
バレンタインデイ。
それは、大切に想う人へ、想いを伝える日。
恋人やパートナーだけでなく、親や子、家族、友人、恩師など、自分の周りにいる人へ、普段なかなか伝えられない気持ちを伝えるチャンスです。でも、「気持ちをうまく伝えられるかな?」と、やっぱり不安になりますよね。
「大事に思っています」「いつもありがとう」「好きです」…。
たとえ、はっきり言葉で表したとしても、その想いってなかなか全ては伝わらないもの。大事なのは、タイミング? 仕草? 視線? 顔を見て伝える? それとも、手紙?…想いの伝え方って、相手が大切な人であればあるほど、いつも一緒にいる人であればあるほど、難しいものです。
そこで、編集部メンバーが映画から“想いの伝え方”を学んだ実体験エピソードを披露します。なにぶんプライベートな領域なので、披露するのはちょっと気恥ずかしいのですが、経験を交えているからこそ、想像以上に説得力のある“想いの伝え方”が揃いました! 気になった作品があれば是非ご覧になって、来たるべき2月14日の参考にしてみてください。

(すずき)
想いを伝えるときに、用いられる様々な駆け引きや小道具。人生経験が積み重なる度にそういった引き出しは増えていき、ついつい余計なことばかりを考えるようになってしまいがち…。しかしそんなことを考えず、ストレートに想いを伝えてもいいんだと思わせてくれた映画があります。それは、『恋は雨上がりのように』(2018年)。
主人公・あきら(小松菜奈)は、夢中になっていた陸上をケガによって諦めてしまった女子高生。すぐに復帰は難しいとお医者さんに告げられた病院の帰り、雨宿りでたまたま入ったファミレスで放心状態だったあきらに、店長・近藤(大泉洋)が「なかなか雨が止まないから、どうぞ」とサービスのコーヒーを差し出しながら優しく声をかけます。その店長のさりげない優しさに心を奪われたあきらは近藤に密かに想いを寄せながら、そのファミレスでバイトを始めることに。
「店長のことが好きです!」「この前の返事聞かせてください。」
自分の気持ちを抑えきれなくなったあきらは、まっすぐな性格と若さも手伝って、何度も何度も近藤に想いをぶつけます。バツイチで子持ち、冴えない日々を送っている近藤には、まさか自分が!と最初は彼女の気持ちを恋愛感情として受け取ることができませんでした。しかし次第にそれが恋愛の、しかもかなり本気の「好き」なのだと気付くのですが、なにせ相手は自分が雇っているアルバイトであり女子高生。近藤はその想いを受け止めることができません。
タジタジの近藤が、あきらに「何で俺なんかのことが好きなのか」と問うと、「人を好きになるのに、理由なんていりますか?」と言い放つあきら。でも、「好き!」と言ってる当の本人も、「こんなに夢中になっているのは、陸上の夢が絶たれてポッカリ空いてしまった心の穴を埋めるためなのかも…?」と、自分の想いに迷いが出てきます。あきらは自分の気持ちを伝えることで、自分に向き合うことになったのです。結果、自分が大事にしたいものに気づき、進むべき道が見えてきます。また、そんなあきらを見て近藤も、過去に叶わず手放しかけた夢をもう一度追いかけ始めます。
想いを抱えているならば、その結果だけを気にせずに、ストレートに伝えてみる。想いを受け止めてもらえることで、想いが届くことで、自分を見つめ直し、人生の何かが変わっていくきっかけにもなることに、この映画を観て気づかされました。私は、あきらと近藤を観ながら、自分の中だけで完結させてしまった過去の恋愛を思い出しました。あの時、たった一言あきらのように「好きです」と言ってみれば良かったと。たとえ、想いを伝えたことで傷ついたとしても、その経験は自分のものとなる。想いを伝えた相手が“この人”で“この結末”だったからこそ、気づけたことが私にもあったことを思い出したのです。
恋愛に限らず自分の想いを伝えたいという時が、きっとこの先私に何度も訪れるでしょう。その時は必ず、まっすぐなあきらの恋の物語を思い出して勇気をもらい、相手に想いをストレートに伝えてみようと思います。
(『恋は雨上がりのように』)
時を経た想いの答え合わせ
(やまき)
ふいに、「あのとき、ああしていたら」と思い出してしまう瞬間が、私の人生には何度かあります。最初のそんな想い出は、笑ってしまうほど些細な会話でした。
