目次
「今の自分で本当にいいの?」
映画が私に訴えかけてきた
― キョンさんは、ある一本の映画に出会い、大きく人生が変わったそうですね。その映画は、監督と主演をベン・スティラーが務める『LIFE!』です。そのコピーは「人生を変える、壮大な旅が始まる!」「生きている間に生まれ変わろう」! まさに、ですね。
キョン : この映画を観る前に予告編も観ていたのですが、そのコピーが全てその時の私に刺さりまして。
― ほほー、では実際にコピーを確認してみましょう。「毎日同じ生活を繰り返していますか?」
キョン : 刺さるー!!(当時のキョンさんの心情を、ご自身で再現中)
― 「仕事で失敗をしたことはありますか?」「自分に自信をなくしていませんか?」「空想することはありますか?」「自分を変えたいと思いますか?」
キョン : …ビシビシきますね…!!(笑)。観た後「今の自分はダメだー…」って落ち込みました。
― 予告編の時点で、既に「これは私に訴えかけてる!」と思ったんですね(笑)。その頃のキョンさんは、どんな生活を送っていたのですか?
キョン : とにかく仕事が忙しくて、家に帰るのは深夜の2〜3時。帰ってもシャワーをして寝るだけ。そして朝起きて会社に行く。毎日それの繰り返しでした。
― お休みの日は?
キョン : 週末は録画しておいたアニメをひたすら見ていました。私はアニオタ、声優オタ、ゲーマーなので、それが日本に留学した理由のひとつでもあるのですが(キョンさんは中国広東省出身、2008年に来日)、それだけを楽しみに過ごしていて。そして夜は自転車で近くの映画館に行って、ポップコーンのLサイズとコーラを手に、レイトショーで2本ぐらい映画を観る。週末はその繰り返しですね。だから、会社→家→アニメ→ポップコーンが毎週のルーティン。
― たくさんの映画を観ている中で、この映画のキャッチコピーが刺さったということは、この生活のままではいけない、と感じていたと。
キョン : 今振り返ると、その時は精神的にすごく疲れていて、人生を離脱するかどうかのギリギリのところまで来ていたと思います。「会社を辞めた方がいいのではないかな…」とも、正直思っていました。でも、ゲームとアニメさえあれば生きていけるから、まだ大丈夫かなー…と。現実を直視しないで紛らわせていたんです。
― そんな時に『LIFE!』という映画に出会ったんですね。
キョン : 予告編が良かったのと、友達に誘われたというのもあって、映画館に観に行きました。そしたら、もう号泣(笑)、友達が「…大丈夫?」って心配するほどに。あのアフガニスタンの高山のシーンで、もう涙ダーダーで。
― 主人公のウォルターが、ずっと探していたカメラマンのショーンを山の中で発見するシーンですか。
キョン : 二人が出会った後、現地の人とサッカーをするシーンがあるじゃないですか。夕日の逆光の中、サッカーを楽しむ皆んなのシルエットが、何もない山に映し出されるんです。その光景が美しくて美しくて。物語ではなく、映像そのものに感動したのは、それが初めてかもしれない。
― その美しいシーンを観て、一気に涙が溢れてきたと。
キョン : そう、そのシーンが「あなたは、部屋に引きこもっているだけでいいの?」と私に訴えかけてきたんです。もしかしたら自分も一歩外に踏み出せば、この美しい光景を見られるのかもしれないって思いました。
ノルウェー雪山から
私の物語が始まった。
― 『LIFE!』を観る以前も、キョンさんは映画館に通って、たくさんの映画を観てきたわけですよね? 他の映画と『LIFE!』は何が違ったんですか。
キョン : 映画の中の主人公は、まるで自分を見ているようでした。
― なるほど。
キョン : 彼の生活には仕事しかなくて、毎日同じことの繰り返し。ソーシャルライフもそんなにない。彼にとって唯一の刺激は、妄想の世界でした。
― 主人公のウォルターは、しばし現実の中で妄想にふけり、それが現実世界と混ざり合うように映画では表現されていますね。想いを寄せる同僚を、スーパーマンのように助けるなど。
