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私と誰かの世界が、偶然響き合う瞬間
― 沖田修一監督の商業映画デビュー作『南極料理人』(2009)が4Kリマスターで今年の11月に上映されることが話題となっていますが、沖田監督は今年、長編デビュー20周年を迎えられます。
― その節目に生まれた完全オリジナル作品『さとこはいつも』では、3人の「さとこ」が“自分の物語を書く”ことで“自分を解放”し、“自分の人生の決着”をつけていく姿を描いています。本作を主題歌・音楽で彩るのが、折坂悠太さんと柴田聡子さんです。今回のオファーは、沖田監督たっての希望だったそうですね。
沖田 : はい、お二人の音楽が好きで、以前からよく聴いていましたし、今でもよく聴いています。…そして、気づけば今日、お二人にこうして挟まれて取材を受けているという、よくわからない状況になっていますけれど…。

折坂・柴田 : (笑)。
沖田 : この映画の台本を書いている時も、コーヒーを片手にお二人の音楽を聴きながら執筆していましたし、お二人の音楽をずっと聴き続けてきたので、「こんなお願いできるのかな」と、恐る恐るお声がけさせていただきました。はい。
― お二人は、今回沖田監督から依頼を受けていかがでしたか?
柴田 : 私は、これまでドラマの劇伴を手がけたことはあったのですが、映画の劇伴を担当するのは今回が初めてでした。それが沖田監督の作品で実現するということが本当に光栄でした。もう、「頑張ろう!」という気持ちで。
最初に台本を読ませていただいた時に、「とても面白い作品だ」ということが本からビシバシ伝わってきたので、この作品に携われることが素直に嬉しかったです。

― 柴田さんが「4人目のさとこ」として音楽を完成させたと、プレスシートでは表現されていましたね。折坂さんはいかがですか。
折坂 : 左に同じで。すごく光栄でした。映画館で働いていたことがあるのですが、その時に沖田監督の映画の上映を担当したことがあるんです。
映写室から映画を観ていたんですが、最後にエンドロールを観ながら「いいエンディングだな」と感じたことを覚えています。

折坂 : そこに自分の音楽が重なるのかと思うと、高まるものがありました。
沖田 : いや…ありがとうございます。
― 今作は、主人公である3人の「さとこ」が、誰かの言葉や人生の転機をきっかけに、胸に秘めた想いを入り口にして物語を書き始めていく姿を描いています。柴田さんの音楽は、「さとこ」たちが物語を綴るシーンで流れていましたが、それは沖田監督からのリクエストだったのでしょうか?
柴田 : はい、ここでこういう音楽を使いたい、というのは沖田監督から事前に指定いただいて、それをもとに音楽をつくっていきました。

沖田 : 普段は、映像を編集する段階で「ここに音楽をつけたいな」と音楽のイメージが浮かぶことが多いんですが、今回は「さとこ」が物語を書き始めるシーンを撮影している時に、「柴田さんのハミングがここで聴こえたらいいな」と想像していました。
鉛筆の「カリカリ」という音だけが入るだろうから、そこに人の声があるといいなと思ったんです。
― なるほど。「柴田さんの音楽」を、「柴田さんの声も含まれた音」として想像されていたと。
沖田 : そうですね。音楽だけじゃなくて、やっぱり柴田さんの声も聴きたいな、と思ってしまいました(笑)。

― 「書いてみよう」と「さとこ」たちが一歩踏み出す場面では、それぞれ違ったアレンジで同じメロディがリフレインされていきます。15歳の聡子(姫野花春)、35歳の沙都子(有村架純)、55歳の里子(石田ひかり)と、異なる楽器で奏でられるそのメロディは、3つの「さとこの物語」を繋ぐテーマ曲のようにも聴こえました。
柴田 : まず、15歳の聡子さんのシーンは、「まだ始めたばっかり」という感じがあるといいなと、沖田監督からお話を聞いていて。
― 中学生の聡子は、初めての恋に心が躍る日々の中、あるきっかけから国語教師の寺尾先生(吉田羊)に作文を褒められ、自分の物語を書くように勧められますね。

柴田 : ちょっと拙く、アコースティックギターを爪弾いたりジャンジャンと弾いたりする感じで、ギターの音を中心につくっていきました。
35歳の沙都子さんは、撥弦楽器のハープの音源を使ってみました。道ならぬ恋をしている人物でもあったので、夢のようにキラリ、とさせられる感じがあるかなと。
折坂 : なるほど。

― 映画配給会社に勤める沙都子は、仕事も不倫もスランプに陥っている人物でした。
柴田 : ちょっと繊細な、ポロロンっていう音でつくってみたら、沖田監督も「綺麗でいいですね」とおっしゃってくださって。で、55歳の里子さんは、最初の二人よりも人生のステージが進んでいて、「もう一回挑戦してみよう」というどっしりとした感じがあったので、朗々とした、フルーゲルホルンの音を使えたらいいなって。

