目次
※本稿にはセリフや展開にまつわる話も出てきますので、ネタバレを気にされる方はくれぐれもご注意くださいませ
現実社会にケンが
エンパワーメントされたワケ
清田 : メンバーの仕事や育休などで少し間が空いてしまいましたが、映画と恋バナをめぐる当連載、5回目となる今回は『バービー』を取り上げてみたいと思います。世界中で大ヒットしている話題作なのでもはや説明は不要かもですが、かの有名なバービー人形のキャラクターをマーゴット・ロビー(バービー)やライアン・ゴズリング(ケン)などが演じる“実写版”で、その内容から女性をエンパワーメントする「フェミニズム映画」と称されています。
森田 : 個人的にはNetflixの人気ドラマシリーズ『セックス・エデュケーション』の出演者が『バービー』に3人も出てて「おお!」ってなりました。
ワッコ : そこ、アガりましたよね!
森田 : フェミニズムにダイバーシティ、シスターフッド、子育て、アイデンティティクライシス、環境問題から死生観の話まで……本当にいろんな問題が盛り込まれている作品だと思うけど、中でもケンを中心に展開される「男性性」や「ホモソーシャル」をめぐる問題は興味深かった。
ワッコ : この映画には「バービーランド」と「リアルワールド」という2つの世界が存在していて、前者はドールたちが暮らす女性のための世界って感じで、後者は現実の人間たちが暮らす男性中心の社会。ケンは「バービーのボーイフレンド」という設定だけど、バービーランドではどこか添えもの的扱いなんですよね。で、バービーのお供でリアルワールドを旅したとき、突然“目覚め”が訪れるという。
清田 : 社会の重要な役どころをすべて女性が担うバービーランドで生きてきたケンは、あらゆるものが正反対なリアルワールドに来て大興奮するんだよね。「ここでは政治も経済も男が仕切ってるのか!」って。それでめちゃくちゃエンパワーメントされ、ひとりバービーランドへ戻って男たちに「マチズモ(男性優位主義)」を意気揚々と布教していく。
ワッコ : ケンにとって理想郷に映るほど現実世界はマッチョという話で、めちゃくちゃ皮肉な展開だと思いました。
森田 : バービーランドはそこからケンたちが支配する男性中心の社会へと変貌し、女性たちは仕事を捨てて男性のケアやサポート役を担っていく。そんな中バービーたちはリアルワールドから帰ってきて、バービーランドを取り戻すべく、女性たちを“脱洗脳”していくんだよね。
ワッコ : 男性中心社会に洗脳されてしまったバービーたちをケンから引き離すときの作戦がおもしろかったですよね。「男は自尊心をくすぐってやれば扱いやすい」とか、「適当にマンスプ(※1)させてあげれば気持ちよくなる」とか、「嫉妬させれば男同士で対立する」とか、そういうやり方がめっちゃリアルでした。
清田 : いわゆる「さしすせそ」的な(笑)。
森田 : あそこは本当に笑えるんだけど、同時に「笑ってるけど、自分は大丈夫か?」ってブーメラン的に返ってきて身につまされる感じもあった。
ワッコ : 「俺たちカッケー!」みたいな感じでわちゃわちゃ楽しそうだった男たちが、段々と覇権を奪い返されていって内輪モメを始めたりして、最後は争い始めるところとかめっちゃ「歴史じゃん」って思いました。オラつきの行き着くところが戦争っていうのが完全に現実世界と重なって、もちろん笑えるんだけど、ゾッとする感じもあった。
弱音を吐露して
男同士で連帯していく
ワッコ : ケンはリアルワールドに行ったとき、「自分にMBAがあれば社会を仕切れた」みたいに悔しがっていたじゃないですか。資格とか肩書きとか、清田さんが言うところの「doing」的なものに囚われてしまう考え方にも男性性の問題を感じました。
森田 : バービーランドでのケンはライフセーバーっぽい格好をしてるけど、実はただ「ビーチにいる人」という設定なんだよね。一方のバービーたちには大統領や外交官、弁護士に物理学者、弁護士にジャーナリストといった設定(職業)が付されている。“ただいるだけ”のケンは、アイデンティティにまつわるコンプレックスを抱えていることがうかがえる。
