目次
※本稿にはセリフや展開にまつわる話も出てきますので、ネタバレを気にされる方はくれぐれもご注意くださいませ
優秀な女友達が
スポイルされる理不尽
清田 : バービーたちの変遷に目を向けると、冒頭のシーンでケア役割からの解放を描き、「なりたい自分になれる!」というメッセージを高らかに宣言し、それこそ「doing」も「being」も肯定された〈完璧な世界=バービーランド〉が展開されていくのだけど、ひょんなことからマーゴット・ロビー演じる主人公の“典型的なバービー”に迷いが生じていく。そこからバービーはケンと一緒に人間の世界(リアルワールド)へ行くわけだけど、その後に生じたバービーランドの変化と、前編でも言及した“脱洗脳”のくだりは、我々の中で話が盛り上がったところでした。
ワッコ : バービーたちは職業や肩書きを奪われ、いわゆる“女役割”を担う存在になっていくわけじゃないですか。しかも渋々それに押し込められているというより、「お飾りって楽しい」「何も考えなくていい」みたいなことも言ってたように、むしろ積極的な態度で。そのシーンを見たときに、いろんな女友達の顔が浮かんで切なくなってしまったんですよね。優秀で魅力的な彼女たちが、結婚や出産を機に仕事を辞めざるを得なくなったり、働きながらワンオペで育児と家事をしていたりするのを見ているので。
森田 : 桃山商事のPodcast番組「恋愛よももやまばなし」で取り上げた「友達のクソ彼氏」というテーマにも通じる話だよね。優秀だった女友達がクソ彼氏やクソ夫によってスポイルされてしまう問題というか。
ワッコ : そうなんですよ! ただちょっと金を稼いでるだけのモラハラ夫に支配されて、家事や育児、そして不機嫌になりがちな夫をヨシヨシするメンタルケアまでも担わされていて……。さらにしんどいのが、考え方までそっちに染まっちゃってる感じがあったりして。
清田 : あるワッコの女友達のケースでは、夫のミソジニー的価値観に6歳の娘が完全に染まっちゃってて、遊びにきたワッコに対して「その歳で結婚できないから働いてるんでしょ?」とか言ってきたんだよね……。
ワッコ : そうなんですよ。こうやってミソジニー的な価値観が再生産されていくんだ、と怖くなりました。それを隣で見ていた女友達が娘の発言に違和感を感じてなさそうなのも恐ろしくて。全員洗脳されている! と心の中で絶叫しました。友達としては、一刻も早く有害な夫から離れて欲しいのですが、別れる気配がないのも絶望的です。
森田 : 我々のPodcast番組にも、顔や胸の大きさ、箸の持ち方などにいちいちケチをつけてくるクソ彼氏とか、共働きなのに家事はすべて妻任せで、そのくせ「毎食一汁三菜が必要」「ネイルした手で料理して欲しくないからネイル禁止」みたいなマイルールを押しつけてくるクソ夫とか、そういうエピソードがたくさん投稿されました。だけどその妻や恋人たちは謎に従順で、むしろ男たちを擁護すらしてしまうという……洗脳の恐ろしさを感じる回だったよね。
“脱洗脳”をめぐる
胸アツなシスターフッド
清田 : 洗脳の話って思想や価値観に関わる問題って感じがするけど、そこには構造的な側面もあるような気がするのよ。さっきの話にも出たような、共働き夫婦なのに夫が家事育児に全然コミットしない問題って個人的にもめちゃくちゃ見聞きしてきたけど、どことなく共通の構造があって。
ワッコ : どういうことですか?
清田 : 多くの場合、夫が長時間労働でそもそも家にいる時間が少ない。それで家事育児のバランスが妻に偏っているわけだけど、夫のほうが多く稼いでるのが難しいところで。妻側はもっと早く帰ってきて欲しい、もっと家事育児にコミットして欲しいと訴えるものの、夫は最終的に「俺だって精一杯やってる」「これ以上を求めるとなると異動か転職するしかない」「それだと給料はだいぶ減るけど逆にいいの?」みたいな話を持ち出す。で、子どもや家計のことを考えたらそれは困るわけで、妻は要求を飲み込まざるを得ないという。
ワッコ : まじで地獄すぎる!!
