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水野仁輔の旅と映画をめぐる話 vol.5

答えは見つからず、理由は説明できないのだ。/『ブロークン・フラワーズ』

水野仁輔の旅と映画をめぐる話
カレーの全容を解明するため世界を旅している水野仁輔(みずの・じんすけ)さんが、これまでの旅の経験と重ね合わせながら、映画の風景を巡ります。旅に出かけたくなる、映画で世界を旅したくなるコラムです!
カレー研究家
水野仁輔
Jinsuke Mizuno
AIR SPICE代表。1999年以来、カレー専門の出張料理人として全国各地で活動。「カレーの教科書」(NHK出版)、「わたしだけのおいしいカレーを作るために」(PIE INTERNATIONAL)など、カレーに関する著書は50冊以上。カレーを求めて世界各国への旅を続けている。現在は、本格カレーのレシピつきスパイスセットを定期頒布するサービス「AIR SPICE」を運営中

パリと『ブロークン・フラワーズ』

新刊が出たからパリで出版記念パーティをすることにした。
今年の6月のことである。説明が足りなかったと自覚はしている。でも他に何を言っていいのかわからなかったから、SNSにこう書いたのだ。
「フランス・パリの在住の皆様 新刊の出版記念パーティを行います。(ー詳細ー)パリで逢いましょう」
その後、予想外の反応に戸惑うことになるとは、あのときは考えもしなかった。SNSのコメント欄やダイレクトメッセージ、他にもイベントで直接会った人たちから槍のように同じ質問が飛んできたのだ。
「なんでパリなんですか?」

え? なんで? なんで、パリ? なんでって、なに? ええ、と……。僕は答える前にびっくりしてしまった。冷静に考えてみたら当たり前のことなのかもしれない。“カレーの人”である水野が日本国内で流通するカレーの本を出版し、そのパーティをパリでするなんておかしいといえばおかしい。フランスにカレーのイメージがないだけに、疑問が沸くのも当然なのだろう。
パーティの場所がパリではなく、インドのムンバイだったら、僕は賞賛の声を聞いたかもしれない。でも、パリじゃダメだ。「なんでパリ?」にはほのかに非難のニュアンスを含んでいるものさえあった。
答えようがないから、僕はこう答えることにした。
「パリが好きだから」
これがまたよくない回答だった。カレーの人がパリへ行く理由としては納得しにくいものであることに後になって気がついた。なんで? なんのために? 頭の片隅に説明のつかないモヤモヤを抱えたまま、僕はエールフランスの機内に乗り込んだ。

もし、ドン・ジョンストンだったら、この質問にどう答えるだろうか? 映画『ブロークン・フラワーズ』に登場する男である。コンピューターでひと儲けし、盛りを過ぎてもなお女ったらしの独身男は、まるで生きることになんの意味も見いだせないでいるように無気力な生活を送っている。
そんな彼の元に謎の手紙が届き、「あなたの息子があなたを探しに旅に出た」と告げられる。そして友人にそそのかされ、20年前の恋人たちを一人ずつ訪ね歩く旅へ。真相をつかめないまま旅を終え、地元に戻ったところで映画は終わる。

エンドロールが流れたとき、「え!? なんで?」と裏切られたような気持ちになった。そう、僕の頭の中にも「なんで?」が出てきたのである。それから少ししてニヤニヤと嬉しくなってしまった。映画が終わって数分の間にふたりの自分が現れた。答えが明示されない結末に対して憤りを感じる自分と、やってくれたねと満足する自分。
物語を通じて随所に思わせぶりなエッセンスやシーンが頻出するだけに期待を高めるだけ高めておいて最後に裏切るだなんて、ジム・ジャームッシュはなんて悪戯好きな監督なんだろう。それとも深いことは何も考えずにこの一本の映画を撮ったというのだろうか。

