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“終わりから始まり”を遡って描く「定点観測」映画
清田 : 恋バナ収集ユニット「桃山商事」のメンバーが気になる映画をめぐっておしゃべりする連載、第3回に取り上げるのは松居大悟監督の『ちょっと思い出しただけ』です。現在Amazon Prime Videoにて配信中で、8月17日からはレンタルも始まるわけだけど……これはなんとしても7月26日に紹介したかった作品で。
ワッコ : というのも、この映画は主人公・佐伯照生(池松壮亮)の誕生日である7月26日をめぐる物語なんですよね。2021年の7月26日から始まり、1年ずつ時を戻しながら照生とその元恋人・野原葉(伊藤沙莉)の日々を描いていくという構造になっていて。
森田 : 配信版のあらすじには<1年ずつ同じ日を遡り、別れてしまった男と女の“終わりから始まり”の6年間を描いている>とあって、各年の冒頭では同じ位置から観察してるようなカットが繰り返される。つまり「定点観測」的なつくりになっていて、それが“変化”を強く感じさせるんだよね。二人の物語を遡りながら「すでに別れてしまった照生と葉にもこんなキラキラした日々があったんだな」みたいな気持ちになっていくという、エモい作品でもある。
清田 : だからこの記事も絶対7月26日にアップしなきゃということで、原稿まとめもなかなかのプレッシャーでした(笑)。それはさておき、まずはざっくりした感想から語らえたらと思うんだけど、森田的にはどうだった?
森田 : いろいろグッとくるポイントはあったけど、全体として「仕事と恋愛」の映画になっていると感じて、そこがとてもよかった。照生は元々ダンサーで、足を怪我して踊れなくなり、今は照明スタッフとして働いている。一方の葉はタクシードライバーで、運転・接客をしているシーンが多い。出会いは照生が出演している公演の打ち上げだったし、デートは照生のバイト先の水族館、重たいケンカをするのも葉のタクシーの車内で、別れたあとに葉が照生を偶然見かけるのも劇場と、二人の時間の多くが仕事の文脈に紐づいている。
ワッコ : 言われてみれば確かに……。
森田 : 「仕事と恋愛」という普遍的な部分に焦点があてられているからだと思うんだけど、自分とは状況も考え方も全然違うのに他人事として観れない感覚がずっとしていた。
清田 : この映画って「20代の終わり」みたいな季節を描いた作品でもあるように感じていて、個人的にはその頃の気持ちがいろいろよみがえってきたのよ。仕事に追われていて、でもまだ将来とか全然見えなくて、自分のことで一杯一杯で、だけど謎にエネルギーだけはあって、恋愛には積極的で、ジェットコースターみたいな出来事も結構あったりで。何かを決めなきゃいけないけど、まだ人生を確定させるような決断には踏み切れない……みたいな、そんな日々のことを思い出して勝手にエモ苦しくなってしまいました。
森田 : わかるわかる。卒業とか就職みたいな“終わり”がある学生時代より、ある意味でふわふわ生きれてしまうというか。俺も、清田と28歳のときにルームシェアを始めた頃のことが頭に浮かんだよ。青春って言ったら青臭すぎるかもしれないけど、当時のことを思い出すとちょっとエモい気持ちになったりする……。
ワッコ : やばい、わたしの20代後半にそんなキラキラした瞬間なんて一切なかったかも(笑)。
過去を処理済みの人だけがたどり着けるエモ?
清田 : 今回の作品を推薦してくれたのはワッコだったけど、どうだった?
