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「つまんない」ってよくない。
「楽しい」は大事
― 喬太郎さんの本業は落語家ですが、映画・ドラマ・舞台に出演し、役者としても活動されてきました。今回、映画に出演されるのは、初主演を務められた『スプリング、ハズ、カム』(2017)以来の4年ぶりです。俳優として出演される作品の決め手はありますか?
喬太郎 : 本当のことを言っていいですか? 今回は落語協会にオファーがあって、スケジュールが空いていたからということですかね。なんでしょうね…。僕は、本業は俳優さんではありませんし、普段メディアにたくさん露出しているタイプではないので、映画やドラマに出演させていただくことが、本業の落語にもプラスに働くというか、経験としてありがたいことだなと思っているんです。
落語家の時だったらね、多少表面的に残酷な噺をやったりしても、そこに関しては「俺がやってるんだからいいんだよ」というのはあるんですけど、本業でないものですと、家族に「こんな内容でお話をいただいたけど、どう思う?」と聞いたりもします。でも今回の映画に関しては、タナダ(ユキ)監督とは前にドラマでもご一緒しましたし、「タナダ監督にお声がけいただけたなら出ましょうか!」という感じでした。
― タナダユキ監督とご一緒されるのは、喬太郎さんが落語監修を務め、1話だけ出演もされたNHKドラマ『昭和元禄落語心中』(2018)以来、2度目ですね。今回はメインキャストとして、より深い関係でタッグを組まれています。
喬太郎 : タナダ監督は落語がお好きなんです。もちろん映画人としての想いが強くある方ですけど、空気感がね、似ているんですよ。僕というよりも、僕ら落語界の“仕事ができるけど威張らない人”に。今回は、僕が本業は落語家で俳優じゃないということを踏まえて、多少甘めというか(笑)、おおらかに見てくださったと思います。
「台詞はざっくりでいいので」とか「こういうことを言っていれば大丈夫なので」とか、声をかけてくださって。そのおおらかさが、自分の周りにいる演芸関係の人とご一緒しているようでね(笑)。僕のことを操るのがうまかったんじゃないですかね。
― 喬太郎さんが演じられたのは、名画座・朝日座の支配人、森田保造です。大の映画好きで、主人公の茂木莉子(高畑充希)とともに、閉館が決まった朝日座を立て直そうと奮闘する役でした。『昭和元禄落語心中』でご一緒した時の喬太郎さんの印象が、役のイメージにぴったりだと、タナダ監督たっての希望だったそうですね。
喬太郎 : 保造は、地方の街で文化を大事にしようとしている人で、電器屋の傍ら、映画館を経営しているんですよね。極論を言えば、商店街の中の商店のひとつとして、映画館をやっている感じなのかなと思うんです。
― 朝日座は、実は福島県南相馬市に実在する映画館なんですよね。1923年に創業して以来、芝居の上演や映画の上映で街の人々を楽しませてきたそうで。1991年に閉館しましたが、建物自体は残り、今なお年に数回上映会が行われるなど、市民や映画ファンに愛され続けている場所です。
喬太郎 : 保造には、大好きな映画を観られる場所を、自分の街からなくしたくないという思いがあったんですよね。今気づきましたけど、僕が落語の公演で行く地方の劇場の支配人たちも、みんな保造みたいな感じでした(笑)。僕自身も、「自分の好きな文化をなくしたくない」という部分については、あえて役作りをしなくても、落語家という商売とどこか相通じるものがあったのかもしれないですね。
― 今作は福島中央テレビの開局50周年記念作品でもあります。震災から10年が経っても未だいろんな被害が残っている中で、「それでもこの街で生きていく」というテーマが込められているそうですね。さらにタナダ監督ご自身がコロナ禍において、映画監督として直面している困難な状況や不安・怒りなどの思いから、「映画を愛し、映画に生きる人たち」を描こうと決まったとも伺いました。
喬太郎 : 今の状況下で、僕だけでなくエンタテインメントに関わっている方みなさん、エンタテインメントの必要性について考えていると思うんですよね。もちろん、震災の時もそうでしたけど。この作品は、悲しみとか苦しみみたいなものを乗り越えて、日常を取り戻そうとしている人たちの話だと思うんです。
