目次
みんなから距離を置くのが楽だと、
本能的に感じとっていた学生時代
― 今作は登場人物たちの台詞、例えば「一人は我慢できたけど、孤独は耐えられないわ」「お前が死んでも世界は変わらないけど、俺は少し変わるな」などが、哲学的で寓話のような世界観でありながらも、現代の若い世代の温度がはっきりと伝わってくるような映画でした。
間宮 : 実はお話をいただいた時、「Twitterで泣けると話題の4コマ漫画が原作」と聞いていたので、少し身構えていたんです。感動させようとか、泣かせようみたいな感じなのかなって。でも実際に原作を読んだら、そんな匂いは全くなくて、むしろ自然体で自分のリズムにも馴染みやすかったんです。だから、「泣ける」とういハードルをいつの間にか考えなくなっていました。
― どのような部分が、間宮さんのリズムに馴染みましたか?
間宮 : まず、原作でも今回の脚本でも、会話がとても自然体だなと思いました。舞台や映画の台詞って、会話が会話になりすぎていて、逆に不自然なこともあるけど、小坂と鹿野(桜井日奈子)のやりとりの中にある「死ね」とか「殺すぞ」みたいな、一見過激でぶっきらぼうな言葉も、素直になれない二人の関係性では、すごく自然な感情表現だなと。逆に、常に愛をささやきあっているカップルの方が、僕は嘘くさいと思ってしまうので。
それに、僕自身も元々は結構口が悪くて、学生時代も仲間内ではあれくらいの雑な言葉が飛び交っていたので、台詞も自然に発しやすかったです(笑)。
― 今回の撮影は、学生たちが実際に通っている県立高校を借りて行ったそうですね。生徒たちが騒がないように、授業中に撮影をして、学校の休み時間には控室で待機していたとお聞きしました。
間宮 : 廃校を使って撮影するのとは、雰囲気が違いましたね。机の中にも、生徒たちが使っている物がそのまま入っていて、建物が生きている感じを受けました。ちょっと懐かしかったです。僕は男子校だったので、恋愛のときめきとか思い出になくて、汗臭いだけの教室でしたけど(笑)。不良とかじゃないけど、授業もあまり真面目に聞かないで、男同士で騒いでいるような学生時代でした。
― では、間宮さん自身は、今回演じた小坂とはまた違う学生時代だったのでしょうか?
間宮 : でも、似てるなと感じた部分もあって。小坂は、サッカー部に所属していたという過去が映画の中でも語られていましたが、その時期は仲間内でワイワイやっていたと思うんです。でも、怪我で挫折してしまったことで、ひとりで過ごす時間が増えていったのかなって。
僕も、小学1年生から中学3年生まで野球をずっとやっていて、その当時は同級生と集まって騒いだり先輩を笑わせたり、いわゆる男子の一番うるさい運動部の集団みたいな場所にいました。でも、野球をやめてからは、意識的にみんなでつるむことをやめて、それこそ映画の小坂と同じ窓際の一番うしろの席で、ひとりで音楽を聴いたりしていたんです。
― 当時、自らひとりの時間を作っていったのは、どうしてですか?
間宮 : 楽だからですかね。ひとりでいるのは傍から見ると哀愁があるかもしれないけど、周りと距離を置くのは楽だというのを、本能的に感じて選んでいたんだと思います。でも、僕は自分から野球を辞めたけど、小坂は怪我でサッカーを辞めざるを得なかったという状況なので、僕よりももっと悲劇のヒロインという感じがしました。
― “ヒロイン”ですか?
間宮 : ヒーローでは決してなくて、悲劇のヒロインぶってる人。挫折という悲劇的な出来事の干渉に浸り続けることで、自分の居場所を作り変えてしまった人。そして、無感動、無関心でいることで、自分を守っているのかなと思いました。でも、鹿野と一緒に過ごすようになって、もともと持っていたユーモアや明るさが少しずつ出てきているのかなと。
― 鹿野のことをからかったり、ちょっかいを出したりと、小坂の笑顔がだんだん増えていくのも印象的でしたね。学生時代のご自身と重なる部分もあっただけに、現場でも自然と役に入っていけたのでしょうか?
