PINTSCOPE(ピントスコープ) 心に一本の大切な映画があれば…人と映画の物語
だらしない大人たちと、映画館のない街。そこにある映画と家族の記憶【前編】

鄭義信監督×真木よう子 対談

だらしない大人たちと、映画館のない街。そこにある映画と家族の記憶【前編】

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演劇界で数々の演出に携わり、映画界では『愛を乞うひと』(1998年)などで多くの脚本賞を受賞した鄭 義信さんが還暦にして初めて監督した映画『焼肉ドラゴン』(2018年6月22日公開)。本作で焼肉屋「焼肉ドラゴン」を営む一家の長女・静花役を演じた俳優・真木よう子さんと鄭さんに、家族と、それにまつわる映画の記憶についてお話を伺いしました。

鄭さんは「若い頃にひたすら映画を観続けた時間が、映画の仕事に携わるようになったきっかけ」と話します。一方、真木さんは「幼い頃に観た1本の映画に衝撃を受け、芝居の道を志した」そうです。

鄭さんは、姫路市育ち。姫路市は、鄭さんが子どもの頃多くの映画館があった街だったそうです。逆に、真木さんが育った場所は、当時映画館のある街まで、電車で1時間かけて出かけていかなくてはいけませんでした。そんなお二人がどのように映画に出会い、ご自身がスクリーンの向こう側で活躍するまでになったのでしょうか。

まずは、お二人の初めての映画体験のお話から−−。

だらしない大人たちと、映画館のない街。そこにある映画と家族の記憶。【前編】
毎月映画館で、ご飯を食べながら家族みんなで観た映画。電車で1時間かけて、特別に父と二人で観た映画。

あるインタビューで鄭さんが「私たち一家は世界遺産に住んでいた」と話されているのを読んだことがあります。今回監督された『焼肉ドラゴン』では、そこでのエピソードが使われているとお伺いしました。

そうです、僕の最近の売り文句なんです(笑)。僕の実家は、姫路城の外堀の石垣の上にありました。現在、姫路城の公園になっているところですね。戦後、土地を持たない人たちがその場所に勝手にバラックを建てて住んでいたんです。明らかに国有地なんですけど、父は「醤油屋の佐藤さんから土地を買った」って主張するんですよ。「権利書はあるんですか?」って聞いたら、「権利書はない!」って偉そうに言って(笑)。そのエピソードをそのまま、映画に使いました。

「焼肉ドラゴン」の亭主であり、真木さん演じる静花の父・龍吉が、立ち退きを迫られるシーンで言うセリフですね。行政の担当者に「醤油屋の佐藤さんから買った」という。

父にそう言われた行政の担当者が、ひどく困っていたのを覚えています。自分や多くの人の記憶から消えていく、そんな場所や人を記録したいという想いから始まったのが、この作品なんです。

当時、姫路市内には映画館が多くあったそうですが、鄭さんは家族で映画は観られましたか。

1カ月に1回、家族みんなで映画を観に行っていました。というのも、父が廃品回収業を営んでいたので、近所の映画館にダンボールとか空き缶を回収しに行っていたんです。月に一度、父が映画館に支払いにいくときに家族でぞろぞろ付いて行って、裏から入って観せてもらっていたんですよ。

どんな映画館だったんですか。

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第一山陽座っていう豪華な映画館でしたね。外壁が大理石になっていて、中には大きなシャンデリアがぶら下がっていて、贅をこらした古い映画館でした。昭和14年から始まった映画館だそうで、当時は芝居も上演していたみたい。そこには2階席があって、しかも桟敷席で、僕たち家族はそこでオカンがつくったキムチとかを食べながら映画を観ていました。でも、オカンの趣味に合わせて映画を選ぶから、僕は退屈でね。吉永小百合主演の『愛と死をみつめて』(1964年)とか青春映画が多かったかな。今は取り壊されてしまったんだけど、面白い映画館だったから残念だったね。

真木さんは初めて映画を観たときのことを覚えていますか。

真木わたしは千葉の田舎に住んでいたので、周りに映画館がない環境でした。映画館があるところまでは、電車で1時間くらいかけていかなきゃいけなかったので、監督のような体験はなくて。でも、1回だけ子どもの頃に映画に連れて行ってもらったことがあります。

何の映画を観たの。

真木何だったかな…お侍さんが小さくなってレコードの上を走ったりする映画……。

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『水の旅人-侍KIDS-』(1993年)ですか? 大林宣彦監督の。

真木そうだ! 『水の旅人-侍KIDS-』です!!

