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ものすごく高度で楽しい、三人の「セッション」
― 今作は、「ジャズ音楽」のセッションのように、予測のできない物語と、型にはまらない自由な表現が詰まっていました。池松さんと森田さん、冨永監督は、今回初めてご一緒されたかと思うのですが、いかがでしたか?
冨永 : 毎日楽しかったです(笑)。池松さんと森田さんが揃うシーンは、序盤・中盤・終盤と、わりと満遍なくあったんですけど、どれも物語が動くタイミングだったので、全てが面白かったですね。
池松 : お二人とは、ものすごく高度な、楽しいセッションができるんです。
池松 : 冨永さんが出してくるアイデアに対して、自分はどういうことができるか考てやってみる。するとまた、それに対して冨永さんが全然違う角度から答えてくれる。森田さんとは限られたスタートからカットまでの時間、どこまでも繊細に大胆に呼吸を合わせていけます。
そういうやりとりがすごく楽しかったです。
冨永 : 池松くんは、撮影に入る前からピアノの練習をしてくれていたので、準備の頃から顔を合わせていて。
池松 : はい。
冨永 : 森田さんとは、衣装合わせを含めて撮影前に2、3回お会いしたんですが、撮影前と撮影中で別人みたいになっていて(笑)。ここまでしてくれたんだ、って驚きました。
その後は、現場が始まってからになるので、役が抜けた素の状態で話したのって、休憩中での喫煙所くらいですよね?
森田 : 確かに、そうでした(笑)。
― 今作は、ジャズミュージシャン・南博さんのエッセイ『白鍵と黒鍵の間に -ジャズピアニスト・エレジー銀座編-』を冨永監督自らが企画し、映画化した作品です。
『白鍵と黒鍵の間に -ジャズピアニスト・エレジー銀座編-』小学館文庫)
― 主人公を演じた池松さんは、物語の鍵を握る一曲「ゴッドファーザー 愛のテーマ」を演奏するため、半年間ピアノの練習をされたそうですね。
池松 : 周りには本物のミュージシャンがいてくれたこともあり、みんなで演奏するシーンは、このうえない高揚感がありました。映画の出来上がりを観ても「音楽映画やっぱ最高じゃん」と思いました。音楽に導かれた感情の昂りや重なりがありました。
― エッセイでは、南博さんが、ジャズピアニストとして銀座で過ごした3年間の日々が時系列に語られていますが、映画では、銀座のクラブでピアノを弾き始めた頃の“博”と、クラブを辞めてアメリカに旅立つ3年後の“南”が、一夜の中で同時に描かれるというユニークな構成になっています。
― そして、その二役を池松さんお一人が演じていますね。
冨永 : “南”と“博”という別の人物が二人いるわけではなくて、銀座のピアニストである“南博”という一人の人物の「初日」と「最終日」を一晩で描いているんです。だから、「一人二役」と僕は思っていなくて。
まだ夢に溢れてピチピチしていた「3年前」と、夢を見失ってしまった「3年後」の姿。なので、多少、外見は違いますけど…。
池松 : 多少じゃないですよ(笑)。夜の銀座に染まってしまう前と後、という。
冨永 : 全く別の人物にならないようには、ギリしてもらいましたね。
― 主人公の「ビフォー」と「アフター」が一晩に共存することで、「現実」と「幻想」が入り乱れるような、ミステリアスな演出になっています。そして、“南”と“博”の両方に関わり、物語を大きく動かしていく人物が、森田さん演じる“あいつ”という謎の男です。
― チンピラの“あいつ”はキャバレーにふらりと現れ、南に「ゴッドファーザー 愛のテーマ」をリクエストし演奏してもらいます。この役は、映画オリジナルになりますね。
冨永 : 南博さんのエッセイには、「高級クラブにやってくる違う組織の会長二人に気に入られて、どちらにも『ゴッドファーザー 愛のテーマ』を弾いたら怒られた」というエピソードが出てくるんですけど、そこから“あいつ”を作ろうと、まず思ったんです。
エッセイのエピソードを、そのまま映画にすると、両方の親分が登場するんで、子分もいっぱいいて、組織同士の大抗争になって、拳銃の撃ち合いとかしなきゃいけないじゃないですか。
― なるほど(笑)。
冨永 : それよりも、素手で殴り合えるような、1:1の、近い距離の関係性を描きたいと思ったんです。そこで、「会長」は松尾(貴史)さん一人に演じてもらって、もう一人は、つい最近まで刑務所にいた「一匹狼のチンピラ」にしようと。チームが違う、位の高い人と末端の人という。
― 確かに、二人がラジカセとナイフで戦うシーンも描かれていました。
冨永 : あのシーンは編集が楽しかったですね…。ああいうことがしたかったんです。撮影してる時は「編集どうしよう?」と思ってたんですけど。
池松 : (笑)。
― 会長二人のエピソードから “あいつ”が生まれたんですね。
冨永 : その“あいつ”を、森田さん「ここまでしてくれたんだ」って驚くほどつくりこんできてくれて。
森田 : (笑)。
― 「ここまで」とは?
