PINTSCOPE(ピントスコープ) 心に一本の映画があれば PINTSCOPE(ピントスコープ) 心に一本の映画があれば

家族と映画と、わたし。 第2回

友だちのみつからない放課後
『マイ・フェア・レディ』

電車の中で、無我夢中に本をよんでいる小学生をみかけると、じっと見入ってしまう。隣に目を向けると、同じ制服を着た同級生らしき子どもたちがゲームをしたりうわさ話をしたり、にぎやかだ。もう一度、読書中のその子に視線を移す。そして見つめながら、こんな余計なお世話を心の中で思う。彼らの声がうらやましいと感じることも、うるさく感じることもあるかもしれない。でも、迷うことがあっても、自分の好きなことをやればいいんだよ。いまのままでいいんだよ。

幼稚園、小学生のころとぜんぜん友だちができなかった。ゲームもマンガも興味がなかったので共通の話題がなく、生意気な性格も相まって、周りの友だちの子どもっぽい話に入りたいとさえ思えなかった。それよりも、本をよんでいる方がずっとたのしかった。休み時間と放課後は図書室に寄るのが習慣だった。図書室は小さな部屋と大きな部屋に分かれていて、小さな部屋には絵本や図鑑が並び、大きな部屋には小説や伝記が並んでいた。私は大きな部屋が好きだった。そこにある大きな窓から差し込む日差しが真っ白な壁に反射して、いつも2-3人しかいないその静かな空間は光に包まれていた。教室とはかけ離れた、ちょっと夢の中のようだった。下校するときには、5-6冊抱えて家に帰った。分厚い本も多く、背丈の1/3くらいまで積み上げられた本を落とさないように、しっかりと抱えた。お気に入りは海外の伝記や江戸川乱歩の「少年探偵団」シリーズ。母はいつも、その姿をみて「今日もたくさんよんですごいね」とかならず褒めてくれた。それが心底うれしくて、絶対に本をランドセルには入れず手で抱えて帰った。「ズッコケ三人組」や「赤毛のアン」、「ファーブル昆虫記」……知らない世界に出逢える興奮、大人になったら出逢えるかもしれない期待、小学生の私には充分すぎるほどのわくわくとした感情を本は教えてくれた。

家で本をよむときは、母が手作りのお菓子を出してくれることが多かった。お気に入りはチーズケーキとアップルパイ。チョコレートでデコレーションされているものよりも、チーズだけ、林檎だけの飾り気のないシンプルな味が好きだった。そんな可愛らしくないところも、同級生の女の子と合わなかったんだと思う。でも、まだ子ども。強くはない。友だちができない自分は、欠陥品なのではないか? 自分だけ変なのではないか? このままずっとひとりなんじゃないか? 教室という場所がすべてだった幼いころ、その世界はあまりにも狭く、次第に学校に行くのが億劫になった。

それは小学校一年生のとき。「好きじゃないなら、無理に友だちをつくらなくていい」と突然母は言った。お菓子を食べながら、母親は編みものをしていたと思う。上手に隠していたつもりの違和感に、母はなぜ気づいたのだろう。そのひと言は痛烈に響き、わたしはなにかから解き放たれた。「こうあるべき」にとらわれなくていい。誰かと違っても、自分の好きなものを好きでいい。わたしは誰かに肯定してもらいたかったんだと初めて気がついた。それから、帰り道が同じという理由だけで誰かと一緒に帰るのをやめた。本をもっと借りるようになった。周りにどうみられても、好きなことをしようと決めた。母の心境を思うと、胸が苦しくなる。決して簡単に言った一言ではなかっただろう。ひとり、下校する子どもの姿はいたたまれなかっただろう。それでも母は、私が本を持って帰ってくることを褒め続けた。

