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水野仁輔の旅と映画をめぐる話 vol.20

若い頃にしたことやしなかったことの夢だ。/『ダゲール街の人々』

水野仁輔の旅と映画をめぐる話
カレーの全容を解明するため世界を旅している水野仁輔さんが、これまでの旅の経験を重ね合わせながら、映画の風景を巡ります。あなたは今、どこへ出かけ、どんな風を感じたいですか?
カレー研究家
水野仁輔
Jinsuke Mizuno
AIR SPICE代表。1999年以来、カレー専門の出張料理人として全国各地で活動。「カレーの教科書」(NHK出版)、「わたしだけのおいしいカレーを作るために」(PIE INTERNATIONAL)など、カレーに関する著書は60冊以上。カレーを求めて世界各国への旅を続けている。現在は、本格カレーのレシピつきスパイスセットを定期頒布するサービス「AIR SPICE」を運営中

フランスのブルターニュと
『ダゲール街の人々』

近所にいつも行くとんかつ屋さんがある。昼時にはお得なランチメニューがあるのだけれど、構わず単品の特上ロースカツ定食を頼む。とんかつ屋さんなのに鶏のから揚げも絶品で、テイクアウトの定番だ。何をすれば鶏むね肉があんなにやわらかくなるのかわからない。多幸感で口の中が満たされる。
徒歩5分。自転車なら2分。行列ができるような店ではないが、ふらりと訪れて比較的混んでいたときは、座る席があっても遠慮するようにしている。

ドキュメンタリー映画『ダゲール街の人々』を観ながら、自分の住む街のことが頭に浮かぶ。パリと東京が交錯する妙な感覚を体験した。
パリ14区、ダゲール街の「青アザミ」という商店の入り口に立つ老夫婦の姿から映画は始まる。マダムは静かなたたずまい。店主は調香師。香水と雑貨を売っている。「忘れられた在庫の匂いがするショーウィンドーが好き」という監督は、自宅から50メートル圏内でいつも訪れる店を中心に撮影したそうだ。
おとなしく淡々と街角の店の何気ない日常が続く。アコーディオン屋、肉屋、パン屋、床屋、時計屋、仕立て屋。しっとりと落ち着いたトーンで彩られたフランス映画を観て、とんかつ屋が頭に浮かぶんじゃチグハグな感じもする。でも監督にとっての「青アザミ」がそうであるように、僕にとっては大切な存在である。

ロースカツやからあげに限らず、ヒレカツもアジフライも期間限定のカキフライも全部うまい。ほとんどすべてのメニューを食べているはずだが、実はまだ注文できないでいる裏メニューがある。噂に聞いているだけで、まだこの目にしたことがない。
それはお弁当だ。ご飯の上にトンカツを乗せ、さらに上からご飯をかぶせたお弁当が存在するという。目撃した人の話では、店の大将が修行した先の師匠と思しき人物が訪れ、持ち帰ったらしい。気安くお願いして作ってもらうわけにもいかないから、いつの日か、と夢見ながら足しげく通っている。

映画の第二部(と僕が勝手にそう捉えている)は、各店の店主へのインタビュー。簡潔に出身地とパリへ出てきた経緯、店を始めたキッカケが本人たちの口から語られる。驚くような話があるわけでもドラマチックな展開があるわけでもない。多くはその昔、パリから遠く離れた場所からやってきて、商売を始め、この地に住み着いた。よそ者が住人となる14区の現実は、自分の住む東京によく似ている。そういや僕も静岡県からやってきたよそ者だしね。
そんなダゲール街に1日限りの“よそ者”がやってきた。ミスタグという名のマジシャンである。映画の第三部(とまたも僕が解釈)が始まる。現実の世界を眠らせて霊媒を呼び起こし、常識や思い込みを掃き散らす。軽快に話し、次々とマジックを披露する男の手元や動きに仕事をするダゲール街の人々の手元や動きを重ねて映像が続く。次第に不思議な気持ちになる。
日常と非日常の境目があやふやになり、非日常よりも日常の方が新鮮さを醸し出すのだ。考えてみれば、日々の生活に心躍る瞬間を見出したり、なんでもないような時間の流れに豊かさを感じたりすることは誰にでもできるはず。フランス人は特別に上手なんだろうか。

それで思い出した人がいる。オリビエ・ロランジェというフランス人である。
去年の5月、僕は彼に会うためにブルターニュという海沿いの街を訪れた。彼の生家兼アトリエがある。オリビエ氏は、スパイスの調合家。フランスでは、「スパイスの魔術師」として知られている。
スパイスの配合について何かしらの秘策を知れるかもしれないと期待した僕は、いい意味で裏切られた。彼が3時間以上に渡って熱っぽく語ってくれたのは、自分が生まれ育ったブルターニュの街と自分自身との物語だったからだ。場所を変え、海の見える場所まで車を走らせ、景色を眺めながら海についても語ってくれた。
彼の紡ぎ出すブレンドには、乾燥させた海藻類が風味のアイテムとして活用されている。その表現は常に生まれ育った環境と背中合わせで、そこにいない多くの人を魅了している。

