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抗えない変化と、どう折り合いをつけるのか?
― 移動しながらの写真撮影お疲れさまでした。シアター・イメージフォーラムからこの渋谷駅近くにある取材場所まで、お二人と一緒に歩いてきたわけですが、渋谷は100年に一度と言われる大規模再開発が行われており、目まぐるしい街の変化を体感する時間でもありました。
― 山下さんが支配人を務めるシアター・イメージフォーラムは、「新しい映像」と「人」を結び付ける「映像の広場」として、四谷にあった上映施設から現在の渋谷の場所へ移転し、2000年にオープンした映画館です。
― 長年に渡り、色んな形で作家を育て続けているイメージフォーラムの映画館で、田中さくら監督の短編映画『夢見るペトロ』『いつもうしろに』の2作が同時上映されます。
― 田中監督は、シアター・イメージフォーラムで上映が決定した際のコメントで「大好きな映画館の歴史の一部になれるなんて、こんな幸せなことはありません」とおっしゃっていましたね。
田中 : 私、『ノベンバー』(2017)という映画を、シアター・イメージフォーラムで観たことがあるんです。閉ざされた村の物語なんですけど…、渋谷の喧騒を離れた場所にある無骨な佇まいの映画館で、この作品を観たことが忘れられなくて。
山下 : エストニアの映画ですね。
田中 : エストニアですか…。
― 『ノベンバー』は、「死者の日」を迎える11月のエストニアを舞台に、不思議な純愛の行方を幻想的なモノクロ映像で描いたダークラブストーリーです。
田中 : その日すごく天気が良くて、秋晴れっていう感じだったんですよね。銀杏の葉っぱがぶわぁって散っていて。
その「映画館に行って、映画を観て、お家に帰る」という行程も含めて、「イメージフォーラムでの映画体験」として印象に残ってます。
― 観た映画だけでなく、その行程も含めて記憶されてると。
田中 : 東京にはそこまで長い期間住んでいたわけではないんですが、シアター・イメージフォーラムで上映される作品のラインナップを見て、やっぱり東京は違うなっていうのを素直に感じました。近くにそういう映画館がある嬉しさってありますよね。
「こういう映画がある」ということを教えてくれる、自分の世界を広げてくれる映画館が、行きたい時に行けるところにある嬉しさが。
― 私も、昨年シアター・イメージフォーラムのジョン・カサヴェテス特集で観た『ラヴ・ストリームス』(1983)が忘れられない映画体験でした。スクリーンに映る主演のジーナ・ローランズの大きさに圧倒されたんです。映画館で観てよかったなと。
山下 : わけわかんない映画ですよね。わけわかんないけど、いいっていう。私はカサヴェテス監督の映画で最初に観たのが『こわれゆく女』(1974)でした。当時、シネ・ヴィヴァン六本木で特集上映されてたんですよ。
山下 : 97年…もっと前か、92とか3年ぐらいですかね(※)。その時に、観てショックを受けました。その、役者が役者じゃない、生々しい「人」として映し出されている。こういう映画があるんだって思いました。
※1993年に「カサヴェテス・コレクション」としてシネ・ヴィヴァン六本木で上映
― 私は、カサヴェテス特集が6月24日〜8月18日という長い期間に渡って上映されていたので、見逃さずにすみました。シアター・イメージフォーラムではひとつの作品をある程度の長い期間上映しているのも、他の映画館とは違う特徴ですよね。
山下 : それは心がけていることです。自分が観客の立場になった時、観たいと思ってたのに終わっていたということが結構あると感じていて。
あとは、作家をプッシュしたいということもあります。
― 今回の田中監督の企画上映は、山下さんが『夢見るペトロ』をご覧になって決まったと伺いました。
山下 : 田中監督と同世代である20代半ばぐらいの人の「人との距離感」や「時間の感覚」が表現されている作品だと思ったんです。イメージフォーラムでは、新しい作家やその世代の表現を届けたいという理念があります。そういう意味でも田中監督の作品にすごく可能性を感じました。
