目次
自分にとってのコンプレックスが
誰かにとっての魅力となる
― 『サイダーのように言葉が湧き上がる』は、人とコミュニケーションをとることが苦手で、いつもヘッドホンをしている少年チェリーと、動画配信で人気があるけれど、出っ歯を気にしてマスクで隠している少女スマイルの、「コンプレックスを持つ二人」が主人公です。イシグロ監督は今作に、自身を投影されたそうですね。
イシグロ : 主人公の二人には、自分を投影している部分がありますね。まず、出っ歯がコンプレックスのスマイルには、自身のコンプレックスを投影しているんですよ。僕も出っ歯なんで。今作のために、歯並びが悪かった姉たちにも2時間くらい取材しました。
― 監督だけでなく、イシグロ家のコンプレックスを投影しているんですか!
イシグロ : 思い切りぶち込まれています(笑)。僕も姉たちも、矯正器をつけていました。姉たちは、中学校でお弁当を食べるときに矯正器を外すのがとにかくイヤだったり、好きな男の子に矯正器を「メカっぽい」と言われたのがすごくイヤで記憶に残ったりしているそうなんです。もしかしたらその男の子は「かっこいい」という意味で言ったのかもしれないですけどね。
― 染五郎さんも、キャスティング発表の際に「チェリーは人と話すことが苦手で、声が小さいことを指摘されるシーンは僕自身と重なって見えました」とコメントされていました。
染五郎 : そうですね。自分は小さい頃から、ぬいぐるみを使ってお芝居をつくっていました。
― 犬のぬいぐるみ“ぼん”と“ボン吉”を主人公に、自ら書いた台本で上演する「犬丸座」ですね。ダンボールでセットや衣裳をつくり、紙吹雪などの効果も施し、本格的につくられていたと伺いました。
染五郎 : はい。でも、つくるのは楽しいんですけど、それを誰かに見せたいとは思っていなくて。家族などに披露したいわけではなく、ただ自分と妹の2人でつくっていただけといいますか。だから、まったく一緒だなって。
― チェリーと一緒で、つくるのは楽しいけれど、見せたくはなかった。
染五郎 : 小学生くらいの時は子どもだったので、「見せたい」っていう気持ちもあったんですが、小学5年生くらいから声変わりが始まって、そうすると人見知りになってきたんです。
イシグロ : そうなんだ。
染五郎 : そこから、あんまりつくったお芝居を誰かに見せたいっていう気持ちがなくなってしまいました。
イシグロ : 前に「自分の声が好きじゃない」って言ってたじゃない? 声変わりが、発端だったりとかするのかな?
染五郎 : うーん…。声変わりすると、それまでの声と全く違ってきますよね。高い声が出せなくなったりして、自信がなくなってしまったんです。なんというか…今までの自分が違う自分になってしまうというか、「今までの自分がなくなっちゃう」みたいな不安が大きくて。
― 染五郎さんは、現在歌舞伎役者として、舞台に立たれていますが、そういったコンプレックスをどう乗り越えていったんですか?
イシグロ : 乗り越えられ…てる?(笑)
染五郎 : そうですね… (笑) 。自分は本当に歌舞伎が好きなので、コンプレックスよりも好きと言う気持ちが勝っているんです。「三谷かぶき」(三谷幸喜さんが脚本・演出を手がける『月光露針路日本(つきあかりめざすふるさと)風雲児たち』)で共演した八嶋智人さんが自分について「人に何かを見せることに対しての恥ずかしさより、好きだっていう気持ちがギリギリ勝っている。そこがすごく良いところだ」っておっしゃってくださって。その言葉で、初めて自分でも気づいたんですけれども。
イシグロ : うん…それは良い経験だね。
― 染五郎さんは声変わりをした自分の声がコンプレックスだということですが、監督は染五郎さんのその声を聞いてオファーされたと伺いました。
イシグロ : まさに僕は染五郎くんのその声に惹かれてキャスティングしたんです。それの決め手となったのが三谷かぶきで。
― 染五郎さんが「歌舞伎を好きだ」という自分の気持ちを再確認した三谷かぶきを、イシグロ監督も観ていたんですね!
