目次

覚悟を刻みたいほどに惹かれた
― 今作の撮影は全編、夏の長崎で行われたそうですね。坂道が続く住宅地や海沿いに並ぶ造船所など、長崎の特徴的な街並みが映し出されています。髙石さんは同じ九州地方の宮崎県ご出身ですが、訪れてみていかがでしたか?
髙石 : 長崎と宮崎はまるで違うように感じました。九州の中でも、長崎は空気感が他とは異なるといいますか…。オダギリさんが話す長崎弁のセリフも、最初はあまり聞き慣れなくて。
オダギリ : あ、そうなんですか。
― 劇中で交わされる長崎弁のセリフがとても印象的でしたが、方言も長崎と宮崎では大きく異なるんですね。

髙石 : 私が演じた優子は、他から長崎に移ってきた役柄だったので、私自身が長崎弁を使う場面はなかったんですが、「習得するのは難しそうだな」と感じながら共演者の皆さんとセリフを交わしていました。
長崎の街並みは、影と光のコントラストがしっかりとあって、その独特な雰囲気が好きでした。ずっと汗をかいているほど、じりじりとした暑さを感じながらの撮影だったので、この作品の“雨が一滴も降らない乾いた夏”という世界観を身をもって知ることができたと思います。
― 映画は、髙石さん演じる優子が、母親の阿佐⼦(満島ひかり)に連れられて、長崎を訪れる場面から始まります。阿佐⼦は、オダギリさん演じる兄の治に娘を預けて去ってしまい、優子は治と同居生活を始めることになりますが、髙石さんも優子と同じ視点で長崎を感じていたんですね。

髙石 : 滞在期間が1ヶ月間あったんですが、共演者の皆さんと撮影の合間にご飯を食べたり、お出かけしたりする時間があって。長崎の街や登場人物との関係性がだんだんと自分に馴染んでいきました。そのペースが、あの場所で治と暮らしていくことになった優子と、同じだったのかなと。
玉田 : 僕も、長崎が特徴的な地形だということは知っていましたが、実際にロケハンや撮影で街を歩いてみると、こういう景色の見え方なんだとハッすることがありました。
奥まっていて何も見えない場所から、ちょっと坂を上がると海まで見渡せるようになるんだとか、ぐねぐね曲がった細い道を歩かされるなとか、そういう特殊な地形が体を通して入ってきたんです。

玉田 : 治が生きている、優子が歩いている、あの場所が、坂を上り下りする上下運動の中で見えてくる。
今作の原作は戯曲なので、舞台は茶の間一室のみで、他の場所は登場人物のセリフの中から想像できるようになっています。
― 原作となった劇作家・松田正隆さんの戯曲『夏の砂の上』は、玉田監督が主宰する劇団「玉田企画」でも2022年に上演されていますね。
玉田 : でも「実際にあの坂で体感したこと」は、演劇の中だけだと想像しきれないディテールだったんです。これをカメラに収めていくことで、僕が演劇として作品にした際に思い描いていたものとは、全く違う作品として生まれ変わらせることができると思いました。

― オダギリさんはいかがでしたか?
オダギリ : え、坂についてですか? 今、お二人がすごくいいことをおっしゃっていたので、聞き入ってましたけど。
髙石 : (笑)。
オダギリ : 治の家は坂の上にあるので、自分がどういう状態であっても、坂を上らないと家に帰れないわけですし、逃げる事のできない現実じゃないですか。まるで人生そのものですよね。

― オダギリさんが演じる治は、幼い息子を亡くした喪失感から日々を無気力に過ごし、妻の恵子(松たか子)とも別居して暮らしています。劇中では、たばこを買いに行ったり、新しい職場に向かったりと、坂を上り下りする治の姿が何度も映し出されます。
オダギリ : 日々の中で繰り返す「坂を下り上る」という行為が、治の置かれた状況や、精神状態とリンクしているようにも思いましたね。

― オダギリさんは今回、主演だけではなく共同プロデューサーも務められています。出演依頼を受けて脚本を読まれた後に、そのことを決められたと伺いました。
オダギリ : 一番の理由は、作品に対する本気度を示しやすいと思ったんですよね。覚悟というか、責任も含めて。
そうした姿勢に共感してくれる人たちに参加して欲しかったですし。
― 覚悟を刻みたいと思うほど、この作品に惹かれたと。
オダギリ : 僕も30年近く数えきれない脚本を読んできたので、脚本を読めばある程度その完成形を想像できるんです。『夏の砂の上』の脚本は、直感的に良い映画になると思いましたし、海外で勝負できる作品になり得ると感じました。
ただ、こういうタイプの作品にはお金が集まりにくいのも事実なんです。せっかく良い脚本なのに作られないのは勿体無いし、自分がプロデューサーとして加わることで、少しでも役に立つことがあれば、という思いからプロデューサーに名乗り出ました。