小学校高学年のころ、私はあるスポーツの合宿に友人と4人で参加しました。その参加者の中に、私と同学年の双子の兄弟がいたのです。彼らは一卵性双生児でしたが、見分けるのは簡単でした。一人は、明るくてお調子乗りで、よく喋る少年。もう一人は、クールなアウトロータイプ。双子の物珍しさとルックスの良さで、彼らは女の子たちの注目の的でした。内気だった私は、色めき立つ女の子たちの前で無関心を装い続けました。内心は彼らに興味津々だったものの、周りに悟られるのは恥ずかしかったし、なによりも自分など相手にされないと思っていたからです。ときどき、明るい性格をした双子の弟に話しかけられることもありましたが(兄はクールなタイプでした)、社交的な彼は誰にでも気軽に声をかけていたし、他のグループの女の子たちの目も怖くて、私はまともに返事をすることすらできませんでした。
合宿の最終日、双子の弟は私の肩をそっと叩き、こう尋ねました。「どこに住んでいるの?」私が「江の島」と答えると、彼は「それって紅葉饅頭があるところ?」と言いました。すると、私の隣に立っていた友人が、噴き出しながら「なにそれ!」と、少しバカにしたように笑ったのです。私たちの会話は終わり、それから二度と双子に会うことはありませんでした。
どうやら彼は「江の島」と「広島」を取り違え、広島銘菓の紅葉饅頭を思い浮かべたわけですが、当時の私は「紅葉饅頭」を知りませんでした。もし、あのとき私が「それは広島だよ。私が住んでいるのは江の島」と言っていたら、私たちは友だちになっていたでしょうか? そもそも、なぜ彼は私にだけ住む場所を尋ねたのでしょうか? それから25年以上経った今でも、ふと考えることがあります。でもだからと言って、私は彼を探し出して「あのときのこと」を確かめることはありません。
私とは違い、「あのときのこと」を確認するために車のハンドルを握って旅に出たのが、カズオ・イシグロの同名小説の映画化『日の名残り』(1993年)の主人公です。
長年英国貴族に仕える執事だったスティーブンスは、心に密かな想いを抱きながら、20年前結婚を機に辞めた、かつての女中頭ミス・ケントンに会いに行くことにします。建前は、現在仕えているアメリカ人富豪のもとの人出不足を解消するため。本当の理由は、当時の彼女の気持ちを確かめ、彼女との人生を取り戻すためだったのです。それは、スティーブンスが、かつて仕えた主人が国家反逆罪で名誉を失った事実や、自分の本当の感情から目を背けるため、言い訳を重ねていた中での行動でした。
ついにミス・ケントンと再会したスティーブンスは、彼女から答えをもらいます。あのとき、ああしていれば、別の人生が実現したかもしれない。でも、「今のこの人生も幸せだ」と。
頑なまでに自分の気持ちを隠し続けたスティーブンスは、20年を経た今、行動で気持ちを伝えることで、ようやく「あのとき」の答えを得ることができました。でもそれは、悲しい痛みを伴うものでした。気持ちを真っすぐに伝えるのを阻むのは、いつだって傷つくことへの恐怖であり、たとえ長い年月を経たとしても、無傷で答えを得ることはできないのだと思います。だから傷つきたくない私は、歪んでいく記憶を眺めながら、これからも「あのとき、ああしていれば」を妄想し続けるでしょう。でも、もし運命がチャンスを与えてくれることがあれば、私も答えを尋ねないといけませんね。勇気をもって行動したスティーブンスに敬意を表して。
(『日の名残り』)
何かを媒介させることで込められる想いがある
(あだち)
「想いの伝え方」。このテーマを軸にいくつかの映画を思い出してみた時、バレンタインの時期だというのに、自分の好きな映画には、恋愛ものがほとんどないことに気が付きました。そういえば、学生時代からずっと、私が惹かれる映画のテーマはすべて「親と子」だったのです。
そのことに初めて気づいたのは、岩井俊二監督の『花とアリス』(2004年)を観た時でした。
『花とアリス』は、二人の女の子の友情や恋愛を描いた青春映画。泣きじゃくったり、女同士で取っ組み合いの喧嘩をしたり(これがたまらなく愛おしくて痛快)、この作品にはさまざまな「想いの伝え方」が描かれます。
でも、私がこの映画の「想いの伝え方」で一番心に残っているのは、高校生のアリス(蒼井優)が、別々に暮らしている父親(平泉成)と会うシーンでした。