イシグロ : 染五郎くんの声を聞いた瞬間、 「うおお、チェリーいたー!!」って思いました (笑) 。 ただ、遠くからステージを見ていたのでハッキリ誰だかはわからなくて。最初、落ち武者みたいな恰好で出てくるんですよ、乗ってるのはボロボロの船だし(笑)。
― 『月光露針路日本 風雲児たち』は、みなもと太郎の漫画『風雲児たち』を歌舞伎化した作品で、江戸時代にロシアに漂流した廻船の船頭・大黒屋光太夫一行の帰国までの旅を描いています。染五郎さんは一行の一員で見習い水主の磯吉を演じていらっしゃいますね。磯吉が1幕目で登場した時点では、その役が染五郎さんだとはハッキリわからなかったと。
イシグロ : わかんなかったんですよ(笑)。席から舞台まで20~30メートルは離れていますからね。でも、お芝居もいいし声もいい! 幕間で急いでパンフレット買って、「磯吉って呼ばれていたから……あ! 磯吉のところに市川染五郎って書いてある! これだ!」って(笑)
早速、その日の夜に今作のプロデューサーに「見つけたかもしれません」ってメールしました(笑)。実は、チェリーの声を誰に演じてもらうか本当に色々迷ったんですよね。
― チェリーの声の“かわいさ”を表現できる人がなかなか見つからなかったと伺いました。
イシグロ : 脚本は僕と佐藤大さんの二人で書いているのですが、僕が直接シナリオを書いた部分に、チェリーとスマイルが二人で初めて帰るシーンがあるんです。
― ひょんなことから出会ったチェリーとスマイルが、ゴタゴタがありながらもようやく二人でちゃんと言葉を交わすシーンですね。即興で俳句を詠んだチェリーに対して、スマイルが「チェリーくんの声が可愛い」と伝えたのが印象的でした。
イシグロ : あのシーンはプロットから全部自分で書いたんですが、「チェリーくんの声が可愛い」というのは自然に出てきたセリフなんです。でも、自分で書いておきながら「チェリーくんの声が可愛い」ってどういうことなんだろう、と思って。「かっこいい」じゃなくて「可愛い」っていうのは、どういう声なんだろうと。
スマイルの声はシナリオ執筆時から僕の中でハッキリと聞こえていたけれど、チェリーの声は、シナリオを書き進めてもキャラデザインを描き起こしても、なかなか聞こえてこなかったんです。
― チェリーの声だけは、なぜかイメージできなかった。
イシグロ : 探し求める中で、だんだん「チェリーの実年齢に近い人に声を演じてもらうのがいいんじゃないかな?」って思い始めたんですよ。そのとき、染五郎さんはまだ12歳くらいだったと思うんですが、ちょうど声変わりの時期ですよね。
声変わりが終わるか終わらないかくらいの時期って、要は音楽で言う“ミックスボイス”みたいな感じで、大人と子どもが混在していると思うんです。それを「可愛い」と表現することができるんじゃないかと。それで、三谷幸喜さん作の新作歌舞伎に出演されていた染五郎さんと出会って、そこでチェリーを見つけたんです。
いざ「伝える」となった途端に
心がグッとなっちゃう。
― 自分にとってコンプレックスだった声が、魅力となり、染五郎さんにとって初めての映画の仕事に繋がったわけですが、オファーに際して贈られたイシグロ監督から熱いお手紙を読んだとき、どう感じましたか?
イシグロ : 嘘だろ!? って思うよね(笑)。あ、手紙の内容は読ませませんよ! それは彼のものなんでね。
染五郎 : とにかく嬉しかったですね。歌舞伎役者としては4歳で初舞台を踏みましたが、ひとりの役者としてのスタートは、あの三谷かぶきからだと思っています。あの作品では三谷幸喜さんをはじめ、共演させていただいた皆さんに、お芝居の根本から教えていただきました。自分にとって本当に大切な舞台だったんです。そんな大切な作品を観てくださったことで、また違うジャンルのお仕事に広がっていったっていうのが本当に嬉しくて。
皆さんに色々と教わったことが繋がったというか、ちゃんと届いて受け取ってくださる方がいたんだなって思いました。
― ちゃんと、「伝わった」んだなと。
染五郎 : はい。本当に嬉しかったです。
イシグロ : その気持ちわかるなあ。僕も、全くつながりのない方から仕事のオファーをいただくと、「伝わった」と感じます。それって、そのときそのときで自分が表現したものを、「見ている/聞いている」人がいるんだなって実感できる瞬間なんですよね。
僕は、自分のつくったものを人に「届ける」ってなったときの恥ずかしさって何なんだろう? って、ずっと思っていたんです。例えば、音楽の授業で、人前に立って歌うのは恥ずかしいじゃないですか。でも、ひとりで曲を聴きながら鼻歌を歌うときは恥ずかしいなんて、まず思わない。
― 今作でも、チェリーはいつもつくった俳句をSNSに投稿していますが、それをいざ人前で発表するとなった途端、話が違ってきますよね。
イシグロ : 僕自身も作品をつくることはすごく好きで。音楽が好きでバンドをずっとやっていたんです。オリジナルで曲をつくっていて、そのときはすごく楽しいし、「これは最高だ!」と思ってるんですけど、メンバーやお客さんにそれを聴いてもらうときの不安ってあるんですよね。
自分で完結している創作行為っていうのは、誰かに見せるわけでもないから気楽にできるんですが、いざ創作物を「伝える」となったとき、途端に心がグッとなっちゃう。そういう感情を、チェリーにかなり投影しています。
― 俳句も「詠む・つくる」のスキルだけではなく、「読む・味わう」スキルがその体験を豊かにすると伺いました。お二人は、自分の「つくった」ものを相手に「伝える」とき、何を一番大切にしていますか?
