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“親のエゴ”を自覚する日々
子どもを育てている親として、大きな難関のひとつが思春期と反抗期です。感情の起伏、自意識過剰、隠し事……いつスイッチが入るかわからない不安定さと、本人も自分の中の衝動を持て余してしまうほどのエネルギー。かつては自分も同じだったというのに、私も今では我が家の中学生をどう扱えばいいものやら悩める日々を送っています。
また、それは同時に親としてのエゴを自覚する日々でもあります。小学生の間は元気で笑って暮らしていれば満点だと思っていたのに、中学生になった途端に、定期テスト前にダラダラする姿にイライラしてしまうのはなぜなのでしょうか。こんな失敗もありました。クラブを選ぶシーズンになり、色々な部活を体験している息子のことが気になって仕方がなかった私は、彼に合いそうな演劇部と美術部を何度も勧めてしまいました。でも、最終的に彼は全く違うスポーツ系のクラブを選び、さらには「あまりに勧めてくるから演劇部と美術部には入りたくなかった」と発言したのです(大ショック!)。私は結局、こんなクラブに入ってこんな活動をしてほしいという自分の希望を押し付けていただけで、それは息子にとってはプレッシャーにしかなっていなかったのだということにようやく気づかされました。なんと愚かな母親なのでしょう。10代の子どもを育てるということは、自分自身のエゴとの戦いでもあると今は強く感じて反省しています。
そんな半人前の親である私に、思春期の息子との向き合い方を教えてくれる映画が『君の名前で僕を呼んで』です。ティモシー・シャラメの魅力が炸裂しているとても美しいこの作品には、イタリアの別荘で両親と休暇を過ごしている少年が、年上の男性と経験するひと夏の恋が描かれています。そして同時に、そんな息子を見守る思慮深く勇敢な両親の姿も描かれているのです。
1983年北イタリア。考古学者を父に持つ17歳のエリオは、避暑のために今年も別荘を訪れていました。プールや川で泳いだり、本を読んだりピアノを弾いたり、近所に住むティーンエイジャーたちと遊んだりしてのんびり過ごしているエリオでしたが、あるとき考古学者の父親が招待した大学院生のオリヴァーがやってきます。
エリオの部屋をオリヴァーに譲り、エリオは水回りを共有する隣の部屋に滞在することになるのですが、到着するなり「疲れた」と寝てしまい、教授から招待されているという立場なのに夕食もスキップしたオリヴァーに対して、エリオは傲慢だという印象を抱きます。それなのに、近くで過ごすうちにオリヴァーのことがなんだか気になってしまうのでした。
エリオの父親は毎年学生を招いて別荘に滞在させているようです。日中は研究の手伝いを、その他の時間は自由に北イタリアの田舎を満喫してもらうというスタイル。エリオの父親とオリヴァーの間で交わされる学術的な会話はもちろん、本作は全編を通して古代ギリシャを中心とした歴史と文学の気配に満ちているのが特徴です。
家族3人とオリヴァーが研究部屋にいるときに、父親はアプリコットの語源はアラビア語だという話を振ります。するとオリヴァーは即座に反論。その答えを聞いて、両親とエリオは満足そうに視線を交わし合うのでした。なぜなら、これは訪問者に対して毎年行う「テスト」だから。このシーンからも、両親が知的好奇心と教養に満ちた環境でエリオを養育していることがわかります。
いつの間にか地元の人たちと馴染み、女の子とも親密になっている様子のオリヴァー。彼の存在が気になって仕方ないのになかなか素直になれず挑発するような言動をとってしまったり、他の女の子との逢瀬に興じたりするエリオ。それでいてオリヴァーの下着に顔を埋めてみたりと、自分でも制御できない衝動に身を持て余すようになっていきます。
そんなエリオが一歩を踏み出すきっかけとなったのは、ある停電の夜でした。両親と共にいるエリオに、母親は『エプタメロン』(※)の一説を読み聞かせてあげます。それは、若く美しい王女に恋焦がれた騎士が、彼女を愛するあまりに「(想いを)話すべきか、命を絶つか」と問いかけるというシーンでした。エリオは「そんなことを聞く勇気はない」と言いますが、父親は「どうかな。エリオ、いつでも私たちに話すといい」と返すのでした。
※…フランスの女流作家マルグリット・ド・ナバールの短編連作集
私はこのとき、両親はすべてお見通しなのだと気づきました。自分の気持ちを伝える勇気を出せないエリオの様子を知っていて、その想いを肯定してあげているのだと。本作の舞台は1980年代です。まだまだ同性愛が社会的に受け入れられているとは言い難い時代、しかもエリオはまだ17歳です。不安や心配(多くの場合は否定)が先に来てしまう親がほとんどだと思いますが、エリオの両親はとても柔軟で先進的な人間だといえるでしょう。