冨永 : すごく「悲しい人物」にしてくれたんです。僕の思っていた以上に、悲しくしてくれた。役作りに関しては、僕から特にリクエストは伝えていなくて、全然話してなかったもんね?
森田 : 僕が覚えているのは、監督が「“あいつ”は、誰にも見えていない人物なんだ」と言われたことで。
冨永 : しましたね!その話を。うん。
森田 : 現場に入って、何回かテストをしてから言われたことだったんですけど、「そこまでなんだ!」と思いましたね。むちゃくちゃ寂しいやつなんだ、って(笑)。
冨永 : 透明人間、というね…。誰からも見えていない人物なので、クラブの店員や通行人を演じる人たちにも、歩きながら気にせず“あいつ”にぶつかっていって下さい、と伝えてました。森田さんが避けるんで、って。
森田 : はい、避けながら歩きました(笑)。
冨永 : だから、本当はあの場面で「二人三脚」はしない予定だったんですけど、入れちゃいましたね。
― 「“博”と“あいつ”が二人三脚するシーン」ですね。今作でもかなり印象的だった池松さんと森田さんお二人の場面ですが、即興でつくられたということでしょうか?
冨永 : 台本上では、「二人三脚をする直前で池松くんが逃げる」となってたんですけど、現場に入ってから、「やっぱりしてください」って変更しました。
池松 : 直前でしたよね。
― 「二人三脚してください!」と(笑)。
森田 : 見事でしたねぇ。
冨永 : 森田さんの“あいつ”があまりにも悲しかったので、二人三脚させてあげないと、この人かわいそうだなって思って。
池松 : はははは(笑)!
冨永 : おかげでいいシーンが撮れました。
うまくいかない人生も
「ノンシャラント」に祝福する
― 冨永監督は今作について、「どの俳優に対しても、演技について指定はしていません」とコメントされていましたね。「音楽的な出自の違うプレイヤーが急に集まってライブをやる、あれがやりたいのかもしれないです」と。先ほどの「二人三脚のシーン」のエピソードでよく理解できました。
冨永 : 当日、セリフを紙に書いて渡して、ちょっと内容も変わったんですけど。盛り上がりましたよね?
森田 : テンパりました(笑)。
池松 : 何てばかばかしくて面白いシーンなんだろうと。ビルとビルの隙間の路地で全く違う人生を辿ってきた男二人が、二人三脚をしている。
K助とゴミだめの路上で再会し、捨てられていたピアノでセッションするシーンとこの二人三脚のシーンが、個人的に最も好きなシーンです。
― 二人三脚してるうちに、森田さんが身につけていたナイフや銃がひとつずつ地面に落ちていく様子は、不気味でありつつも、つい笑ってしまう印象的な場面でした。
池松 : あのシーンの森田さんが本当に一生懸命で惨めでかわいそうで。冨永さんのひらめきによって、この映画の嘆き、人生の隙間で俺は一体何をやっているんだ、を象徴するようなシーンになりました。
冨永 : スタッフも撮りながら盛り上がりましたよね。銃やナイフがひとつずつ落ちていくためにはどうすればいいのかを、2人とかで考えればいいのに、10人くらいで考え始めて(笑)。いい現場になりました。
池松 : (笑)。
― お話を伺っていると、冨永監督は現場で浮かんだアイデアを積極的に取り入れるようにされているのかなと。
冨永 : 俳優部の方々は、「いきなりですか?」ってびっくりするかもしれないんですけど、現場でカメラの前に立ってもらって気づくことも、実はいっぱいあって。もちろん、事前に考えて打ち合わせして台本もつくってるんですけど、実際にカメラの前に立ってもらうと、台本の段階ではわからなかったことに気付いたりするんですよね。
冨永 : 思いついちゃったら、それを噛み殺して台本通りにやるのは勿体無いと思っているので、今回の「二人三脚」みたいに、「急なんですけど、こういうのどうですか?」って聞きますね。セリフを当日変えたり、小さいレベルでのアドリブも結構あったよね?
