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自分の「好きなこと」「感じたこと」が、
誰かの心を動かす瞬間
― 新世代の映像クリエイターの発掘・育成プロジェクト「Hulu U35クリエイターズ・チャレンジ」(以下、HU35)の最終審査が終わり、先ほどグランプリ作品が決まったそうですね。
沖田 : はい。
― 今回、沖田修一監督、橋本愛さん、本谷有希子さん、シソンヌじろうさんの4名が審査員を務められました。

― …皆さんが一同に集まると、スーパーヒーロー集結のような趣があります…!
本谷 : それぞれのフィールドで活動し、異なる役割を担う4人ですよね。
じろう : あぁー、そうか。言われてみると、そうですね。
― 映画監督として、俳優として、劇作家・小説家として、芸人・脚本家として、独自のスタイルを貫かれてきた皆さんという印象です。
本谷 : 私が映像作家の未来を背負えるのか不安ですが…。沖田さんと橋本さんは、わかるんですけどね(笑)。
橋本 : 私は審査員という言葉に、恐縮してしまいます。
沖田 : 僕も、自分自身のことで精一杯ではあるんですが…。
― と言いながらも、ファイナリスト選考会では熱い議論を交わし、落選した人へも「今回選ばれなかったとしても、諦めないでほしい」「自分が作りたいものを作り続けてください」などの言葉を投げかけられていましたね。最終審査会でも、グランプリを決めるまで、色々話し合いがあったと思いますが…。
沖田 : はい、殴り合いの大乱闘で。
一同 : (笑)。
― 「HU35」は、“発掘”だけでなく“育成”にも重きを置かれたコンペです。そのため、作品として形になる前の企画段階から選考し、その後、ファイナリストとして選ばれた5名が自ら監督として手がけた作品の中からグランプリが決定されます。
・応募者情報
・脚本もしくはロング・シノプシス
・PR動画:3~5分程度の、自身もしくは企画をPRする動画
・審査員への10分以内のプレゼンテーション(映像・スライド等、形式は自由)
完成した作品は、制作風景に密着したドキュメンタリーと併せてHuluで独占配信
― 皆さんは、ファイナリスト5名を選考する段階から関わり、企画書や脚本、プレゼンなど「作品になる前のタネ」から、この5作品に触れられてきたわけですが、グランプリを決めるまでの過程で見えてきた「自分が作品を評価する上で大切にしていること」はありましたか?
沖田 : そうですね…審査する中で、僕が初めてテレビドラマを撮ったときのことなどを思い出していました。まず映画づくりは企画段階が特に楽しいわけですね。夢いっぱいで。
でも、自分の「面白い!」と思った企画をそのまま実現できるわけではなく、実際は予算とスケジュールなどの制約を受けてつくっていかなくてはいけない。その中で、最終的にどのくらい頭に描いたままのものを作品として形にできるか。そこを僕たちは見ていたと思います。

― 「HU35」の最終審査では、ファイナリストに残った5名は自らが監督となり、プロの映画制作チームのサポートを受け、制作費1000万円、4-5日間の撮影期間で制作した約40分の作品で争われます。
沖田 : 制約の中でも、いかに自分の「面白い」企画を、「面白いまま」つくれるのか。最終審査でもそこは大きなポイントとなりました。実際、企画より作品の方が、面白さの想像を大きく上回ったものをグランプリとして選べたのは、本当に嬉しかったです。
― では、今回のグランプリ作品をお伺いしてもいいでしょうか?
沖田 : 最終審査会で決まったグランプリ作品は『まんたろうのラジオ体操』です。
― 老山綾乃さんの作品ですね。報道番組のADとして働く主人公を片山友希さん、主人公の向かいに住む老人を長塚京三さん、その姪を渡辺真起子さんが務めています。

― 老山さんは、撮影時、日本テレビの報道番組「真相報道 バンキシャ!」のAD3年目として働く23歳でした。今作では、出演者だけでなく、撮影・鎌苅洋一さん、音楽・坂本秀一さんなど、スタッフ陣も最前線で活躍するプロフェッショナルが、老山監督をサポートしています。

― 制作中に大変だったこととして、老山監督は「俳優さんやスタッフとのコミュニケーション」を挙げられていましたが、ベテランの中で自分の意見を通すことも大変難しいことだったと思います。
橋本 : 私は、ファイナリストの作品の中で好きなものが2つあって、そのひとつが『まんたろうのラジオ体操』でした。
劇中での時間の積み重ね方が他作品と違うように感じたんです。40分という短い尺ですが、『まんたろうのラジオ体操』は全然窮屈ではなくて、むしろ時間を感じさせなかった。そして、40分という時間の中で「これこそ人生だよな」というものを感じることができました。
― 橋本さんは、ファイナリスト5名が決まった選考会において「どれだけ観客を没頭させられるのかというのは、作品づくりにおいて大事」とおっしゃっていましたね。
橋本 : 例えば「主人公が自信を持つ」変化を描くときに、他の作品は、誰かの言葉だったり、ある出来事だったり、すごくわかりやすい記号的な描写が、ストーリーに組み込まれているように思いました。でも、『まんたろうのラジオ体操』はそうではなかった。

