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繰り返される戦争…混沌の世界を 「それでも生きる」人間の肉体から、何が見える?

森山未來×塚本晋也監督 インタビュー

繰り返される戦争…混沌の世界を
「それでも生きる」人間の肉体から、何が見える?

世界で繰り返されている紛争や戦争のニュースに心を痛めても、それが遠く離れた地である場合、自分ごととして考えるのはなかなか難しい現実があります。私たちは「戦争や平和」を考えるといったとき、何を糸口にすればいいのでしょうか。
戦場の恐ろしさを映し出した『野火』(2014)、人を殺めることの葛藤を通して「生と暴力」の本質に迫った『斬、』(2018)など、映画で「戦争と人間」を描き続けてきた塚本晋也監督ですが、最新作『ほかげ』(2023年11月25日公開)では、戦争によって「奪われたもの」を民衆の目線から描き、平和への祈りを込めたと言います。
塚本監督は、今作ではこれまでにも増して、森山未來さんをはじめとした俳優の肉体に託したものが多かったそうです。戦後に広がる絶望と混沌を描いた今作の中で、森山さんと塚本監督は、人間のどんな姿を見つけたのでしょうか。
ほかげ

「闇市」の混沌に目を凝らすと…何が見える?

今作の『ほかげ』は、もともと「“闇市”企画」と名付けられ、終戦後の日本を舞台に闇市の世界を描く内容を想定していたそうですね。

塚本はい。昔、渋谷駅のガード下で見かけた、傷痍軍人さんの姿がずっと記憶に残っていたんです。今だとマークシティがある辺りですね。「どういう人なのかな?」と子どもながらに感じていて。その隣では敷物の上にガラクタを並べて売っている人がいたりして、当時僕はそのおもちゃを物色して楽しんでいたわけですけど。

塚本監督が初めて実感した“戦争の影”のようなものだったのでしょうか?

塚本今思えば、そうかもしれないですね。僕自身が闇市について直接見聞きしたわけではないんですが、その記憶が、僕の中では何か大事な原風景として残っていて。

闇市の名残を感じさせる渋谷のその場所にも、漠然と惹かれていたんです。その奥には昔何があったんだろうと。教えてくれる人も語ってくれる人もいなかったので、本で調べたりして、闇の奥をだんだん知っていきました。

©2023 SHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER

空襲で家族を亡くした子ども、身体を売ることを斡旋された女性、戦地から帰還した男性など、今作は民衆の目線から終戦後の日本を描いていますね。

塚本闇市というのは、やくざやテキ屋、愚連隊、当時「パンパン」(※)と呼ばれてた女性や戦争孤児など、戦後を生き抜くために様々な人々が集まった、混沌とした場所だったんです。そこに目を凝らした、広大な作品を撮りたいと思いました。

しかし、規模的に実現が難しかったため、小さなところに目を凝らす映画にし、闇市に対する想いは森山さんにお願いすることにしました。

闇市への想いを森山さんの役に託したと?

塚本「闇市」をひとりで体現してくださいとお願いしたんです(笑)。

戦後の混沌を象徴するような闇市を、ひとりで体現してほしいと。

塚本はい。闇市というのは法律の外にあるものなので、基本的には暗いイメージはあるんですけど、戦後を生き抜こうとする人々の欲望が渦巻く、パッションの強い場所なんです。その勢いと元気さみたいなものを、森山さんなら体現してくださるだろうと。

©2023 SHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER

森山僕は、塚本さんから声がかかった、ということだけですぐに飛びつきました(笑)。

塚本ありがたいことです。脚本を書いた背景として、闇市に抱いていた、僕のやりたかった全部の想いを森山さんにお話ししました。

森山さんは、闇市で暗躍するテキ屋の男を演じていますね。

森山キャラクターのバックボーンについても塚本さんといろいろお話しさせていただきました。そこから、髪型を決めたり、衣装や振る舞いを決めたりしていきましたね。

『野火』では「戦争という極限状態の中で変貌する人間」を、『斬、』では「“人を殺めること”への葛藤」を描いていましたが、終戦後の日本を舞台にした今作には、戦争に近づいている現代への「問いかけ」や「祈り」も込めたそうですね。