ワッコ : “元恋人”という存在についてどんな風に考えるか、っていうところが興味深かったです。葉はたまたま足を踏み入れた劇場で照生を見かけ、そこから過去のあれこれを思い出すわけじゃないですか。もちろん解釈は様々だと思いますが、わたしとしては、葉にとって照生との思い出は“処理済みの過去”なんだろうなって感じたんですよね。長い人生の中の一つの記憶、みたいな。葉は別れたあと、すでに別のステージに進んでいるから、元カレを見かけても「ちょっと思い出しただけ」で済んでいるんじゃないかなって。
森田 : なるほど。自分の誕生日に一人暮らしの部屋で酒を飲みながら、葉との思い出がつまった映画(ジム・ジャームッシュ監督の『ナイト・オン・ザ・プラネット』)を観ていた照生とは確かに思い出し方が違うかもね。照生は全然“ちょっと”ではないんじゃないか説(笑)。そちらの「ちょっと思い出しただけ」には、男の強がりみたいなものを感じなくもない。
ワッコ : 実はわたし、この映画を当時同棲していた彼と一緒に観に行っていたので、この連載のために観返したときに彼のことを思い出してしまったんですけど……。葉と違って全然エモいい思い出になっていなくて、どろどろとした怒りや悲しみに襲われました。別れ際に言われて傷ついた発言とか、そのあと住む家が見つからなくて病みかけた記憶とか、「でも、あんなに気の合う相手はもう見つからないかも」という絶望感とかが一気に押し寄せてきて。当然、「ちょっと思い出しただけ」では済まず……。「できれば不運に見舞われろ!!!!!!!!」という醜い感情に(笑)。もしかしたらあのキラキラは、過去を処理済みの人だけがたどり着けるエモなのかもしれないなって。
清田 : 確かに……。許せないこととか、納得できないこととか、あるいは後悔とか未練とか、そういうのが残っている状態だと感傷的な気分になんてなれないもんね。
ワッコ : はい……。その彼は、付き合い初めのころはすごく話のできる相手だったんですが、関係がギクシャクし始めてからはあちらが心のシャッターを完全におろしてしまって。それで言うと、タクシーの車内で葉と照生がケンカするシーンは個人的にリアルで刺さりました。
森田 : 足に大きな怪我を負い、この先ダンスを続けていけるかどうかの岐路に立たされた照生は、葉からの連絡を無視してふさぎこみ、それに痺れを切らした葉が誕生日の日に稽古場までタクシーで迎えに行き、そこから車内が重たい空気に……というシーンだったよね。
ワッコ : 照生としては心の整理がついてから連絡するつもりだったみたいですが、葉はそれに対し、「全部自分で決めつけマシーン」と返す。
清田 : 「ずっと自分だよ」「自分で抱え込んで、すぐ決めつけて」とも言ってて、個人的にもすごく刺さった。照生のように、何か問題が生じると閉じて抱え込んで、身近な人とのコミュニケーションから逃げてしまう男性の話って、我々が聴いてきた恋愛相談にもめっちゃ出てくるもんね……。
ワッコ : “男性あるある”とまで言っていいかわからないし、そのあと照生を降ろして車を出した葉が「追いかけてこないのかよ」と嘆くところなんかはお姫様願望というか、逆に“女性あるある”みたいなものを感じなくもありませんが、どことなくジェンダーみを感じるシーンでしたよね。
森田 : 照生は、自分の弱さや惑いを見せるのが苦手なんだろうね。葉からすれば、整理されてなくてもかっこ悪くてもいいから、結論だけじゃなくてそこに至るプロセスを共有して欲しいところだろうなと思う。
ワッコ : そうなんですよ。あと同じ車内で葉が「会話になんねぇ」「ずっと会話になんてなってなかったのかもね」って言ってたじゃないですか。関係がうまく行ってるときは噛み合ってなくても中身が伴ってなくても、楽しさとか推進力みたいなもので誤魔化せてしまうのが恋愛のすごいところではあるんですが、いざ揉めごとが発生すると隠れていた問題が一気に表面化する感じも含め、あそこは心に残るシーンだったなって。
「今の俺を見てくれねえかな」という漠然としたファンタジー
森田 : 冒頭で「定点観測」と言ったけど、すべてが7月26日という“点”で提示されているから、観客はその前後に起こったことを想像で補いながら物語を追いかけていくことになる。だからこそ観る人の価値観や願望みたいなものが、解釈や感想に色濃く反映される映画なのかもしれない。
