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「わあ、この映画大好き!」と、心から揺り動かされる映画に出会える幸福感ってありますよね。そんな映画に出会えたとき、「この映画は、いったいどんな人たちの手をへて、わたしの目の前まで届けられたのだろう?」と思うことがあります。
きっとわたしが観たときの興奮以上の熱量をかけて、この映画に関わった“とんでもない人”が大勢いるに違いない。人が理屈を超えて並々ならぬ情熱を傾けるとき、そこには、きっとおもしろい物語が眠っている気がするのです。
題して、「愛しちゃったのよ」。
この連載で取材すべき人を探していたところ、何人もの人から「最適な人がいる!」と名前があがった方がいます。それは、無名の俳優ばかりを起用し、その年の映画賞を席巻した映画『恋人たち』(2015年)プロデューサー・深田誠剛(ふかだ・せいごう)さん。映画のプロデューサーとは、映画の企画から資金調達、宣伝、公開まで、映画製作の全プロセスに関わる総合責任者。深田さんは、「制作過程に次から次へと訪れるトラブルを、監督やスタッフたちと知恵を出し合い一緒にひとつひとつ乗り越えていく仕事」と表します。橋口亮輔さんが監督した『恋人たち』も、その言葉どおり、数々の試練を乗り越えて公開までこぎつけたそう。
監督に寄り添い、時には鼓舞し、映画を完成まで運ぶ映画プロデューサーという仕事に就く、深田さんの予想を遥かにこえた情熱のエピソードを伺いました!
脚本を初めて読んだ瞬間から
「これはいい映画になる!」と確信した『恋人たち』
「監督が書き上げた『恋人たち』の脚本を初めて読んだとき『これはいい映画になる!』と確信しました。企画が立ち上がってから脚本が完成するまでに1年かかりましたが、その分、完成度は僕が今まで携わった映画の中で一番高かった。すごい脚本だと思いました。橋口さんは、映画監督である以上に、芸術家だと思います。映画を“つくり出す”というより、“産み出す”という感覚に近いのではないでしょうか。」
橋口監督はある授賞式でこの映画について、このように語っています。「前作の公開後、僕は人生のどん底を経験したんですが、そんな私の元をプロデューサーはお弁当を持って通って、『橋口さん、映画つくりましょう』と言い続けてくれた。」脚本が完成するまでの間、深田さんと後輩プロデューサーの小野仁史さんは、橋口さんのご自宅に通いつめたそうです。「この演出、すばらしいよねぇ」などとお互いが好きなテレビの特撮ヒーローものを観ながら、他愛のない話だけして帰ってくる日もあったとか。
「橋口さんと映画をつくるということは、“普通の映画”をつくるようにはいかない。脚本も、橋口さんの気持ちが動くまで待つしかない」と、深田さんは語ります。深田さんが、橋口監督のことを、そこまで信じきれる理由はどこにあるのでしょうか。
「橋口さんのことを、人間的にすごく好きだからかもしれません。橋口さんはとにかくピュアで、駆け引きをしない人です。表現者ですからもちろん個性は強いけれど、根がいい人だし。ウマが合うというのもあると思います。僕は映画をつくる上で、どんな人とつくるかということが、企画の内容よりも大事かもしれないですね。」
たくさんの人たちの汗と涙の結晶である映画を
“モノ”のように感じたくない
『恋人たち』は、苦悩を抱えながら生きる男女3人の世界を描いた群像劇です。『モテキ』(2011年)などの監督作をもつ映像ディレクターの大根仁さんは「僕が自ら映画監督を名乗らないのは、橋口監督のような人がいるからです。こんな映画をつくる人と自分が同じ職業なわけがない!」と、この映画にコメントを寄せています。橋口監督は、映画業界で働く人の間でもファンが多いことで知られていますが、同様に深田さんも橋口作品の大ファン。この映画のすべては、深田さんの橋口監督がつくりだす映画への深い愛から始まったのです。
深田さんは映画プロデューサーに就く前、映画を中心に扱うCS放送チャンネルの編成の仕事をしていました。放送する映画を調達し、プログラムするお仕事です。毎月100本以上の映画を買い付け、プログラムするうちに、だんだん映画を“モノ”のように感じる自分に気づいた深田さん。
