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まるで寅さんのように。 「フジロック」≒『男はつらいよ』!? 時代を切り拓く男の共通点

「FUJIROCK FESTIVAL」主催 SMASH代表 日高正博さん インタビュー 「男はつらいよ50周年×PINTSCOPE」

まるで寅さんのように。
「フジロック」≒『男はつらいよ』!?
時代を切り拓く男の共通点

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夏に行われるイベントの定番としてすっかり定着した、野外で行われる音楽フェス。その草分け的存在である「FUJIROCK FESTIVAL」(以下フジロック)は1997年に山梨県 富士天神山スキー場で初開催されてから、現在は新潟県 苗場スキー場に場所を移し、今年で24回目を迎えます。

そのフジロックを生み出し、日本に「フェス文化」を根付かせた第一人者である、国内外のアーティストのライブやイベントの企画・制作・運営を行うSMASH(スマッシュ)代表 日高正博さんは、『男はつらいよ』のテレビドラマシリーズから映画シリーズまで、ほぼリアルタイムで観ているという往年の大ファン。

毎年、フジロックの会場内にある野外シアターでは『男はつらいよ』が上映されていますが、それは日高さんの発案から。今は、それを楽しみにしているフジロッカーズ(フジロックファンの事)も多いほど、フジロックで『男はつらいよ』が流れるのはお馴染みの光景となりました。

日高さんは、『男はつらいよ』がご自身の人生と共にあったと語ります。高度成長期の日本を切り拓いてきた「車寅次郎」と「日高正博さん」、二人の旅路の記録です。

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だからフジロックで
『男はつらいよ』を上映したかった

「FUJIROCK FESTIVAL」(以下フジロック)では、毎年「富士映劇」という野外シアターで、『男はつらいよ』を上映していますね。

日高「ところ天国」っていう場所を作ったときに、そこで何か仕掛けをやろうかと考えて、「寅さん!」ってパーンと思いついたんだよ。

「ところ天国」は、会場内の川べりにあるエリアで、観客がステージの合間にご飯を食べたり水遊びをしたりできる休憩スペースです。名前の通り、ところ天も売っていて食べられますね。

日高そう。来たことあるならわかると思うんだけど、そこで映画を観れる場所を作って、『男はつらいよ』を上映しよう!ってね。でも、それを会社の連中に言ったら、「それは無理ですよ。夜は寒いし、誰も観に来こないです」って。俺は「知った事かい!」って言った感じでね。

最初は誰も賛成してくれなかったんですか。

日高でも「やる!」つって。まあ、本当は内心怖かったよね。みんな観に来てくれるのかなって。

今や星空の下で観る『男はつらいよ』は、フジロックの定番です。

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日高うん、良かった、今や定番でね。会場を見に行ったら、若い子達が何千人と橋の上まで集まってて、『男はつらいよ』が始まったらあの主題歌をみんなで歌うんだよね。「わかっちゃいるんだ、妹よ〜」ってね。俺もちょっとびっくりしちゃって。嬉しかったねぇ。大好きなロックンロールのバンドが出ているのと同じぐらい嬉しかった。

フジロックで初めて『男はつらいよ』を観た若者も、多いのではないでしょうか。

日高俺、第1回目の上映はね、『男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋』(1982)って決めてたんだよ。あの物語には、寅さんの優しさ、悲しさ、辛さ、思いやり、全てが詰まってると思う。だから、若い人達に観て欲しかった。

いしだあゆみさんがマドンナを務める第29作ですね。

日高もう、あれは絶対お互い惹かれあってるのに、言わない。柴又まで来てるんだから絶対好きなはずだよ!