塚本この映画を準備しているときに、ちょうどロシアのウクライナ攻撃が始まったんです。あのロシアの攻撃は、今までの自分が考えてきた戦争…これまでの歴史を踏まえた「戦争」と比べると、「このやり方はないんじゃないか」と思うもので。

「この時代に、こんなに“恐ろしい戦争”が起こるのか?」という信じがたい戦争が始まってしまい、底が抜けたように感じて、絶句したんですよね。

森山過去の戦争のような情報統制が今はできないからですよね。昔は、マスメディアを通した発信でしか戦争を知ることができなかったから、政府はプロパガンダとか大義名分によって戦争の意味合いをつくることができた。

でも今は、SNSなどを通して世界中の誰もがリアルタイムで戦争の状況に触れることができる。だから、ロシアによるウクライナ侵攻に、大義名分がないことが露骨にわかってしまう。

©2023 SHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER

ロシアによるウクライナ侵攻が始まった同月、プーチン大統領は戦争するつもりは「ない」と言っていましたが、SNSなどで、侵攻の前から軍事車両の動きがあったことが拡散されました。

森山イスラエルとパレスチナの戦争に対するアメリカの介入とかも、いろんなことが露骨に見えてきてしまって、もう宗教上の争いでもなんでもないなと。そういうものが、露呈しすぎてるのかなと思います。

塚本そうですね。その露呈したものが、かなり怖いです。

森山それでも戦争をやる、という怖さですよね。

塚本日本もペースを落とすことなく「戦争ができる」状態へ整備が進んでいますので、恐ろしいです。

『野火』では、戦場にいる人の目線で、戦争の恐ろしさをこれでもかというくらい描いたのですが、今回は民衆の目線で、戦争の恐ろしさを描こうと思いました。今の子ども達が将来戦場に行くことがありませんように、という願いや祈りですね。

ほかげ

森山未來の肉体が体現する「生」

森山なんで僕だけ、名前がついていたんでしょう?

映画に登場する人物たちには名前が出てきませんが、森山さん演じるこのテキ屋の男には、唯一、“アキモトシュウジ”と名前が明かされる場面がありますね。

塚本当時、映画に出てくるような、例えば『火垂るの墓』などのように、戦争孤児の子どもたちはたくさんいて、被害者なのに本当にゴミのような酷い扱いを受けていたんです。

塚本そうして不特定多数のように扱われていた人々にも人生があったんだと、最後に名前を出すことで、ハッとしたような気持ちになってほしかった。自分と同じように名前があったんだと。脚本を執筆していて、“アキモトシュウジ”という名前を書いた時に、ものすごいダイナミズムを感じました。

森山なるほど。

森山さんは、先ほど「塚本さんから声がかかって飛びついた」とおっしゃっていましたが、実際に塚本組に入っての印象はいかがでしたか?

森山いろんな噂は聞いていて。『KOTOKO』(2011)では出演者も含めて4人で撮った話とか。でもそれは金銭的なことだけではなく、監督のこだわりとして、そういう純度で撮っているんだろうと勝手に想像していたんです。でも今回、現場に入ったら「あれ、意外と人が多い」って思いました。「10人くらいいる!」って。

塚本撮影現場には10人もいなかったかもしれませんが…良かった。いつも、もうドキドキなんですよ。「小さい現場ですみません」って(笑)。

森山塚本さんは、現場に携わるスタッフさんも公募して、面接して選んでいらっしゃいますよね。だからこそ、立ち上がってくるものがあるというか。そうすることで生まれる、ある種のグルーヴみたいなものがあって。そのやり方が、塚本さんが持ってる世界観や思想の純度を高めていくんですよね。結局、全てに塚本さんが関わっている、という。

ほかげ

塚本監督は初期の作品の頃から、映画づくりに伴う多くの役割をご自身で担う「自主制作」のスタイルで製作を行い、今作のクレジットにも、塚本監督のお名前の上には、監督、脚本、撮影、編集、製作と多くの役割が並んでいます。

森山脚本の段階から撮影して編集していくにあたって、内容ってどれくらい変わりました?