― 今作で朝日座は、地元住民がより便利に暮らせるようにと、スーパー銭湯への建て替えを予定されています。なんとか朝日座を存続させるために、莉子と保造がクラウドファンディングを募る場面がありました。
喬太郎 : 我々落語界も今募っていますから、他人事じゃありません(5/18〜6/30まで開催していた、寄席支援プロジェクトのこと)。この寄席支援プロジェクトを始める時、落語協会のみんなで話し合いをしたんですけど、おじさんおじいさんばっかりなので、まず「クラウドファンディングってなんだよ」となるんです。そこで「僕がご説明しましょうか?」と。「知ってるよ俺は」と、どこか誇らしい気持ちになりましたね(笑)。
いざクラウドファンディングを始めてみれば、「この文化をなくしたくない」と思ってお金を出してくださる大勢の方々がいて。そのありがたみがすごく身に沁みますよね。
― 逆に言うと、それほど多くの方が今、エンタテインメントを求めているということですよね。
喬太郎 : 落語家なんて舞台の上で、嘘っぱちの噺で“かりそめの笑い”を作ってね。その笑いで、別に問題が根本的に解決するわけではないんだけど、それでも観に来てくれた方たちが「よし頑張ろう」と感じてくれたらいいなと思うんです。僕自身、かりそめがないと元気になれなかったりするので。かりそめって、時々現実に勝つんですよね。
僕ら落語家はよく、マクラ(噺の本編に入る前のフリートーク)のネタとして、自分たちの商売のことを「なくてもなくてもいい商売」と言ったりするんです。
― あってもなくてもいい商売ではなく、「なくてもなくてもいい商売」と。
喬太郎 : 自虐でね。でも、ほんっとうにそうなんですよ。世の中に落語なんてなくたっていいんだもん。まず大事なのは、第一次産業(農業、漁業、林業)じゃないですか。あと、電気や水道、ガスなんかのインフラも大事だし。「俺たちの商売なんて、いっちばん最後だよね」といつも思います。入門以来の32年間、ずっと思っているかも。
でも、今回コロナ禍で初めての緊急事態宣言が出た時に、仕事ができなくてずっと家にいたんですけど、やっぱり、つまんないんだよね。つまんないって、こんなによくないことなんだと思い知りました。「楽しい」って、大事なことだったんだなって。
― 自粛期間中に、エンタテインメントの存在意義を実感されたんですね。
喬太郎 : そう。人類の歴史を振り返ってみても、人間が狩猟を覚え、農業を覚え、村という集落ができ始め、その中で、祭りも生まれるんですよね。祭りは神事だけど、人々が歌ったり踊ったりする、楽しみの場でもありますよね。
そう考えると、「あ、大事なんだ。俺たちの商売って」と。だったら我を通すところは通すけれども、楽しんでいただけることをしたいなと、そういう風に思っているんです。だからそのひとつとして、今作のようなお芝居の仕事に携わらせていただけることも、すごくありがたいんですね。
好きなことで生きていく覚悟
― 今作で莉子と保造は、自分たちが映画を好きで、映画に救われてきたからこそ、朝日座がなくならないようにと奮闘します。喬太郎さんご自身も少年時代から根っからの落語好きで、大学でも落研に在籍し、当時からテレビに出演されていたそうですね。周囲からも落語家になることを期待されていたであろう中で、大学卒業後は一度、書店員として就職されます。
喬太郎 : 好きだからこそ怖い、という思いでした。若くて感情の起伏が激しかった頃は、若気の至りで、落語という芸能を憎みさえしましたよね。「こんな芸能があるから、俺は沼にはまってしまって、苦しんでいるんだ」と、それくらいの気持ちもあったくらい。
― 以前も、学生当時を振り返り、「落語が好きで好きで仕方なくて、逆に落語家には怖くてなれなかった」という風に話されていたのが印象的でした。
喬太郎 : 今でもありますよ、怖さというのは。僕みたいな者の落語を、お金を払って聴いてくださって、ものすごくありがたい反面、申し訳ないなと…。でもだからこそ、もっと頑張らないといけないなと思うんです。今はただこうして落語をやり続けられていることがありがたいし、「生まれ変わってもまた落語家になりてぇな」と思いますね。
― コロナ禍の今、落語家を仕事にされたご自身の決断を、どう振り返られますか?
