目次
タイと『アルピニスト』
カン、カン、コン、カン。石臼で生のスパイスを叩く。タイでクロックと呼ばれるやつだ。腕が疲れると部屋の中を移動する。
10回、20回、30回……。クッション型のトランポリンの上で飛び跳ね、気を紛らす。
カン、コン、カン、カン。まもなくクロックへ戻る。1月に旅したタイを思い出し、イベント用に大量のカレーを仕込んでいる。
40回、50回、60回……。バランスを取るのは難しく、へたくそな盆踊りのようになる。
コン、カン、カン、カン。次にタイを旅するのは来年2月の予定。それまでにどれだけこの石臼に杵を打ち付けるのだろう。
70回、80回、90回……。そろそろ足も疲れてきた。100回に届く直前に異変が起きた。ピキッ! 右ひざに電気が走ったような刺激があり、床によろける。僕は軽く悲鳴を上げた。
映画『アルピニスト』は、知る人ぞ知るロッククライマー兼アルピニストであるマーク・アンドレ・ルクレールを追ったドキュメンタリー。数々の偉業を成し遂げているのに、世界のほんの一握りの人しか騒いでいない。興味を持った監督がマークを訪ねたとき、彼は仲間とトランポリンに興じていた。
クライミングの世界を何一つ知らない僕は、右ひざに違和感を覚えたまま憧れの目をマークに向けた。お調子者にしか見えない若者に錚々たるクライマーが尊敬の目を向けている。世界中の誰も攻略していない絶壁を次々と登る。その存在は、世界的に有名なクライマーが「尊敬を超えている」と称賛するほどだ。監督は、ナレーションで狙いを語る。これは、「彼の追い求める冒険の核心に迫ろうとする映画」だ、と。
マークが断崖絶壁を登るシーンは、手に汗を握るなんてものではない。見ているこっちが極度に緊張し、息をするのを忘れそうになる。心臓の鼓動が高鳴り、ソワソワと落ち着かなくなり、恐ろしくて逃げたくなる。カメラが一気にズームアウトし、巨大な山並みが映し出された。目を凝らして探さなければ見つからないほど小さいマークが、山肌にしがみついている。「いったい、なんで……」と思わず声が漏れ出てしまう。
監督もあるクライマーに尋ねている。
「なぜ無謀なことを?」
クライマーは呆れたように笑いながら静かに答える。
「野暮なこと聞くね」
薬局で買った湿布を貼り、サポーターを装着したが回復の兆しは見えない。翌日、僕は右足を引きずりながら整形外科へ向かった。問診を受け、ベッドにあおむけになり、ひざの周りを指圧してもらう。
「痛みがあったら言ってくださいね」
医師を涙目で見ながら、右ひざに神経を集中させるのだけれど、今度は一向に電気が走らない。痛みは消え去っているのだ。
「あれ? 痛くないです。おかしいな」
レントゲンの結果はいたって正常。骨も軟骨も理科室にある標本のように見事な形をしている。病院を後にすると、驚いたことにスタスタと道を歩ける自分がいた。え? ゴッドハンド!? 僕はおおいに混乱した。
人類によるクライミングという山の攻略は、長い歴史の中でスタイルを変えてきた。道具を駆使した人工登攀から始まり、最低限の装備で岩を傷つけずに登る“フリークライミング”が生まれた。その極致が“フリーソロ”である。手足だけを頼りに大岩壁を登る単独登攀。危険極まりなく、滑落死も少なくない。
カナダで生まれたマークは、子供のころから山に登った。社会に適合できず、ADHDと診断され、学校をやめた。「自由に冒険しなさい」とマークを育てた母親の考え方が素晴らしい。
「母は自分の願望を押しつけず、僕にやりたいことを見つけさせてくれた」
高校卒業後にクライミングの名所、スコーミッシュへ移住した。まもなく彼は圧倒的な頭角を現すこととなるのだが、常に穏やかでひょうひょうとしている。
「岩に登るのは限界に挑戦するのが目的ではない。緊張感やスリルは求めていないよ。単にもっと気軽な娯楽みたいなものかな」
山や大自然を攻略するよりも、溶け込み一体化する喜びを見出しているかのようだ。“彼の追い求める冒険の核心”が垣間見えるような気がした。
一度は完治したかに見えた僕の右ひざだが、階段を上り下りすると少し傷む。筋肉の張りをほぐすと楽になる。トランポリンがキッカケで自分の体と向き合うことになるとは思ってもみなかった。そんな折、関東に大型の台風が接近した。夜中に目が覚めるとズキズキとひざが痛む。翌朝、事態は急変していた。ベッドから起き上がるのもつらいほど痛むのだ。
そういえば、「雨が降ると古傷が痛む」とか「気圧のせいで体調が優れない」とか、そんなセリフを聞いたことがあったっけ。マークには笑われそうだけれど、僕は僕で平穏無事な日常の中に自然とわが身とのささやかな関連性を見出していたのである。
「あちこち完登しているのに全く知られていない」
「彼は貪欲なクライマーだが名声には興味がない」