ワッコ : その段階を経て最後は「俺はケンなんだ」って感じになっていきますが、これは清田さんの言う「being」の部分、つまり「自分が自分であること」や「自分がそこに存在していること」を肯定できたって意味ですよね。もちろん重要なことだと思う一方で、それにどんな力があるんだろう、それで満足が得られるのかなって思う気持ちも正直あって。
清田 : なるほど……確かに。個人的に思ったのは、やっぱりケンはさみしかったわけじゃん、ずっと。傷ついてたわけじゃん、バービーの添えものとして。そこからリアルワールドでエンパワーメントされ、バービーランドに戻って男たちにマチズモを熱く広めていった。多分アドレナリンみたいなものがドバドバ出てさ、「これからは俺たちの時代だぜ!」みたいな感じで連帯感や高揚感に酔いしれたんだと思う。
ワッコ : そこからケンたちはどんどんオラついていきましたよね。みんな女をはべらせて、社会の重要な役どころを男だけで占拠して。
清田 : 筋肉みたいなもので自分を覆う感じで自信や勢いがついたんだと思う。でもその後、「俺は間抜けな金髪さ」みたいなことを歌ってたように、結局は内側に抱えている不安や孤独は癒えていなかった。いくら能力や肩書きを得ても、「どうせありのままの自分は見てくれないんだろ」というふて腐れにも似た気持ちがずっと残り、いつまでも自己肯定できない……というのは極めて男性性っぽい問題だなって思う。
森田 : フェミニズムにエンパワーメントされる女性たちと対をなすような存在としてケンを描きつつ、そこに男性特有の問題も織り込んでいるのがおもしろいところだよね。
清田 : バービーランドは再び女性中心の社会に戻り、「being」を肯定できたからと言ってケンたちがその後どうなっていくかはわからない。だからワッコが言ってた疑問は未知数のまま残るけど……男性のエンパワーメントの方法がマチズモで塗り固めて弱さを覆い隠していく方向から、つらさや情けなさを吐露して男同士で連帯していく方向に進んでいったのは、個人的にいいなと思った部分でした。
ホモソに馴染めない
アランという存在
森田 : 男性問題と言えばアラン(マイケル・セラ)も気になるところだよね。「ケンの親友(ken’s buddy)」という設定なんだけど、“群”として描かれるケンとは違って、アランは“一人”しか存在しない。だからこそ、ホモソーシャル化した集団に居心地の悪さを感じている。
ワッコ : バービーたちと行動を共にするシーンも多いですよね。同じ服を着たりして、わりと自然に馴染んでて。
森田 : ホモソから弾かれた男性のようにも見えたし、「女性社会」でマイノリティ的に存在している男性のようにも見えた。これは自分の話なんだけど、いま一年間の育休中で、妻は復職してるから平日はいわゆるワンオペ育児になってるのね。
清田 : わりと珍しいケースだよね。
森田 : それで平日の昼間は、自治体がやってる乳幼児親子のためのスペースに足繁く通っていて。自分が育休を取るまでそういうスペースがあること自体知らなかったんだけど、保育園に上がる前の親子って社会的に孤立しがちで、主にそれを防ぐために設置された場所なんだと思う。そこに来てるのは、やっぱりほとんど母親なのよ。職員の方も全員女性だし。だからそういう中に唯一の男性として存在している感じが、なんかアランっぽいなと思って。
清田 : あー、なんかわかる気がする(笑)。脅威を与えないよう、キモくならないよう、出すぎず、邪魔せず、適度に存在感を消しながら慎重にコミュニケーションしていくみたいな感じよね。
森田 : 平日にワンオペ育児をしてる男性は他にいないから、過剰に褒められたりもするんだよ。「偉いですね」とかって。そこで調子に乗るのも過剰に恐縮するのも違うかなって思ったから、「離乳食どうしてます?」とか「そのスタイかわいいですね」みたいな情報交換ベースのフラットな会話を心がけつつ、なんとなくそこにふわっといられるように意識してます。