(笑)。いつも饒舌な寅さんが、いざ、いしだあゆみさん演じる“かがり”と二人きりになると何も喋れなくなってしまって、お互い何も伝えられずに別れ、それぞれの道を歩んでいきます。

日高戦前生まれ戦中育ちの寅さんが、戦後大人になって苦労しながら全国を流れて旅をして、で、恋をして。好きになっても言えずに、ね。それでまた旅に出ていってしまう。そういうことも含めて、日本の戦後の姿を表している作品と思うんだよ。

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戦後の姿、ですか。

日高今って実体験がなかなかできないじゃない。スマホとか非常に便利な文明の機器がたくさんあるから。でも、そういうものだけに頼ったらダメだと思うんだよ。便利は良いんだけど、それに頼りすぎてしまうと、人間と人間のコミュニケーションが下手になるよなって思う。

寅さんみたいに旅に出て、人と出会って、知らないじいちゃんやばあちゃんと話して繋がりができたり、正月の挨拶や、暑中見舞いのハガキが来たり、ってそういうことを体験してほしい。

第29作も、下駄の鼻緒が切れて困っている老人に、寅さんが声をかけるところから物語が始まりますね。

日高そうやって相手を理解したり、されたりする人間的なことを、フジロックに来ている若い人達にも観て、感じてほしかったんだよ。時間がかかっても不便でもいいじゃないって。

よく、このフジロックをなぜやるのかって、会社の連中にも聞かれたんだけれど、こういうスタイルのフェスティバルがあったらやらなかったよ。だから、やった。そういう性格なんだよ、俺は。(笑)。

それまで音楽のイベントといえば、会場は電車で行けるような屋内の場所で、椅子があって…というスタイルが定番でしたが、フジロックは、まず会場が山間部にあります。そして、3日間に渡って行われるため、宿泊するためのテントを張れるキャンプ・サイトも設けられていますね。

日高自然の中だから、雨が降って風が吹く。そこを自分の足で苦心しながら会場まで行って、テントを張って、そこで出会った人同士が友達になったり、助けたり助けられたりして。俺が最初に考えたキャッチコピーは、「不自由さを楽しめ」。もう、“やけのやんぱち”みたいだよな!

初めてフジロックに行った人は、容赦無く降り注ぐ雨や日光に、自分が軽装備で来てしまったことを後悔します。

日高あまりに急激にいろんなものが進みすぎた時に、文明の奴隷になってしまっても、自分はそれに気づかない。“便利”とか“早い”に慣れてしまう。でも、俺たちは「このやろう!」って、それをひっくり返すじゃん。それがロックンロールだし、パンクさ。

人間いつまでたってもパンクじゃなきゃダメだよ。前のものはぶち壊さねぇと。人や動物、自然は大事にしなきゃいけないよ。でもなんでも今あるからって言って、なぜそれが最高かい? ってことだよね。

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まるで寅さんのように
旅をしてきた

若い人に『男はつらいよ』を観てほしかったという事ですが、日高さんと『男はつらいよ』の出会いはいつですか?

日高俺は熊本の人吉っていう山の中で育ったんだけれど、そこはテレビが綺麗に映らない。NHKしか映らない。でも、民放がたまに映る時もあったんだ。

だから、当時テレビっていうのは、本当に貴重なものだった。で、ある夜、たまたまテレビを観てたら、『男はつらいよ』を放送していて、寅さんと弟分の雄二郎(佐藤蛾次郎)が一緒に鹿児島の奄美大島に向かうところだったんだよ。あのシーンは今でもしっかり覚えてる。

1968年〜1969年に放送されたテレビドラマ『男はつらいよ』が最初の出会いだったんですね。最終回で、寅さんはハブに噛まれて亡くなってしまいます。

日高さくらのもとに、雄二郎が来て寅さんが亡くなったことを告げるんだけど、さくらは信じきれない。その夜、さくらの家に寅さんが現れるんだよ。いつものような、さりげない会話をして。で、すーっと居なくなっちゃう。さくらは、お兄ちゃんを追って外まで出てくる。公園で寅さんが立ってる。でも、またすーっと居なくなっちゃう。

テレビは白黒だし、映りがめちゃくちゃ悪い中で見たんだけど、脳裏に焼き付いてる。それが、俺の『男はつらいよ』の最初の思い出だね。

最終回放送後、視聴者から抗議が殺到し、1969年映画『男はつらいよ』第1作が公開されます。その年は、日高さんが成人を迎えた年ですね。そして、フジロックが初めて開催された1997年まで、『男はつらいよ』は28年に渡って49作製作されました。

日高俺は、20になる前の15の時から社会に出て、就職もろくにしないで、あっち行ったりこっち行ったりしてた。要するに流れ者。ちょうど、東京オリンピックがあった年だったから、日本は高度経済成長期の真っただ中。大阪でも東京でも、行けば仕事は何でもあった。