池松 : はい、セリフや動きでちょこちょこあったと思います。
― 今作に込めたテーマについて、冨永監督は「仕事と自分」であるともコメントされていました。映画では、ジャズマンを夢見て銀座に来たものの、理想から日々遠ざかってしまう主人公の姿が描かれていましたが、みなさんにも、そのような経験はありましたか?
冨永 : 「理想と現実のギャップ」というのは、みんなあるんじゃないですかね、きっと。例えば、今作の主人公だと、自分が全く覚えていないような演奏のことを、バンマスに「今日のお前いい演奏してたよ」と褒められるシーンがあります。よりによって自分が意識してない仕事を周りから褒められるという(笑)。あれはみなさん、経験あるんじゃないですかね。
池松 : ありますね。この映画では昭和という時代が描かれていますが、夢を見失ってしまう主人公の、人生においてままならない時の感情というのは、時代性も超越できます。一人の人間の営みの中に必ず訪れるものだと思います。そういう普遍的なところに触れたいと思っていました。
― 夢を見失ってもなお、ミュージシャンとのセッションや自分の演奏を通して、主人公が音楽に向きあおうとするシーンが、映画には何度も登場していました。
池松 : 例えば、これが青春映画だったら、夢を見失ってしまった男が、失意の中からどう脱出するかまでが描かれると思うんですけど、この映画では、主人公は全く脱出できないし、3年後には奈落の底にいます。それでも夢の隙間にいる。そしてその隙間を音で埋めていたことに気付かされます。
そういう隙間に落ちても、主人公の人生には音楽があったし、知らず知らずのうちに本人が音楽で隙間を埋めている。
― はい。
池松 : 劇中にも出てくる言葉ですが、そのままならなさを「ノンシャラント」に祝福してくれるところが、この映画に新しさをもたらしてくれています。間の地続きの中に、甘美な人生そのものが浮かび上がってきます。
― 脱出するかしないかではなく、その状況下でも人生が続いていくことを真っ直ぐに捉えている。
池松 : そうですね。
― 「ノンシャラントに」という言葉は、この映画に何度も登場しますね。主人公が恩師である先生からピアノのレッスン中にかけられた言葉で、その後も人生を導くように、何度も思い出す場面があります。
冨永 : 「ノンシャラン(nonchalant)」というフランス語ですけど、恩師の先生は「ノンシャラント」と、最後の「T」まで発音するんですよね。日本語に言い換えると、肩の力を抜いて、という意味なんですけど、運動部がチームメイトに「楽に行こうぜ」と声をかけるようなイメージですよね。
それをピアノのレッスン中に先生が言う、というのが面白いなと。他のセリフの中に埋没しない言葉だから、主人公が人生の中で考え続ける言葉として、映画の中でずっと使えるなと思いました。
― 音楽表現についてのアドバイスでしたが、そのまま人生についても置き換えることができる、肯定的な言葉ですね。
冨永 : うん。多分、はっきり言葉でメッセージで伝えようとすると、「いつか脱出できるように頑張ろうぜ」になっちゃうんですけど、この映画はそこまでは言わないよということですね(笑)。
― 森田さんは、いかがですか?
森田 : 「夢と現実とのギャップ」ということでいうと、それは死ぬほどありますよね(笑)。でも、そういう時、主人公にとっての「音楽」のようなものが何かひとつあると、救いになるなと、この映画を観て思いました。
僕が演じた役は寂しい男で、誰からも見られてなくて空っぽ、という人物だったので、主人公には音楽があるということがすごく羨ましかったし、かっこよく見えて。
冨永 : うん。
森田 : でも、そういう経験を通して、よりシンプルになっていくというか。自分のためというよりは、人のためだったり、近くの人のために生きたいと思うようになるのかなと考えましたね。
冨永 : 森田さんの役は、いわば追っかけみたいなものですよね。“あいつが追っかけになった日”っていう。
森田 : いいっすね。
冨永 : 3年前の主人公がある日、めちゃくちゃ熱心な追っかけと出会う、という話にも見えてくるんですよね。孤独で「誰もわかってくれない」と泣き叫びながら、誰よりも音楽を楽しんでいる“あいつ”。推しがいるから今日も生きている、みたいな感じですよね。
この二人に囲まれてると、この映画はそういうことなのかなっていう気がしてきました。追っかけの方が、推し本人より、音楽のことも推しのこともわかっているという。お前の音楽のことは俺の方がわかってるんだ、って。
― 自分の音楽を見失っていく博にとって、実は“あいつ”が一番の理解者でもある。
池松 : 現代的にいうと推し活ですよね。主人公は本来知っていたはずの大事なことを見失っていくけど、この物語において“あいつ”だけがずっと本質を語っていて、そして誰よりも、音楽を求めている。
それがヤクザ、っていう、のがまた面白い。
冨永 : うんうん。
池松 : その切実さとユーモラスのバランスが、森田さん演じる“あいつ” によって担われていて、この群像的な物語の中に過ぎ去る人生の一つとして、とても面白く描かれていましたよね。
池松壮亮、森田剛、冨永昌敬監督の「心の一本」の映画
― 最後に、何度も繰り返し観ているような、みなさんの「心の一本」の映画を教えていただけたらと思います。
池松 : あー油断してた。どうしよう。
冨永 : (笑)。森田さんの一本、聞きたいな。
森田 : あ、ほんとですか。なんだろう。僕は、ジャッキー・チェンが好きで。
池松 : へー!
