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柳亭小痴楽 映画世渡り問答 第一回

Q.新生活に前向きになれる映画は?
A.『ブルックリン』

今最も勢いのある若手落語家・柳亭小痴楽さん。聞けば、子どもの頃から大の映画好きだったそうです。そんな小痴楽さんが、読者から届いたお悩みに答え、シメに1本の映画を贈る人生相談コラム。心のビールを片手に(?)、ごゆるりとお楽しみください。
落語家
柳亭小痴楽
Kochiraku Ryutei
1988年生まれ、東京都出身。落語家。2005年10月、二代目桂平治(現:桂文治)へ入門し「桂ち太郎」の名で初高座。2008年6月、父・柳亭痴楽の門下に移り「柳亭ち太郎」と改める。2009年9月に痴楽没後、柳亭楽輔門下へ。同年11月、二ツ目に昇進し「三代目柳亭小痴楽」となる。2013年、落語芸術協会所属の二ツ目で構成されるユニット「成金」を昔昔亭A太郎、瀧川鯉八、桂伸三、三遊亭小笑、春風亭昇々、笑福亭羽光、桂宮治、神田松之丞、春風亭柳若、春風亭昇也と共に結成し、落語ブームを牽引。2019年9月、真打への昇進を果たす。
Twitter: @kochiraku
新生活が不安です。
私は中学3年生です。もうすぐ中学校を卒業します。ずっと一緒にいた友だちや大好きな先生と離れてしまうことが寂しく、卒業したくないです。また進学予定の高校の科には、友だちや知り合いがいません。「入学後、一人ぼっちになってしまうのではないか?」など、さまざまな不安があります。どうしたら前向きな気持ちになれるでしょうか?
(相談者:真央さん)

新しい環境で、自分に少しずつ
何かが入っていく感覚を楽しめ!

真央さんお便りありがとう! ……なんて、お悩み相談のお便りをもらってからもう数カ月。とっくに新生活は始まっちゃってると思いますが、いかがお過ごし? 相変わらず落ち着かない時勢ですが、こちらは元気にやってます!
真央さんのような若者からのお悩み相談、おじさんとっても嬉しいです! ……気持ち悪いな。いや、純粋に10代で映画への興味なのか落語を知っているのか、もし落語にも興味があったのかなと思うと本当に嬉しく思います。何よりお悩みをもらってから、しばらく忘れていた自分の学生時代を振り返る時間ができて、懐かしい思い出のあれこれが蘇ってきて素直に楽しかったです。といっても高校中退の私、振り返る学生時代が短くてあっという間だった……と、暗い話は置いといて。
さてさて、真央さん、高校生活エンジョイしてるかい?
中学から高校へという環境の変化、不安だよね。私はなんにせよ変化が嫌いで、マンネリやワンパターンが落ち着くタチで、極度の面倒くさがりなもんだから、その不安にとても共感ができる! どれくらい変化が嫌かというと例えば、引っ越しが大嫌い! 荷物の整理もムリだし、何よりせっかく覚えた駅から家までの帰り道をまた一から覚えなきゃいけないのが大変。引っ越してからしばらく家に帰れず迷子になるくらいです。……と、情けない話は置いといて。

そんな私だけど、環境の変化を「怖い」とは思ってない。人生で一番大きく環境が変わったのは16歳の夏。高校を辞めて落語界に入り、修業を始めた。振り返ってみても不思議なくらい、環境の変化やその先の将来への不安はなかった。むしろ「早く一人前になりたい! 早くお金を稼ぎたい! 早く人を笑わせたい!」という気持ちがかなり強かった。だから退学届けが通った時は、「あぁ、これでやっと無駄な時間が終えられた」と、将来に向かって、時間を有意義に使えるようになったことに安堵したのを覚えている。しかし、いざ修業が始まると自分のだらしなさから、落語家以前に人として“当たり前”のことができなさ過ぎるという現実に打ちひしがれ、若さゆえに持っていた過信を根本からボキッと折られることになるのだけど……。
落語界では、弟子入りした師匠から正式に入門が許されると「前座」になり、約4年間の修行期間が始まる。この4年間は休みなし! やることといったら大雑把に言って、まず「雑用」。毎日、師匠の家を掃除し、その前後は都内に数軒ある寄席でいろんな師匠方の雑用を請け負う。それから「気働き」。師匠方の考えや行動を読んで、気を働かせなければならない。師匠方のクセや好みなど、とにかく覚えることがたくさんあった。
例えば、お茶出し。先輩が楽屋に入ったら、出番前になって着物に着替えたら、出番を終えたら、と節々でお茶を出す。それもただお茶を出すのではなく、師匠方一人一人、お茶の好みがある。熱い、ぬるい、冷たい。濃い、薄い、お白湯。その好みも覚えて出す。そして、出すタイミングがまた難しい。タイミングが悪いと「受け取れるか!」と怒られる。逆に間がいいと「おっ?」という顔でニコッとしてくれる師匠もいる。この“ニコッ”がとっても嬉しかった。そしてこのタイミングの良し悪しから、落語の“間(ま)”を肌で覚えていくんだと私は思っている。ただのお茶出し、されどお茶出し! 恐るべしお茶出し! そんななんでもないようなことが、落語家としての血となり骨となり肉となっていく。
その頃、私に欠けていた“当たり前”の一つが、漢字だった。真央さんは漢字が得意かな? 私は苦手以前に漢字を知らなかった。前座は毎日、寄席でネタ帳にその日の出演者とネタを書かなくてはならない。2005年、平成の時代にまさかの字が書けなかった私は、ネタ帳が書けなくて師匠に驚かれながら怒られた。知らない漢字をメモしては、それを覚えるために家で何回も書き続ける毎日。そのおかげで、今では漢字の読み書きができるようになった! ね? だってこのコラムはちゃんと漢字がいっぱいあるでしょ?
ちなみに改行という概念も知らなくて、習った落語を台本に起こしても平仮名ばっかで改行しないから、まるで暗号文みたいだったよ。ね? このコラムは改行があって読みやすいでしょ?
4年経って修行が終わり、時間ができた時に改めて入門したての頃に習った落語の台本を書き直したら、原稿用紙30枚もあった台本が15枚になった。なるほど漢字を覚えると、読みやすい上に紙の節約にもなる! まさに一石二鳥なわけなのね!