名だたるクライマーがコメントするように、マークは現代人とはかけ離れた感覚で生きている。メディアに取り上げられることを嫌い、SNSでも偉業を発表してこなかった。
極めつけのエピソードがある。カナディアンロッキーで最高峰のロブソン山を単独登攀したときのことだ。彼は撮影クルーから身を隠し、偉業を成し遂げた。なぜ連絡してくれなかったのか、と詰め寄る監督にマークは答える。
「単独初挑戦の同行は許していない。誰かがいたら単独にはならないだろ? 人がいると全然違うものになる。見ているだけでもね。それは僕が求める冒険とは全く違うものだ。完全に1人でやりたい」
僕は、マークへ強い親近感を抱き、自分の活動を重ね始めていた。いや、親近感というよりも「いつかは自分もこうありたい」という憧れに近いものだろうか。
ここ7~8年ほど、僕はメディアの取材やSNSをできるだけ遠ざけている。「完全に1人でやりたい」とまでは割り切れないが、邪念なくカレーと向き合いたい。タイを旅することだって、誰かに頼まれたわけでも仕事があるわけでもない。ただ単にそこに探りたいものがあるからだ。
マークの元にはこんな言葉がよく届く。「あんな危険なことはやめるべきだ」。マークはそれには答えることなく、ただこう言う。
「でもたぶん僕はあらゆる点でものの見方が人と違うんだろうね」
誰もが夢見る場所、パタゴニアのトーレ・エガーの単独登攀に成功したあとの言葉が、激しく胸に突き刺さった。
「達成したこと自体が人生を変えるわけじゃない。そこに到達するまでの旅が心に残る。それが一番の収穫だね」
映画の終わりに監督は言う。
「マークは素晴らしい人生を歩んだ。自分の夢を追い求めた」
僕の感じ方とは少しだけニュアンスが違うような気がした。彼は“自分の夢”ではなく“自分の問い”と向き合ったんじゃないか。彼なりの核心に迫るために山に登っていたのではないだろうか。
そう思ったのは、母親の言葉の方がしっくりきたからだ。
「皆好きなように生きたいし、自由に冒険したいけど、思いとどまる。マークはそこが人と違った。自分は何がしたいのかを追求した。もし限界に思えることを超えられたり、恐怖に打ち勝てたら、何をしたいのか?」
自分の中にはっきりとした問いを持てることは、幸せなのかもしれない。それを誰に構うこともなく探求できる勇気と行動力が財産なんだ、とマークに教えられたような気がした。だったら僕がタイを旅することだって。右ひざをさすりながら、もっと存分に突き進もうと改めて思った。
- 夢かうつつか、カレーと向き合う日々/『WALK UP』
- なぜ絵を描くのか?なぜなのか?/『世界で一番ゴッホを描いた男』
- そこに到達するまでの旅が心に残る。/『アルピニスト』
- 若い頃にしたことやしなかったことの夢だ。/『ダゲール街の人々』
- 美しい光は危険なんだ。おいしいカレーもね。/『旅する写真家 レイモン・ドゥパルドンの愛したフランス』
- ケキッキは、ケキッキだ。それで、いいのだ。/『カメラが捉えたキューバ』
- 臆病なライダーが、カレーの脇道をひた走る。/『イージー・ライダー』
- 気を抜くんじゃないよ、あの男が見張っている。/『世界一美しい本を作る男〜シュタイデルとの旅〜』
- 失ったものもいつかは取り戻せる、 といいなぁ。 /『パリ、テキサス』
- 1つさ。 それに頼れば、ほかはどうでもいい /『シティ・スリッカーズ』
- 嘘でも言ってくれ 「見せかけなんかじゃない」 /『ペーパー・ムーン』
- 誰かにもらった正解よりも、自ら手にした不正解 /『80日間世界一周』
- 笑いの裏に苦悩が隠れ、 怒りの裏に孤独が潜む。/『スケアクロウ』
- 指した手が最善手。別の人生は歩めないのだから /『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』
- 希望はいつも足元にあり 仲間はすぐそばにいる /『オズの魔法使』
- 「何のため?」…なんて悩んでいるうちは、ひよっこだ。 /『さらば冬のかもめ』
- 独創性は生むより生まれるもの、なのかもなぁ。/『SUPER8』
- どうして探しモノは見つからないのだろう?/『オー・ブラザー!』
- 答えは見つからず、理由は説明できないのだ。/『ブロークン・フラワーズ』
- 寸胴鍋をグルグルとかき混ぜる、身勝手な男。/『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』
- チラ見せに魅せられて、魔都・上海。/『ラスト、コーション』
- スリルは続くよ、スリランカ。/『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』
- 普通だよね、好きだよ、ポルトガル。/『リスボン物語』