喬太郎 : やっぱり、やってよかったですよね。僕、普段は小さな決断って大概間違えるんですよ(笑)。そのたびに周りに怒られるんですけど、人生の中で落語家になったことだけは、間違っていなかったなと思うんです。
親も心配したろうし、世帯を持てば家族も不安だったろうし。それに僕自身、いろんなことに対して自信がないんです。そんな中で落語家になることを選んだ以上、「なってよかったな」と、自分で自分を取り繕うんじゃなくて、腹の底から思えるようにならないと悔しいですからね。だから30年以上、頑張ってこられたのかなという気がします。
― 落語家になった決断が「間違っていなかった」と実感するのはどういう時ですか?
喬太郎 : ものすごく下世話なことでいうと、飯が食えていることですよね。でも、大事なことですから。あとはこの仕事をやっていてやっぱり、ふと気づいた時に楽しいんです。
もちろん苦しむこともあるけど、それはどんな仕事でも同じじゃないですか。こうやって僕の写真を撮ってくれるカメラマンさんも、お話を聞いてくれる編集部のお二人も、苦しい時は絶対にあるわけで。だったら、自分が好きで選んだ仕事で苦労するのは、当たり前のことだなと思うんです。
― 好きなことを仕事に選んだからには、覚悟を決めていると。
喬太郎 : それで言うと、落語家の先輩方はすごいですよ。よほどご事情がある場合は別として、ほとんどの方が看板を降ろさないですから。
― 覚悟に圧倒されますね。
喬太郎 : そうなんですよ。どうしてもご飯を食べられなくて、他の仕事と兼業して、という方もいらっしゃらないわけではないですが、それでも歯を食いしばって、看板は降ろさないですもんね。その方は生涯、春風亭なにがしであり、古今亭なにがしなんですよね。売れている・売れていないだけじゃなくて、看板を降ろさないという姿を見ているだけでも、「すげぇな、先輩たち」と思います。
だから僕、今年で58歳で芸歴32年目なんですけど、それって普通はベテランじゃないですか。でも我々の世界ではまだまだなんですよ。
― すごい世界ですね…!
喬太郎 : だって三遊亭金翁師匠なんて、90歳を過ぎて高座に上がりましたからね。うちの師匠の(柳家)さん喬も、今年で73歳なんですけど「まだまだこれからだ」みたいな感じで言いますもん。もう少し楽してくれると、弟子も楽できるんですけど(笑)。
― 喬太郎さんも古典落語のみならず、「ウルトラマン落語」など現代的なモチーフの新作落語にも取り組むなど、常にいきいきと新しいことに取り組んでいらっしゃいますよね。
喬太郎 : 師匠のさん喬は僕と15歳差なんですが、今も元気でいてくれて新しい噺を覚えたりもしているから、「俺もあと15年遊べるんだな」ってうれしくなるんです。「遊べる」っていうのはつまり、好きな仕事の中で自由に泳げるんだなと。そのさらに上の80代の先輩方も楽しそうにやっているのを見ると、「俺もあと20年いけるんじゃない?」とも思える。もう、わっくわくしますよね。それに、そういう風に考えている人が喋っていないと、聴いているお客さんも楽しくないでしょうし。
僕も体力的には、「さすがにそろそろ楽してもいいよね」という年齢です。でも先輩方の姿を見ていると、まだまだいろんな楽しいことができるとも思う。新作も作れるだろうし、やりたいイベントもあるし。心が踊りますよね、「俺には未来しかないんだ」って。
柳家喬太郎の「心の一本」の映画
― 先ほどご自身の落語について、「たとえかりそめの笑いでも、お客さんがそれを観て楽しんだことで、『よし頑張ろう』と感じてくれたら」とおっしゃっていましたよね。映画もまさしくそういうものだと思うのですが、喬太郎さんにとって、観て楽しむことで支えになる、お好きな映画をぜひ教えてください。
喬太郎 : なんでしょうね。今観たいのは、『ゴジラVSコング』(2021)と『シン・ウルトラマン』(公開日調整中)なんですけど(笑)。
― 特撮映画がお好きなんですよね
喬太郎 : 好きな映画というと、まずはやっぱりそっちに行くんです。『ゴジラ』(1954)は、僕の中で永遠に1位の作品ですね。
― 『ゴジラ』シリーズの第1作で、国際的な人気も高い、日本における怪獣映画の原点といえる名作です。
喬太郎 : その『ゴジラ』と同率でもう1作、僕の中で永遠に1位なのが、森田芳光監督の『の・ようなもの』(1981)です。
― 森田監督の長編監督デビュー作で、落語の世界を舞台に描いた青春群像劇ですね。そういえば『浜の朝日の嘘つきどもと』で喬太郎さんが演じた森田保造の苗字は、森田監督に由来しているとお聞きしました。
喬太郎 : そうです。今作の主な登場人物の名前は、日本映画史に名を残す人々にちなんでつけられていて。森田保造の場合は、森田芳光監督と増村保造監督の名前が組み合わされています。
― そんな、今作にも縁のある『の・ようなもの』には、どのような思い出が?