世の中は答えの見つからないことに満ちている、と僕は思う。
世の中は理由の説明できないことに満ちている、と僕は思う。

6月の半ば、新刊の発売日からちょうど1週間の休みが取れることが判明し、僕はパリへ行くことにした。パリが好きだから。担当編集者にそのことを伝えると意外な反応が返ってきた。
「そうなんですか! 私もその時期、パリなんです」
「そうなの? じゃ、現地で出版記念パーティでもやっちゃう?」
「いいですねぇ!」
本当に他愛もないことから決まるときは決まるものである。とんとん拍子で会場や内容が決まった。まさかこんなことになるなんて、僕が一番びっくりした。場所を提供してくれたレストランのオーナーが、スパイス会社を紹介してくれることになり、その会社の社長と面会した。大いに盛り上がって、30種類以上のミックススパイスを携えて帰国することになった。
たまたまその会社のスパイスハンターが日本に出張することがわかり、彼とは東京で再会を果たした。僕はシェフを何人か集め、彼にペッパーのテイスティングワークショップを開いてもらった。いかにもカレーの人らしいこれら一連の出来事は、すべて“たまたま”起こったことだし、“ひょんなことから”そんな展開になったものだ。それは、パリに行くと決める前には何ひとつ想像できていない未来なのである。

映画の中でドン・ジョンストンは、息子を探し出せないまま地元に戻る。と、地元の空港で息子と同じ年ごろのバックパッカーを見て、「もしかしたら、こいつが俺の……」と声をかける。ハンバーガーを食べながら人生に悩む青年の問いに答えてドンが語るのは、ブッダの言葉の受け売りだ。
「Well, the past is gone, I know that. The future isn’t here yet, whatever it’s going to be. So, all there is, is this, the present. That’s it. (過去はもう終わったことだし、未来はまだ来てない。だから今あるのは……)」

僕がドンの息子(もし本当に存在するというのなら)くらいの年齢だったころ、将来の夢がないことで悩んでいた。成人一歩手前の年齢で、周囲の友人たちはなりたい自分が見えていて、そこに向かう進路を定めていた。自分には何もなかった。あれから10年が経ち、30歳を目前に控えたとき、僕は同じ悩みを抱えていた。なりたいものがない。もうサラリーマンをしていたし、カレーの活動も始めていたけれど、どちらも自分の生きる道としてはピンとこなかった。
10年間悩んで見つからない答えが、さらに10年悩んだところで見つかるとは思えない。すなわち、40歳になっても僕は同じことで悩むことになるのだ。そんな自分を想像して、バカらしくなった。あー、やめた、やめた。30歳の誕生日を迎えたとき、僕は、夢や目標は持たないことに決めた。

45歳になった今、相も変わらず僕には夢も目標もない。そう、だって、「未来はまだ来ていない」のだから。先のことを考えたって仕方がないじゃないか。その代わりに僕が30歳を過ぎてから実践し続けているのは、目の前にあることに打ち込むことであり、躊躇せず判断し進むことである。 休みができた。パリに行きたい。そう思ったときに、「なんでパリに行くの?」とか「行ったらその先に何があるの?」などは考えない。行きたいのだから行くことに決める。決めたら自然に色々なことが動き出す。動き出したら素直に従う。「のっかる」ってやつである。 将来に何も求めないのだから無欲といえば無欲なのかもしれない。何が起こるかわからないからさ、と涼しい顔をしているからか、たまに誰かが思いがけない幸運を届けてくれたりする。僕はそうやってカレー活動を続けてきた。
ドンが息子と思しき青年に伝えた言葉は、そんな僕のスタンスを肯定してくれているようで嬉しかった。ただ、あのどこか冴えない男が本気であんなことを考えているのかどうかはいまだに怪しいのだけれど。

BACK NUMBER
FEATURED FILM
監督・脚本:ジム・ジャームッシュ
出演:ビル・マーレイ、シャロン・ストーン、フランセス・コンロイ
ビル・マーレイ演じる元プレイボーイの中年男性ドン・ジョンストンの元に、差出人不明の謎のピンクの手紙がある日届く。手紙には「あなたと別れて20年、あなたの子供がもうすぐ19歳になる」と書かれていた。彼は親友のウィンストンのお節介もあり、20年前の交際相手を訪ねて回る。カンヌ国際映画祭(2005年)で審査員特別グランプリを受賞。
PROFILE
カレー研究家
水野仁輔
Jinsuke Mizuno
AIR SPICE代表。1999年以来、カレー専門の出張料理人として全国各地で活動。「カレーの教科書」(NHK出版)、「わたしだけのおいしいカレーを作るために」(PIE INTERNATIONAL)など、カレーに関する著書は50冊以上。カレーを求めて世界各国への旅を続けている。現在は、本格カレーのレシピつきスパイスセットを定期頒布するサービス「AIR SPICE」を運営中
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