もちろん、作品自体も良くて、引き込まれました。空気感は自由で広がりを感じる一方で、画や音など作品全体のトーンはすごくしっかりしている。それがマジックリアリズム(※)的な不思議な感覚のお話にフィットしていると感じたんです。
※神話や幻想などの非日常・非現実的なできごとを緻密なリアリズムで表現する技法
― 『夢見るペトロ』は、田中監督が大学在学中に自主映画制作サークルでつくられた32分の短編映画です。主人公・さゆり(紗葉)のもとに、飼っていたインコのペトロを失くした兄・りつ(千田丈博)が訪れ、兄の結婚という現実から目を背けるように過去や幻想へ沈み込みながらも、少しずつ前に向かうさゆりの姿が描かれます。
山下 : 「変化を受け入れる」ということが描かれているように感じました。それは、いまを生きる人全員に通ずることで。変容しないと生きていけない。それを映像的に伝えている作品なんです。
多分、田中監督の個人的な経験が反映されているんだろうなと思うんですが、それが誰にとっても自身の体験と重なるような「普遍的なもの」として描かれていました。
― 観る人の経験と結びつくと。
山下 : そうですね。イメージとして伝わることで、観てる人の想像力に入り込むことができる。それは、映画ならではなのかなと。
田中 : 『夢見るペトロ』は、大学3年生ぐらいの時に脚本を書いていたんですが、自分が「喪失」に対して折り合いをつけないといけないのに、つけられないっていう状態にいたんです。
田中 : 大学の卒業が迫っている時期で、その1年前に愛犬が亡くなって、ずっと立ち直れずにもいて。気持ちを整理しようとしていました。
― そうだったんですね。
田中 : 卒業って、人生で何度も経験してきたはずなんですけど、そのたびに無慈悲というか、無機質に「終わり」がくるのは慣れなくて。
楽しかった生活が終わり、大切な人との決定的な別れがある中で、言いたかったことや言えなかったこと、そんな色々な想いと、どうやって折り合いをつけていけばいいのかを考えていたんです。
― 自分ではどうすることもできない「喪失」に向き合いながら、脚本を書いていたんですか。
田中 : 変えたくなくても変わってしまうことと、変わりたくても変わらないことと…うまくいかないなって思うんですけど。そういうことを感じる中で、「変わらない」ということは、「社会の変化にアジャストしながら変わる」ことなんじゃないかと考えるようになりました。
「変わらないこと」は、「変わっていくこと」でもあるのかなと。
― なるほど。「変容」とは「変わらないこと」でもあると。
田中 : ベルナルド・ベルトルッチ監督の映画は、数年間から長い年月を描いたものまでありますが、作品を観ているとそれを感じるんです。
― 『暗殺の森』(1970)や『1900年』(1976)、『ラストエンペラー』(1987)など、ベルトルッチ監督の作品は、時代の波に翻弄される登場人物たちを描くことで、歴史や時間の流れそのものに踏み込んでいます。
田中 : 例えば『ドリーマーズ』(2003)のように、ある日突然変えられてしまうこと、どう抗っても変わってしまうことが、生きているとあるじゃないですか。
― フランス人の双子の姉弟とアメリカ人留学生の青年、3人のティーンエイジャーが、5月革命に揺れるパリの街頭の喧騒をよそに、アパートに閉じこもる頽廃的な日々を描いた青春映画ですね。
田中 : ずっと3人で家の中にこもることを望んだけれど、社会の動きが部屋にダッとなだれ込んできて、一気に3人は外に出ていくことになる。そういうことが、生きているとあるなと。
ずっとこのままがいいけど、ある日突然変わってしまう。そういう抗えない変化と折り合いをつけて向き合いたいという気持ちが、自分にはありますね。
「現実世界じゃない世界」に救われる感覚
― 「抗えない変化と向き合いたい」という田中監督の言葉を聞いて、山下さんはどう思われましたか?
山下 : 田中監督の人間性なのか、世代的なことなのかわかんないですけど、柔らかいなと思いました。
自分が田中監督ぐらいの年齢の頃は「変容」に柔軟でなく、もっと頑なだったなぁと。こういう風に「受け入れる」形を描けるのは大人だなと、尊敬します。
田中 : (笑)。
山下 : これは自分の中のテーマでもあって。
― と言いますと?