山崎努さん演じる時空を越えてやって来た侍と、少年のファンタジー作品ですよね。

真木父が「こっちの映画が観たい」って言うので、それを観たんですよね。わたしは隣のスクリーンで上映している『ジュラシック・パーク』(1993年)がめちゃくちゃ観たかったのに。映画を観ていても、隣のスクリーンから「ギアー!」って声が聞こえてきて、わたしは「『ジュラシック・パーク』が観たいー!」って思ったのを覚えています(笑)。それが、初めて映画館で観た映画だったな。小学校の高学年のときだったかな。

家族と映画館に行ったのは、お父さんとのその1回だったんですね。

真木そうですね。映画を観に行くのは、わたしにとって特別なことだったんです。だから初めて友達同士で映画を観に行ったときのことも、すごく嬉しくて今でもよく覚えています。「やったー!」という感じでした(笑)。『耳をすませば』(1995年)を観ましたね。中学のときだったかな。でも、ただただ「映画館で映画を観る」ことが嬉しくて、内容は全然覚えてないという(笑)。

友達同士で観た思い出の映画ってあるよね。僕は、過激な性描写で物議を醸した『ラストタンゴ・イン・パリ』(1972年)っていう映画をどうしても観たくて、友達と観に行った記憶がある(笑)。年齢制限がかかっている映画だったから、当時中学生の僕たちは本当は入れないんだけど、みんなで精一杯大人の振りして観に行ったんですよ。バレバレだったけど、もぎりのおばちゃんは入れてくれたんです(笑)。でも、実際観てみると期待していたのとは違って、全然訳がわからなかったのを覚えています(笑)。

真木そんな淡い経験があったんですね、監督にも(笑)。

だらしない大人たちと、映画館のない街。そこにある映画と家族の記憶。【前編】
「演じたい衝動は、小学生のときに観た1本の映画から。」-真木よう子

真木さんは、安達祐実さん主演の映画『REX 恐竜物語』(1993年)を観て役者を目指そうと思ったとお伺いしました。真木さんはその頃まだ小学生ですが、当時から既に役者になろうと思っていらっしゃったんですか。

真木小学校高学年のときに、テレビで観たのかな。当時、自分とそんなに歳の変わらない安達さんが、映画の主役を演じていることに衝撃を受けました。純粋にそれを観て「いいな」って思ったんです。「私も、安達さんみたいにお芝居をやりたいな」って。

それがきっかけだったんだ。その前は、別に思ってなかった?

だらしない大人たちと、映画館のない街。そこにある映画と家族の記憶。【前編】

真木その前から、一人遊びが好きな子どもだったので、ジブリ作品とかテレビドラマのセリフを覚えて、ぬいぐるみ相手にお芝居ごっこをやっていました。小学生の頃から、お芝居が好きだったんです。だから、「映画に出たい」「テレビに出たい」っていうよりも、純粋に「お芝居がしたい」っていう気持ちが強くあって。有名になりたいとか、すごい女優さんになりたいという特別な憧れはなかったですね。だから最初は、芸能事務所ではなく俳優養成所を選んだんだと思います。

真木さんは、俳優養成所に入られたのが、俳優への入り口だったんですよね。

真木お芝居をやりたかったので、ずっと母に相談していたら「役者を志す人が、どれだけすごい人なのか見てきなさい」っていうことで受けさせてくれたんです。そしたら受かっちゃって(笑)。まあ、千葉の田舎から来た15歳の女の子だったので、新鮮だったんだと思います。

えっ、そのとき15歳だったの!?

真木そうなんです(笑)。当時、応募資格は15歳から27歳くらいまでだったので。俳優養成所が創立したばかりの1期、2期生くらいしか15歳が合格したことはなかったみたいで、珍しかったんだと思います(笑)。

いやいや、それだけじゃないでしょ。

真木そうですか?(笑)

           
だらしない大人たちと、映画館のない街。そこにある映画と家族の記憶。【前編】
「大量の映画を観ることで、不安を必死に埋めていた。」―鄭監督

鄭さんは、松竹大船撮影所で働いていたことがあったとお伺いしました。

装飾助手、美術助手として働いていた期間がありました。京都の大学を中退した後、映画の仕事がしたいと思って横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)に2年通った後ですね。昼の連続ドラマの現場などで美術助手として携わったんですが、自分で「自分は使えないな…」と思って辞めました。でも、山田洋次監督の映画現場に呼ばれたこともあったんですよ。他の仕事が入っていたので何もわからずに断ってしまったら、周りにカンカンに怒られて(笑)。山田組に入るチャンスだったのにな。

なぜ、映画の仕事がしたいと思ったんですか。

だらしない大人たちと、映画館のない街。そこにある映画と家族の記憶。【前編】

「そこに自分の生きていることの意味があるんじゃないか」と思ったんです。大学を中退した後、自分の人生をどうしたらいいのかわからなくなった時期があって、心にポッカリ穴が開いたように感じていました。だから、「映画でも観とけ!」っていう気持ちで、不安とか迷う気持ちを映画で必死に埋めていましたね。そのときは、年間で300〜400本くらいは観たんじゃないかな。