間宮 : 自分の中で作ったプランを持ち込まないことが役作りというか、とにかく監督に「リラックスしてくれればいいから」と言われていました。現場全体も、正解を撮らなければいけない、という空気ではなくて、長回しのテイクを何度も重ねていくことで自然と生まれるものを待っていたり。
今回照明部がなくて、すべて自然光で撮っているんですけど、朝8時に現場入しても「今日は午後3時の光にならないと撮りません」と監督に言われたりするんです(笑)。それまで、リハーサルをしたりみんなでお昼を食べたりして待つんですけど、時間に追われずに撮るのって、こんなに幸せなことなんだなと思いました。
― 間合いを持った長回しのシーンや、ゆったりとした映画の空気は、そういった現場の雰囲気から生まれていたんですね。
間宮 : スケジュールもゆったりあったので、それが大きかったのかもしれません。待ち時間にのんびりと教室の席に座ってたら、その流れで「スタート!」と撮影が始まって、「あ、カメラ回ったな」って心の中で思いながら、そのまま座り続けているとか(笑)。いい意味で、待ち時間と撮影の間に気持ちのずれがないというか、力の抜けた状態を反映できる役柄だったので、その状況を自分でもすごく楽しんでいました。
相手の表面的な「旨み」だけでなく、
えぐみや臭みも含めた人間性が見たい
― 学校や家族、恋愛など、さまざまな悩みを抱え孤独を感じている今作の高校生たちについて、間宮さんは「それぞれが個性を持って絶望している」とコメントされていましたね。
間宮 : 僕はもともと、こうして人が葛藤したり悩んだりする姿を描いた映画を観るが好きなんです。もちろん、人の明るい部分や美しい姿などのポジティブな面を観るのも楽しいですけど、個人的には、「光」の面だけではなく「影」も描いたものに昔から惹かれます。
― 「影」を描いたものに惹かれるというのは、なぜでしょうか?
間宮 : たとえば、すごく面白い友だちがいて、「こいつと一緒にいると楽しいな」と思って接していても、それって結局その人の一枚目に現れている表層の部分しか見えていない状態ですよね。一緒に遊んでいたら楽しいけど、それ以上に深くどうこう思わないというか。でも、ふとした時にパーソナルな部分に触れると、その人にぐっと興味が出てくる。
― パーソナルな部分というのは、悩んでいる姿だったり、弱さみたいなものだったりするでしょうか。
間宮 : そうですね。人が弱ったり絶望したりしている姿を見たい、という欲求があるわけではないですけど、「そういう悩みを抱えていながらも、普段はあんなふうに明るく振る舞っていたのか」とわかると、その友人に対しても特別な感情が生まれるんです。その人の印象が「面白い人」から「かっこいい人」に変わったり、2枚目、3枚目と厚い層ができてきて人間性に奥行きが出てくる。そんなふうに、その人の表層だけではなく、何層にも広がる奥行きを感じたいんです。
― それは、普段の対人関係だけではなく、映画の登場人物に対しても同じですか?
間宮 : そういう登場人物に惹かれますね。無気力なように振る舞っているのは、過去の出来事が関係していたから、という今回の小坂のように、内面の奥行きが見えてくると、そのキャラクターのことがより好きになってきます。
たとえば料理にしても、鶏肉の一番美味しい部分だけずっと食べていても、飽きてくるじゃないですか。一番旨味の部分だけ口にして後は捨ててしまう、というのが僕は嫌で、えぐみとか臭みとか、そういうものも全て含めて摂取したい。それは、対人関係でも、好きな映画にしても同じです。
間宮祥太朗の「心の一本」の映画
― 間宮さんは、これまでのインタビューでも、映画好きであることをたびたび公言されています。「俳優を志したのは映画が好きだったから」だと以前おっしゃっていましたが、そんな間宮さんが選ぶ、心の1本を教えてください。
間宮 : 鈴木清順監督の『ツィゴイネルワイゼン』(1980)と、レオス・カラックス監督の『ホーリー・モーターズ』(2012)です。2本になっちゃいましたけど(笑)。
― 即答ですね! 先程おっしゃっていた、登場人物から人間性の奥行きが見える、という部分で惹かれるのでしょうか?
間宮 : いや、この2本に関しては、人の光と影とかそういうものも超越して、わけのわからない映画だから好きなんです(笑)。混沌としたものを描いているからこそ、普段は当たり前になりすぎて考えもしないようなことに、疑問を抱くきっかけをくれたり、考える時間をくれたりするんです。
― 「当たり前になりすぎていること」というのは、具体的にどういうことですか?
間宮 : たとえば、自分が過ごしている日常です。ある年齢になると学校に行き始めることとか、普段は疑問に思うこともないけど、それはなぜだろう?みたいな。
幽界と現世の境界を行き来するような『ツィゴイネルワイゼン』を観ていると、そういう、生きている上で普段は考えない疑問が次々と浮かんでくるんです。同じように、映画という娯楽や俳優という職業についてを、迷路に迷い込んだような映像とストーリーで見せていく『ホーリー・モーターズ』は、「なぜ俳優のように、演じるという職業が生まれたんだろう」という自分の仕事に対しての根本的な疑問をぐるぐると考え始めてしまう映画です。
― この2作を観ることで、その答えは出るのでしょうか?
間宮 : この2作を僕がすごく好きなのは、そういう大きな問に対して、「こういうことですよ」と答えを出すんじゃなくて、わけのわからないまま映像として可視化している映画だからなんです。感覚的に言うと、すごく巨大な宇宙を見せられて、その中にすごく小さい青い星があって、あそこに住んでいる何十億人という人の中のひとりがあなたなんですよ、と突きつけられる感じなんです。
あまりにも混沌として複雑な映画なので、逆にシンプルな気持ちになれる。と同時に、自分の感情が追いつかないほど、すごく深い核の部分に語りかけてくる。自分の生や存在を肯定できるんです。そういう映画体験は他にあまりないので、自分にとっては特別な作品ですね。
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