塚本間とか、編集で多少変わった部分はありますけど、内容はそんなに変わってないですね。

森山ですよね。僕の記憶では、脚本通りに編集されてる映画って、そんなにないんです。多くの人が関わり、それぞれの関係性の発露があるので変容していくものだと思うのですが、今回は、脚本を読んだ時と、完成した映画を観た時のイメージのコアな部分が一貫してるなと。限りなく順撮りで撮れていたこともあるかもしれないですけど。

いろんな人間とつくっていくことで生まれる化学変化を許容しつつも、コアな部分は一貫して塚本さんがこだわり抜いてるというか。今回で言うと、子どもの視点が塚本さんの視点であり、それぞれが発する言葉が塚本さんの言葉である。そのことが、非常に明確だという印象でした。

©2023 SHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER

今作では、戦後の絶望と混沌の中で、それでも生き延びていく、生きてしまう人間のたくましさが、眼差しや佇まいなど、役者さんの「身体」そのものから発せられていました。特に、森山さんが演じたテキ屋の男から伝わる、ギラギラとした生命力の塊のようなものに圧倒されました。

塚本片腕が動かないという役だったんですけど、川に入って、片手だけで魚を捕らえる姿とかも、本当に肉体性が素晴らしいですよね。森山さんは、僕も目の前で見てみたいとずっと思ってたんです。今回は、一番の特等席で見れました。

森山塚本さんが役者を撮る時、あるいは塚本さんが役者として演じる時に感じる「身体」って、どういうものなんですか?

ほかげ

塚本あぁ。「肉体」と僕はよく言いますけど、言葉にするとなると確かに難しいですね…。僕は、肉体を画面の前に投げ出すような演技をすることに、憧れがありますし、そういう演技を前にすると、わぁ、いいなと思うんですよね。こちらから「全部を剥き出しにしてください」と頼む気持ちはないんですけど。

『いだてん 〜東京オリムピック噺(ばなし)〜』(2019)の時も感じましたけど、森山さんは身体から発するエネルギーがすごいんですよね。

NHK大河ドラマ『いだてん 〜東京オリムピック噺(ばなし)〜』で、森山さんは落語家である古今亭志ん生の若き頃、美濃部孝蔵を演じ、塚本監督は日本人で4人目のIOC委員である副島道正を演じていました。

塚本うまく言えないんですけど、着物が片肌脱げた状態で森山さんが走っているだけで、凄みを感じます。今回、撮影以外の時間でもそういうことがあって。

コンクリートの上に土を敷いて撮影するので、最後にスタッフ全員でホウキを持って掃き掃除するんですけど、森山さんも手伝ってくれたんです。その時、遠くの方から、ものすごい土煙上げながら何かが迫ってくるんですよ!

森山(笑)。

塚本ダンプカーが迫ってくるような。僕、ついiPhoneで撮っちゃったんですけど、森山さんがわーっと身体を大きく動かしながら、ホウキを持って迫ってきて。あれは絶対、メイキング映像に残したいんですけど。

森山反復の運動ってね、面白いですよね。

塚本その時、「森山さん、今の動きダンスみたいでしたよ!」と言ったら、「そっか、やっぱり何も考えなくていいんだな」って、それも修行のひとつのようにおっしゃっていて。日常の動き全部が修行なんだ、と思いました。

ほかげ

感染症や戦争を前に、
人は「肉体」に向き合わざるを得ない

森山さんは、戦争によって、消し去ることのできない闇を抱えて生きる人の姿を体現されました。これまで、戦争を通して、「暴力」や「痛み」と向き合う人間の姿を映画に映し出してきた塚本監督ですが、今作では人間のどのような姿を描こうと思っていましたか?