― 里子は、子育てがひと段落して再び自分の夢を追い始めます。それぞれの人物像や、人生のステージが楽器で表現されていたのですね。
柴田 : はい、私なりに考えて、音を探っていきました。
― そして、今作を締めくくるのは、折坂さんが手がけた主題歌「シミレ(feat.柴田聡子)」です。制作を進める段階では、映像をご覧になっていたのでしょうか?
折坂 : はい、映像も観させていただいていました。主題歌は、「作品の世界に合わせる」というよりも、「自分の世界との共通点を探す」というところがあるかなと考えていて。
ずっと前から、自分の中で鳴っていたような響き、メロディを、「あ、ここだ」と捉えたという感じだったので、わりとするっとできました。
― 自然と、自分の中にある音から今作の主題歌をつくることができたと。歌詞の中には、「煙」や「土手」など、映画に登場するモチーフも出てきますね。
折坂 : そうですね。作中でも、3人の「さとこ」のストーリーラインが少しずつリンクしていくところがあって、具体的な説明はないけれど、偶然何かが重なる、その世界観がすごくいいなと。

折坂 : 主題歌はまた別の視点で歌っている物語でもあるんですけど、3人の「さとこ」と同じように、何か重なるものがあって、最後には道が一つに繋がっていくようなイメージでつくりました。
― 折坂さんは今作について「創作の途中にふと、“これは誰かの物語と続いている”と思うことがあります」「この映画の脚本を読んだ時、その不思議な感覚が自分だけのものじゃなかったんだと、ほっこり嬉しくなりました」とコメントされていましたね。
折坂 : 普段、自分が創作や表現をしている時、または音楽を聴いたり、映画を観たりしている時に、時代や国が違っても「この感覚」とか「この瞬間」は共有できるんだな、と思うことがあります。それは、ちょっとした、些細なことなんですけど。「あ、ここも繋がった」と、自分だけの地図みたいなものができていく感覚が、表現に携わるうえでの楽しみだなと思っているんです。
― 「自分だけの地図」ができあがっていく感覚ですか。
折坂 : 今回の映画の、「さとこ」たちの共通点を観ながら、この“繋がった”という感覚は、自分だけが持っていたわけではないんだなと思いました。台本を読んだ時も、そこが印象深かったですね。
― 主題歌「シミレ」は「feat.柴田聡子」ということで、柴田さんとの歌唱コラボレーションとなっています。折坂さんからの発案だったそうですね。
折坂 : ひとつの映画の中にいろんな声が響いている作品なので、エンディングを私一人の声で終わらせていいのかな、という思いがありました。二声で終わらせたいなというのもありましたし、単純に柴田さんのファンなので(笑)。柴田さんと一緒に歌える機会を逃したくない…という、ちゃっかりとした思惑も。
柴田 : ありがとうございます…!
― お二人の声が交互に聴こえることで、映画の世界がさらに広がっていく余韻が残りました。沖田監督は、お二人と一緒にソファーに座りながら、初めて主題歌を聴いたそうですね。
沖田 : まさに今と同じ状態です。
折坂・柴田 : (笑)。
沖田 : 感無量でした。この映画のゴールをつくってくれたように感じて。すごく光って見えたんです。映画を撮っている時は、主題歌とかは想像し得ないんですけど、「跳ね返してくれている」といいますか、その感じがすごく嬉しかったです。

自分の創作が誰かに届く時の、
“大事なのに怖い”という感覚
― 今作では、書いては悩んで消したりを何度も繰り返したり、食事を忘れるほど没頭したりと、「さとこ」たちが書き始める時の様子がじっくりと描き出されていました。沖田監督が今回、「人が言葉を紡ぎ始めようとする」姿を、なぜ映画として映し出そうと思われたのでしょうか?
沖田 : 「物語を書く」でも、「音楽や映画をつくる」でもいいんですけど、「何かやってみようか」なという気持ちが起こる、その瞬間ってすごくいいなと思うんです。姫野さんが演じた聡子みたいに、学校の先生に言われた言葉が影響する時もあるでしょうし。邪念や私欲がないような、内から湧き上がる気持ち。
でも、有村さんが演じる沙都子みたいに、大人にしかできない「書いてみよう」もあっていいと思うし。