橋本 : 主人公とまんたろうさんの二人が積み重ねた時間が、自然と主人公の心を変化させていったんだなと感じられて…あっこれだと。なんかそれこそがドラマティックなんだなと思いました。
本谷 : 「“ストーリー”ってなんだろう?」というのは、今回の審査で考えたことのひとつですね。『まんたろうのラジオ体操』だけが、ストーリーありきではなく、描写を積み重ねることによってラストシーンが導かれているという印象を受けました。
それと、「“作品”と“コンテンツ”の違いってなんだろう?」ということも、審査を通して考えたことのひとつです。
― 本谷さんは、審査員を務めるにあたってのコメントで「バズりそうなものとか、ウケそうなものとかどうでもいいから、とにかく作り手が『これ、最高に面白いよね』と思い込んでるものが観たい」とおっしゃっていますね。

本谷 : 「死ぬほどどっかで観たことあるような作品」って、山ほどあるじゃないですか。コンテンツの山の中で、あえて新しいものをわざわざつくる意味って何だろう? その中で、何ができるんだろう?…と、色々考えました。
今は、創作する環境として過酷だと思います。でも、だからこそ「もっと失敗して欲しかった」とも思います。
― 「5作品中、3作品くらい失敗してほしい。失敗の仕方もある。失敗作を観て、私はむしろ才能を感じるかもしれない」と、ファイナリスト5名が決まった選考会でもおっしゃっていました。
本谷 : そういう意味では、全員が、もっとめちゃくちゃ失敗しても良かったのかなと。
じろう : コンペにおいて、“正統、王道”な作品より、粗削りでも“新しい”作品が評価される傾向ってあると思うんです。
お笑いでも、審査員の見る目があればあるほど、そういう結果になることが多いので、“正統”な漫才やコントをしている芸人は、ちゃんと観客にはウケているのになぜ評価が低いんだろうという葛藤がある。

じろう : だから、もちろん「粗削りでも“新しい”」ものも評価しつつ、着実に面白いものをつくれる能力というのも、自分が審査するにあたっては評価していきたいと思いました。
本谷 : そうですね。そういう意味でも、「現時点での作品」で評価するか、「これから作家が生み出す作品」まで視野に入れるかは大きな争点でした。どちらの方が、監督のためになるのかは難しい判断だねって。
― なるほど。それで最終的に皆さんは、どちらを選択されたのでしょうか?
沖田 : そうですね…若さとは…何でしょうね……。これから、どんな作品をどんな風につくっていくのかなぁと、そこが未知数、わからなくて楽しみな方がいいなと思ったんです。
だから、その監督が生み出す未来までを加味した選考になりました。

自分の背中は、自分で押せ
― 先ほど沖田監督は、審査する中で自身が初めてテレビドラマを撮ったときのことを思い出したとおっしゃっていましたが、皆さんにも「はじめの一歩」があったと思います。そのときの自分に、現在の自分が声をかけてあげるとしたら……じろうさんは、何て伝えますか?
じろう : え!? 僕ですか?
本谷 : 目をそらしてたから…。
じろう : えー(笑)…何だろう…。「恥はかきすて」じゃないですけど、僕が中高生だった頃、すごく悩んでいたことがあったんです。けど、今になってみると「しょうもないこと」なんですよね。何であんなことで悩んでたんだろう、行動できなかったんだろう…と時間が経つと笑い話になっている。今でも、当時の自分の悩みを思い出すと笑えます。
だから、挑戦して失敗したとしても、その先では必ず笑い話になるから、とりあえずやってみたら?と。でも、自分を振り返ってみると、あんまり失敗した覚えはないんですよね…。