染五郎 : とにかく1番は楽しむことだなって思っています。演じている側が楽しまないと、お客さんも楽しんで観てくださらないですし。
イシグロ : バレちゃうもんね。
染五郎 : そうですね。あとは、その役のことをきちんと理解するということを意識しています。特に歌舞伎の古典物の場合は、昔の写真や資料や劇評をたくさん調べます。その中から自分がいいなと思ったところを切り取って、役を自分のものにしていく。誰か他の人が演じたことがある役は、どうしても比べられてしまうので。
イシグロ : 歌舞伎は、昔からまったく同じ演目を上演しているからね、クラシック音楽みたいに。なるほどなるほど。
染五郎 : はい。自分ならではのその役をつくらないといけません。
イシグロ : そこには独自の解釈なんかも意識的に入れていくものなの?
染五郎 : これはあくまでも自分の考え方なんですけれど、自分の工夫や解釈を入れるのは、その役を2回目以降に演じるときにしようと思っています。
イシグロ : まずは先人のやり方を踏襲すると。
染五郎 : はい。まずは教わったことをきちんと自分でできるようになってから、自分の工夫を入れていこうと決めています。
イシグロ : それってすごく面白い話ですね。そういう感覚はアニメ業界だとあまりないですから。数百年続いている演目をその通りにやるという状況があり得ないので。なるほどな…。
― イシグロ監督は、どうですか?
イシグロ : 「伝える」ときに何を意識しているか…難しい質問ですね(笑)。そうだなあ、「嘘なく」ということかなあ。これは染五郎くんに手紙を書きながら思ったことでもあります。あの手紙はパソコンで下書きしてから、便箋に万年筆で清書したんですが、言葉に嘘がないから下書きを書くのに30分もかかりませんでした。
作品を製作する上でも、「嘘なく」つくることは監督にとって生命線だと思っています。「嘘をついていいですよ」で進めてしまうと、後々になって全てが瓦解するきっかけになってしまうというのは、経験則で学びました。それは僕自身もだし、先輩方の仕事ぶりを見ていても痛感したことです。「嘘なく」自分の思っていることを伝えないと、伝わんないんですよ。それは、嫌われても仕方がない。
― 「嘘なく」伝えることに躊躇することはありませんか?
イシグロ : それは、恥ずかしいですよ(笑)。先ほど話した「自分のつくったものを、人に見てもらう恥ずかしさ」にも繋がりますね。染五郎くんの前で言うのもなんですが、クリエイター仲間で「パンツを脱ぐか脱がないか」っていう話をよくするんです。自分自身を曝け出すか否か、それを作品に埋め込むか埋め込まないかっていう。
特にオリジナル作品は0から1の作業ですから、自分がやらないと何も出来上がらないわけです。大変だなって思うことはありますけど、自分の気持ちに「嘘なく」やるしかないというのは自分自身に植え付けられたものですね。
市川染五郎とイシグロキョウヘイ監督の
「心の一本」の映画
― 『サイダーのように言葉が湧き上がる』では、ある老人が心の支えにしていた“思い出のレコード”が登場します。そのように、お二人にとって、心の一本となるような映画はありますか?
