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会社を辞めてフリーランスとして独立した私は、約1年前に母が住む福岡県に引っ越してきました。
そして旅人として世界の国々を周り、福岡と海外を行き来する生活を続けてきました。
しかしもうすぐ東京に戻ることにした私は、福岡で過ごすのもあと一週間となります。私は、少し慣れてきたこの街での最後の思い出づくりをしたいと思い、ミニシアターさんぽへ出かけることにしました。「思い出に一本の映画を添えること」は、粋な楽しみではないでしょうか。
今回は福岡・天神の街へ。福岡の中でも、比較的田舎に住んでいた私ですが、大きな買い物をしたり空港に向かったりする際には必ず訪れていた、思い出深い街です。地元の人に愛されるミニシアター「KBCシネマ」で映画を観て、この街で暮らした1年間や今後について思いを馳せました。九州最大の繁華街と言われる天神には老舗デパートや古くからある商店街をはじめ、新旧さまざまな商業施設が立ち並んでおり、いつも多くの人で賑わっています。最近は海外からの観光客も多く、毎回電車に乗って田舎から天神にやってくると「都会にやって来たなあ」と感じます。
ここ天神の名物といえば、やはり全長590mに続く「天神地下街」でしょう。略して「てんちか」と呼ばれ親しまれるこの地下街は1976年に開業した歴史ある場所で、毎日20〜30万人が訪れるそうです。
天神地下街は、ヨーロッパの街並みをイメージして作られた石畳の道が特徴的で、通路脇に立ち並ぶお店だけでなく、ステンドグラスやレトロなからくり時計などの見所がたくさんあります。この地下街の景色は、母が18歳で福岡に引っ越してきた時から大きく変わっていないと言うので驚きです。
関東で生まれ育った私ですが、福岡に親戚が多いこともあって天神には小さい頃から何度か訪れていました。しかし引っ越してきた当初、天神地下街を改めて一通り歩いた際にはその雰囲気と広さに圧倒されたものでした。それまでは「駅の路線を乗り換えるための道」としか思っていなかったのですが、”これから自分が暮らしていく街の一部”だと認識すると見方も変わってきます。こんなに奥まで広くて、面白いお店がたくさんあったのか、とまるで初めての場所を訪れたかのように思いました。
福岡で過ごしたこの約1年、私は毎回空港に向かう際に、ここ天神地下街を抜けて空港へ向かっていました。異国へのドキドキと少しの不安を胸に、大きなバックパックを背負って歩いていたこの地下街を今後しばらく歩くことがないと思うと、少し感傷的な気分にもなります。
福岡を代表するミニシアター「KBCシネマ」で映画鑑賞
天神地下街を出て、歩くこと約10分。今回訪れたミニシアターは「KBCシネマ」です。
KBCシネマは、九州朝日放送(KBC)本社の道路向かいに立つ、1988年に開業したミニシアター。県内の他の映画館では取り扱いのない数多くのミニシアター系作品を上映しており、長年映画好きに愛されてきたシアターです。
このシアターの大きな特徴は、「1日の上映作品数」が多いこと。スクリーン数は2つですが、上映作品の数はシネコン並みで、私が訪れた日も計10本の映画を上映していました。映画の上映時間は毎日変動しており、お客さんの層に合わせて時間を調整しているそうです。
そんなたくさんの映画ラインナップの中で、今回私が鑑賞することにしたのは、レイチェル・ランバート監督の『時々、私は考える』(2023)。『スター・ウォーズ』シリーズのレイ役で知られる、デイジー・リドリーが主演を務めたヒューマンドラマです。
物語の舞台となるのは、オレゴン州アストリアの閑散とした港町。職場と家を往復するだけの平凡な生活を送ってきた主人公の女性・フランが、新しく職場に入ってきた社交的な同僚・ロバートと出会いデートを重ね、少しずつ変化していくお話です。
フランの恋愛経験はゼロ。ロバートとの関係を不器用に進めつつ、他者に壁を作って殻の中にこもってしまうフランの姿はどこか自分自身に重なる部分も多く、見ていて心苦しい気持ちになります。
また、この作品を読み解く大きなキーとなるのは、フランの空想癖でしょう。
