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柳亭小痴楽 映画世渡り術 第五回

上司や部下との付き合い方に悩む皆さんへ。
『セッション』と、文枝師匠の話

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(2019年9月、30歳で真打への昇進を果たした、今注目の落語家・柳亭小痴楽さん。聞けば、ヤンチャだった子どもの頃から大の映画好きで、仕事が今ほどなかった二ツ目時代には、1日3本は平気で観ていたほどだそう。この連載ではそんな小痴楽さんが人生に悩んでいる誰かに向けて、1本のおすすめ映画を通じ、世の中を飄々と渡っていく術を教えます!)

落語界に「上司」という言葉はなく、先輩は「兄さん」、もっと上は「師匠」と呼ぶ。その人口はあまりにも多い。なぜなら定年がなく、死ぬまで現役でいられる、逆ピラミッド型の世界だからだ。最近は多少薄れてきてはいるが、基本的に上の言う事が絶対。セクハラ・モラハラ・パワハラなんていうのも当たり前…どころか、その三つで成り立っていると言っても過言ではないと思う。
他所から見れば「ありえない!」と思われるかもしれないが、私は上から歯に衣着せずにものを言われる、昔気質な落語界が大好きだ。
世の中、あってもなくてもいい商売というのはいくらもあるが、我々噺家などという生きものは昔から「なくてもなくてもいい商売」なんて言われている。誰も「やってくれ」なんて頼んでいない。自分がやりたいからやっている。そんな世界で生きていきたいのなら、全てが修行であり、我慢が付きものだ。
芸事の世界ではこれが当たり前だと思うが、世間一般ではどうだろうか。もちろん、パワハラを良しとしたいわけではない。でも今の世の中、周囲の目を気にしすぎて、上司も部下も言いたいことが言い合えないで、ストレスが多い生活を送っている人がいっぱいいそうだ。
さて、映画はもっぱら家で観る私だが、この『セッション』という映画は公開当時、予告編に惹かれて映画館へ足を運んだ。
アンドリューはジャズドラマーになろうと、アメリカ最高峰の名門音楽大学へ通っている。ある時、校内で一番の指導者フレッチャーの目に留まり、彼のスタジオバンドの一員になる。アンドリューの親族は揃って優秀で、やっと自分も一流になる足掛かりができたと思ったのも束の間、このフレッチャーの教育方針というのが、とんでもないパワハラ指導だった。アンドリューが必死に、まさに血の滲む努力をして足掻いていく姿に、なんとも心を刺激されるのだが…。
観ていて気になったのは、生徒が皆フレッチャーにひたすら怯えている事。私は人の顔色を伺うというのがどうも好きになれない。協調性も大事かもしれないが、本当は周りの目すら気にしてられないほど夢中で何かをやった時に初めて、その人間の真価が発揮されるんではなかろうか。

数年前に上方(*)の桂文枝師匠とご一緒になる機会があった。私は初め、「気に入られたら嬉しいなぁ」という余計な邪念を持ってしまっていた。それで、師匠のお弟子さんの、桂三度さんが楽屋に来ると、真っ先に「師匠の嫌がる事を教えてくれないか?」と尋ねた。すると「高座では師匠イジり、お客さんイジりは嫌がります。あと、下ネタは嫌いです。それから無駄にマクラが長いのも、あんまり好きじゃありません。もし気にしてくださるのでしたら、高座上ではなるべく紳士的な振る舞いが良いと思います」と教えてくれた。「マクラ」とは、落語の本編の前に喋っている小噺や漫談や、人によっては本編にあまり関係ないフリートーク。それが無駄にダラダラ長いと嫌がる事があるという。
これには困った。まだ私の高座を観ていない読者の方もいると思うので一応言っておくと、落語は古典を演らせてもらっているが、マクラでは下ネタ、客いじり、そして、出口も見つけてないのに入口だけで見切り発車をする、フリートークをやってしまう事が多い。特にお後の先輩をイジったりして、なんとか自分の存在をアピールしようとする事もしばしば。その全てを封じられてしまっては何もできない!
考えた挙句、別に文枝師匠に向けて落語を演るわけではない。お金を払って観に来てくれているのはお客さんだ。彼らを楽しませられるように、できる事を頑張ろう。「もうどうとでもなれ!」と、せっかく教えてもらったご法度の全てをやった。
手前味噌ながら、その時の高座はウケにウケ、その後の大喜利でも、文枝師匠をイジりにイジり、お客さんは大いに笑ってくれた。ふと一緒に舞台に立っている三度さんを見ると、もう呆れて真っ青な顔をしている。ところが、文枝師匠はというと、こちらの失礼に怒るどころかドンドン乗ってくれ、爆笑のうちに幕を閉じた。
終演後、数々の失礼を侘びに行くと、「最近、あなたのようなイケイケが少なくなったから、今日は本当に楽しかったよ」と、そう言ってくれた。
その日を境に、文枝師匠は何を勘違いしたのか、私を気に入り、大阪など遠方まで呼んでくれるようになった。昨年の私の真打昇進の興行では、無償で、というより赤字になりながらも、大阪から東京は新宿の寄席へ来て、口上にまで並んでくれた。今では私だけでなく、東京の若手みんながお世話になっている。本当にありがたい。