清田 : その立ち位置は難しい問題もはらんでいるよね。例えばマッチョな価値観を持つ男性たちに対して優越感を抱けてしまう部分もあるだろうし、女性たちから「理解してくれる男性がいてありがたい」とか言われると、ちょっと気持ちよくなってしまったりする。そこに無自覚なままドライブしてしまうと、気づかないうちに「俺はフェミをわかってるぜ」「時代遅れな男じゃないぜ」みたいになり、これまた厄介な存在になってしまうリスクも……。
ワッコ : いわゆる「チンポ騎士団」(※2)みたいな問題ですよね。
清田 : そうそう。男性からは「男のくせに女の味方ばっかりしやがって」と叩かれ、女性たちからはうっすら警戒されるみたいな。男性性にまつわる話を批判的な目線で書く機会が多いからか、「女に土下座して回る男」とか「男の自虐史観」とか「男の自傷行為」とか「女ウケを狙ったフェミ男」とか……自分もいろんな罵詈雑言(クリティカルな批評?)をいただいたことがあります(泣)。
ワッコ : そういう意味でもアランの描き方は絶妙だったと思いますが、工事現場の男性たちをボコボコにしたシーンは意外でしたよね。「えっ、話し合いとかじゃなくてフィジカルで行くんだ?」って。
清田 : あそこは確かに謎だった(笑)。
森田 : 知り合いの女性と話したときにもあのシーンが話題になって、そこで改めて考えたんだけど、フィジカルな強さを見せることで、アランは「弱いから逃げたわけではない」ということを表現してるのかなと思った。男性社会の中で生きていこうと思えばそれなりにやっていけるけど、あえて「別の道」を選ぶ……みたいな。これも自分の状況に引き寄せて考えたんだけど、男性で長期育休を取る人って、仕事や会社の文脈だと「ラインに乗れなかった人」「力のない人」みたいな捉え方をされることもあるなと感じていて。アランみたいな選択をする人は男性社会ではナメられがちというか。でも、強いとか弱いとか、実力があるとかないとかそういうことと、自分が置かれた環境に対する違和感っていうのは関係なくて、どんな人でも違和感があるなら「別の道」を選べるようになってた方がいいと思うんだよね。
清田 : なるほど、確かにその視点はなかったかも。そんなアランの存在やケンの変遷も含め、近年の男性性をめぐる議論で語られてきたことをかなり意識的に反映している作品だよね。あと個人的に、バービーの製造元であるマテル社の経営陣が男性だらけであることを風刺的に描きつつ、「仕切るのって大変なんだ」という感じで偉い人たちが自ら弱音を吐くところも興味深かった。実は今のポジションにいるためにめちゃくちゃ背伸びしているんだってこととか、重すぎる責務を打ち返すために必死に頑張っているんだってこととかを、特権的な立場にいる人が自ら言語化する姿って実はあまり見られないものだと思う。マジョリティ男性の特権性と脆弱性を同時に描いているという意味でも、広く男性たちに観て欲しい作品だよね。
森田 : 前編は男性性をめぐる話題が中心になったけど、フェミニズムや資本主義の問題など、まだまだ語りたいテーマが盛りだくさんなので、引き続き後編もよろしくお願いします!
※1:マンスプレイニング(mansplaining)。「man(男性)」と「explaining(説明する)」を組み合わせた造語で、女は男より無知であるというジェンダー的偏見から、男性が女性を見下したような態度で知識をひけらかしたり、物事を説明したりする行為のこと。
※2:フェミニズムに親和的な男性を揶揄するネットミーム。「女性の味方を装いつつ実は下心がある」といった意味合いで、アンチ・フェミニズム的傾向の強いコミュニティで使用されることが多い。
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