ダゲール街で働く人々が自分の生い立ちや商売を語る姿と、ブルターニュの街に住むオリビエ氏の姿とが、オーバーラップする。いまそこにいる自分と場の空気を生み出す身近な物事への敬愛とを彼らは持ち合わせている。
映画の中では、マジシャンの披露する奇術がどんどんエスカレートしていった。観客として集まっているダゲール街の人々は、夢中になり、楽しそうだ。その姿が逆に非日常のむなしさをより強く印象づける。少し滑稽にすら見えてくる。またもやインタビューシーンが差し込まれ、織り交ざる。やがて質問は、彼らが普段見る夢の内容へと切り替わった。第四部へ突入である。

ある男の見る夢についてのセリフが面白い。
「よく見るよ。(中略)遠い昔の夢を見ることもある。若い頃にしたことやしなかったことの夢だ」
なんだかヘンテコな答えだなと思った。だって見た夢が“したこと”じゃなかったのなら、他には“しなかったこと”の夢しかありえないじゃないか。あ、いや、若い頃にしたことにせよ、しなかったことにせよ、若い自分自身が“している”夢を見る、ということだろうか。ややこしい。まあ、いいや。睡眠時間が短いパン屋の男は言う。
「仕事しながら夢を見る。(中略)パン生地が うまく膨らまない夢もある」
現実の仕事につきながら夢を見て、その夢の中で現実かもしれないことが起こる。夢と現実が入り混じる。他人の夢の話を次々と聞いていると、したこともしなかったことも日常も非日常も似たようなものかもしれない、と思えてくる。

数年前から僕は「半径じぶんメートル」という概念を勝手に生み出し、意識するようになった。生活圏も人との縁も発信も表現も、自分の手が届く範囲で十分だと思うようになったのだ。とんかつを食べたくなったら、あの店に行けばいい。他の店は要らない。1日に目にすることができる景色も、1カ月に訪れられる場所も、1年に会える人も限られているのだから。そんなふうにしていつかはすべて消え去ってしまうのだから。
極めて限定的な欠片を拾い集め、その中にささやかな喜びを見出し、小さな発見に心を躍らせて過ごしたい。大事なものを見失わないように。このタイミングでこの映画に出会えてよかった。心に染み入った。そう、自分はここにしかいない。噛みしめておこう。

締めくくりの第5章。音が消え、黙ってカメラをじっと見つめるダゲール街の人々が映し出された。静止画なのかと勘違いしそうになるほど、誰もが表情すら変えようとしない。微かに揺れ動いているのは、彼らなの? え、それとも、僕自身なの?
最後に「青アザミ」の夫婦が、仲睦まじくこちらに向かって歩いてきた。自宅のある建物の前々で来て、ゆっくりと扉を開け、中へと入っていく。シーンにかぶせて監督のナレーション。
「これは(中略)ダゲール街のステレオタイプであり、ここで生きる人々の肖像だ。彼女がまとう灰色の沈黙のようにひっそり存在することを求めている。これはルポタージュ? オマージュ? それともエッセイ? 哀惜? 批判? アプローチ? 監督として本作に署名しよう。“ダゲール街のアニエス”」
ゆっくりと扉が閉じ、ふたりは自宅に姿を消した。
「カット!」
監督の声がして、映画も幕を閉じた。催眠術から溶けたかのように僕はハッとして、それからまた、あのとんかつ屋のことを考え始めた。

BACK NUMBER
FEATURED FILM
監督:アニエス・ヴァルダ
撮影:ウィリアム・ルプシャンスキー、ヌーリス・アヴィヴ
字幕翻訳:横井和子
配給:ザジフィルムズ

6/9(金)~6/15(木)までMorc阿佐ヶ谷にて上映
© 1994 AGNES VARDA ET ENFANTS
アニエス・ヴァルダ監督自身が50年以上居を構えていたパリ14区、モンパルナスの一角にあるダゲール通り。“銀板写真”を発明した19世紀の発明家の名を冠した通りには肉屋、香水屋…、様々な商店が立ち並ぶ。その下町の風景をこよなく愛したヴァルダがダゲール街の人々75年に完成させたドキュメンタリー作家としての代表作。人間に対する温かな眼差しと冷徹な観察眼を併せ持ったヴァルダの真骨頂。
PROFILE
カレー研究家
水野仁輔
Jinsuke Mizuno
AIR SPICE代表。1999年以来、カレー専門の出張料理人として全国各地で活動。「カレーの教科書」(NHK出版)、「わたしだけのおいしいカレーを作るために」(PIE INTERNATIONAL)など、カレーに関する著書は60冊以上。カレーを求めて世界各国への旅を続けている。現在は、本格カレーのレシピつきスパイスセットを定期頒布するサービス「AIR SPICE」を運営中
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