口さんが、ある映画の中の”音”を出発点に考えを巡らせる連載「映画音雑記」、隔月で連載中。)

映画でも漫画でも、ひとがひとを殴る場面はたくさん見てきた。若い頃には実際に殴られたこともあったけれど、自分で誰かを殴ったことはないまま三十代半ばまで生きてきた。だから、殴る、という衝動的な行動とそのあとにくる余韻は想像するほかないが、殴られたあとの余韻はなんとなくわかる。そこにはたぶんなんの音もない。無音、静かだ。
ひとを殴ったことのあるひと。過去に一度だけ、というひともいれば、それを自分の怒る方法とし続けているひともいるだろう。ボクシングはルールのあるスポーツなので、けんかや暴力とは分けて語られる。が、拳をなるべく強く、効果的に、相手の顔や体に向けて打つ瞬間、けんかのそれとどういう意志の差があるのか、経験のない私にはうまく想像できない。

滝口悠生 映画音雑記

『キッズ・リターン』のマーちゃんとシンジが通っていた高校はたぶん男子校で、不良も多い。ふたりも授業をさぼって喫茶店に行ったり、街でカツアゲをしたりしていた。学校に来たら来たで、屋上で煙草を吸ったり、自転車に二人乗りして校庭を走ったりしている。と書けば、がちゃがちゃした感じのふたりを取り巻く映画のなかの音は、しかし全編にわたってとても静かだ。殴られたあとみたいに。あるいはもしかしたら、誰かを殴ったあとみたいに。
学校には校庭がある。『キッズ・リターン』の学校の校庭はいつも無人だ。体育の授業でもしていれば、窓を閉めていてもその声は教室のなかに届くけれど、校庭に誰もいなければ窓の外には無人の広い空間がある。窓の外に広い静けさがある学校の静かさは独特だ。
不良はしばしば目立ちたがりで、教室の窓から見える校庭は、彼らのための舞台にもなる。校庭の物音に気づいた生徒のひとりが、教師の声と黒板から目を逸らして、窓の外をぼーっと眺める。そこにはシャドウボクシングをしながら走るマーちゃんと、自転車で伴走するシンジの姿がある。
マーちゃんがボクシングをはじめたのは、カツアゲした高校生が仕返しに連れてきたボクサーに殴られたからで、つまりけんかのためだ。結局マーちゃんはその後早々に挫折してヤクザになってしまうのだけれど。

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私が通っていた中学校では、校庭と林のあいだの長い道をよく高校生が爆音を鳴らしながらバイクで通り過ぎていった。三年のときに隣の席だった友達は小学一年のときから一緒で、中学にあがるとそいつは不良になった。学校にはわりと来ていたが、しばしば途中でいなくなる。と、突然激しい非常ベルが鳴る。三年のときは、授業中毎日のように非常ベルが鳴った。もはや誰も驚かず、お、まただな、と思いながら授業は続けられ、少しすると満足げな顔つきの友達が教室に戻ってきて、私の隣の席に座った。おかえり、ただいま、と言葉を交わす。中学の卒業式のあと、彼が私の家に来て部屋で話したのを覚えているのだが、何をしに来たのか、何の話をしたのだか思い出せない。九年間同じ学校に通った、その日が最後の日だったことになる。
高校で別々になってからはほとんど会うことはなくなったが、成人式の壇上で一升瓶を抱えている姿や、逮捕されたと噂を聞いて新聞で名前を見たりした。自分自身はヤンキー的な切った張ったとは縁がなかったが、小説家だってかたぎの商売ではないと思うし、高校以降の私の人生だって全然まともではなかった。だからなのか、未だに不良とはわりと親しくなる。みんな憎めないところがあって、善人かわからないが極悪人とは思えない。私が知り合うのは、隣の席にいた彼のように、半端な不良ばかりなのかもしれない。
彼が殴られた、とか、彼を殴った、という話は中学のときも、そのあとも、何度も聞いた。けれども彼が誰かを殴ったという話は聞いた覚えがない。彼が誰も殴らずに生きているとは正直考えにくい。でも私がそういう話を聞いたことがないのは本当だ。

滝口悠生 映画音雑記
FEATURED FILM
キッズ・リターン [Blu-ray]
監督・脚本:北野武
出演:金子賢、安藤政信、森本レオ、山谷初男、柏谷享助、大家由祐子、寺島進、モロ師岡、北京ゲンジ、芦川誠、津田寛治、平泉成、大杉漣、下條正巳、丘みつ子、石橋凌
1996年公開の、北野武監督の長編第6作で、金子賢と安藤政信主演による青春ドラマ。問題児の高校生・マサルとシンジは、カツアゲした高校生が呼んだ助っ人ボクサーにKOされる。それを機に二人は一緒にボクシングを始める。本作がデビュー作で、演技をするのが初めてだった安藤政信は、「北野監督は1回テスト、1回本番しか撮らないので、失敗でもOKだった」「監督のメソッドがスタンダードと思っていたから、次回作では苦労した」という初々しいエピソードを、のちのインタビューで語っている。
PROFILE
小説家
滝口悠生
Yusho Takiguchi
1982年生まれ、東京都出身。2011年「楽器」で新潮新人賞を受賞し、小説家としてデビュー。2015年『愛と人生』で野間文芸新人賞を、2016年「死んでいない者」で芥川賞を受賞。その他の著書に『寝相』『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』『茄子の輝き』『高架線』がある。
画家
松井一平
Ippei Matsui
画家として多くの個展を開き、レコード・CDジャケットや書籍などの装画も手がける。滝口悠生著『茄子の輝き』でも装画・挿絵を担当。