喬太郎 : 『の・ようなもの』が上映された頃、僕は大学受験生だったんですよね。たしか渋谷パンテオン(かつて渋谷東急文化会館にあった映画館。2003年に閉館)で観たのかな。当時の映画館はまだ入れ替え制じゃなかったから、同じ席に座ったまま何度も続けて観ていました。合間に用事があって家に電話をかけたら、父親に「お前何やってんだ、勉強しなくていいのか!」って怒られたのを覚えています。でも「映画観るから!!」って電話を切って(笑)。
その時に観て以来、大学の落研に入ってから、そして落語界に入ってからも、何度も観ています。でも、いくら観ても飽きないんです。
― どうしてそれほど『の・ようなもの』に魅了されたのでしょう?
喬太郎 : この映画はもちろん虚構だけど、リアルなんですよね。落語家になってみたら実際、あんな感じだったんですよ。
― たしかに劇中では、二ツ目の仲間たちがみんなで集まって飲んだり、銭湯に行ったりする、日常のリアルなシーンが散りばめられていました。
喬太郎 : 落語家を題材にした映画って、ものすごい喜劇か、「芸道精進!」みたいな作品が多いんですけど、『の・ようなもの』はそんなこと何も言わないんです。登場人物たちは芸のことを悩みながらも、女の子のことも気になるし、みんなで呑んでふわふわしている。その姿がものすごくリアルで。若手の頃、僕もあんな風に過ごしてきましたから。
落語という題材を描いている一方で、シンプルに青春映画として最高だと思います。もう、大好きなんですよね。「人間ってみんな陳腐だけど、みんな一生懸命だな」と思えるというか。
― 今でも観返すことはありますか?
喬太郎 : テレビでやっていたりとか、機会があれば観ますね。そういえばこの映画に出演していた、亡くなった(古今亭)志ん朝師匠や内海(好江)先生に、自分が落語家になってから楽屋でご一緒できたことはうれしかったな。昔の本牧亭(上野にあった講談専門の寄席。1990年に一度閉場後、2001年に移転再開。2002年に再移転し、2011年に閉場)や、末広亭(現在も新宿で運営中の寄席)も登場しますよね。
今だから刺さるシーンもあるんです。たとえば主人公の志ん魚(しんとと)に女子高生の彼女ができて、その親御さんに会いに行くシーン。彼女の父親から「どんな落語やってんのかな。聴いてみたいもんだね」と言われた志ん魚は、「二十四孝」という古典落語を披露するんです。
― その結果がもう、散々なんですよね…!
喬太郎 : そう、ひとっつも面白くない(笑)。で、「志ん朝や(立川)談志に比べると、ずいぶん下手だよ」「まだ二ツ目ですから。あの人たちは真打だし、キャリアも違いますから」「歳いくつ? その歳には、志ん朝とか談志はもっとうまかったよ」っていうリアルなやりとりがあって。これがもうね…刺さるんですよねー!! あ〜〜刺さる(笑)。
― (笑)。
喬太郎 : まるで自分が言われた気になって、「俺もまだこんなか」と今でも思うんです。だから落語家として観ても刺さるし、でも「前を向こう」とも思えるし。
もうひとつ刺さるのが、ラストシーンの台詞。ビアガーデンで開かれた先輩の真打昇進パーティーの場で、弟弟子から「落語が潰れることはないですかね? 会社みたいに」と問われた志ん魚が、「潰れるかもしんないけど、その時は日本も潰れるさ」と返すんですよ。陳腐な台詞なんですけど、それを支えにして僕は生きているかもしれないです。