私も芸歴十五年を経て、今では後輩が増えてきた。このまま落語界のしきたりに甘えて後輩に遠慮なく接していると、いつか痛い目を見るのかもしれない。でも上司も部下も、余計に気を遣い合っていると変に畏まってしまったり、緊張してしまったり。上下の枠に囚われて、もっと大事な関係性に気付きにくくなってしまうような気もする。
まったく世知辛い世の中だ。
そんな、周りに目を向けてばかりいないで、多少は自分で自分のわがままを許して、楽しい人間関係を築けていけたら良いのになぁ。そういえばアンドリューも、なりふり構わずにやってようやく最後、フレッチャーと対等に、人間同士として向き合えていたよ。

とにかく三度さんのアドバイスは、自分には余計だったと思って過ごしている。
そんな私は一昨年、文枝師匠に呼んでもらって兵庫県に行ってきた。二千人の大入り満員、メンバーは師匠と三度さんと私。トリの師匠の前に出番をもらい、「よぉし! やってやるぞ!」と開口一番、「私が終わったら後は、ただのおじいちゃんが出てきます」、そう言った瞬間…生まれて初めて「シーーーン」という音を聞いた。高座を降りて文枝師匠の楽屋へ行くと「そうかぁ…そうだよなぁ…俺おじいちゃんなんだよなぁ…」、その日は打ち上げまでずっと気を落としてしまっていた。
皆さんも、やりすぎには注意をしてもらいたい。

柳亭小痴楽 映画世渡り術 第五回

*上方…「上方落語」の略。東京を中心に演じられる「江戸落語」に対して、大阪・京都を中心に関西で演じられる落語のこと。

FEATURED FILM
監督・脚本:デイミアン・チャゼル
出演:マイルズ・テラー、J・K・シモンズ
名門音楽大学に入学したジャズドラマー志望の青年と、天才奏者を生み出すために異常なまでの完璧さを追求する鬼教師との、狂気のレッスンの行方を描くドラマ。監督・脚本は、大ヒットミュージカル映画『ラ・ラ・ランド』(2016)のデイミアン・チャゼルで、第87回アカデミー賞ではJ・K・シモンズの助演男優賞を含む3部門を受賞した。
PROFILE
落語家
柳亭小痴楽
Kochiraku Ryutei
1988年生まれ、東京都出身。落語家。2005年10月、二代目桂平治(現:桂文治)へ入門し「桂ち太郎」の名で初高座。2008年6月、父・柳亭痴楽の門下に移り「柳亭ち太郎」と改める。2009年9月に痴楽没後、柳亭楽輔門下へ。同年11月、二ツ目に昇進し「三代目柳亭小痴楽」となる。2013年、落語芸術協会所属の二ツ目で構成されるユニット「成金」を昔昔亭A太郎、瀧川鯉八、桂伸三、三遊亭小笑、春風亭昇々、笑福亭羽光、桂宮治、神田松之丞、春風亭柳若、春風亭昇也と共に結成し、落語ブームを牽引。2019年9月、真打への昇進を果たす。
Twitter: @kochiraku
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