塚本当時の資料を見ていると、本当に悲惨な状態が多くて、疲弊するほど悲しい情報ばかりだったんです。そこに思いを馳せながら映画をつくっていたんですけど、役者のみなさんに演じていただいて、映画が完成してみると、すごく生きることに一生懸命な、力強さの方が出ていたように感じました。

それは、非常に嬉しかったですし、そういう希望が自分の中にもあったのかなと気づかされました。

©2023 SHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER

映画のラストで描かれる子どもの姿には、その先に続いていくような力強さを感じました。

塚本脚本自体は非常にシンプルなんですけど、役者のみなさんが、肉体を持って体現してくださるんですよね。いつも役者さんには期待が大きいんですけど、今回は特に、その比重が大きかったと思います。

森山今お話を聞いていて思い出したんですけど、僕が好きな本として必ず挙げるものの中に、ジャレド・ダイヤモンドという生物学者の『銃・病原菌・鉄 1万3000年にわたる人類史の謎』があるんです。ざっくりいうと、今の世界のパワーバランスが、どれだけ偶然に出来上がっていったものなのかを紐解いていく本で。

『銃・病原菌・鉄 1万3000年にわたる人類史の謎』
上下巻セット (草思社文庫)

塚本へー。

森山病原菌が蔓延した後って、だいたい戦争が起こっている。まさにコロナ禍を経た現在もですよね。

コロナが猛威を振るった数年で、人間同士の関係性が一度断絶されて、オンラインでのコミュニケーションが、よりブーストされた感じがありましたよね。でも結局、最終的には肉体性に希求するようになるというか。

ほかげ

『ほかげ』で描かれていた時代も、私たちが生きている今の時代も、戦争による「銃と鉄」、そして「病原菌」という共通点がありますね。

森山戦争というのは、わけもわからずに隣の人が死んだり、自分がわけもわからずに誰かを殺さなければならなかったりという状況で、生命というものに自覚的にならざるを得ないんですよね。すごく突きつけられてしまうというか。

そういうタイミングで人間は、「肉体」に立ち返ってくるんですよね。うん。今回の映画と、塚本さんのお話を聞いていて、そういうことを…今考えてました。

塚本あぁ、そうですね。本当に。

毎日報道で戦争のニュースを目にしながら、それでも、自分の生活と地続きなものとして戦争を実感できないという人も多くいると思います。お二人は、映画だからこそ表現できる「戦争」があると思われますか?

塚本この10年、日本が危険な状態に近づいていると危機感を感じています。戦争を体験した人が世代的に少なくなり、体験を直接聞く機会も少なくなっているし、戦争をテーマにすると、何か難しいことや、辛気臭いことを言われるんじゃないかみたいな、構えてしまう感じがあると思うんです。だから、伝えることが難しいものでもあるなと。

そういう中で映画は…特に『野火』はそう思って作ったんですけど、映画館に入る時はお化け屋敷に入るような、怖いもの見たさで来てもらって、出ていく時にちょっと違うものを持って帰ってもらう。そういうことができるメディアかなと感じますね。伝え方は難しいですけど。

森山難しいですよね。映画を含めた「表現」とされるもの全てにおいて言えることですが、見立てて提案することはできますけど、実際に戦争が起こっている地域に思いを馳せようとしても、経験がないから馳せられない…と言っちゃうと極端ですけど、実際にそういう場では映画が観られないわけですし…。難しいですけど、僕らの役割というか、やれることはなんなのかは考えざるを得ないですね。

ほかげ

森山未來、塚本晋也監督の「心の一本」の映画

最後に、お二人の「心の一本」の映画をお伺いできたらと思います。
お二人にはこれまでいくつかの映画を挙げていただいてますので、今回は映画を観ていて、映し出された人間の「肉体の強さ」に圧倒された、あるいは、そこから伝わってくる「人間のたくましさ」に魅了された作品がありましたら、教えてください。

塚本僕は、『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』(1976)に出ているジェーン・バーキンさんですね。

『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』は、セルジュ・ゲンズブールの初監督となる作品ですね。マイノリティが虐げられ、暴力が蔓延するアメリカの田舎町を思わせる舞台で、若い男性二人がボーイッシュな少女と出会い、3人の複雑な恋愛感情が交錯する様を描いています。

塚本この映画のジェーン・バーキンさんが少年みたいな姿で、とても細い身体なんですけど、本当に身体全部を映画の中に投げ尽くしてる、その感じがすごい好きで。僕はどこかで、そのジェーン・バーキンさんの素晴らしさを追い求めているところがありますね。

