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滝口悠生 映画音雑記 第9回

『光りの墓』の体操と音楽

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滝口悠生 映画音雑記

(芥川賞受賞で脚光を浴びた気鋭の小説家・滝口悠生さん。生み出す文章世界には独特のユーモアや優しさがあり、のびやかに広がっては読者の想像をかきたてます。実は映画が大好きという滝口さんが、ある映画の中の”音”を出発点に考えを巡らせる連載「映画音雑記」、隔月で連載中。今回は、『ブンミおじさんの森』(10)でカンヌ映画祭最高賞パルムドールに輝き、スピリチュアルな作風で知られるタイの天才アピチャッポン・ウィーラセタクン監督の最新長編作『光りの墓』(15)に耳をすまします。)

この映画の音のほとんどは木や風や水の音、そして人物たちがたてる声で成り立っている。
舞台は、タイ東北部のコンケーン県。東北部はタイではイサーンと呼ばれ、現在の首都であるバンコクなど他地域とは歴史的に異なる文化や言語を持つ地域だ。しばしば差し挟まれる屋外の風景シーンとともに、コンケーンの自然音がこの作品の印象の基盤になっている。『光りの墓』は英題からの邦訳で、タイ語での原題は「コンケーンへの愛」というものだそうだ。
自然音と言っても、それらの音はよく聞くときわめて細やかにコントロールされている。楽器もメロディもないが、人物たちの声と混ざりあうような自然音は音楽のように推移し、ドラマティックな起伏や位相を示す。歌ったり楽器を演奏したりすることだけが音楽制作ではなく、たとえばある場面では風の音を大きく、別の場面では小さくすること、それはほとんど音楽制作と同じ作業だと思う。

元は小学校だった建物にどうやら仮設的に病院がつくられ、そこに軍の兵士たちが入院している。教室だった部屋に病床が並び、兵士たちが横になっているが、彼らは特段外傷などはなく、ただただこんこんと眠り、寝返りも打たず、いつ目覚めるかもわからない。覚醒中の者が突然気絶するように眠りはじめたりもする。
病室には奇妙な光を発する装置が置かれ、それは兵士たちを悪夢から解放するためらしいのだが、起きない病人たちを安眠に導くことの目的については詳しく語られない。「アフガニスタンの米兵にも効果があった」というセリフがあったから、この病院の兵士たちはなにか精神的なダメージを負っているのかもしれないが、その詳細も明らかにはならない。眠っている兵士たちは穏やかで鷹揚に見えるが、それは彼らを取り巻く穏やかな環境の印象に過ぎないのかもしれない。
いちばん端のベッドで眠る兵士イットは身寄りがなく、病院を訪れた足の不自由な中年の女性ジェンが彼の世話をするようになる。病院には、死人の魂と交信したり前世を透視できたりする特殊能力を持つ若い女性ケンが出入りしている。ケンはFBIからもスカウトされたと噂されているが、彼女の能力が客観的に証明される場面はない。彼女はどうやらお金に困ってもいる。
ジェンはある者から、その病院が数千年前に王宮のあった場所に建っていて、兵士たちの謎の眠りは、地下でいまも戦闘を続ける王たちが生気を吸い取っているせいだと伝えられる。

滝口悠生 映画音雑記

前世の記憶や土地の記憶というのは、どこまで本当か確かめようがない。それらは個人が持ち得ないはずの記憶で、それをあえて記憶と呼ぶのならそこにはある種の霊性が伴う。
それは存在しないものが存在し、見えないものが見える、ということだ。見ることはこの映画の重要なモチーフでもある。見えないものを見ようとする、その視線の先にあるのは木々や草、湖といった自然である。木の幹の模様がだんだん人の顔に見えてくるみたいに、私たちは自然のなかに不自然を発見してしまう。この映画が劇伴を用いず、「自然」音だけでサウンドを構成していることはこういう「見る」と重なっている。
ところが、映画の終わり近くになって、その均衡がいっぺんに崩れる。
水辺の公園で体操のようなエクササイズをする集団を背後から映したカットが映し出されると、リズムトラックの音が流れ込み、電子音のメロディが重なる。いずれも奥行きのないいかにも人工的な音で、その音楽とともに、中年と思しき女性たちがステップを踏みながら腕を上げたり体をひねったりする緩やかなエクササイズが続けられる。画も音もそれまでの緊張に比して底の抜けたような間抜けさすら感じられる。全部嘘でしたと言われたみたいな気持ちになるが、なにが嘘で本当がなんだったのかはよくわからない。

私はこの映画を日本公開当時ではなく2017年に横浜のジャック&ベティという映画館で初めて観た。横浜はふだんの行動範囲からは遠く、どうして横浜で観たのかを思い出せなかったのだが、この原稿を書いている途中で思い出した。その日は横浜の劇場でアピチャッポンのインスタレーションを観て、その帰りに、同時開催的にアピチャッポン作品を上映していた同館でこの『光りの墓』を観たのだった。
それで私は、上映中結構寝ていた。昼に観た「フィーバー・ルーム」というインスタレーションはなかなか強烈な体験で、その余韻に浸りつつ中華街で一杯やって黄金町の映画館に来たので、観ているうちにコンケーンの自然音に包まれる兵士たちのように自分も眠ってしまったのだった。今回これを書くためにDVDで観てもやっぱり眠くなった。わけもなく眠りについてしまう病人の話だから観ているこちらも眠くなるのか。眠りも体験のひとつのありようだと思うから、映画を観ながら眠るのはそう悪いことではないと思っている。
しかし横浜の映画館で目が覚め、そのときに流れてきたのがあの体操の場面だったときの感覚はとても不思議で、忘れられない。私は眠りから覚めて眠りにまつわる映画の世界に戻ってきたのだったけれど、そこで見たのがあの体操と呑気な音楽だったせいで、現実に戻りそこねて別のおかしな夢に入り込んだみたいだった。それが少し怖くもあり、もう現実には戻れず、目を覚ましたいと思っても叶わなかったらどうしようという気持ちと、でもこのぬるい陶酔に似た音楽がずっと続くのならそれもいいかもしれない、とも思った。それで自分もおばさんたちの列に加わって体操をした。

滝口悠生 映画音雑記
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FEATURED FILM
製作・脚本・監督:アピチャッポン・ウィーラセタクン
出演:ジェンジラー・ポンパット・ワイドナー、ジャリンパッタラー・ルアンラム、バンロップ・ロームノーイ
世界最先端の映画監督、また国際的な美術作家でもあり、日本にも熱狂的ファンの多いアピチャッポン・ウィーラセタクンが2015年に手掛けた最新作。タイ東北部の、かつて学校だった病院で、”眠り病”の兵士の青年たちがベッドで眠っている。病院を訪れた女性ジェンは、面会者がいない”眠り病”の青年の世話をしはじめる。またジェンは、眠る青年たちの魂と交信する特殊な力を持つ若い女性ケンと知り合う。そして、病院のある場所がかつて王の墓だったと知り、眠り病に関係があると気づく。
PROFILE
小説家
滝口悠生
Yusho Takiguchi
1982年生まれ、東京都出身。2011年「楽器」で新潮新人賞を受賞し、小説家としてデビュー。2015年『愛と人生』で野間文芸新人賞を、2016年「死んでいない者」で芥川賞を受賞。その他の著書に『寝相』『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』『茄子の輝き』『高架線』がある。最新刊『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』が好評発売中。
画家
松井一平
Ippei Matsui
画家として多くの個展を開き、レコード・CDジャケットや書籍などの装画も手がける。滝口悠生著『茄子の輝き』でも装画・挿絵を担当。
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