何もなかった私は、何もない自分にちょっとずつ何かが入っていく感覚に喜びを覚え、とってもツラい修業期間のはずが、とっても楽しい修業期間になっていた。
私にとって大きな環境の変化といえば落語界入りだったけど、そんな特例だけじゃなくて高校入学でも同じように、「新しい環境を楽しむこと」が自分という人間を大きく、強くしてくれるのかも。
偉そうなことを言いながら、私もまだまだ33歳、人生の先輩は大勢いる。これからも毎日毎日楽しみながら、新しいことを教わって覚えていくつもり。真央さんも新しい環境を楽しんでください! で、気付いたらきっと、今まで出会った大好きな友だちや先生と同じくらい、大好きな友だちや先生と出会えているはず。
最後に、勉強ばっかは体に毒だから気を付けて! でも、やらなさ過ぎると私みたいになっちゃうから、それだけは本当に気を付けて!

『ブルックリン』

この映画の主人公は、アイルランドの田舎町で生まれ育った少女エイリシュ。地元でやりがいのある仕事に就けず、このまま生涯を終えたくないとばかりに、新天地ニューヨーク・ブルックリンにやってきた。まずその勇気と行動力が素晴らしい。
女子寮で暮らしながら、デパートで販売員の仕事を始めたエイリシュだったが、最初は都会に馴染めずホームシックになってしまう。でもやがて大学で簿記の勉強を始め、またプライベートではトニーという心優しい若者に出会う。その頃からエイリシュは見違えるように、新しい環境に馴染んでいく。何かに夢中になることによって、自然と自信を付けていく姿が微笑ましい。
好きなセリフのやりとりがあった。デパートで、ぎこちないエイリシュの接客を見た上司が「また来てもらうために友だちのようにふるまうの。自然にできるようになって。下着を頑張って着ける?」と問う。エイリシュが「いいえ、何も考えずに着けます」と答えると、上司はキリッと一言「そういうこと」。とても粋なアドバイスだった。
ブルックリンにすっかり馴染んだエイリシュだったが、あることがきっかけでアイルランドへ一時戻ることに。友だちと向かった地元の海で「この景色を忘れていた」と言うシーンでは、過去にも大事なものがあるんだと気付いたかのよう。間もなく大事な二択を迫られるエイリシュ。観ていて、これが本当に一皮むけて大人になるということなんだと思った。最後の気付きのセリフは、とても明るく気持ちのいい言葉なので、お楽しみに。
あと、私が映画を観る楽しみの一つは時代背景の描写だったりする。その時代の文化や服装、街並みや景観。『ブルックリン』の場合は1950年代ならではの素朴な、今で言うレトロ感のある美術や衣裳がオシャレだった。そんなところもぜひ観てもらいたい。

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PROFILE
落語家
柳亭小痴楽
Kochiraku Ryutei
1988年生まれ、東京都出身。落語家。2005年10月、二代目桂平治(現:桂文治)へ入門し「桂ち太郎」の名で初高座。2008年6月、父・柳亭痴楽の門下に移り「柳亭ち太郎」と改める。2009年9月に痴楽没後、柳亭楽輔門下へ。同年11月、二ツ目に昇進し「三代目柳亭小痴楽」となる。2013年、落語芸術協会所属の二ツ目で構成されるユニット「成金」を昔昔亭A太郎、瀧川鯉八、桂伸三、三遊亭小笑、春風亭昇々、笑福亭羽光、桂宮治、神田松之丞、春風亭柳若、春風亭昇也と共に結成し、落語ブームを牽引。2019年9月、真打への昇進を果たす。
Twitter: @kochiraku
FEATURED FILM
監督:ジョン・クローリー
脚本:ニック・ホーンビィ
出演:シアーシャ・ローナン、ドーナル・グリーソン、エモリー・コーエン、ジム・ブロードベント、ジュリー・ウォルターズ
アイルランドの小さな街。エイリシュは食料品店で働きながら、母と姉ローズの3人で静かに暮らしている。妹の将来を思い、エイリシュがニューヨークで働けるよう計らうローズ。家族と故郷に別れを告げ新天地へと旅立ったエイリシュだったが、彼女を待ち受けていたのは慣れない生活とホームシックで涙に暮れる日々。そんなエイリシュを救ったのは、同郷の神父の勧めで通い始めた大学での“学ぶ喜び”と、誠実なイタリア系アメリカ人トニーとの“新しい出会い”だった。徐々に笑顔を取り戻し、自信を持ち始めたエイリシュのもとへ、故郷からある知らせが届く……。監督は『BOY A』(07)や『ザ・ゴールドフィンチ』(19)のジョン・クローリー。主演は『レディ・バード』(17)や『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』(19)のシアーシャ・ローナン。
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