じろう : 好きなことだけを自由にやってきたという自負があるというか。色々挑戦し続けてきて今があるんですが、何をもって自分は「幸せ」とするのかは考えて生きてきたというか。
― 自分の幸せの軸を、「自由に好きなことをしてるか」に置かれてきたんですね。
じろう : そうですね。幸せを求めて、自分の幸せな方を選んでいけば、「幸せ」ではいられるじゃないですか。だから、もし一歩を踏み出すことを悩んでいる自分に声をかけるとしたら、「大丈夫、君は幸せだ」だと思います。
沖田 : 僕は、その最初に撮ったテレビドラマで、主演を務めてくださったのが、由紀さおりさんだったんです。そのときの光景を思い出しました。
― 『後楽園の母』(2008)ですね。音楽専門チャンネル「MUSIC ON! TV」が開局10周年を記念して制作した、ドラマプロジェクトの第一弾となる作品です。
― 初めて手がける作品の主演が、大ベテランの由紀さんだったと。
沖田 : 何で紅白歌合戦のトリを飾るような大ベテランの由紀さんが、プロとして初めて映像を撮るような僕の言ったことに従ってくださるんだろうと。なんか怖くなったのを覚えています。
やっぱり撮影現場では、僕が思っていたように進まないことが多くて、オールアップした後、そのロケ場所だったマンションの屋上でボーッと佇んで、「俺はもうダメなんだ」と思ったんです。あのときの自分に「大丈夫だよ」って、声をかけたいですね。あのマンションの屋上で背中をさすってあげたい(笑)。
橋本 : 私も「恥はかきすて」ではないですけど、「怖いもの知らず」だったので、それは強みでもあったと思います。最初は、自分の意志と関係なく俳優の道を進んでいたので。本当に「バカ」だったな…と、今となっては(笑)。
― 橋本さんがこの世界に入るきっかけとなったオーディションは、お母様が応募されたそうですね。その2年後には、初出演となった映画『Give and Go -ギブ アンド ゴー-』(2008)で初主演を務められます。
橋本 : そのあとに携わった作品で、すごく厳しい現場があったんですけど、そこでも「怖いもの知らず」というか、「勘違い能力」を発揮して、周りの同年代の共演者の方々が疲弊する中、意欲を落とさず現場に居続けることができたんですよね。
そういう「勘違いする力」を色んな場所で発揮してしまったからこそ、今も俳優を続けているんだと思います。
本谷 : 私も無謀だったな…。でも、やっぱりその「無謀さ」って今思うと財産だったなと。
― 今回、ファイナリストに残った幡豆彌呂史さんは、これまで映像関連の仕事には⼀切関わったことがない未経験者でしたが、制作を終えた後のコメントで「何も知らないのはハンデですが、強みになることもあるんだ」と語っていました。

本谷 : 今は、SNSやサイトのコメント欄などで周りの評価にさらされてしまうから、いかにその評価に耐えられるか、タフさがあるかも問われますよね。私の頃は、まだ無かったから。
じろう : そうですね。自分が若手の頃に、今のような環境だったらと考えると…。ダイレクトに評価が届いてしまうから。
本谷 : だから、どれだけ周りを気にしないで「バカ」になれるか。自分がしたいことを貫きぬいて、「映画バカ」になれるか。

― 確かに、バズるやウケるなど、客観性や再現性が評価されやすい世の中で、「自分の好き」を突き詰めた先に共感があることを体験できる、このプロジェクトは貴重だと思いました。

― そして、「HU35」の第2回開催が決定したということなので、また新たに「ものづくりの第一歩」を踏み出す人がたくさん出るのではないでしょうか!?
― それでは、今、一歩を踏み出そうとしている人へ、その背中を押すようなメッセージを……じろうさんから、お願いできますか?
じろう : 何で!…何で、いつも僕から…。
本谷 : 目をそらしてるから(笑)。
じろう : そうですね…今はどこにいても、映像をつくれるし、発信できる世の中だと思うんです。何だったら、僕も実家の青森に帰ってもいいぐらいに思ってますから。東京にいる必要はないなと。
― どんな環境でも、ものづくりはできると。
じろう : そうですね…でも、背中を押すようなメッセージって、難しいですね…。
沖田 : 背中を押さなくても、そういう想いがある人は勝手に歩いていくんじゃないですか?

沖田 : こういうチャンスが、勝手に歩いていくきっかけになればいいですよね。だから「ここでやってるよー!」って声かけしてあげる感じかなぁ。
橋本 : 好きな言葉で、「何としても二階に上がりたい、どうしても二階に上がろう。この熱意がハシゴを思いつかせ、階段を作りあげる。上がっても上がらなくてもと考えている人の頭からは、決してハシゴは生まれない」というのがあって。
― 松下電器(パナソニック)の創業者、松下幸之助さんの言葉ですね。
橋本 : 二階に上がりたいと本気で思っている人だけが、ハシゴを作ることができるし、好きな気持ちや、意欲が一番強い人が、道を切り拓いていくのだと思います。
私、一度「映画を撮ってみませんか?」とお声がけいただいたことがあって。それで、脚本を書いてみようと試してみたんですけど、自分の中に、映画としてつくりたいものが何もなかったんですよね。その経験を経て、逆に自分の「やりたい」という衝動に対しては素直に反応できるようになりました。