ホモセクシュアルの男性二人と、ジェーン・バーキン演じる少女が三角関係みたいになるんですけど、そこでのセックスのシーンがとても痛ましいんです。痛ましいんですけど、なんか綺麗にも思えたりして。

ジェーン・バーキンが、裸でバスタブに浸かっている時、頭にビニールを被せられて窒息させられそうになるシーンがあって。苦しいから、手をバタバタさせて「キキキー!」って鳥みたいに暴れるんです。その姿が、女優として美しく見せようとかが全くなくて、圧倒されるんです。痛ましいんだけど、綺麗なんですよね。

森山それで思い出したんですけど、僕、一時期、会う人に「人間を人間たらしめるものは何だと思いますか?」って質問していた時期があって。

塚本うわ、すごい質問。

森山当時つくっていた作品の関係で聞いてたんですけど、その時に、松岡正剛さんが「フェティシズムが、人間を人間たらしめる」とおっしゃっていて。今日僕、衣装がタイトスカートなんですけど。

塚本本当だ!

森山めっちゃ動きづらいんですよ。じゃあ、なんでこういう服を着るのかというと、これは美しさなんじゃないかと。なぜここに美しさを感じるのかというと、抑制されること、制限されることに対して感じる、フェティシズムなんじゃないかと。そんなことを、今のジェーン・バーキンの話を聞いてて思いました(笑)。

塚本あぁ、面白いですね。

森山さんはいかがですか?

森山肉体性でいうと、『幕末太陽傳』(1957)に出てるフランキー堺が好きで。日本人の足腰というか、下半身を活用した立ち回りに軽快さがあって、いいんですよ。あれは、すごく僕は素晴らしいと思いました。

『幕末太陽傳』は、幕末の東海道品川の宿で、勘定を払えなくなってしまった無一文の男が、持ち前の機転で客たちのトラブルを次々に解決していく作品ですね。

森山その無一文の男をフランキー堺が演じているんです。あとは、石原裕次郎が高杉晋作を演じていたり。

幕末の動乱の時期に、いろんな人たちが品川のある宿場に集まってきて毎晩ドタバタを繰り返すんですけど、その主軸にいるのがフランキー堺さんで。いろんなところを動き回りながら、飯運んだり、酒を注いだり、ちょっと逃げ回ったりとか、そういう時の足腰が本当に素晴らしいんです。…全然説明になってないか(笑)。

あとはレオス・カラックス監督の映画に出てるドニ・ラヴァンですね。

塚本僕も、ドニ・ラヴァンさん大好きです。

森山素晴らしいですよね。

塚本ドニ・ラヴァンさんがいいなと思うのと、今回森山さんに出てもらいたいと思ったのと、実は僕の中では近いところがあるんです。

森山そうですか、それは嬉しいですね!

ほかげ

※終戦後、在日米軍を主な相手としていた街娼のこと。

戦争と平和を考える
INFORMATION
『ほかげ』
出演:趣里、森山未來、塚尾桜雅、河野宏紀、利重剛、大森立嗣
監督・脚本・撮影・編集・製作:塚本晋也
製作:海獣シアター
配給:新日本映画社