キョン : 私も同じです。二次元のイケメンに「ステキ〜!」と陶酔する。それ以外は、残業、深夜帰宅、シャワー、寝る、起きるといった変わりのない生活。刺激のない生活。彼にとって妄想が唯一の刺激だったように、私もフィクションの世界に浸ることが唯一の刺激だった。仕事は違うけれど、彼と私は一緒だと感じたんです。
― 映画の中のウォルターと自分が重なったんですね。
キョン : 主人公が「変わろう!」と決意を固めて一歩を踏み出す瞬間の心情も、とても理解できて。
― 主人公が冒険に進むことを決心する瞬間が、映画の中で繰り返し描かれていましたね。
キョン : 困難がたくさん訪れるであろう道が目の前にあった時、そこに「踏み出す」のか「引く」のか、誰だって悩みますよね。彼は、最初「引く」んです。でも、いろんな人の励ましを受けて、「自分はそれでいいのか?」と大きな一歩を進み出します。私も、そういう時は引いてしまうタイプ。でも映画を観て、この一歩こそが大事なんじゃないかと思いました。
― 日々を、なんとなくやり過ごしていてはダメだと。
キョン : 今までは、毎日満たされてはいないんだけれど、それは仕方ないことと思い込んでいた。でも、もう少し自分の手で人生をつかんでいかなきゃいけないと思ったんです。とはいえ、いきなり主人公のようにグリーンランドに行くことはしませんでしたが…でも、いつかは行きます!
― (笑)映画を観た後、キョンさんに変化はありましたか?
キョン : 「アウトドアの服を買ってみようかな?」「ランニング始めようかな?」と、引きこもっていた部屋から一歩出るようになりました。ランニングとか高尾山に登るとか、少しずつ外にベクトルが向かっていったんです。
― 写真にベクトルが向かったきっかけは?
キョン : 実は25万もかけて買ったカメラが、家に眠っていて。使わないからネットオークションで売ったのに、見事に売れませんでした(笑)。で、北海道に旅行するタイミングがあったので、そのカメラも持って行って、雄大な自然を写真におさめようかなと。
でも、できあがった写真を見ると、私が見たものとは全く違った。私の感動が伝わる写真ではなかったんです。そこから、私が感じたものを人に伝えられるように写真を学ぼうと思いました。まずは関東圏から巡って撮影していきました。印旛沼、九十九里浜、富士山の見えるところ。
キョン : 次はもう少し遠くの、長野、福島、滋賀、熊本、と少しずつ距離を伸ばしていきました。そんな中、親と中国の桂林を旅行することになったんです。
― この写真を撮ったときですね。
キョン : この壮大な景色を前にして、心底「生きてて良かった!」と思えたんです。「上司のことなんて、ど〜うでもいい!!!」と(笑)。仕事の悩みとかが本当にちっぽけに思えて。そしたら、急に「この光景を見たことがない人のためにも、未知なる世界を自分の足で歩いて、カメラでとらえるんだ!」と使命感が湧いてきました(笑)。
そしてついには主人公ウォルターのように、ノルウェーの高山に登って写真を撮ることにしたんです!
― えっ、ノルウェーですか!? また、なぜノルウェーに?
キョン : 私の憧れのマウンテンフォトグラファーMax Riveという人がいるのですが、彼がノルウェーで開催するワークショップに参加することにしたんです。自分から連絡をとって、「ぜひ一緒に旅をさせて欲しい」と頼みました。
― おお!自分から?
キョン : そう、「あなたは何でこんな写真を撮れるの?何を考えてシャッターを切ってるの?あなたのストーリーを聞かせて!」って。それでそれを確かめに、ノルウェーのロフォーテンにある雪山に8日間。今までの人生で一番ショックを受けた時間でした。
― 今まで引きこもっていた部屋とは、全く世界が違いますよね。
キョン : 私は雪山に登ったことがなかったので、その時は、カバンに8日分の服とドライシャンプーも入れて行きました。そしたら、彼が「何しにきたの?」って(笑)。彼は身なりなんて気にしてなくて、とにかくいい写真が撮りたいというだけ。私と比べるのもおこがましいけれど、覚悟が雲泥の差だったんです。
― 1歩どころか、1万歩踏み出してみて、どうでしたか?