映画の原題は『Sometimes I Think About Dying』。一方、邦題は『時々、私は考える』と“何について”考えるのか直接的には示されていないのですが、フランは度々自分が死んでいるシーンについて空想して生きています。フランの「死」のイメージは、森の中や海辺の流木の横などどれも幻想的。彼女は辛い時にはいつも、決まってその空想の世界へ耽ります。一見平凡な生活を送っているフランですが、誰にも知られずに死について考えることが、日々生きる上での心の拠り所となっていました。
同僚のロバートとは、映画を観てパイを食べたり、一緒にパーティーに行ったり家を訪ねたり、不器用ながらも順調に恋愛が進んでいくように見えました。しかし、その歩みを阻むのはやはりフランの「自分の殻にこもってしまう」性格です。
フランは今まで一人空想をして、頭の中で過ごす時間が長すぎたため、言わば現実の人間とのつながりを失ってしまっている状態。ロバートと一緒にいたいけれどどうしたらいいのかわからずに、彼が近づいてきても、自己開示をできず拒絶してしまいます。
ラストシーンの直前では、前日ロバートと言い争いになったことを反省し、フランが「私と知り合わなければ良かったと思う?」と涙ぐんで尋ねます。しかし、ロバートはその言葉に対して「僕は君をまだよく知りやしないよ」と返しました。
※セリフは意訳です
フランの頭の中では、ロバートのことを考えているうちにおそらく色々なストーリーが進んでいて、彼は自分のことを自分と同じようによくわかっていると思っていたのではないでしょうか。しかし、ロバートから見たフランの壁はまだ厚く、これからお互いをもっと知るべき段階だと考えていました。
このシーンは、まさにフラン自身の問題を象徴していてハッとさせられます。しかし私も特に恋愛ごととなると、つい頭の中で完結して満足してしまいがちな節があります。その背景にあるのはやはり恐怖心でしょう。
好きな人ほど、近づけない。
恋愛感情なんて、ただの自分のエゴでしかないと考えてしまう。
相手とコミュニケーションを取ることで何かリスクを負うくらいなら何もしない方がましだ、と考えて結局何もできないーー。
しかし映画の中でフランは、ロバートと出会ったことで少しずつ世界との “接地面”を調整していきます。ラストシーンは、彼女のそれまでの空想の世界と現実がうまくつながった、感動的で美しいシーンでした。
私はフランの人生に共感する部分も多く、2人の結末に静かに祝福を送ると同時に、どこか自分自身も救われたかのような気持ちに浸りつつ、エンドロールを眺めていました。
福岡のミニシアターを盛り上げたい
ここKBCシネマではミニシアターならではの文化を大切にしており、オリジナルグッズ販売や「パブボード」と呼ばれる手作りの館内展示を積極的に行っています。
スタッフの中田さんは、大分のミニシアターで一本の映画と出会った時の感動をきっかけにミニシアターの魅力に気づき、ここKBCシネマで働き始めたのだそう。
『時々、私は考える』のパブボードも彼女の作品。映画に出てくる植物や、頭の中の考えを表現するふきだしなど、作品の魅力を最大限に伝える展示は、映画を観ていない人でも楽しめそうです。
またKBCシネマでは、お客さんが気持ちよく過ごせるようにと、シアターのトイレにお花を飾るなど、さまざまな工夫を凝らしています。こういったお客さまと距離が近い故に生まれる心遣いの一つ一つも、ミニシアターの魅力ですね。
中田さんはシアター運営に対する思いについて、このように話してくれました。
「ミニシアターには、ここでしか出会えない作品がたくさんあります。少し駅から離れているので、KBCシネマの存在を知らない人も多いかと思いますが、ふらっと来て素敵な映画と出会えるような機会を増やせたら嬉しいです。」
ミニシアター常連のお客さんはシニア層が多いこともあり、最近は若い人にも知ってもらえるように、Instagramも活用して積極的に情報を発信しているとのこと。最後に、「これからも福岡を代表するミニシアターとしてあり続けたい」と意気込みを語ってくれました。
天神の地下街からは、歩いて10分ほどで来られるKBCシネマ。シネコンとはまた違ったミニシアターならではの魅力が詰まったあたたかい場所ですので、ぜひ福岡に来た際には遊びに行ってみてくださいね。