山下 : 私ぐらいの年齢になると、新しいものを受け入れにくくなったり、考え方がだんだん固まってきてしまったりして、「変わらない」ことが別の形で見えてくるタイミングだと思うんです。周りの人を見ても思うことがあります。
山下 : 特に男性で歳を重ねてくると、気になってきますね。映画についての考え方もそうだと思いますけど。
― 映画の在り方はこの数年で大きく変化しましたよね。
山下 : やっぱり人って、だんだん同じ方向に向かってしまいがちなので、生き方も含めて、意識的にオープンになっていかなきゃいけないなと思うんですよ。
田中監督の作品は、変容に対してオープンな姿勢をとってる作品なのではないかなと。
― 田中監督は、今回上映される『いつもうしろに』のコメントで、「今の自分も、そして昔の自分も圧縮して、苦しい思いをしている人の心に寄り添うような、ホットミルクのような映画をつくりたい」とおっしゃっていましたね。
田中 : 痛みって、時間の経過と共に無化されるというか、ならされがちじゃないですか。「時間は一方通行」っていうルールの中で生きてるけど、そうじゃないルールが存在する世界があることを知ってもらえたら嬉しいと思っているんです。「痛いは痛い」し、「辛いは辛い」でいい。
― 『いつもうしろに』は、大学を卒業し、実家を離れ就職することが決まった主人公・ショウタ(大下ヒロト)が、別れた恋人と同じ顔をした女性(佐藤京)と一緒に、過去や思い出たちと出会い直していく姿が描かれています。
田中 : 自分のことがわからなくなる瞬間ってあると思うんです。そういう時に、例えば、ショウタのような自分との向き合い方もあるよって。
『夢見るペトロ』では、主人公のさゆりが、兄と夢の中の幻想的な世界で出会いますが、「出会った後の現実のさゆり」と、「その幻想を見なかったさゆり」では、大きく違います。「現実世界じゃない世界」から受ける影響で、私たちは無意識に変わってると思うんですよね。
― 夢や想像といった「現実世界じゃない世界」から、人は無意識に影響を受けていると。
田中 : はい。「夢の世界」は現実ではないけれど、夢を見た後の「現実の自分」は何かしら影響を受けている。そこへ緩やかに身を任せていいのではないかなと。
山下 : 夢が影響を及ぼすって話は面白いですね。2作とも、作品を通して、観る人の潜在的な感覚とコミュニケーションを取れるような作品でもありますよね。
― 仙頭武則さんが本作に寄せて「フィルムの陰影が、紗葉の輪郭と表情を捉えて離さない、死界映画」とコメントされていましたが、その「現実世界じゃない世界」のイメージは田中監督のどこに由来するのでしょうか。
田中 : どこからなんでしょうか……。この場所すごく知ってるし、ここに行けばあの人がいるんだけど、実際にその人に会ってみたら、なんか違うという夢を結構見るんです。「行ったり来たり」はしてるのかなと。
『幸福なラザロ』(2018)という作品がすごく好きなんですけど、主人公のラザロが過去の華やかな村の生活から都会に出てきて、取り残されてしまう…あの感じなんですよね。
― 20世紀後半のイタリアの小さな村を舞台に、小作制度の廃止を隠蔽する侯爵夫人に騙され、社会と隔絶した生活を強いられていた純朴な主人公・ラザロと村人たちが、ある事件をきっかけとして、初めて外の世界へ出て行き、その後都市で生活する姿を描く作品です。
田中 : 村にヘリコプターが飛んでくるシーンとか、ほんとにゾッとして。なんか、現実ってこういうとこあるよなみたいな。あれも少し似てるのかなと思ったんですけど…。
そうですね、現実が全てじゃない、現実が力を及ぼせないこともある。それぐらいの気持ちで生きていきたいという感じですかね。
山下 : めちゃくちゃいいこと言ったじゃないですか。
田中 : ありがとうございます(笑)。
後編へつづきます。