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映画は愛すべき女同士の関係を、様々な時代を通じて描いてきました。
尊厳を守ってくれた
先輩たちからの言葉
やり過ごしてしまう瞬間は、たくさんある。パートナーが脱ぎ捨てた靴下を洗濯機に戻したり、「お隣の○○さん、ふたり目ができたんだって」と母に言われたり、駅の改札ですれ違ったおじさんにぶつかって舌打ちされたり。心の中は一瞬荒れるけれど、自分で自分を沈めて、時が過ぎ去るのを待つ。反撃したら、何が起きるかわからないから。もっと大きな攻撃を、されるかもしれないから。黙って飲み込むことが「賢明なこと」だと、いつ教わったのだろう。小さなトゲが身体に刺さって、なかなか抜けないことに今さら気がついた。
ある日、友人たちの口コミで本を手にとった。著イ・ミンギョンさん(翻訳すんみ、小山内園子)の『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』、韓国で出版されたエッセイだ。その帯にはこう書いてある。「あなたには、自分を守る義務がある。自分を守ることは、口をひらき、声をあげることからはじまる──」。その言葉を、私は今年一年、何度も思い出した。そして、映画『はちどり』を見返しながら、主人公の少女と彼女が心を寄せる先生のやり取りに重ねた。聡明な女の先輩たちは、勇気ある言葉をいつだって投げかけてくれる。
キム・ボラ監督作『はちどり』も、本と同じく韓国で製作された映画だ。舞台は1994年、ソウル。急速な経済発展を続け、民主化と国際化を加速させた同国では、経済を最優先させたことで理不尽な家父長制、学歴社会や階級の差別も加速していた。主人公ウニ(パク・ジフ)は、14歳の中学二年生。集合団地に暮らし、両親は小さな飲食店を必死に切り盛りしている。ウニには無関心で、食卓ではソウル大学を目指す兄の話をするか、非行を繰り返す姉を叱るばかりだ。学校にも馴染めず、塾の友だちと彼氏が唯一心を開ける存在だった。
そんな彼女の通っている漢文塾に、女性教師のヨンジ(キム・セビョク)がやってくる。つかみどころのない女性教師はタバコを吸い、時々でお香を焚き、兄に殴られて虚しい気持ちを抱えたウニに温かいウーロン茶を淹れてくれた。とても丁寧な手つきで、ゆっくりと。日常的に、兄に暴力を振るわれていたウニ。「いつも殴られます」と平然と言う彼女に、ヨンジは心が揺れていた。彼女にかける言葉を見つけるにはあまりに時間がかかることで、うまい言葉で彼女を慰めようとせず、ひたすら耳を傾ける姿勢に信頼を置けた。自分の気持ちは、人との出会いや学びを深めることで、日々刻々と変化する。その繊細な揺らぎを認めた上で、力が弱く自信がまだない違和感を、代わって怒ってくれる先輩が私にもいた。肩書きだけ強そうな相手に屈せず意見を伝え、端から否定することなく目を見て話をよく聞いてくれて、時には新しい出会いをくれた。やり過ごしてしまいそうだった怒りを、否定せずに認めてくれるだけでとても心強かったし、その背中に導かれるように言葉を持った記憶がある。ウニにとってのヨンジは、そんな存在だったのかもしれない。
ウニは次第に、自分の話を聞き、関心を寄せてもらう喜びを知っていく。そうしてヨンジを少しずつ信頼し、心を開いていった。そんなある日、身体に異変があり、手術をすることになったウニ。夜中、お見舞いに来てくれたヨンジはウニをじっと見つめて語りかける。「殴られたら立ち向かうのよ。黙っていたらダメ」。ウニと時間を分かち合い、彼女の内に秘められた孤独を知ったことでヨンジが手向けた言葉。指切り、という繊細で大切な行動が力強く映った。そうした時間は彼女のお守りとなり、少しずつ背中を押していく。“私だって声をあげることができて、戦うことだってできる”と気づいたウニは、初めて兄に抵抗し、理不尽な大人に立ち向かう。ヨンジとの出会いで、一歩ずつたくましく変化していくのだ。
ウニは、ヨンジへの手紙に「寂しさに寄り添いたい」と書いた。それは、ヨンジがウニにしていたことだ。女の先輩たちの言動は、そうやって後輩たちに受け継がれていき、生きやすい社会への一筋の光になっていくのだと思う。私もライターの仕事をするようになり、数多の女の先輩たちにもらった言葉を勇気に、自分を守ってきた。ずっと憧れている写真家・長島有里枝さんにインタビューしたのはコロナが落ち着き、半年ぶりの対面取材でのこと。抱きしめられるような距離感で、ずっと味方だと語りかけるような力強さで、後輩である私たちに言葉を手向けてくれた。最後に「元気が出ました」と伝えると、長島さんは「若い女性に教訓を垂れてくる人は多いですけれど、本当に必要なのは、褒め言葉だけだと思います。一般的に女性は社会から内省を強いられることが多いので、彼女たちが健全な自尊心を維持するのに役立つ言葉をかけることで、世界はかなり素敵になる気がします」と話してくれた。健全な自尊心と褒め言葉。知らぬ間にうつむきがちになっていた自分に気づき、宝物みたいにその言葉を手帳に走り書いた。
ヤマシタトモコさんによる漫画『違国日記』に出会ったのも、同じ時期だと思う。健全な自尊心を守り、誰かに自分を語らせない女の先輩・槙生の言葉たち。中でも、槙生が両親を交通事故で亡くしたけれど涙が出ないと言う、女子高生・朝に伝える台詞が残った。「あなたの感じ方はあなただけのもので、誰にも責める権利はない」。健全な自尊心は、顔さえ知らない誰かの言葉に潰されることだってあるし、ちょっとした自信は何気ない一言で一瞬にして消え去る。私の気持ちを正しく導く必要も、全身で愛してもらう必要もない。ただ、私自身を踏みにじらないよう、私も後輩を守っていきたい。
『はちどり』や長島有里枝さんの言葉や『違国日記』の槙生や、女性の先輩たちの存在が、2020年を照らしてくれた。後輩たちはその言葉に耳を傾けて、勇気をもらう。決して自分一人の成功に納得せず、「これから」を常に見据えている先輩たちの姿はとてもかっこいいし、私もこうなっていきたいと思った。力強い連帯のサイクルが、変化をもたらすものだと信じて。圧倒的に強くあたたかい先輩と手をつないで、私たちは黙らないと誓ったのだ。その経験を誰かと分かち合いながら、自分を大切に生きていく未来を誓う。