2023年11月25日(土)渋谷ユーロスペースほか全国順次公開
公式サイト: https://hokage-movie.com/
©2023 SHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER
女は、半焼けになった小さな居酒屋で1人暮らしている。
体を売ることを斡旋され、戦争の絶望から抗うこともできずにその日を過ごしていた。
空襲で家族をなくした子供がいる。闇市で食べ物を盗んで暮らしていたが、ある日盗みに入った居酒屋の女を目にしてそこに入り浸るようになる。
復員して間もない若い兵士が客として居酒屋を訪れるが、久しぶりに熟睡できたと戦争孤児とともに女の家にいついてしまう。3人は仮の家族のような様相になるが、若い兵士の様子がおかしくなり、その生活も⻑くは続かなかった。
女と子供は互いに切り離せない仲になっていくが、ある日、闇市で暗躍していたテキ屋の男から仕事をもらったと言い残し、悲しがる女を置いて子供は旅に出てしまう。
テキ屋の旅の目的も知らされないままに…。
PROFILE
俳優
森山未來
Mirai Moriyama
1984年8月20日生まれ、兵庫県出身。5歳から様々なジャンルのダンスを学び、15歳で本格的に舞台デビュー。2013年には文化庁文化交流使として、イスラエルに1年間滞在、Inbal Pinto&Avshalom Pollak Dance Companyを拠点にヨーロッパ諸国にて活動。「関係値から立ち上がる身体的表現」を求めて、領域横断的に国内外で活動を展開している。主な映画作品に、『モテキ』(11/大根仁監督)、『苦役列車』(12/山下敦弘監督)、『怒り』(16/李相日監督)、日本・カザフスタン合作映画『オルジャスの白い馬』(20/竹葉リサ、エルラン・ヌルムハンベトフ監督)、『アンダードッグ』(20/武正晴監督)、『犬王』(22/湯浅政明監督)、『シン・仮面ライダー』(23/庵野秀明監督)、『山女』(23/福永壮志監督)など。待機作として『大いなる不在』(24予定/近浦啓監督、第48回トロント国際映画祭のコンペティション部門選出)、『iai』(24予定/マヒトゥ・ザ・ピーポー監督、第35回東京国際映画祭アジアの未来部門選出)などがある。ポスト舞踏派。
監督
塚本晋也
Shinya Tsukamoto
1960年1月1日、東京・渋谷生まれ。14歳で初めて8ミリカメラを手にする。87年『電柱小僧の冒険』でPFFグランプリ受賞。89年『鉄男』で劇場映画デビューと同時に、ローマ国際ファンタスティック映画祭グランプリ受賞。以降、国際映画祭の常連となり、その作品は世界の各地で配給される。世界三大映画祭のヴェネチア国際映画祭との縁が深く、『六月の蛇』(02)はコントロコレンテ(のちのオリゾンティ部門)で審査員特別大賞、『KOTOKO』(11)はオリゾンティ部門で最高賞のオリゾンティ賞を受賞。『鉄男 THE BULLET MAN』(09)、『野火』(14)、『斬、』(18)でコンペティション部門出品。本作『ほかげ』はオリゾンティ・コンペティション部門へ出品された。また、北野武監督作「HANA-BI」がグランプリを受賞した97年にメインコンペティション部門、05年はオリゾンティ部門、19年にはメインコンペティション部門と3度にわたって審査員を務め、2013年の第70回大会時には記念特別プログラム「Venezia70ーFuture Reloaded」の為に短編『捨てられた怪獣』を制作している。製作、監督、脚本、撮影、照明、美術、編集などすべてに関与して作りあげる作品は国内、海外で数多くの賞を受賞、⻑年に渡り自主制作でオリジナリティ溢れる作品を発表し続ける功績を認められ、2019年にはドイツで開催される世界最大の日本映画祭「第19回ニッポン・コネクション」にてニッポン名誉賞、ニューヨークで開催される北米最大の日本映画祭「第13回Japan Cuts〜ジャパン・カッツ!」にて、第8回CUT AVOVE(カット・アバブ)賞を受賞した。
その他監督作に『ヒルコ 妖怪ハンター』(90)、『東京フィスト』(95)、『バレット・バレエ』(98)、『双生児』(99)、『ヴィタール』(04)、『悪夢探偵』(06)など。俳優としても監督作のほとんどに出演するほか、他監督の作品にも多く出演。2002年には『とらばいゆ』(01/大谷 健太郎監督)、『クロエ』(01/利重剛監督)、『溺れる人』(00/一尾直樹監督)、『殺し屋1』(01/三池崇史監督)で毎日映画コンクール男優助演賞を受賞。同コンクールでは15年に『野火』で監督賞・男優主演賞をW受賞、19年に『斬、』で男優助演賞を受賞している。その他出演作に『シン・ゴジラ』(16/庵野秀明監督)、『沈黙ーサイレンスー』(16/マーティン・スコセッシ監督)、『シン・仮面ライダー』(23/庵野秀明監督)など。NHK連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』(10)、『カーネーション』(11−12)、『半分、⻘い』(18)、『おかえりモネ』(21)、NHK大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』(19)などドラマにも多数出演。他、ナレーターとしての仕事も多い。
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