共感すらも拒むような感情を捉えたい
― 玉田監督にとっても原作となった戯曲『夏の砂の上』は、特別な作品だと伺いました。これまで何度も上演された『夏の砂の上』が、今回また新たに映画作品として上映されるわけですが、時代を超えて描かれる理由を玉田監督はどこに感じていらっしゃいますか?
玉田 : …人を描いてる、といいますか。わかりやすい共感で終わらない、共感すらも拒むような、何か。人が人と向き合った時に生まれる、剥がしていった先にある、言葉にし得ない、何かが描かれている…。
だからこそ、時代を問わず繰り返し表現されるんだろうなと。

― 髙石さんは脚本を読んでいかがでしたか?
髙石 : 私は、オーディションを受けさせてもらって。
― 優子の役は、オーディションで決められたんですね!
玉田 : いろんな方にお会いしたんですけど、髙石さんは頭ひとつふたつ抜けていて、オーディションが終わってすぐに「この人にオファーしよう」と決めました。
髙石 : 実は私あの時「落ちたな」って思ってたんです…。
玉田 : え、何でですか??
髙石 : オーディションでは、治とのシーンを何度も演じました。すごく有意義な時間で、演技が終わった後、プロデューサーの方に「目と声がいい人は、いい役者だ」って伝えていただいたんですけど…。
それがなぜか「ここでオーディションは終わりです」と言われたような気がしちゃって(笑)。
玉田 : あー。
髙石 : あとは、私がこの作品に参加したすぎて、あまりにも気持ちが高まっていたので気合いが入りすぎちゃったかなって。反省しながら帰りました。

― では、決まったと知った瞬間は…?
髙石 : あれが決まったよ!」って連絡をもらったんですけど、もう作品名を言わずともすぐに「あれ」が何を指すのかわかりました。「本当ですか!!!」って。
オダギリ : 「あれ」だけで、わかったんですか(笑)。
髙石 : はい! 落ちたと思う一方で、受かってほしいと強く願っていたので、本当に嬉しかったです。
― 髙石さんがこの作品に強く惹かれた理由は?

髙石 : 私の中で圧倒的だったのが、オダギリさんが出演されるということで。
オダギリ : え!
髙石 : (オダギリさんを見て)そうなんです。
オダギリ : 光栄です…。
髙石 : オーディション時に伝えられていたキャストが、オダギリさんと松(たか子)さんだったんです。…「やりたい」しかないじゃないですか! 役者なら誰もが「いつかはご一緒したい」と思うお二方ですし、共同プロデューサーとしてもオダギリさんの名前がクレジットされていて、力を注いでいる作品だということもわかりましたし…とにかく「一緒にお芝居がしたい!」という、その一心でした。
― 今作には、日本を代表する俳優と日本映画の第一線で活躍するスタッフが参加されています。それは、オダギリさんがプロデューサーとしてクレジットされていることも大きかったのではないでしょうか。

玉田 : しかも、オダギリさんは「僕に相談に乗れることがあったらなんでも乗るので、気軽に連絡ください」と言ってくださって。撮影中も、撮影終わってからの編集中も、ずっと相談させてもらいました。
― 撮影中は、具体的な演出についての相談もあったのでしょうか?
玉田 : そうです。僕は最初に、こういうショットが撮りたいからこう動いてほしい、という動線をつけることが多いんですけど、俳優の感情が必ずしもその動きに一致するとは限らなくて、「ここでこっちを向くのは無理があるな」となる場合もあるわけですよね。
そういう時にオダギリさんと、「こういう理由だったらこっちに動けますよね」「じゃあここにあれを置きましょうか」という感じで、僕が撮りたいショットと、俳優としての生理をどう両立させていくか、具体的な話し合いをたくさんさせてもらいました。

― 動きと内面の統合性を取るような話し合いが何度も行われていたのですね。髙石さんは今作の撮影現場について、「カメラの存在を忘れるほど、作品と現実の境界が曖昧だった」とおっしゃっていましたが、オダギリさんや松さんをはじめとした俳優陣と実際に共演されていかがでしたか?
髙石 : これ、恥ずかしいですね…。ご本人の前で伝えるのすごく恥ずかしいです。
オダギリ : ですよね。ムリしなくて良いですよ(笑)。
髙石 : 自分で、自分の成長を感じられることってなかなかないと思うんですけど、今回の撮影ではハッと「私、今成長してる」っていう瞬間があって。『夏の砂の上』を経験する前と後では違っているといいますか、私がここから俳優を続けていく上での大きなターニングポイントになったと思います。
それほどに、あまりにも違いました。お芝居はもちろんですが、皆さんがそこにつくり出される空気といいますか。反応するスピードとか、集中力とか、「なんでこの方たちは、お芝居をしていないんだろう」と思うほど、そのままでいるというか、もうそこに生きているんです。

髙石 : この1秒1秒を絶対に逃してはいけないと思いながら過ごしていました。すごく贅沢な時間で…ちょっと話止まらないですけど(笑)。
一同 : (笑)。
― オダギリさんは、今隣で髙石さんの言葉を受けていかがですか。
オダギリ : …あんまりピンと来てないですね…。
髙石 : なんでですか!? 私は撮影中、オダギリさんと気持ちが繋がったのでは、と思っていたんですけど…!
オダギリ : それは…はい、よく繋がっていました(笑)。
― さきほどオダギリさんは、この映画について「こういう作品は最近なかなかつくられない」とおっしゃっていましたが、その部分についてもう少し具体的にお聞きしてもいいでしょうか。
オダギリ : 否定的なことを言うつもりはないんですが、そうですね…。最近はビジネス的な観点で作られる作品が多いですよね。リスクヘッジ有りきの原作ものとか、ある程度の成功が見込める作品じゃないとお金が集まりにくい。最近の日本映画を観ていると、そう感じませんか?

