先日、『愛がなんだ』という映画を家内と観た。この映画を観て、私は驚いた! というのも、主人公テルコの、想いを寄せている相手マモルへの一途過ぎる気持ちが分からず、共感とは真逆の気持ちを抱いてしまったのだ。
それとマモルのダメ男ぶり、テルコを呼び出しては用が済んだ途端に帰すという鬼人ぶりには、人として酷すぎるだろ!と驚愕したし、腹も立った。なんなんだこいつ、だけど確かにこういう奴いるわぁ、と思いながら隣にいる家内に目を向けると、しら〜っとした目でこちらを見てくる。
「なんだよ。」
「あんた今、『この男最低だわ』って思ってたでしょ。」
「思ってたよ。酷すぎじゃない? こいつ!」
「ね。酷すぎるよね。人がやってると、酷いって分かるんだね。あのね、付き合ってる時から、あんたもこんなんだったよ。」
…と、家内からの不平不満が止まらなくなったので、ここで映画を一時停止。
家内の小言を聞いていると、なるほど私は最低の人間である。記念日は覚えない。誕生日すら未だに覚えない。なんでも、付き合ってからちょうど一年の記念日は地方に前乗りし、その翌日から数日間を離島で過ごそうと、ヘリの予約までしていた。なのに記念日当日、私は仕事が終わっても帰って来ず、連絡も取れない。夜になってようやく連絡が取れたと思ったら、旅行のことを忘れ、後輩を連れて呑みに行っていた、らしい…。
また家内いわく、妻と家政婦の区別もついていない。一度行った海外旅行も、プライベートの予定は二の次三の次なので、もう仕事が入らないだろう二日前になって、いきなり「四日間空いてるからここでグアム行こう!」と言い出し、飛行機から何からの手配は家内に全部押し付けた、らしい…。しかも行ったはいいが、最初の丸一日は二日酔いでホテルで潰れていた、らしい…。いや、ほんと最低ですね、この人…。
ただ言わせてもらうと、マモルのダメっぷりは私とはベクトルが違う。なんてったって、マモルとテルコはそもそも付き合っている訳ではないのだ。私も大概ヤベェやつ、かもしれないが、マモルの方が断然ヤベェやつだろう。まさに釣った魚に餌をやらない、そんなワールドワイドなダメっぷりのマモルのどこにテルコは惚れているのか。客観的に見て、どこにも惹かれる理由がないように思える。
テルコのマモルに対する気持ちはもはや、“好き”というより、“執着”になっているんじゃなかろうか。
映画の中に、こんなシーンがある。マモルを優先するがあまり、仕事に身が入らないテルコが、ついに会社をクビになった日。会社の後輩と公園で話すテルコ。
「山田さん見てると、自分はまだ本当に好きな人に出会ってないんじゃないかって思えてくる。」と後輩に言われ、テルコはこう答える。
「私はどっちかになっちゃうんだよね。『好き』と『どうでもいい』のどっちか。だから、好きな人以外は自然と全部どうでもよくなっちゃう。」
その答えに同僚が一言「自分も?」と返すのだが、テルコはうまく答えられない。この問いが言い得て妙で、私がテルコを理解できなかった理由が詰まっているように感じた。皆さんは、今の自分をどれくらい好きだろうか。テルコのように、自分がどうでもよく思える瞬間があるだろうか。
私はといえば、仕事面でどうしようもなくだらしない部分さえ戸棚にしまい、頑丈な鍵をかけ、その鍵を海に捨ててしまえば、自分のことがとっても大好きだ! というと、とんだナルシストに聞こえるが、多分そういうことではない。一見矛盾するようだがそれは、自分という人間に対して、「こんなもんか。」という諦めの境地に達しているからである。
小学四年生の時だったか、家族とテレビでK-1の試合を観て、マイク・ベルナルド選手に憧れるようになった。「南アフリカの大砲」と呼ばれた、スキンヘッドのマイク・ベルナルド。その年は確か準優勝に終わってしまったが、その戦いぶりに感動した私は、すぐさま母に「マイク・ベルナルドになりたい!」と訴えた。
「え? 格闘技始めるの?」
「痛いの嫌だ! そうじゃない! スキンヘッドにする!」
「いつ?」
「今から!」
それを聞いた親父が面白がり、「よし! 今からするぞ! 髭剃り持ってこい!」。そう言って思い立ったが吉日とばかりに、私の髪の毛を乱雑にハサミで切り、適当に短くなったところを、石鹸とT字の髭剃りでジョリジョリやり始めた。雑で乱暴な親父のヘアメイクに、私は少々…いや、結構痛みを感じたが、それでも数分後には、あのかっこいいスキンヘッドのマイクになれるんだ!と目を瞑って、その痛みを耐えに耐えた。しばらくして父の「終わったよ。」という声と、背後から聞こえる家族の笑い声と共に、差し出された鏡を見てみると、そこにはマイク・ベルナルドの面影は何一つない、青頭のマルコメ少年がいた…。
思ったのと全然違う‼︎ 頭の中が真っ白になった私が、母から手渡された味噌を持つと、兄貴が後ろで「お味っ噌なぁら、はなまるきっ♪」と歌った。怒り狂った私は兄貴に向かって、マイク・ベルナルドも真っ青な右ストレートを放ってやった! が、兄貴の右のカウンター、ライトクロスにあえなくダウンを奪われた。すぐさまレフリーママの判断で兄弟試合は止められ、見事大敗を喫した。
マイク・ベルナルドも真っ青になるくらい私の頭も真っ青になったあの日、私は、自分は自分以外の何者にもなれないんだと気付いた。それ以来、誰かのようになろうという憧れは持たなくなった。
『愛がなんだ』では物語が進むにつれ、テルコもさすがにマモルのズルさや弱さに気付き始めるのだが、それでもテルコの執着心は止まない。そんな懲りないテルコを見ていて、なんなんだお前は! もうどうにでもなれ! 知らん! そう思った矢先のラストシーンにハッとさせられた。なんの前触れもなく、テルコが象に餌を与えているのだ。
あのラストシーンは何を意味しているんだろう。もしかしたらテルコは行き切った末に、ようやく自分という人間と向き合う決心がついたのかもしれない。あるいは、本当に自分のことがまったくどうでもよくなり、その穴を埋めるかのようにして、憧れのマモルになおさら執着!ということなのだろうか。
テルコは幸せになれるのかな。テルコのこれからが気になってしょうがない。それはこの映画の続編を観たいとかではなく、純粋にこれから十年後のテルコがどうしているのかが、なぜかとても気になる。
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