イシグロ : 好きな映画はたくさんあるんですが…、やっぱり『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)かなー。
― ロバート・ゼメキス監督の大ヒットSF作品ですね。高校生のマーティが、近所に住む科学者のドクが作った車型タイムマシンに乗って、過去にタイムスリップしてしまうというストーリーです。
イシグロ : 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は僕の教科書ですね。楽しいし、得るものもあるし、教訓にもなるし。本当にまったく無駄がない! もう何回も観ています。
イシグロ : 染五郎くんが生まれる前は、テレビでもっと頻繁に映画を放送していました。ステレオじゃなくてモノラル放送の時代ですね。その当時、三ツ矢雄二さんが主人公のマーティ(マイケル・J・フォックス)の吹替をしていて、そのバージョンのイメージがとても強く残っています。
― 三ツ矢雄二さんは、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズだけでなく、他の作品においてもマイケル・J・フォックスの声を担当されていました。
イシグロ : 大人になってから、そのバージョンが入っているブルーレイをわざわざ買いました(笑)。モノラルなので音は平面的なんですけど、その三ツ矢さんの声を聞くと、僕が小学生のときに「めちゃくちゃおもしれぇ〜!」と感じた記憶が、当時のまま蘇ってきます。
― 繰り返し観ているということですが、どんな時に観ますか?
イシグロ : あの作品は脚本も含め、技術がすごいんですよ。仕事をする上でそういった技術的な部分を参考にするときもありますし、ただ単純に気持ちを上げたいときにも観ます。年に1回は観ていますね。
僕はもうすぐ40歳になるんですが、初めて観たのは多分11歳くらいのときなので、もう30年くらいは観ていることになりますね。ブルーレイを持っていない期間は観ることができませんでしたが、購入してからはずっと観ています。妻も好きなので一緒に観たりもしますね。元気をくれる人生の一本です。
― 染五郎さんの心の一本は?
染五郎 : 自分は、『ジョーカー』(2019)です。
イシグロ : ホアキン・フェニックスが演じた、あの! 最近の映画だ!
― アメリカン・コミックス『バットマン』に登場する悪役ジョーカーの誕生秘話を描いたトッド・フィリップス監督の作品ですね。アメコミ作品としては異例のベネチア国際映画祭金獅子賞受賞や、ジョーカー役を演じたホアキン・フェニックスのアカデミー主演男優賞受賞も大きな話題になりました。
染五郎 : 小さい頃から「ジョーカー」という役が大好きで、色々な役者が演じるジョーカーを観てきました。
― ティム・バートン監督『バットマン』(1989)ではジャック・ニコルソン、クリストファー・ノーラン監督『ダークナイト』(2008)ではヒース・レジャーなど、多くの名優が過去にジョーカーを演じてきました。
染五郎 : アメコミが原作となった映画は、脇役が主役になったスピンオフ作品がよくつくられるので、ジョーカーが主役の作品もいつかつくってほしいなって思っていたんです。そしたら一昨年くらいにジョーカーが主役の映画ができるという情報を目にして、それからずっと楽しみにしていました。作品を観た途端、今まで映画に登場してきたジョーカーの中で一番好きになったんです。
イシグロ : あのジョーカーは強烈だよね(笑)。
染五郎 : そうですね(笑)。
― 『ジョーカー』でホアキン・フェニックスを観るまでは、どの作品のジョーカーがお好きでしたか?
染五郎 : ヒース・レジャーのジョーカーです。
イシグロ : 『ダークナイト』のヒース・レジャー! クリストファー・ノーラン監督!! すごかったねえ、あれ。
染五郎 : 自分は洋画を中心に映画をよく観るんですが、ハッピーエンドの作品よりも、謎を残して終わるような方が好きなんです。『ジョーカー』という映画は、本当に謎が多いですよね。受け取る人によって、全然印象が違うものになる映画だと思います。あと、ピエロが好きだというのもあります。
― 道化師がお好きということですか?
染五郎 : ピエロって明るい陽気なキャラクターですけど、実は哀しみを秘めていたり、それをメイクで隠したりしていますよね。そこに惹かれるというか。
イシグロ : 泣きながら笑ってる、よね。
染五郎 : 特にホアキンのジョーカーには共感する部分もあります。ホアキンが演じるジョーカーは、世間に認めてもらおうと頑張っているけれど認められない哀しい人です。自分も市川染五郎を襲名したときにすごくプレッシャーを感じていて、とにかく認めてもらおうと必死でした。
イシグロ : 心情だけでなく、ビジュアル面も重なる部分があるのかな? 歌舞伎も白塗りや隈取をするじゃない? もしかしたら、無意識にピエロのそういう部分にも共感しているのかな。
染五郎 : それはあると思います。だから、KISSにもすごく惹かれるんです。
― KISSですか!? 1973年結成されたアメリカのロックバンドですね。白塗りの派手なメイクが特徴で、2019年の紅白歌合戦にも出演して話題になりました。
イシグロ : なるほどね。ジョーカーとKISSか。
染五郎 : 自分を晒してるけれども、内側になにかを隠しているっていうこところに惹かれるのかもしれないですね。
◎『サイダーのように言葉が湧き上がる』ムビチケ