― 「15歳の聡子」では初期衝動を純粋に行動に移す姿が、「35歳の沙都子」では書くことで自分の過去や感情を整理していく姿が描かれていました。
沖田 : 彼女たちの「物語を書く」は、誰かの評価を得ることを目的としていない、自分の中で完結しているところもあって。自分にもあったはずなのにと、つい美化してしまう(笑)。美しい瞬間だなと思ってしまうんです。
― 沖田監督自身も、「中学生の頃、物語を書いてみたりしたことがあります」とコメントされていましたね。
沖田 : 自分が初めて「映像を撮ってみよう」と思った時は、頼る人が自分しかいなかったので、カメラを膝にテープで固定して、録画ボタン押して、「自分の顔のヨリ」と「もののヨリ」のカットだけで作品をつくったことがあって。

柴田 : すごい!
沖田 : 今でもその映像は残っているんです。実は、今回、撮影に入る時に、姫野さんに見せました、自分の初期衝動として。
一同 : !?
沖田 : すごいポカンとしてましたけど。
一同 : (笑)。
沖田 : もう恥ずかしさとかもなくて、「笑ってください」みたいな気持ちでした。あんまり人に見せるものじゃないんですけど、なんとなく感じるものがあるのかなと思って。
― 沖田監督がご自身の初めての作品を見せた「聡子」は15歳でしたが、柴田さんと折坂さんは、この頃にはすでに創作を始められていましたか。

柴田 : いや、私は19歳くらいですね。15歳とかまだ何もしてなかった。
折坂 : 私も19歳くらいです。
― 現在、お二人は、ご自身の作品だけではなく、詩の創作や文学雑誌への寄稿など執筆活動もされていますが、書き始めた時のいわゆる初期衝動みたいな気持ちは、今でも覚えているものですか。
柴田 : なんだろう…ゆずみたいな曲が歌いたいな、とか思ってましたね。あと、その時は自分じゃなくて友だちに歌ってもらうためにつくっていたので、その子のことを思いながら書いてました。ノートに書いてたと思うけど、もうどこにいったのかもわからないです。
折坂 : 私も自分で歌うためではなくて。当時コピーバンドみたいなことをやっていたんですけど、やっぱりオリジナルをつくりたいなと。ボーカルの人に歌ってもらうために、バンドで演奏するためにつくったのが、最初だったと思いますね。
音源がどこかにあると思うけど、門外不出です…。
沖田 : (笑)。
折坂 : でも沖田監督のように、いつか誰かに聴かせる時がくるのかもしれないですね。
― 先ほど沖田監督がおっしゃったように、今作では「誰かの評価を得ることを目的としていない、自分の中で完結している創作」も描かれると同時に、「自分の作品を他人に見てもらう瞬間」も映し出されていました。ある「さとこ」が、自分の書いた物語を、別の「さとこ」に読んでもらう瞬間が大変美しく、印象に残りました。
折坂 : あの場面は私もすごく好きで、台本で読んだ時から、このシーンはいいなと思っていました。緊張しながら、自分の書いた物語を読んでいる「さとこ」を横目で見てみると、くすっと笑う影が見える。その光景には私も覚えがあります。それだけで、「よしよし」という気持ちになるんですよね。
沖田 : そうなんです、その場にいれないやつですよね(笑)。僕の場合は映画だから、始まったら止められないし、観ている人の顔も怖くて見れないから、トイレで隠れていることもあります。初号試写のように、関わってくれた人たちみんなの前で観る時も、気がついたら自分の腕を噛んでて、気づけば血が出ていたりとか…。

柴田 : えー!
折坂 : (笑)。
沖田 : 自分を傷つけないとその場にいれなくて。でも、それがあと何回経験できるんだろうとも思う。「大事なのに怖い」みたいな瞬間。そんな気持ちを、映し出したいと思っていました。
柴田 : 私もバンドメンバーに初めて聴かせる時とかは、反応が怖くて携帯とか見れないです。もういっそ電源を消そう、みたいな感じになります(笑)。
折坂 : わかります。新曲をバンドメンバーとかマネージャーに送っても、みんな何も反応してくれないこともあって。あれ?みたいな(笑)。
「なんか違ったかな」とか毎回思うんですけど、その曲を一緒に形にしていくうちに、「いい曲やなー」とかしみじみ言ってくれたりして、「あ、よかったんだ」って。あと、私は、人に聴かせる怖さもありますけど、自分で聴くのが一番怖い。
沖田 : あー、なるほど。
折坂 : 録音した音源を確認してくださいという時も、再生すると始まっちゃうから、まずは一回置こう、みたいな(笑)。本当に余裕がある時に、ちゃんと時間をつくって挑むくらい、自分でつくったものを改めて聴くというのは自分にとって怖い瞬間ですね。
― 今作では、学校の先生に勧められて文章を書き始めるなど、人が人に影響を与えながら、それが循環していく様子も3人の「さとこ」を通して描かれていました。みなさんも、今のご自身に繋がっているような、ふと思い出す、誰かとの光景はありますか?
柴田 : 私は、まさに大学時代の先生です。ゼミの発表について、どうしようと相談した時に「お前は歌うか踊るかだ」って言われたことがあって。