カフェ「屋根裏 貘」で、至極の空想の世界へ
KBCシネマを後にしやってきたのは、親不孝通りのビルの2階にある「屋根裏 貘」です。
こちらは70年以上営業を続けている老舗の喫茶店で、昭和レトロな雰囲気が魅力。喫茶店のすぐ向かいにはアートギャラリー「アートスペース貘」が併設しており、写真展が開催されていました。
夕方の時間でしたが、店内はほぼ満席でした。空いていたカウンター席に案内してもらうと、一枚のレコード盤が目の前に。なんとこちらの喫茶店では、メニューがレコード盤に書いてあるのです。レコードをぐるぐると回しながら何を注文しようか考えるだけで、楽しい気持ちになります。
悩んだ末に決めたのは、ハンバーグカレーとアイスカフェラテ。隣に座った常連らしいおじいさんが「変かもしれないけどコーヒーとバナナジュースで」と注文していて、思わず顔が綻びます。
おじいさんと反対側の横隣に座っていた若いお客さんが、その注文をきっかけに楽しそうに世間話をはじめたのを横目に、私は一人カレーを食べながらさっき観た映画『時々、私は考える』について思考を巡らせることにしました。
主人公フランのように、確かに私も頭の中の世界と現実を結びつけることに苦労することがあります。空想だけが空回りして、ふと現実世界に戻ると実際は何も起きていなかった……なんてことに驚く時もあります。
他人に対しても常に壁があるし、一人でいることも好きなので、基本的に一人旅を重ねてきました。しかし孤独に襲われることもあるし、ずっと他人と壁を作って生きていくべきでないことはわかっています。
ふと奥の席から渋い煙草の匂いが香ってきて、現実に引き戻されます。そういえばと、この1年私は福岡では一度も煙草を吸っていなかったことを思い出しました。
元々そんなに頻繁に吸うタイプではなかったのですが、特に意図もなく禁煙に成功していたのが少し不思議になります。その理由を頭の中でこねくり回して考えると、田んぼや住宅街に囲まれた家の近くで、煙草を吸いたい気分にならなかったのが理由なのではないかと思ってきました。
私は再び頭の中の世界に戻って、東京で煙草の煙を吐き出している自分を思い浮かべてみます。そして映画でフランがしていた空想と同じように、工事のクレーンに吊られた自分自身を想像してみます。
しかし空想はあくまで空想だから良いというところもあって、現実では起こり得ない形に、自分を色々変化させてみることによって、再び現実に立ち向かっていく力が湧いてくるようなところもあります。フランも死について想像することで、逆に生きていく力をもらっていたのではないでしょうか。
やはり空想はとことん自由だからこそ、楽しいもの。空想の中では、どんな自分にだってなれます。喫茶店のカウンターに座って一人、こうやって行く果てのない空想にふける時間は、他の人には共有できない自分だけの楽しみの一つです。優しい味のカフェオレと、いつでも懐かしさを感じることのできるカレーライス。この二つが与えてくれる安心感も、静かな空想を楽しむための陰の立役者です。
さて、もうすぐ東京へ引っ越し。
かりそめの旅の生活を続ける中で拠点となってくれた福岡の街に、さよならをする時が近づいています。福岡を離れることに少し寂しい気持ちがあっても、そろそろ私はクレーンから降りて、自分の足で歩いて次の現実に向かわなければいけません。
喫茶店を後に街へ戻ると、太陽が沈む西の空を淡いオレンジが染めていました。ぼうっと空を眺めていたら頭上をちょうど飛行機が飛んでいき、「はやく引っ越しの準備をしないと」と、私は急いで帰路につきました。
今回のさんぽコース
(西鉄電車 福岡(天神)駅下車/地下鉄空港線 天神駅下車/地下鉄七隈線 天神南駅下車/市営地下鉄 博多駅→天神駅下車/西鉄バス 博多駅前→ 天神方面行きのバスにて天神エリアのバス停下車)
(西鉄バス 那の津口(ボートレース福岡入口))より徒歩約2分/市営地下鉄 天神駅より徒歩約10分/西鉄大牟田線 福岡(天神)駅徒歩約15分/イオンショッパーズ福岡店より徒歩約5分)
(市営地下鉄 天神駅から徒歩7分)
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