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日高さんが社会に出た1964年は、前回の東京オリンピックがあった年だったんですか。

日高そう、その年。履歴書を何枚か書いて、ズボンのポケットに入れとく。工場街を通るとね「工員求む!」って貼ってあるのよ。それで、自分の名前を書き込んで、工場を訪ねる。そしたら、すぐ採用。

行き当たりばったりでも、就職できたと。

日高まぁね、給料は安いよ、月1万円。ご飯は付いてるわけ、弁当がね。寝るところも、まあ寮だよね、付いてる。でも、長くは持たなかったな。一番短い時で、1時間くらいかな?

1時間!(笑)

日高いろんな人が集まってるからね(笑)。上の人のものの言い方にカチンときて、喧嘩になったり。俺の気が短かったというのもあるし、そんな感じで働きながら、20代半ばぐらいまで、あてもなく日本国中いろいろと周ったよ。

全国を放浪されていたんですか。

日高夏はね公園とかで寝ることもあった。でも、やっぱりそういう生活はお金がなくなるから1週間ぐらいしか持たなくて、また工場を見つけて働きに行くわけ。

で、即採用されて、その時は大阪だったかな、ある工場で働いてたおばさんに「日高くんって言うの? あんたねー、お風呂入った方がいいよ。この辺、真っ黒」って笑われて。首のあたりに黒い汚れが溜まってるんだよね(笑)。だって野外生活だったから。銭湯で洗ったら、黒いのがボロボロ出たのを今でも覚えてるよ。そうやって行く先々で働いて、いい人にいっぱい出会えた。嬉しかったな。

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寅さんのように気の向くまま、風の吹くまま、ですね。

日高ある時、ちっちゃな安い軽自動車を中古で買って旅に出たことがある。そう、行き先はどこでもいい。高速道路に乗ったとするじゃない? 左が渋滞しているんだったら、右行くか! とかそんな感じ。田舎道走ってて、いい場所を見つけたりすると、テント張る。

そうしてると、「あんた何やってるの?」っておじさんやおばさんが声かけてくれて、家に泊めてくれたこともあった。猟師さんの家に泊まったこともあったな。

当時の記憶が今でも鮮明に残っているんですね。

日高そうやってブラブラしてても、盆と正月は田舎に帰ってたんだよ。借金してでも帰った。そういう習慣が強く残っていた時代だったんだ。新幹線は高くて乗れないから、24時間ぐらいかけて、東京から九州まで満員列車立ちっぱなし。

東海道新幹線は、ちょうど日高さんが社会に出た年、東京オリンピック開会直前の1964年10月1日に、東京〜新大阪間が開業されました。

日高で、帰って、何するっていうと、俺の弟と二人で寅さんを観に行くんだよ。弟はね、俺と違ってとにかく一生懸命やる人だったから、宮崎県の延岡にある大企業の工場で働いて、延岡に家を建てたんだ。俺は家の面倒を全然見てなかったけど、彼は親父とお袋を延岡に呼び寄せて一緒に住んだ。それからは、俺もそこに帰省するようになった。

兄は全国をあてもなく放浪し、弟はしっかり働いて家を守ってたんですね。

日高弟は俺と全然違って、おとなしくてね。俺は酒を飲むけど、弟はほとんど飲まない。でも、二人で寅さんをよく観に行った。二人だけでいる時間ってのが、あまりないから、それが盆暮れの習慣になって。でも向こうは「まーた兄ちゃんと一緒かよ。もう一人でどっか遊びに行きてぇ」って。でも俺は「行くぞー!」って(笑)。

日高さんが弟さんを誘って『男はつらいよ』を盆と暮れに、二人で。

日高うん。一緒に行こうって。…そのことが、もうずーっと…なんつぅーのかな…俺の気持ちの中に残っているんだよな。

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自らのよって立つところを知る。
それが一番大事

日高さんが、胸につけているその鍵は何ですか?

日高これは、この前スコットランドのエディンバラに旅行した時に買ったトランクの鍵。寅さんが持っているのとそっくりなカバンがあったんだよ。

最近はキューバへ行かれたと聞きました。今でも旅を続けているんですね。

日高北極と南極以外は、どこへでも行ったね。うそだよ。

(笑)。海外へ旅行された時は、何をしてるんですか?

