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水野仁輔の映画とカレーをめぐる話 vol.12

誰かにもらった正解よりも
自ら手にした不正解
『80日間世界一周』

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(カレーの全容を解明するため世界を旅している水野仁輔さんが、映画を旅するように巡りながら、映画とカレーと自身の”カレー人生”について綴ります。カレーと映画の新たな魅力を発見できるコラムです! 隔月連載中。)

丸鶏をさばいて部位ごとに切り分ける。鶏ガラを奥の鍋に入れ、手前にその他の部位を放り込む。水を注いで火にかけてアクが浮いたら引き、野菜を次々と入れていく。くず野菜は奥の鍋、切り分けた具の方は手前の鍋。こうやって名もないスープストックと煮込み料理をよく作る。
手前の鍋に最後のカボチャを加えると、まもなくいい香りが漂ってきた。だが、そこで頭が混乱してしまった。そこはかとなく漂う魚介類の香りが加えた素材とリンクしないからだ。おかしい。そんなはずはない。何度もふたつの鍋のふたを取ってはクンクンするのだけれど、“その香り”はどこからも生まれてはいない……。

煙に巻かれたような気持ちは、『80日間世界一周』を観ているときと同じようだった。
80日間で世界一周できると言い張る紳士のフォグは、召使いのパスパトゥを連れて旅に出る。旅路で巻き起こる出来事は、滑稽で劇的で胸躍る。どこか夢のようでもあり、おとぎ話のようでもある。
気球は面白いほど優雅に空を飛ぶ。山の頂に積もる雪をすくいとってシャンパンを冷やし、グラスを傾けるシーンは、まさか自分にあるはずもない乙女心が胸を高鳴らせた。パスパトゥが闘牛場で軽やかに牛と舞う。ハラハラし、こぶしを握った。カルカッタで姫を助けるための無謀な作戦。「うそでしょ」と思わず失笑。
ロンドンを出発し、フランス、スペイン、インド、香港へと旅は続いていく。

そういえば、自分が香港とマカオへ訪れたときのことを思い出した。あのカレーパンとあのカレーおでんとあのカニカレーをもう一度、食べてみたい。今思えばあれらもどこか煙に巻かれたようなカレー体験だったなぁ。
香港の上海料理店で食べたカレーパン。薄切りする前の食パンの真ん中をくりぬいてカレーをたっぷり入れたものが出てきて面喰った。こんなものがうまいはずがないと思ったら、外側はカリッとして、中はしっとり。思いのほかおいしい。似たものが南アフリカで食べられていると聞いたことがあるが、つながらない。
マカオにはカレーおでんで有名な屋台街がある。噂を聞いて行ってみると確かにどの店もカレーおでんばかり。選んだ具を器に盛り、上からカレー出汁のようなものをバシャッとかける。日本のおでんがここまでやってきたの? いったいどんな経緯で?
マカオのポルトガル料理店へ行くと、カニのカレーがあった。頼んで作り方を取材すると、中国料理を彷彿とさせる手法。またもや因果関係が分からず、黙りこくった。そんなことがあるたびに「いや、まさか」と静かに興奮する自分がいる。

珍道中を続けるフォグとパスパトゥは、横浜にたどり着いた。映画の設定は1870年代。ビクトリア王朝時代のイギリスだから、日本でいえば明治初期にあたる。その頃の日本を知らない僕だが、映画の中で描かれる横浜の風景には突っ込まざるを得なかった。何かと細部がヘンテコに見えるからだ。
日本の描写がこの調子なら、ほかの国だって大差ないのだろう。彼らが80日間をかけて一周している世界は、いったいどの世界なんだろうか。虚構と現実が入り混じり、何が正解で何が不正解なのかがわからなくなる。それでもこの物語にどっぷりはまり込んでしまう感じが極めて心地いい。旅の魅力とはそういうものなのだよ、という説得力がある。

マカオのポルトガル料理店でカニカレーを食べた僕は、翌年にポルトガルを訪れた。だが、あのカニカレーのルーツを見つけることはできなかった。ポルトガルのカレー(Caril)はかなりマイナーな存在だ。でも、一部のアフリカ料理店では大きな顔をした“カレー”を見つけた。かつてポルトガルの領土だったモザンビークの料理店である。だから僕はモザンビークへ行きたくなった。
香港の上海料理店で南アフリカを思い、マカオから導かれたポルトガルでモザンビークを思う。ひとつコマを進めれば別の行き先を提示される僕の旅は、計画に沿って80日間で世界一周をするのとは少し趣が違う。
ただ共通しているのは、雲をつかむように捉えどころのない出来事に直面しても、しっかと受け止め、自分のものにして次へ向かおうとする姿勢だろうか。目的をもって旅をするときは、常に懸命である。「いやいやいや、そんなはずはない」なんてことが起きようとも、体当たりで受け止める。だって実際、目の前にそれは起きているのだから。