沖田 : (笑)。
柴田 : 「えー!」ってなりました。さっき、ふと気づいたんですけど、15歳の聡子が映画の中で先生に言われたことと同じというか。言われた時に「じゃあ、歌かな」と思ったことが、今の自分に続いているんだなと思いました。不思議な言葉でしたね。でも、踊らなくてよかったー(笑)。
折坂 : 私は、自分が直接言われたというよりは、後から聞いた言葉なんですけど。小さい頃、幼稚園に行くのが嫌で、毎朝泣いているような子どもだったんです。
でも、母が幼稚園の先生に聞いた話によると、お遊戯会で舞台に上がっている時だけ、すごく元気だったみたいなんです。舞台の内容に口出しもしていたみたいで(笑)。
一同 : (笑)。
折坂 : それを大人になって母から聞いた時、普段を過ごすことは難しくても、みんなで何かをつくるということに対しては、小さい頃から積極的だったんだなと思いました。そういう性質が今に繋がっているのかもしれないなと。

沖田 : 僕もいっぱいあるとは思うんですけど、今思い出したのは、オフィス・シロウズの代表の、プロデューサーの佐々木史朗さんという方がいて。2022年にお亡くなりになったんですけど。
― 佐々木史朗さんさんは、日本アート・シアター・ギルドの代表を務めた映画プロデューサーで、大林宣彦監督の『転校生』(1982)や森田芳光監督の『家族ゲーム』(1983)など、日本の映画史に残る数々の作品をプロデュースされた方ですね。
沖田 : 昔から自分を気にかけてくださって。僕の撮った短編とか自主制作の映画を、早稲田大学の教材で使ったとか。いつもそういうことを楽しそうに話してくれる方だったし、こうして面白いと言ってくれる人がいるなら頑張ろう、と思える存在でした。

沖田修一監督、折坂悠太、柴田聡子の「心の一本」の映画
― 最後に、みなさんの「心の一本」の映画についてお聞きしたいのですが、ご自身の初期衝動を思い出す作品や、創作のモチベーションに繋がったような作品はありますか?
折坂 : ついこの前、初めて観たんですけど、『イル・ポスティーノ』(1994)というイタリア映画がすごく良かったです。
― 『イル・ポスティーノ』は、南イタリアの小さな島を舞台に、純朴な男と、祖国を追放されて島を訪れた詩人の、穏やかな交流を描いた作品ですね。チリの詩人パブロ・ネルーダをもとにしたアントニオ・スカルメタの小説が原作となっています。
折坂 : 田舎町でうだつのあがらない日々をおくっていた主人公は、島にやってきた有名な詩人に、世界中から届くファンレターを届けるための配達人として雇われるんですけど、彼から詩を聞かせてもらったり、教えてもらったりするうちに、だんだんと詩の世界に惹かれていくんです。
自分も、最近は歌詞だけではなく、単体の詩をつくるようになってきて、「詩」というものが人にもたらす豊かさみたいなことがすごく勉強になるなと実感していて。主人公も40代ぐらいなんですが、年齢を重ねても新しい世界はひらかれていく。そういう気分の時に観るといいかもなと思いました。
柴田 : 私は…なんでしょう。でも、「よーし、やるぞ」みたいな気持ちになるのは『クール・ランニング』(1993)ですね。急に全然違うかもしれないですけど(笑)。
沖田 : おー!
― 『クール・ランニング』は、ジャマイカのボブスレー男子4人乗りのチームが、1988年に行われた冬季オリンピックに初出場した実話をもとに制作された映画ですね。雪景色の中で流れるレゲエ音楽など、サウンドトラックも魅力的な作品ですよね。
柴田 : そうなんです! 気がついたら観ている、みたいな映画で。希望とか、悔しさとか、惨めさとかが全部入っていて、これが人生だよなって感じがして好きなんです。
沖田 : 実は、奇しくも『イル・ポスティーノ』と『クール・ランニング』、どちらも好きな映画について聞かれた時、僕がよくあげてる映画なんです(笑)。
柴田 : そうなんですか!
沖田 : そうなんですよ。『さとこはいつも』の、15歳の聡子と国語の寺尾先生が話すシーンは、まさに『イル・ポスティーノ』を観たりしながら考えていて。
折坂 : あーなるほど。
柴田 : すごい…!
― こんな形で繋がるとは!
沖田 : だから、今回一本を選ぶとしたら、僕も『イル・ポスティーノ』。サントラも持っていて、好きな映画なんです。いつかあの島で、レコードかけて踊る人生がいいなと思っています(笑)。