― 自分の中にどのくらい「つくりたい」という想いがあるのか、向き合ってみればわかると。
橋本 : 想いがあるならやってみればいいし、そこまでの想いがないなら、別の方向に進めばいいと思います。
本谷 : そう思います。私も親に止められたけれど、振り切って上京して、やりたいことをやってきたので。誰かに背中を押してもらうことを考えないで、自分で自分の背中を押してくださいって、伝えたいです。「HU35」をきっかけに、「映画バカ」な人がたくさん出てくるといいなと思いますね。
― 先ほど、じろうさんが考え途中でしたので、もしメッセージなど言い残したことなどございましたら……。
じろう : ……僕の好きな言葉がありまして、「二階に上がりたいと思ったら、ホームセンターで脚立を買え」という言葉なんですけど…。
一同 : (笑)。

沖田修一監督、橋本愛、本谷有希子、シソンヌじろうの
「心の一本」の映画
― それでは、最後に自分が表現をする、一歩を踏み出すきっかけとなったような「心の一本」の映画を教えてください。
沖田 : 僕は高校生のときに観た『家族ゲーム』(1983)が面白すぎて、映画をつくりたいなと思うようになりました。ゲラゲラ笑った記憶がありますね。
― 『家族ゲーム』は、本間洋平さんの同名小説を森田芳光監督が映画化した作品です。松田優作さんが主演を務め、由紀さおりさんも出演されていますね。
沖田 : こういう映画をつくってもいいんだなと、これなら自分でもできそうだなと思ったんです…って、とんでもないこと言ってますよね(笑)。森田芳光監督みたいになりたかったですね。
橋本 : 私は、表現に携わるきっかけとなった作品ではないんですけれど、自分の中に強烈な影響を残したのは『エンドレス・ポエトリー』(2016)ですね。
― 『ホーリー・マウンテン』(1973)などを撮った、88歳になるアレハンドロ・ホドロフスキー監督(公開時)が自伝的作品として手がけた映画です。自分の道を表現したいともがいていた主人公が、若きアーティストたちと接していく中で、解放されていく姿を描いています。
橋本 : 2017年の東京国際映画祭で、特別招待作品として上映されたときに観ました。劇中「愛されなかったからこそ、愛を知ったんだ」というセリフがあるのですが、当時の私はその言葉に人生が丸ごと救われたように感じて。
自分の弱みだと思っていたことが、実は強みだったんだと、ものの捉え方が180度転換したように思えたんです。これは、これからの人生に応用できるなと、その後の自分を大きく変えるきっかけとなりました。
じろう : 僕は、そうですね…影響を受けたというか、コントの題材として使った映画があって。『ゆきゆきて、神軍』(1987)なんですけど。
橋本 : えー!!
― 原一男監督が、第二次世界大戦のニューギニア戦線で生き残り、過激な手段で戦争責任を追及し続けるアナーキスト・奥崎謙三を追ったドキュメンタリーですね。この作品を、コントにしたんですか!?
じろう : 奥崎さんが、コタツを囲みながら、みかんを使って殺人現場の様子を説明するシーンがあるんですけど、観たとき今までに体験したことのない面白さを感じて、笑ってしまったんですよね。
自分がコントとか脚本を書いているのもあって、映画の展開から、その先の笑いどころは大体読めてしまうんです。でも、この作品はそれが裏切られて、思いがけず笑ってしまった。そういうときは、表情だったり状況だったりを分析して、ネタに使うことがあります。そのぐらい強い印象を残す作品だったということですね。
本谷 : 私は『タイタニック』(1997)です。高校生だった頃に、めちゃくちゃ流行ったので、これが“うける”世の中って、何なんだろうと考えました。
― ジェームズ・キャメロンが監督・脚本を手がけ、レオナルド・ディカプリオやケイト・ウィンスレットが出演した『タイタニック』は、同監督の『アバター』がそれを超えるまで、全世界で史上最高の興行収入を記録した作品です。日本でも実写映画の1位として2022年時点も君臨しています。
本谷 : 当時、映画館で観ていたんですが、客船が海に沈んでいくシーンで私、笑ったんですね。で、みんなも笑ってると思って周りを見たら、笑ってる私をみんながにらんでいて。
そのときに初めて、感じ方はひとりひとり違うんだと気づいたんです。それは、「私が周りと比べて変わっている」という意味ではなく、誰にとっても「自分と他者は感じ方が違うんだ」ということです。「こういうのがいい」と思いました。これとなるべく真逆のものを、つまり「誰も共感させない」というようなものを私はつくりたいと思った記憶がありますね。