日高99%、音楽か酒。小さい頃からずっと音楽が好きで、15歳の時から放浪しているかたわら、バンドを組んで音楽作ったりしてたんだよね。

小さい頃は、どんな音楽が好きだったんですか?

日高いっぱいありすぎて答えられない。でも街を歩くと、レコード屋さんやパチンコ屋さんから流れてくる歌謡曲やら浪曲やら、何か引っかかるものが、耳残る音楽がいつもあったんだよ。

そうやって自分に残った音楽を考えると、やっぱり60年代のイギリス、アメリカのロックンロールやその元になるカントリー、R&B、ソウルミュージック、ジャズ、そういったものだった。あと日本の歌謡曲や民謡、海外の民謡も。民謡っていうのは、その国の歴史がその中にあるから。

民謡は、数世代に渡って主に口承で継承された歌をいいますから、その土地の時間が詰まった音楽といえますね。

日高そういう、生まれた土地や歴史を感じられる音楽が好きだった。俺がSMASHというこの会社を立ち上げたのは、世界を周って自分で見つけた音楽を、直接ミュージシャンと交渉し、来日してもらって、日本の人達に色んな音楽が世界にはあるんだということを知って欲しかったから。メジャーレコードが出す音楽は大好なものもあるけど、そこが出さない、まだ流行るまでには至っていない音楽。

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日高最初は当然赤字だったよね。でも、ラジオのパーソナリティー、例えばピーター・バラカン氏とかクリス・ペプラー君とか他にもいっぱい、音楽好きな人達が取り上げてくれて、応援してくれた。

最初は赤字だとわかっていても、自分が「聴いてほしい!」と思った音楽を自分の手で届けたかったんですね。

日高ロンドンで200人も入っていないライブハウスで“Oasis(オアシス)”を見つけたり、ロサンゼルスで友達に「知り合いのミュージシャンが、近所でハウスレコーディングやってるんだけど来ない?」って行ったら、それが“Red Hot Chili Peppers(レッドホット・チリ・ペッパーズ)”だったり。そういう話、いっぱいあるよ。

赤字だったとしても、成功するかわからなかったとしても、自分の足で行って聴いた音楽を、日本に広めたいと思うのはどうしてですか?

日高それ、俺、普通だと思うんだよね。

普通。

日高だって、いい本、絵、映画、写真とかを見つけたり、いい人と出会ったりしたら紹介したいと思うから。

どうやったら、日高さんのように枠にとらわれず、自分の思うままに生きられるのでしょうか。

日高わからないけど、人にはそれぞれのやり方、生き方があると思うんだ。みんな一緒じゃないと思う。だけど、己を知るには相手を知らなきゃいけないし、そのためには自らのよって立つところを知ることが一番大事だと思うね。

何でも自分で行って、自分で体験する。色んなもん知って、見て、自分で聞き分ければ良いの。それで「これは好き」「これは嫌い」って。日本はなかなかそれを言わせない雰囲気があるんだけど、本当はそれで良いんだよ。

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いつかお前の喜ぶような、
偉い兄貴になりたくて

日高さんが世界を旅して探してきた音楽を聴くことができるフジロックは24年目を迎えました。2018年は、日本のロックフェスへの出演が初となるボブ・ディランの出演が話題になりましたね。

日高俺は、フジロックを親子3世代で来て欲しいというのがある。おじいちゃんは、ボブ・ディランを観に行って、お父さんはロック、その息子はヒップホップとかね。お互いそれを見て、「お前、ああいう音楽が好きなのか」とか話したりしてもっと互いに理解できる。それは、夢のひとつだったんだよね。だから、『男はつらいよ』も上映した。

『男はつらいよ』は、日高さんにとって、普段は離れて暮らす弟さんと共有している時間でした。

日高俺より先に逝っちゃったけどね。もう33年前か。向こうで寅さんに会ってるかな。そしたら、アイツびっくりしちゃうだろうな。

なんつうかね、時々、寅さんを見てると、自分を見ているような気分になるんだよ(笑)。ありえないんだけどさ…カブってるなって。俺も喧嘩ばっかしてたし。

まるで寅さんのように。「FUJIROCK FESTIVAL」≒『男はつらいよ』!? 時代を切り拓く男の共通点
第1作『男はつらいよ』©︎1969松竹

はい。

日高もう、1作目とかはさ、何度観たかわかんないけど、観れば観るほどひどい男だもんね。行儀は悪いは、口は悪いは(笑)。よくプロデューサーがうんって言ったよな。売れるとは思わなかったんじゃない?