騎士と王女のエピソードに何かを感じたエリオは、オリヴァーに「(自分の想いを)知ってほしい」と秘めていた恋心を打ち明けます。しかし、「そのままでいよう」と拒絶され深く傷ついてしまうのでした。
守るだけが、親の愛情ではない。
ある昼下がり、夜に出かけるというエリオを使用人が咎めると、母親は「好きにさせて」と夜の外出を許可します。そして、エリオに「好きでしょ、オリヴァーのこと」と切り出し、「彼もあなたが好き。あなた以上に」とエリオの気持ちを見透かしたような言葉をかけてあげます。エリオの気持ちもオリヴァーの気持ちも察知した上で、息子の心の痛みを和らげて背中を押してあげる母親の愛。こんな風に、私は手放す愛を与えてあげられるでしょうか?エリオの両親の言動を見る度に、自分自身に問いかけずはいられません。
女の子と寝て気を紛らわすエリオでしたが、いてもたってもいられずオリヴァーに手紙を書きます。それを読み、心を決めたオリヴァーと遂に結ばれたエリオは、人生で初めての本当の恋に落ちます。「君の名前で僕を呼んで。僕の名前で君を呼ぶ」とエリオに愛を伝えたオリヴァー。古代ギリシャの哲学者プラトンが『饗宴』に記した「2人で1人の完璧な生命体である人間は、ひき裂かれた半身を求めあう」という愛のイメージを連想させるこのセリフは、歴史と文学の香りを纏う本作の中において、最高の愛の言葉として煌めいています。
雰囲気からふたりの関係の進展を見抜いた両親は、別荘から自宅に戻る前に研究のために別の場所に立ち寄らねばならなくなったオリヴァーに、エリオを同行させることを決めます。
正直に言って、私はこの両親の決断に驚愕しました。17歳の息子を確実に性的に見ていて、ほぼ間違いなく別れることになるであろう(続いたとしてもその先には苦しみが待っているであろう)と確信している相手に数日間息子を預ける……想像してみようとするものの、なかなかイメージができませんでした。なぜ? 両親の真意を探ろうと、私はスクリーンを凝視し続けました。そして、その答えは映画の終盤で判明します。
オリヴァーとの旅を終えたエリオは泣きながら母親に迎えに来てほしいと頼み、17歳の少年へと戻りました。帰宅した彼に対して、父親はこう声をかけます。
「賢いお前にはわかるだろう。(オリヴァーとエリオの関係が)稀有で、特別な絆だということが」
「“それは彼だったから”、“それはわたしだったから”」
「お前と彼との間には、知性だけではないすべてがあった。彼は善良だ。お互いを見出せて幸運だった。お前も善良だから」
「お前の人生はお前のものだが、忘れるな。心も体も一度しか手にできない。そして、知らぬうちに心は衰える。肉体については、誰も見つめてくれず、近づきもしなくなる。今はまだ、ひたすら悲しく、苦しいだろう。痛みを葬るな。感じた喜びも忘れずに」
父親は、エリオが傷つくことを知っていました。しかし、これ以上ないほどの喜びを得ることもわかっていました。人生において重要な出会いを手に入れた息子の手を敢えて放し、誰かを心から愛するというかけがえのない経験をさせるために、息子の心が悲しみに沈むであろう未来に息子を飛び込ませたのです。なんという愛情、なんという勇気。私は父親の言葉のすべてに深い感銘を受けました。
私の息子も中学生になり、行動範囲も思考回路も把握しきれなくなってきています。友人たちとスマホで毎日やりとりをし、家に友達がくると私を別の部屋に追いやろうとする息子の行動を100%監視しようというつもりは毛頭ありませんが、やはり心配は尽きません。出かければ家に帰ってくるまで不安ですし、友達と喧嘩している様子が見えるときはハラハラします。素直に親心を吐露すると、一生身も心も傷ついてほしくありません。
でも、そういうわけにはいきませんよね。自分で判断して行動することも、失敗することも、傷つくことも人生において絶対に必要な要素なのですから。親の愛は「守ることだけではない」のだと、私はエリオの両親から教えられました。
数か月後、エリオはまた深く傷つくことになるのですが、暖炉の前で涙を流すエリオの背後から、そっと母親が声をかけるシーンで映画は終わります。子どものことをよく観察し、しっかりと理解し、ときには勇気を持って手を放し、「いつでも見守っている」という姿勢を常に見せ、助けを求められればすぐに手を差し出し抱きしめる準備をしているエリオの両親。彼らは私にとって「親」の理想の姿であり、目標です。
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- 17歳のエリオは、両親の「手放す愛」で、人を心から愛する喜びを知る。『君の名前で僕を呼んで』
- “未来”を「知る」ことは不幸ではない。 限りある“今”という時間を認識するきっかけとなる。『メッセージ』
- 衝動的で暴力的で滅茶苦茶。それこそが「思春期」。無軌道な子供達が、大人たちを軽やかに超えていく。 『台風クラブ』
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