カレーを探る僕はできるだけ一次情報を得ることにこだわってきた。どこかの偉い人がどう言っていたのか、文献に何が書かれているのか、ネットを検索したらどんな情報が手に入るのかもそれなりに大事だ。でも僕は僕自身が動いて体験して何を見たのか、どう感じたのかの方を信じていたい。たとえそれが不正解だったとしても、自分で別の解にたどり着かない限り、手にした不正解を後生大事に携えて前を向く。大げさに言えば、それが僕にとって「生きている」という証なのだ。

世界一周達成を目前に控え、最後の船に乗るフォグが、燃料が足りないと懸念する船長に傍若無人に語りかける言葉がある。
「Just steer the ship, Captain. Don’t speculate.(先のことは考えんでいい)」
そう、僕にだって冷静に先のことを考えている余裕はない。フォグやパスパトゥのようにドラマチックに世界一周をすることはできないが、僕は僕でカレーに導かれてあちこちを旅している。そうやって世界中で手にしたものを僕なりの表現で身近な人に語りかけるのだ。目をキラキラさせて僕の話を聞いてくれる人がいるってだけで、幸せなことじゃないか。意気揚々とおしまいまで土産話をしたら、最後の最後に僕は心の中で決まり文句を放つ。
「ウソかマコトか。そう、これは僕が垣間見た、できそこないの旅のお話」

映画の世界から現実へ戻った僕の前には、ふたつの鍋と不思議な香りがある。キッチンの中をウロウロとし、ダイニングテーブルの椅子に腰かけ、首をひねる。確か香りが変わったのは、カボチャを入れた後だったよな。カボチャが何かと混ざって反応しているのかもしれない。だとしたら、カボチャは想像を絶するポテンシャルを秘めた野菜だってこと!?
妄想が膨らみかけたとき、キッチンに無機質な声が響き渡った。
「ゴハンガ、タケマシタ」
あっ! 小さな声を上げて炊飯器に目をやる。そうだ、そういえば、僕は少し前に金目鯛の炊き込みご飯を仕込んだっけ。不思議な香りの正体は、そこから来ていたのだ。ほっとしたようながっかりしたような気持ちになった。“正解”を知らずに食事を終えていたら、僕は翌日から、カボチャの魔法について会う人ごとに話していたことだろう。僕の“不正解”が聞いてくれる誰かを一瞬でもワクワクさせることができたかもしれない。
それからカボチャのことばかり考え始め、カボチャのカレーを作り続け、素晴らしいレシピにたどり着いていたかもしれない。なんとも惜しいことをした。

虚構と現実は紙一重。正解と不正解は表裏一体。真実を突き止める仕事は専門家にお任せするとしよう。一介の旅人である僕は、僕自身の手でつかみ取った虚構かもしれないあれや不正解の可能性もあるこれやと共に歩んでいく。それでもよければさ、ときには僕の話にも耳を傾けてほしいよね。
今でも『80日間世界一周』の映画を思い出すときに、僕はラストシーンに自分勝手な展開をくっつける。最後の最後にパスパトゥが画面いっぱいに出てきて、おどけた調子で僕たちにこう言って見せるのだ。

「ウソかマコトか。そう、これは僕が夢に見た、できそこないの旅のお話」

BACK NUMBER
FEATURED FILM
監督:マイケル・アンダーソン
脚本:ジェームズ・ポー ジョン・ファロー S・J・ペレルマン
原作:ジュール・ベルヌ
キャスト:デビッド・ニーブン カンティンフラス シャーリー・マクレーン
ジュール・ヴェルヌの同名小説の映画化。第29回アカデミー賞にて5部門に輝く。
ビクトリア王朝時代のイギリス。80日で世界一周できるかどうか賭けをした紳士・フォグが召使パスパトゥを連れて旅に出た。花の都パリでは気球を買って飛び立ち、スペインでは闘牛士となり、カルカッタでは姫を助け、横浜・サンフランシスコ・ニューヨークへと旅は続く。
PROFILE
カレー研究家
水野仁輔
Jinsuke Mizuno
AIR SPICE代表。1999年以来、カレー専門の出張料理人として全国各地で活動。「カレーの教科書」(NHK出版)、「わたしだけのおいしいカレーを作るために」(PIE INTERNATIONAL)など、カレーに関する著書は50冊以上。カレーを求めて世界各国への旅を続けている。現在は、本格カレーのレシピつきスパイスセットを定期頒布するサービス「AIR SPICE」を運営中
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