300〜400本!? 1日1本ペースで映画を観ていたということですか。

毎日、観ていたわけではないんです。中退後は、京都のある市場でアルバイトをしていたので、週末にまとめて映画を観ていました。だいたい仕事が午後2時に終わるんですが、その後大阪の堂島まで行って大毎地下劇場(1993年閉館)という映画館で3本立てを観て、それから京都に戻って京一会館(1988年閉館)で5本立てのオールナイトを観て、それから祇園会館(2012年映画上映終了)で3本立てを観るという。集中して1日に10本くらい映画を観ていたから、どの話がどの映画なんだかよくわからなくなっていましたね(笑)。

10本連続で映画を観続けるのは、体力も精神力も必要ですね…。

そうやって何百本と映画を観ているうちに、観ているだけじゃ飽き足らなくなって、「スクリーンの向こう側の仕事がしたい」と考えるようになっていったんですね。

だらしない大人たちと、映画館のない街。そこにある映画と家族の記憶。【前編】

【special thanks】 姫路フィルムコミッション アースシネマズ姫路

INFORMATION
『焼肉ドラゴン』
原作・脚本・監督:鄭義信
出演: 真木よう子 井上真央 大泉洋 桜庭ななみ 大谷亮平 ハン・ドンギュ イム・ヒチョル 大江晋平 宇野祥平 根岸季衣 イ・ジョンウン キム・サンホ
配給:KADOKAWA、ファントム・フィルム
公開日:2018年6月22日
公開情報:全国ロードショー
© 2018「焼肉ドラゴン」製作委員会
「血と骨」など映画の脚本家としても活躍する劇作家・演出家の鄭義信が長編映画初メガホンをとり、自身の人気戯曲「焼肉ドラゴン」を映画化。高度経済成長と大阪万博に沸く昭和45年。大阪の片隅で小さな焼肉店「焼肉ドラゴン」を営む夫婦・龍吉と英順は、静花、梨花、美花の3姉妹と長男・時生の6人暮らし。龍吉は戦争で故郷と左腕を奪われながらも常に明るく前向きに生きており、店内は静花の幼なじみの哲男ら常連客たちでいつも賑わっていた。強い絆で結ばれた彼らだったが、やがて時代の波が押し寄せ……。店主夫婦を「隻眼の虎」のキム・サンホと「母なる証明」のイ・ジョンウン、3姉妹を真木よう子、井上真央、桜庭ななみ、長女の幼なじみ・哲男を大泉洋がそれぞれ演じる。
PROFILE
劇作家、脚本家、演出家
鄭義信
Jeong Wishin
1957年7月11日兵庫県生まれ。93年に「ザ・寺山」で第38回岸田國士戯曲賞を受賞。その一方、映画に進出し同年『月はどっちに出ている』の脚本で、毎日映画コンクール脚本賞、キネマ旬報脚本賞などを受賞。98年には、『愛を乞うひと』でキネマ旬報脚本賞、日本アカデミー賞最優秀脚本賞、第一回菊島隆三賞、アジア太平洋映画祭最優秀脚本賞など数々の賞を受賞した。「焼肉ドラゴン」では第8回朝日舞台芸術賞 グランプリ、第12回鶴屋南北戯曲賞、第16回読売演劇大賞 大賞・最優秀作品賞、第59回芸術選奨 文部科学大臣賞を受賞。韓国演劇評論家協会の選ぶ2008年、今年の演劇ベスト3 。韓国演劇協会が選ぶ 今年の演劇ベスト7。など数々の演劇賞を総なめにした。近年では「パーマ屋スミレ」「僕に炎の戦車を」「アジア温泉」「しゃばけ」「さらば八月の大地」「すべての四月のために「密やかな結晶」「赤道の下のマクベス」と話題作を生み出している。2014年春の紫綬褒章受賞。
女優
真木よう子
Yoko Maki
1982年千葉県生まれ。2001年映画デビュー。『ベロニカは死ぬことにした』(06/堀江慶監督)で映画初主演を務める。また同年『ゆれる』(06/西川美和監督)では第30回山路ふみ子映画賞・新人女優賞を受賞。その後、『さよなら渓谷』(13/大森立嗣監督)では、第37回日本アカデミー賞・最優秀主演女優賞、『そして父になる』(13/是枝裕和監督)では、最優秀助演女優賞とダブル受賞を果たす。その他の出演作品として、『パッチギ!』(05/井筒和幸監督)、『すーちゃん まいちゃん さわ子さん』(13/御法川修監督)、『脳内ポイズンベリー』(15/佐藤祐市監督)、『劇場版MOZU』(15/羽住英一郎監督)、『蜜のあわれ』(16/石井岳龍監督)、『海よりもまだ深く』(16/是枝裕和監督)、『ぼくのおじさん』(16/山下敦弘監督)、『孤狼の血』(18/白石和彌監督)などがある。
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