まさか、シリーズ化するとは思ってなかったそうですね。

日高本当はもっと二枚目俳優使って、安全にやったほうがよっぽど良いもんな。でも、やっぱり時代はきてたんだよ。

フジロックも同じでさ、初開催の時はどれだけお客さん来てくれるかわかんないじゃない? 泊まるところ無ぇからキャンプしろだし。で、「不便を楽しめ」とか勝手な事言ってるし(笑)。

誰もやったことのない未知のことですから、予想はできない。

日高本当にね、うん、怖かったよね。だから俺も、これでもかこれでもかと、大物アーティストをブッキングして。もう今では絶対できないラインナップだよ。

Red Hot Chili Peppers、Rage Against the Machine(レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン)、Green Day(グリーン・デイ)、Beck(ベック)、The Prodigy(ザ・プロディジー)…。今見ても鳥肌が立つアーティストが勢ぞろいしていました!

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日高当日、自分の目で来場したお客さんを見た時に、「はぁ…時代は来てたんだ」って思った。台風の影響で前の晩から大雨だったんだけど、みんな雨に濡れながら立っててさ、会場は満杯満杯で。あれだけのお客さんが喜んでて。

枠組みを外れて生まれた『男はつらいよ』と「フジロック」こそ、時代が必要としていたものだったんですね。では最後に、『男はつらいよ』シリーズの中で、一番好きな作品「#推し寅」を教えていただきたいのですが…やはりあの作品ですかね?

日高いっぱいあるけど、あえて選ぶとしたら、やっぱりさっきも言った『あじさいの恋』だね。あとは、渥美清さんが亡くなってから作られた作品の、冒頭のシーンが忘れられない。

第49作『寅次郎 ハイビスカスの花 特別篇』(1997年)ですね。満男が仕事で地方に靴のセールス行ってる時、駅のホームに座っていると向かい側のホームに寅さんの幻が見えるという場面です。

日高向こう側に寅さんが立ってるのが見えた瞬間に、電車がパーっと入って来て、電車が走り去ると寅さんはいない。うん、あのシーンも辛かったよなぁ。

先ほども、テレビドラマシリーズ最終回の、亡くなった寅さんが現れて、消えて行くというシーンを印象に残っていると挙げていただきました。

日高俺さ、まだ時間がなくて観にいけてないんだけど、新作を観るのちょっと怖いんだ。作品の出来が不安とかじゃないよ。自分自身がさ、だって、何十年間もリアルタイムで観てきたからさ。だからね、なんていうか、ちょっとね、勇気に欠けるな。

寅さんと日高さん、同じ時を旅してきたお二人ですからね。自分の人生を観に行くような…そういう感じでしょうか。

日高俺の家にはジュークボックスがあって、そこに『男はつらいよ』の主題歌が入ったEP盤のレコードを入れてるの。他の曲は洋楽なんだけど、その中に1枚、寅さんの歌。時々、夜中に酒飲みながら聴いてる。ボタン押すと、タータララララランーって流れて。

歌うんですか?

日高少し、歌っちゃうね(笑)。今年の富士映劇では、新作の予告編流そうか。予告編だけだと変か。「以後、見苦しき面体お見知りおかれまして、向後(きょうこう)万端引き立って宜しくお頼み申します。」とか言ってさ(笑)。

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PROFILE
株式会社SMASH 代表取締役
日高正博
Masahiro Hidaka
1949年、熊本県生まれ。1970年、東京ビデオセンターで音楽番組制作に携わり、音楽業界へ。ベルキャットを経てフリーランスとなり、1983年に株式会社SMASHを設立。1997年、山梨県の天神山スキー場でフジロック・フェスティバルを開催し、2020年8月には新潟県の苗場スキー場にて24回目の開催を控える。
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