清田 : 背景には男女の賃金格差とか昇進をめぐるジェンダーギャップなどが間違いなく絡んでいるはずなのに、世帯年収を最大化するための“合理的”な方法として現状維持が選択される。これって形としては「話し合った結果」みたいになってるけど、どうやってもそこに行き着くという構造になってるわけで……。
森田 : 非対称な構造を悪用した脅しでしかないよ。多くの場合、夫は自分が予めゲタを履かせてもらって人生を歩んできたことに無自覚だろうから、余計にタチが悪いんだけど。
清田 : 洗脳にはそういう側面もあるはずで、抜け出すのはもちろん簡単なことじゃないと思うけど、この映画で展開された脱洗脳のシーンには胸が熱くなるものがあったよね。
ワッコ : 洗脳されたバービーたちを無理やりトレーラーの中に連れてきて、みんなでフェミニズムを説くという。わりと荒技なんですよね(笑)。でも、あれくらいやらなきゃダメなんだなって思いました。
清田 : その中心的な役割を担ったのが、リアルワールドで出会ったグロリア(アメリカ・フェレーラ)(※)という女性だった。
ワッコ : 彼女はデザイナーを目指してマテル社で働く一方、思春期を迎えた娘のサーシャ(アリアナ・グリーンブラット)との関係に悩んでいる。ひょんなことからバービーと出会ってバービーランドへ行くことになるわけですが、そこで女性として生きることの大変さをぶちまけるんですよね。「母親業は楽しめ、でも子ども自慢はダメ。キャリアは持て、でもまわりの世話もしろ。美しくいろ、でもやりすぎるな……」というグロリアの言葉は、『母親になって後悔してる』を思い出させるものでもあって。
清田 : 人間社会でのグロリアの経験がバービーランドの女性たちに共鳴するという、めちゃくちゃシスターフッドな場面だったよね。しかもさ、グロリアが感情を爆発させてからは娘からの目線もどんどんポジティブになっていって。おそらく、娘に気を遣い、夫に気を遣い、社会に気を遣いっていう、いわゆる“女役割”をやってる母親が嫌だったんだろうね。「やってらんねえよ!」みたいな感じで爆発したグロリアの言葉が響いたのは、それが個人の経験から出てきた“生の言葉”だったからで、あそこは本当に胸アツな場面だった。
すべてをビジネスに回収していく
資本主義の恐ろしさ
ワッコ : 実はPodcastの投稿エピソードにも、長年モラハラ夫と別れられずにいた母親を、娘さんがフェミニズムの力で脱洗脳したという話があったんですよね。
森田 : 「結果的に母は目を覚まし、無事に離婚することができました。今ではフェミニズムの本を読み、世に蔓延る男社会によるヘルなニュースも読み解き、『ママも大人になったわ、これからは自由に生きるわ』なんて言って、イキイキと生きる親友のような存在になりました」ともあり、めちゃくちゃつながる話だなって思った。
ワッコ : あと、この映画には資本主義批判みたいな側面もあったじゃないですか。象徴的だったのはサーシャがバービーに対して「環境破壊もしてる」「消費させたいだけ」みたいなことを言うシーンで、これって映画全体にも通じることだよなって思って。
清田 : Z世代的な目線を感じる場面だったよね。
ワッコ : 話はちょっと逸れますが、今って「美しさはひとつじゃない」というメッセージに溢れていますよね。みんなそれぞれの美しさがある、みたいな。確かにそうだよなと思う一方で、個人的にちょっとモヤる部分も正直あるんですよ。というのも、多様性を謳ってはいるけど、結局はモノを買わせる方面に回収されていくじゃないですか。「美容に投資しろ」とか「自分に似合う服を買え」とか。
清田 : 商業主義的な力学が。
ワッコ : マテル社の上層部も、いろんな変遷はありつつも結局は儲かるかどうかでしか判断してない感じでしたが、この映画も「要するにバービー人形を買わせたいんでしょ?」って目線と無縁ではいられないわけで、そういう問題を自己言及的に批判している部分もあったのかなって。
清田 : なるほど。前編でテーマにした男性性の問題にしても、「弱さを認められたら楽になるかもね」みたいなメッセージがポジティブなものとして広まると、今度は「弱さを認めて向き合わねばならない」みたいな話になっていくかもしれないわけだもんね。
ワッコ : それはある意味で進歩なんだけど、そこにはまた別の闇はありませんかみたいについ思っちゃうんですよね。資本主義に飲み込まれ、すべてがビジネスに回収されていくみたいな。
清田 : それってホント、あらゆることに関わってくる話な気がするね……。
森田 : 壮大な話で我々の手には負えない感じになってきたけど、『バービー』には本当にいろんな問題が盛り込まれていて、観たあとのおしゃべりがめちゃくちゃはかどる作品だと思います。「シネマで恋バナ」という連載タイトルなのに今回はほとんど恋バナ要素が出てこなかったけど、「バービーとケンが恋愛関係に進まない」という展開自体かなり意識的なものだと思うので、そこはまた改めてPodcastとかで語り合いたいね。
※世界中で大ヒットしたアメリカのドラマシリーズ『アグリー・ベティー』(2006〜2010)で主演をつとめ、数々の賞に輝き大ブレイクを果たした。
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