キョン : この旅行での光景が、帰りの飛行機の道中ずっと頭の中に流れていました。Max Riveとは、今やすっかり親友になって「次も雪山に一緒に行こう! あなたのヘトヘト姿をもう一回みてみたい(笑)」とよく冗談にされるほど。私は今でも、ノルウェーのオーロラが舞う星空の下、彼がグリーンランドの山に3ヶ月探検した話やネパールのヒマラヤに出会った物語を楽しく語る姿が鮮明に残っているんです。
あと、そのワークショップには、私の他に60代ぐらいの冒険家が2人参加していたんですが、みんな自分の中に達成したいことがあった。自分の行きたいところに向かって人生を歩んでいたんです。そのみんなの姿を帰りの飛行機で思い出しているとき、『LIFE!』のBGMが頭の中に流れてきました。
― 「いろんな人と出会いもっと分かり合おう きっとそれは本当の人生を生きる喜びだから」という『LIFE!』のコピーが思い出されます。キョンさんが主人公の物語が始まった瞬間ですね。
キョン : 私も自分の中に追求したいことを見つけたい。そして、それを極めたいって思いました。その旅で撮影した写真を友達に見せたら「あの金時山を5時間かかっても登れないあなたが!?」って驚いていましたよ(笑)。
未知の自分に出会わせてくれる
「旅」と「映画」という体験
― 人生が変わったという実感がありますか?
キョン : 鬱になって会社に来なくなった同僚がいました。もしかしたら、自分もそうなっていたかもしれない。でも、私はそのタイミングで映画を観て、カメラに出会って、人生が変わりました。「生きててよかったなー」って。この旅は、未知の世界を求めながら、未知の自分を発見していく過程なのかもしれません。
― 今までキョンさんがフィクションの中に求めていたものを、今は実世界に求めているのかもしれませんね。
キョン : …そうですね。そういえば、『アバター』(2009)の舞台になった中国の張家界でも今回撮影を行ったんですが、本当にアバターたちが暮らしているのでは?と思うほど、異世界のような美しさだったんです。そのとき、「映画」と「旅」で得られる体験っていうのは、私にとっては同じようなものなのかもしれないと思いました。
― 2018年、キョンさんは世界6カ国を周り、そこで撮ったものも含めた写真をおさめた写真集を発表されました。
キョン : 周ったのは、ロシア・アメリカ・ニュージーランド・カナダ・インドネシア・中国ですね。全部有休を使って、仕事の合間に撮影しました。
有休・代休などをフルに使って、スケジュールを計算しつくして組んだんです。来年の有休もすでにスケジュールが埋まっています(笑)。あと、今の社会の流れも後押ししてくれていて、今年「インプットホリディ」という休暇が会社にできたんです。それを社内で一番喜んだのは私だと思う。
― やりたいことがあれば、できないことはないんですね。キョンさんの働き方と活動に励まされる人は多いと思います。体力的に大変ではありませんか?
キョン : 金曜の夜に会社から直接空港に行って、目的地に飛んで、月曜の朝直接空港から会社へということもあるので、確かに帰ってきた日は現実世界に適応するまで時間が必要なことも(笑)。でも、仕事のモチベーションは上がりますね。
今回の写真集のカバーに使った写真のタイトルは「Soul of Baikal(バイカルの心)」といいます。他にも「Fairy Wing(妖精の羽)」や「Ice Lady(氷の貴婦人)」というタイトルの写真も。美しい風景に出会った時、そこで自分なりの物語が生まれるんです。映画を観て培ってきた想像力がすべて、写真に反映されていると思います。
― カメラと共に世界を冒険するのが、楽しくて仕方ないといった感じですね。
キョン : 今は、未知の風景を写真に撮りたくて仕方ない、そういう所に行きたくて仕方ありません! でも、映画『LIFE!』を観る前の自分だったら、ロシアのバイカル湖に行くという発想自体が出てこなかったと思います。カナダの雪山なんて絶対行かなかった(笑)。少しずつ、今までの人生と違う道を歩むことができているという実感があります。
キョン : 私が映画や旅で、イマジネーションを広げていったように、この写真集も見た人の想像力をかきたてる存在であればいいなと。私にとっての映画のように一歩を踏み出す、人生を変えてみようと思うきっかけになれば嬉しいです。
そして、仕事の悩みがある人は、一度山の上に登ってみてください、吹っ飛びます。オススメですよ(笑)。