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真っ直ぐな「好き」はいつでも変化をもたらす
女同士、と聞くと、それは若干ホラーみがある関係性を思い起こさせる偏見がある。表面上「仲良し」を繕っているだけで、いざ本音は話さないだとか、裏では陰口を言っているだとか、男を取り合うだとか。女当事者からすれば「化石みたいなテンプレ」だけれど、未だにそういうイメージで女同士のつながりを疑われてしまうと、人間関係に恵まれてないんだな、物語をフィクションだと思っているんだなって心の中はメラメラ燃えながらも、そんな人に手を差し伸べるほど優しくない私は、ちょっと嫌な顔をしてそっと突き放す。その瞬間は、とても寂しい。ほんとうはそんな人とも意見をぶつけてケンカして、わかりあえないですねーって笑いながらケーキを食べ合いたいけれど、私は言い返されてしまったら言葉がでてこなくなるタイプだし打ち負かす余裕もないので、大事にしたいと思う人を大事にすることに注力したい。『メタモルフォーゼの縁側』を観て、その気持ちがより強くなった。
本作は年の離れたシスターフッドムービーだ。私が「シスターフッド」という言葉に出会ったのは、大学を卒業してからだった。2017年にハリウッドでおこった#METOO運動をきっかけに社会的に「フェミニズム」という言葉が注目を集め、関連する本やマンガが増えた。また、#METOOで女性同士の連帯によって積年の苦しみが昇華されたことから、「シスターフッド」という言葉に触れる機会が増えたように思う。そうやって言葉を認知してから、これまで好きだった映画を思い返すと、あれもこれも惹かれる映画のほとんどが、孤独な女と、同じくひとりぼっちだと思っている女が出会って、心を通わせながら、ときにぶつかり、ときに信じられないパワーで助け合い、互いに尊重することを忘れないシスターフッドムービーばかりだと気がついた。それからはホラーやコメディといったジャンルと同じように「シスターフッド」というジャンルで映画を探すようになった。
そうした文脈で、映画『メタモルフォーゼの縁側』に出会った。マンガの選書に関して信頼を寄せているイカ文庫さんが鶴谷香央理さんによる原作をおすすめしていたことをきっかけに愛読していたので、映画化されると聞いて構えてしまっていたが、脚本がNHK連続テレビ小説『ちゅらさん』や『ひよっこ』の岡田惠和さんで、芦田愛菜さんと宮本信子さんがW主演と聞いて、楽しみにしていた。年の離れたシスターフッドの物語は、実際、とても救われる映画だった。
うらら(芦田愛菜)と、雪さん(宮本信子)は、孫とお祖母さんの関係性ではない。ただの、共通の趣味である「BLマンガ」で偶然つながった友だち。17歳であるうららは人付き合いが苦手で、周囲の目を人一倍気にしてしまう高校生。いつまでたっても進路選択用紙を提出できない彼女は、唯一好きなことである「BLマンガ」さえも段ボールにしまって部屋の奥に隠していた。ある日、バイト先の書店で75歳の雪さんに出会う。彼女は「絵が綺麗だから」という理由でBLマンガを購入していた。夫に先立たれ、書道教室を営みながら静かな暮らしを送っていた彼女の生活に入ってきた、BLという新世界。雪さんは偏見なく、そのおもしろさに夢中になり、うららの接客の様子から「あなたも好きなの? うれしいわ。ずっと誰かとマンガの話をしたかったの」とお茶に誘う。そうしてふたりは、次第に距離を縮めていく。
年の離れた人間関係を描いた映画では、『カモンカモン』も素晴らしかった。叔父さんが甥っ子の姿を通して少しずつ変化していく。しかし今作は、互いから学び、よろこびや苦しみをわかちあい、ふたりともがメタモルフォーゼ(変化)するのだ。年齢なんて関係ない、時間や金銭的な制限はあるけれど、それでも変化できる可能性はいくらでもあるとふたりは教えてくれる。
うららと雪さんが好きなものを語り合う様は輝いていた。なんとも楽しそうで、幸せそうで、その様子から年齢も性別も国籍も、いろいろな先入観から解き放たれる感覚になった。同時に、私自身も凝り固まったバイアスまみれだな、と改めて反省した。そっと、目をつむる。過去、自分自身が友だちや親に何気なく言ってしまった言葉をひとつずつ思い出す。バイアスは苦しい。とくに、その人自身ではどうしようもない見た目や年齢でジャッジすることは、誰かを確実に傷つけてしまうし、冗談なんかでは済まされない。凝り固まった「ふつう」みたいな価値観とひとつずつ向き合って、解体して、もう一度私の視点で捉え直すことを雪さんは自然とやっていた。それはきっと、無意識なのかもしれないけれど、ただ「夢中になっているものを語り合いたいから」という理由だけで見知らぬ人をお茶に誘える勇気。だけど、好きに向かって真っ直ぐな姿勢から世界が一気に広がることを雪さんが教えてくれて、こう在りたいと思えた。
そう考えるのは、最近私が雪さんの側に立ち、年の離れた女の子と好きなものを囲んで話すことも増えてきたからだと思う。新鮮な視点に出会うことも多くて、パワフルな熱情に私も胸がときめく。まったく違う視点におどろいて、自分の視界が開けて、また違った楽しみ方を知っていく。そうした人と友だちで在りたいと思うからこそ、望まれてもないのに教える立場に立ってしまっていないか、雪さんの姿を都度思い返したい。そして、私の“好き”を大切にして、無限の可能性のなかから大事な友だちを見つけていきたい。