母といる時間が増え、私は母の本や雑誌もよむようになった。特に雑誌が好きで、「non・no」や「オリーブ」のページを繰り返しめくった。原色カラーのワンピースや大きな帽子、大ぶりのアクセサリーや真っ赤なリップ。まるで物語から出てきたかのような美しい格好に惹かれ、早く大人になりたいと思った。いつか特集されていたのが、オードリー・ヘップバーンだった。「オードリースタイルになろう!」と題された特集には、彼女を象徴する『麗しのサブリナ』のサブリナパンツや、『ティファニーで朝食を』の黒いドレス、『ローマの休日』の白いシャツにスカーフ姿の彼女の写真が載っていた。美しくも気品のあるたたずまいに、わたしは一瞬で射抜かれた。父と母に話すとオードリーが出演する映画を観せてくれた。1本目は『昼下りの情事』。そして2本目が『マイ・フェア・レディ』だった。訛りのある下層階級の花売り娘が、言語学者のヒギンズ教授によって一流のレディへと変貌していくミュージカル映画。「変わっていく」ことを受け入れながら、決して信念は「変わらない」。芯を持ったひとりの女性の生き方に強くはげまされた。周囲に「無理だ」とバカにされてもへこたれずに、なりたい自分と真摯に向き合う。誰になんと言われようと、自分の人生は自分のもの。自分で人生のひとつひとつを、選択するしかない。きらびやかな世界で前を向き、自分の信じたものを貫くオードリーの姿はとても美しかった。自分の信じた好きなものを好きでいい、わたしは間違っていないと肯定してもらったような気がした。

母にお願いをして、オードリーの下敷きを買ってもらった。モノクロ写真の彼女は髪が夜会巻き風にきれいに整えられ、耳にはパールのイヤリングが光っていた。わたしは透明のビニールカバーをかけて、とても大切にランドセルに入れて毎日小学校に持っていった。オードリーの本もよむようになった。彼女は「大人になっても、おとぎ話をよむのが、いちばん好きよ」と話していて、なんだか同じ趣味の友だちを見つけたような気がしてうれしかった。やっぱり心のどこかではさびしかったんだと思う。「友だちがいなくたって、いいもん!」とは開き直れず、オードリー・ヘップバーンの話や本の話をできる友だちがいたらいいのに、と空想を膨らませて図書カードの名前を見返して知り合いを探したこともあった。でも、そんなにうまくはいかない。しばらくわたしの友だちは本や映画や母親だった。帰ってきたら本をよんで、夜に家族と映画をみて、また新しい本を借りて、親に映画を教えてもらう。家に帰るとたくさんの友だちに囲まれ、新しい扉が次々と開かれていくような日々は、それはそれで楽しかった。だから、中学生のとき、学期の途中で趣味がよく合う転入生が海外からきたときは救世主のようでうれしかった。今でも大切な友だちだ。そうしてわたしは徐々に、好きな友だちが増えていった。

自分らしく、好きなものを好きでいようと決めた時間はわたしの芯となった。ときめくよろこびに気づかされ、それは仕事としてわたしの生きていく道となった。だから、はてしなく続く、なにを信じていいのかわからない日々につまづきそうなときこそ、教室という狭い世界から飛び出して、本や映画の中に友だちを探してもいいとわたしは思う。きっと、自分は間違っていないと肯定できるような出会いがそこには待っているから。

FEATURED FILM
監督:ジョージ・キューカー
出演:オードリー・ヘプバーン、レックス・ハリソン
1964年度アカデミー賞で、最優秀作品賞を含む8部門を受賞したミュージカル映画。ロンドンの街で花売りをしている娘イライザは、仕事と趣味が音声学だというヒギンズ教授のレッスンを受けることになった。
PROFILE
ライター
羽佐田瑶子
Yoko Hasada
1987年、神奈川出身。映画会社、訪日外国人向け媒体などを経て、現在はフリーのライター、編集。PINTSCOPEの立ち上げから参加。関心事はガールズカルチャー全般。女性アイドルや映画を中心に、マンガ、演劇、食などのインタビュー・コラムを執筆。主な媒体はQuick Japan、She is、テレビブロス、CINRA、ほぼ日など。岡崎京子と寅さんと女性アイドル、ロマンチックなものが好きです。
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