高校生の女の子が興味のなさそうな高級料亭を予約し、高校生の女の子が使わなそうな万年筆をプレゼントする父親と、「学校はどうだ?」「まぁ楽しいよ」というような、ぎこちない会話するアリス。
その後も、場をつなぐような会話をする二人ですが、いざ別れるという電車の中で、アリスは「次会えるの、いつ?」と父親に聞きます。そして、電車を降りる父親に向かって、ついさっき興味がなさそうに教えてもらった中国語で「パパ、ウォーアイニー(愛してる)」と伝えるのです。それに対して、「こういう時はね、ツァイツェン(また会いましょう)だよ」と照れ隠しのように返す父親。
この一瞬のやりとりに、不器用ながらも通い合う二人の気持ちが垣間見えて、何度観てもぐっときてしまうのです。母国語でないから言えたのかもしれないし、「大切に想ってる」ということを直接伝えたわけでもない。でも、「また会おう」という気持ちを共有できたことが、離れて暮らしている二人にとって、何より大切なのでしょう。
実は私も、アリスと同じ高校生の頃に父親と離れて暮らしていました。アリスと同じように時々ふたりで会って、万年筆のように微妙なプレゼントをもらい、ぎこちない会話をつないでいました。
それでも、別れ際の「また会おう」という言葉が嬉しかったことを、このシーンを観るたびに思い出すのです。
(『花とアリス』)
どう想いを伝えたとしても、伝わらないときもある
(かわぐち)
好きな人に告白して「友だちとしか思えない」とフラれたことがあります。週に1〜2度は会って、映画を観に行ったり、飲みに行ったり。趣味が合うので、一緒にいてドキドキするというよりは、ただたのしい。周りにも「ふたりいいじゃん」と言われ、自分でも「こういう落ち着いた関係はいいなぁ」と気持ちが盛り上がっていました。その勢いで想いを告げたわけですが、撃沈…。家に帰って「じゃあなんであんな思わせぶりだったの?」とか「どうすればよかったわけ?」とか恨みごとを言いながら、一晩ベッドでウンウンうなりました。
ふたりの男女が同じ場所にいて、そもそも嫌い同士なわけでもないのです。なのにこんなにもお互いに抱く感情が違うことがあるなんて! そんな物語の展開に、自分の経験を重ねながら改めて驚いた映画のシーンがあります。『逃げ去る恋』(1978年)というフランス映画で、主人公の作家アントワーヌ・ドワネルと幼なじみの美女コレットが、寝台列車の中で偶然、数十年ぶりに再会する場面です。
コレットは再会を喜び、自分の個室へとアントワーヌを案内します。しかしそこで思い出話に花を咲かせていた最中、アントワーヌは急にコレットへキスを迫ります。昔恋い焦がれていたコレットへの想いが再び溢れ出してしまったのです。40代にもなって自分勝手な行動をとるアントワーヌに、コレットは「ダメよ。なぜかわかる? キスはふたりでするものよ。あなたったら昔からちっとも変ってない」とすごい剣幕で怒ります。「あなたを好きだったわ。でも愛してなかった」とも告げ、アントワーヌを部屋から追い出してしまいます。
実は、アントワーヌとコレットの若かりし頃の恋模様が描かれた映画も存在します。『逃げ去る恋』と同じ俳優陣で作られた『アントワーヌとコレット/二十歳の恋』(1962年)です(『男はつらいよ』や『ハリー・ポッター』のように、同じ俳優が同じ登場人物を演じる成長譚シリーズのうちの2作)。その映画でも、アントワーヌはコレットにこっぴどくフラれていました。この2作を観る限り、アントワーヌには「これをしたらコレットはどういう風に思うだろう?」という想像力が欠けています。だから駆け引きがまったくできない。それに引き換えコレットは、弁護士になるほど知的な女性。歯が立つはずもありません。
わたしも駆け引きは苦手な方なので、アントワーヌの自己中加減は半分笑えません。もし「相手がこう動いたら、わたしはこう動く」と冷静に判断しながら恋愛することができる人間だったら、冒頭の彼との恋愛は成就していたのかもしれない。とはいえ、人はそう簡単には変われませんよね。2作にまたがりアントワーヌがコレットに玉砕し続けている姿を見ていると、どんなに一緒に過ごしたとしても、想いの伝わらない人はいるんだなという気がしてきます。