― わかりやすい、届きやすい映画がつくられることが多いとも先ほどおっしゃっていましたが、 SNSがコミュニケーションツールの主流となった現在、“わかりやすい共感”がこれまで以上に求められているように感じます。
オダギリ : いや、良いんですよ。わかりやすいエンタメの何が悪いんだ!と僕も思います。そういう作品が悪なのではなく、そうではない作品に手を差し伸べる人が少ないことが問題なんだと思うんです。儲かる映画だけを作るシステムが続くと、文化としての日本映画は消えて行くんでしょうね。でも時代がそれを望むならしょうがないとも思いますし。
とはいえそんな中でも、気骨のある映画人もいるんです。スタイルジャムの甲斐さんというプロデューサーなんですが。
― 『夏の砂の上』にも、製作・プロデューサーとして入っている甲斐真樹さんですね。『パビリオン山椒魚』(2006)や『南瓜とマヨネーズ』(2017)、『ぜんぶ、ボクのせい』(2022)など、これまでも多くの作品でオダギリさんとご一緒されてきました。
オダギリ : 今回のような映画を手がけられる日本の映画プロデューサーって、僕の感覚では、もう10人もいないんですよ。甲斐さんがこういう作品をつくってくれることに勇気をもらえますし、僕も一緒に最後まで踏ん張っていきたいなと思っているんです。

オダギリジョー、髙石あかり、玉田真也監督の「心の一本」の映画
― 最後に皆さんの「心の一本」を伺わせてください。今作の撮影時や制作過程の中で思い出した作品や、街が印象的に描かれた心に残っている作品などがありましたら。
玉田 : なんだろう。僕は、エドワード・ヤン監督の映画がすごく好きで。彼は、基本的に90年代前後の台北を撮り続けてるんですけど、その時代に、その街に立ち上がってくる空気みたいなものを捉えているんですね。
今回の『夏の砂の上』でも、どんな撮り方をしようとか、俳優とカメラの関係性をどれくらいの距離感で捉えるものにしようかと考えた時に、エドワード・ヤンのいくつかの作品を観てましたね。どの作品も好きなんですけど、遺作になった『ヤンヤン 夏の想い出』(2000)とかは、特に観てますね。
― 『ヤンヤン 夏の想い出』は、台北で暮らす一般の家庭が直面するさまざまな問題を、8歳の少年の視点で描いた作品です。エドワード・ヤン監督の作品は、窓の外から屋内を撮る、扉越しに隣の部屋を撮るなど、建物を使ったアングルの捉え方が特徴的ですよね。
玉田 : そうなんです。日本と変わらないような狭い家の間取りの中で、すごく豊かに撮っていて。今回はどうしても屋内のシーンが多かったので、その中でどうやって観客を飽きさせないようないいカットを撮れるか、と考えました。難しいですけど、エドワード・ヤンのように撮りたいといつも思ってしまいますね。
― 髙石さんはいかがですか?
髙石 : 今作は、夏の長崎が舞台だったので、その繋がりで思い出すのは『サバカンSABAKAN』(2022)という映画です。すごく好きなんです。
― 80年代の長崎を舞台に、二人の少年がイルカを見るために冒険に出る、ひと夏の物語を描いた作品ですね。映画の中には島原鉄道や離島が登場し、長崎の海の美しさが映し出されています。
髙石 : はい。当時、映画館にも何回か観にいったんですけど、「これ長崎なんだ!」って思いました。『夏の砂の上』で観た長崎の景色とは全然違っていたんですけど、少年二人の歩いていく街並みや海沿いの景色がきれいで、季節と一緒に街を撮っていく感じを思い出しました。
― オダギリさんはいかがですか?
オダギリ : そうですね。最近、テレンス・マリック監督の『バッドランズ』(1973)という映画が、日本の劇場で初公開されたんです。昔で言うと、『地獄の逃避行』というタイトルなんですが。
― 『ツリー・オブ・ライフ』(2011)でカンヌ映画祭のパルム・ドールを受賞した、テレンス・マリック監督のデビュー作ですね。50年代の全米を騒然とさせた実際の事件を基に、10代の少年少女の逃避行を描いた作品ですが、今年の3月に、アメリカ公開から半世紀以上を経てついに日本初公開されました。
オダギリ : この映画は昔から好きなんですが、映画に出てくるホリーという15歳の少女が、『夏の砂の上』の優子となんとなく重なるんです。若い女性特有の掴みどころのなさだったり、冷たい視線で世の中を見ている様子も含めて。
『バッドランズ』はアメリカ中西部を移動していくロードムービーなので、ひとつの街を捉えるということではないんですけど、乾いた空気感など、ちょっと重なる部分もあるのかなと思いました。