森田 : ユン・ピョウも好きだったんですよ。だから、小学校の時はユン・ピョウを見まくっている子どもでした。
― ユン・ピョウは香港のアクション俳優で、『死亡遊戯』(1979)ではブルース・リーの吹き替えを演じ、『プロジェクトA』(1984)や『スパルタンX』(1984)で一躍スターとなりました。
冨永 : かっこよかったです。
森田 : かっこよかったですよね! 当時、メンコが流行っててよく遊んでたんですけど、ユン・ピョウの顔を描いて、それが俺の勝負メンコでした。ここぞっていう時に、それを出して戦ってましたね。
池松 : (笑)。
冨永 : 好きな映画は、ユン・ピョウとジャッキー・チェンのコンビのやつですか?
森田 : はい。あと、サモ・ハン・キンポーの監督作も好きです。
冨永 : 『スパルタンX』とか、地上波でよく放送してましたよね。
森田 : やってましたよね! あとは、ビデオショップでレンタルして観てました。
― 冨永監督の「心の一本」は、いかがですか?
冨永 : …今なんか、頭の中がユン・ピョウのことでいっぱいで(笑)。
一同 : (笑)。
冨永 : 昔観たなぁと思って。多分、森田さんと同じ映画観てますね。好きな映画、なんだろう。『白鍵と黒鍵の間に』を作る時に、意識した映画があったと思うんですけど…。
池松 : ロバート・アルトマンのことは話しましたよね。
冨永 : あぁ、言ったかもしれない。
池松 : でもそれは、冨永さんが好きって言ってたのか、この映画について話していた時に話題に出てきたのか、記憶にないんですけど。
冨永 : 好きな映画として言ってたのかもしれない。最近観た映画だと…ちょっと前ですけど、『リコリス・ピザ』(2021)は最高でしたね。久しぶりに、こういうポール・トーマス・アンダーソンを観たな、という。なんか嬉しい映画でした。
― 『リコリス・ピザ』は、1970年代のサンフェルナンド・バレーを舞台に、主人公の少年が、大人の女性に恋をし成長していく過程を描いた作品です。奇妙で個性的なキャラクターがたくさん登場しますが、今作『白鍵と黒鍵の間に』の登場人物とも、どこか重なるようなが気がします。
冨永 : お、そうですか?
池松 : ノンシャラントですよね(笑)。
冨永 : あ、そっか。ショーン・ペンが演じたベテランのスター俳優とか、めちゃくちゃでしたよね。あのショーン・ペンと、今作で松尾さんが演じたボスの役は、近いかもしれない(笑)。無意識に影響受けてるかもしれないです。
― 池松さんは、PINTSCOPEのインタビューに過去3度登場していただき、ジム・ジャームッシュ監督作や、アキ・カウリスマキ監督作など、その都度お好きな映画をあげてくださいましたが、今回一本あげるとしたら、いかがですか?
池松 : 今回、『白鍵と黒鍵の間に』に取り組むにあたって、自分の心の机の上に並べていた映画は何本かあるんですけど。その中で一本あげるとしたら、コーエン兄弟の『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』(2013)ですね。
― ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン兄弟の監督作ですね。1961年のニューヨークのフォークシーンで、才能に恵まれながらも成功に恵まれず、細々と活動をしていた歌手の一週間を、独自のユーモアと優しい視点で描いた作品です。
池松 : ムードやトーンは全然違うんですけど。主人公である、まだ何者でもないミュージシャンの隣に、ただただ音楽と生活がある。そのことがとても豊かな映画なんです。
冨永 : あの映画って、最後どうなるんだっけ? 久しぶりに観返してみようかな。