でも、そんなアントワーヌのことを好きだという女性も『逃げ去る恋』には登場します。それはレコードショップで働く年下のサビーヌ。親しみやすくて可愛げがあり、アントワーヌのエキセントリックな愛情表現も笑って楽しめる器の持ち主です。アントワーヌとサビーヌが想いを確かめ合うシーンで映画は終わります。想いは伝わる人には伝わるし、伝わらない人には伝わらない。だとしたら四の五のいわず、あまり無理もせず、自分らしくやるのが一番なのかもね、とアントワーヌの笑顔に向かって呟いたわたしです。
(『逃げ去る恋』)
それは、その人をも離れ生き続ける
(編集チーフ・おばら)
10年の時を経ても、私を励まし続けている“ある言葉”があります。
当時、私は色々なことが重なって、精神的にも体力的にも限界にきていました。関わっていた仕事も上手く進んでおらず、「私はなぜこんなことをやっているのか…」と思う日々。そんな時、同じプロジェクトに携わっている社外の女性の方に、ポロっと「今私が取り組んでいることは、結局誰にも望まれてないんですけどね…」とこぼしていました。すると、すかさずその方は「おばらさん、私がいるじゃないですか。」と言ったのです。そして、「私がいるんで大丈夫です。」と言葉を続けました。私は、思いがけないストレートな言葉に照れてしまって「えっ、ハハハ…ありがとうございます。」と言うのが精一杯。「私がいる」だなんていうセリフを、私なら絶対言えません。でも…とてもとても嬉しかった。
その人は程なくして、あっさり退社されました。「なんだよ、あの言葉はなんだったんだよ。」とやっぱり思いました。でも不思議なことに、その方の存在が私の周りから消えてしまっても、あの時のあの言葉は私を励まし続け支え続けたのです。今でも、何か辛いことがあると「私がいるんで大丈夫です」という言葉が浮かんできます。
私はある映画を観て、この言葉を再び思い出しました。カナダの画家モード・ルイス(サリー・ホーキンス)とその夫エベレット(イーサン・ホーク)の人生を描いた『しあわせの絵の具』(2016年)です。
主人公モードは、子供の頃から重いリウマチを患って、思うように動けません。モードは、そんな自分を邪険にする家族から自立するため、エベレットのもとで家政婦として住み込みで働くことに。一緒の時間を過ごすうちに二人の気持ちはだんだん通い合っていきます。でも、エベレットはどこかで不自由にしか動けないように見える彼女を受け入れられません。一緒に住んで一緒に寝ているのだから、結婚して欲しいというモードに対して、エベレットは「他に女がいないから」「お前と結婚しろってのか?」と言葉で虐げます。そんな彼に対して、モードは毅然とこういうのです。「でも、私は好き。私が必要よ」と。その言葉をきっかけに、エベレットはモードを自分と対等な人間として受け入れ、二人は結婚することになります。
モードを観て改めて、自身に対して尊厳が込められている言葉は、相手の心をこんなにも動かし、そして生き続けるんだなと思わされました。『しあわせの絵の具』では最後、モードはエベレットより先に旅立ってしまいます。でも、一人残されたエベレットに漂うのは、悲しさだけではありませんでした。彼はこの先も寂しくない人生をおくることでしょう。だって、モードの数々の言葉が、彼の周りに生き続けているのですから。
(『しあわせの絵の具』)
いかがでしたか?
想いの伝え方は多種多様。また、どれだけ伝えても、伝わらない想いもあるようです。でも、誰かが誰かに想いを伝える瞬間、そこに物語が生まれていることがわかりました。
PINTSCOPEでは、来月から新連載を始めます。
色んな方々の、「想いを伝えた相手」や「想いを伝えたい相手」と“映画デート”をしたエピソードをお届けする連載です。他人の映画デートのことって、細かくはなかなか聞けないものですよね。特に失敗したエピソードなんて、本人は周りに喋れたくても喋れない…。だから、PINTSCOPEが代わりに、どんな相手とのデートに、どんな映画を選んで、どうなったのか、聞いてきました!
観た映画が○○だったので上映時間中地獄だった体験や、自分にとって最高に面白かったのに相手は「最低!」と怒っていた体験など…、映画デートだからこそ想いが深まった、または齟齬が判明したエピソードをひとつずつ丁寧にお届けします。お楽しみに!!
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