この映画一本一本には悲喜こもごものいろんなドラマがあるはずで、映画を届ける仕事に携わるかぎりは、そういう映画づくりの過程を知る必要があるのではないかと思い始めます。深田さんは編成の仕事の傍ら、映画の製作に関わるようになりました。
本来の業務と並行して、知人の企画の立上げや出資社探しに協力を始めた頃、橋口監督が『ハッシュ!』(2001年)を撮り始めることを知ります。深田さんは、どうしてもその映画に関わりたいと強く思い、自身が働く会社に掛け合って、出資を取りつけることに成功します。それから撮影現場に足を運ぶうち、橋口監督の自宅で催される飲み会に招待されるまでの仲になっていったそうです。親交を深めれば深めるほど、橋口監督に魅了されていったと深田さんは語ります。
深田さんは、橋口監督はじめ様々な映画に自主的に関わっていく中で、ある想いを強く持つようになります。それは、「監督が本当に撮りたいと思う映画をつくりたい。」という想いでした。
グループ会社の本社で社長秘書を経て、その後、映画の企画をする部門へと異動し、映画プロデューサーの仕事に就きます。しかし、自分の理想とする映画づくりと、会社から期待される仕事とのギャップに悩み、ついには映画づくりに限界を感じてしまったという深田さん。「これが映画づくりというなら、自分にはできない!」と上司に率直に伝え、「会社を辞めよう」と決意したそうです。
その話を耳にした社長から、「君のやりたいことはいったい何なんだ?」と問われた深田さんは、想いのたけを話しました。そのとき語った構想が原型となり、低予算・作家主義・俳優発掘というテーマを持った「オリジナル映画プロジェクト」と発展していきます。そして、そのプロジェクトを行うための新しい部門を、何人かの協力を得て、現在深田さんが所属する会社のイベント事業室として立ち上げることになりました。そこで製作したオリジナル映画プロジェクトの第二弾が『恋人たち』です。
人の役に立ちたい
それがプロデューサーを続けている理由
最後に、深田さんが求めている理想の映画づくりを、新藤兼人監督の『裸の島』(1960年)を例に出し、お話しくださいました。
『裸の島』は、瀬戸内海の小島・宿禰島でスタッフ・キャスト含めて15人で合宿をし、撮影されたそうです。予算がなくてスタッフが少ない分、役者も自分が演じていない時はレフ板も持って手伝うなどして、1ヶ月という時間をかけて製作されました。
そんな「役者もスタッフも垣根のない、時間をかけた映画づくり」が夢であり、目指すべき場所と深田さんは言います。どのようなシステムであれば、日本でそれが実現できるのか探求していると、静かにその情熱を語られました。
「この間ある人から、『深田さんは低予算映画が好きなんですよね?』と皮肉交じりに言われたんです。でも実際、そうなのかもしれない(笑)。もともと自主映画みたいな映画が好きなんです。そこに映画の原点があるような気がして、そういう映画を観ると愛おしい気持ちになります。僕は映画づくりに執着しているわけではないのですが、映画に関わる人、監督だけでなく、スタッフ、俳優含めて、すべての人が好きなんです。その人たちに“関わりたい”“役に立ちたい”という単純な想いが、今の仕事のモチベーションになっているんだと思います。新人監督や無名の役者さんでも、自分が『いいぞ』と思う人たちには世に出るきっかけをつくってあげたい。才能のある人を世に出すお手伝いがしたいんです。」
普段からおもしろい若手監督を新しく発見するたび、社内で有志を集めてDVD上映会を開いているという深田さん。最近はある日本の若手監督がつくったゾンビ映画に注目しているそうで、その監督を知らなかったわたしたち編集部に対し、深田さんは目を輝かせて「彼はきっと世に出ますよ!」と映画青年のような笑顔で熱弁してくださいました。
「いまだに映画プロデューサーの仕事って具体的に何なのかわからないのですが、映画づくりは突き詰めると“人間関係”なんだと思います。監督とプロデューサーが信頼関係を築けてさえいれば、どんなトラブルでも乗り越えると信じています。監督だけでなく、映画づくりをとおして信頼関係を築けた人と、また次も仕事をしたい。だから、橋口さんと『恋人たち』という映画でしっかり関われたということは、僕にとって財産ですし、この映画はとても“幸せな映画”だったなと思います。」