清田 : そう考えるとちょっと怖いね……。というのも、自分の中には相反するふたつの感想が同居している感じがあって、ひとつは都合のいいセンチメンタリズムというか、どこか照生に感情移入し、「葉が別れを後悔してたらいいな……」「今の生活が幸せだけど退屈で、それで照生との過去をキラキラしたものとして思い出してたらいいな……」みたいに思ってる自分が確実にいる。その一方で、さっきワッコが言ってた話じゃないけど、いやいや、そんなわけないでしょ、別れたのはそれなりの理由があってのことで、葉はとっくに次の人生を生きてるし、照生は酔っぱらいながら思い出の映画とか観てないで、自分の幼さや未熟さと向き合うべきではないか──と、甘ったれた感傷を厳しく罰する自分もいて。
ワッコ : それらに引き裂かれていると(笑)。
森田 : 自分の身に覚えがある願望という点では、葉が照生を劇場で偶然見かけるシーンって、設定も含めてファンタジー感が強いなと思ったんだよ。あそこには、「元カノが今の俺を偶然見てくれねえかな」というファンタジックな願望がちょっと乗っかってる気がした。「俺、精神的に成長したよ」「今なら君の言ってたこともわかる」みたいなことを考えがちというか……。
清田 : そうなのよ……嫌だけどあるよね。俺の場合は30歳のときに別れた恋人に対してが特に強いけど、こうやってメディアに名前を出して記事を書いたり、著書を出版したり、新聞で取材されたりしている姿をどこかで見かけて、「清田は夢を叶えたんだね」「私はつまらない毎日で……」「あのとき別れなければよかったかな」みたいなことを思ってないかなって、そんな絶望的な妄想をしている自分があぶり出された感じがあって正直つらい。以前我々のPodcastの中で男のこういう部分に「センチメンタル無反省」と名前をつけて批判したにも関わらず……。
ワッコ : それって男性だけが陥りがちな傾向なんですかね? わたしも過去の元カレたちに対して「つまんねえ結婚とかして後悔しろ!」「絶対充実するな!」って思ってますよ!
森田 : そういう感情に自己成長物語みたいなものが乗っかっちゃうのが男っぽさなのかなあ。
清田 : さっき「20代の終わり」みたいな話をしたけど、よく考えたらその時期の捉え方って男女でかなりの差があるよね。女の人たちからはよく「妊娠のリミット」や「結婚をめぐるプレッシャー」の話を聞くわけで……それを「仕事も恋愛もまだまだ先が見えないエモ苦しい季節」みたいに振り返ってるところも身勝手だったかも……。
ワッコ : めっちゃ反省してる(笑)。
森田 : 今回は自意識みたいな問題にフォーカスしたけど、他にも語りたいところがたくさんある映画だよね。例えばこれって、我々が『モテとか愛され以外の恋愛のすべて』(イースト・プレス)という本でも話題にした「恋愛遺産」をめぐる物語だとも思うし。
ワッコ : 相手が置いていった荷物とか、うつってしまった癖とか、ひとつの恋愛が終わったあとに残されたもののことを恋愛遺産と呼んでいて、この映画で言うと髪留めのバレッタとか猫の写真とか、ジム・ジャームッシュの映画とか誕生日のケーキとか。
森田 : 「猫の写真」のくだりはあっさりしてるけど、物語的に実はとても重要なシーンだよね。自分は漠然と照生側の視点で観ていたから、「ああっ…猫ちゃんが…!」って思ったなあ(笑)。葉自身は本当に何となく残していた恋愛遺産っぽかったけど。
ワッコ : 猫ちゃん自体の変化もすごかったですよね。
森田 : ちゃんと「小さく」なっていくっていう。特に照生の部屋には恋愛遺産がたくさんあって、定点観測的に遡っていくことで、何気ない物や行動が後から意味付けされていくところもすごく面白かった。これもそうだったんだ! みたいな。
清田 : 本人はそれと認識してないものもたくさんありそう。
森田 : 朝の体操や道端のお地蔵さんに挨拶する習慣やなんかは、もはやそれによって相手を思い出すこともなさそうな恋愛遺産だよね。一方で、バレッタやジャームッシュの映画は、思い出すトリガーになりそうな恋愛遺産で。7月26日という日付自体もそうだと思うし。
清田 : わかるわかる。自分は大学生のときに付き合っていた人と、毎年七夕の日に江ノ島へ遊びに行ってたんだけど、今でも7月7日になるとちょっと思い出すもんな……。
森田 : 俺は埼京線で北赤羽駅を通るたびに、20代後半のころ付き合っていた人のことを思い出して、ちょっと感傷的な気持ちになるよ。たまにしか通らないから感傷が残っている……と自分では解釈しています。
ワッコ : 場所はエモいですよね。恋人と同棲生活をしていた街の記憶とか、わたしもいつかエモく感じられる日が来るんでしょうか……。
清田 : 恋愛遺産との別れ方というのもいつかテーマにしてみたいね。話は尽きないけど、心の柔らかな部分をいろいろ刺激される映画だと思うので、未見の方はぜひ。できれば7月26日に!
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