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水野仁輔の旅と映画をめぐる話 vol.13

嘘でも言ってくれ 「見せかけなんかじゃない」 /『ペーパー・ムーン』

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水野仁輔の旅と映画をめぐる話
カレーの全容を解明するため世界を旅している水野仁輔(みずの・じんすけ)さんが、これまでの旅の経験と重ね合わせながら、映画の風景を巡ります。旅に出かけたくなる、映画で世界を旅したくなるコラムです!
カレー研究家
水野仁輔
Jinsuke Mizuno
AIR SPICE代表。1999年以来、カレー専門の出張料理人として全国各地で活動。「カレーの教科書」(NHK出版)、「わたしだけのおいしいカレーを作るために」(PIE INTERNATIONAL)など、カレーに関する著書は50冊以上。カレーを求めて世界各国への旅を続けている。現在は、本格カレーのレシピつきスパイスセットを定期頒布するサービス「AIR SPICE」を運営中

インドネシアのスラバヤと
『ペーパー・ムーン』

さっきからずっと口論する声が聞こえてくる。
3年前の初秋に書いた日記を読み返してみたら、書き出しがそんな風になっていた。内容は覚えている。まだ見ぬカレーを求めてインドネシアのスラバヤを訪れたときのことだ。仙人君という友人の会社に寝泊まりした。彼は、現地で胡椒の塩漬けを製造している。
オフィスでスタッフと仙人君がやりあっている。いや、正確に言えば、何かのトラブルに対して、仙人君がスタッフ4人に向かってとうとうと説いているようだ。もう、1時間以上になる。ああ白熱していると、別室で休んでいる僕はなかなか出ていくチャンスがない。声は割とはっきりと聞こえてくるけれど、インドネシアの言葉だから何を言っているのかさっぱりわからない。

ふとあの日のことを思い出したのは、映画『ペーパー・ムーン』を観たからだ。互いに分かり合える関係ってどういうものだろうか? と考えさせられた。
聖書を売りつける詐欺師モーゼと、母親を亡くして独り残された9歳の少女アディによって綴られるロードムービー。新聞の死亡記事をチェックして未亡人宅を訪れ、「生前、ご主人から発注を受けた」と騙して聖書を売りつけるモディ。頭の回転がいいアディは巧みな話術で売価を吊り上げる。親子ほど歳の離れたふたりは、いけないことをしながら互いの絆を深めていく。いいか悪いかは別として、ともかく分かり合っていくのだ。

インドネシアの片隅で、お説教は1時間半ほど続いただろうか。「ご飯にしましょう」と声がかかったので、恐る恐るみんなのいるホールへ出て行った。
険悪なムードが少し残っていたが、仙人君が何か言ったのを合図にしたかのように場の空気が一変して和やかになった。にこやかにテイクアウトした料理をみんなで囲んで食べる。歳の頃なら20歳前後の女性が3人と男性が1人。さっきまでのことはなかったようにニコニコとしている。僕はほっとして一緒に食事をした。
不思議な関係だなぁ、と思った。社長と従業員という雇用関係にあるのだから、上司が部下を叱るのは普通のことだ。でも、あんなに長い間、一所懸命話すのは、「わかってもらいたい」、「理解してもらいたい」という気持ちが強いからなんだろう。

仙人君が僕のことを改めて紹介してくれた。どう紹介したのか知らないけれど、女性たちが急に嬉しそうにスマホを取りだして検索し始めた。
「J・I・N・S・U・K・E・M・I・Z・U・N・O」
仙人君が、スペルを伝えている。
「いま、彼女たち、グーグルで検索しています。ネットに情報が出てくるような人が身の回りにいないから、半信半疑みたい」
アルファベットで検索して出てくるのかな、と思って待っていると、彼女たちから小さな歓声が上がった。画面をのぞいてみると、マンハッタンでイベントした時の画像や、いくつかの著書が出ていた。
「これ、ほんもの?」
みんな派手に喜び、顔をほころばせた。あの瞬間、僕らはちょっとだけでも分かり合えた? だろうか……。

映画の冒頭にかかる曲、「It’s only a paper moon」が好きだ。

Say, it’s only a paper moon/そう、紙のお月様にすぎないわ
Sailing over a cardboard sea/厚紙の海を帆走していくの
But it wouldn’t be make-believe/でも、見せかけなんかじゃない
If you believed in me/私を信じてくれるのならね

映画のモチーフにも採用されている“紙のお月様”を歌う。紙の月に思いを馳せるのも、故人が頼んでいない聖書を後生大事に抱えるのも、信じていればこそ。その通りだよね、と共感した。僕は、嘘でもいいから騙してくれればその気になるタイプ。真実がどこにあるのかなんてどうせ僕にはわからないのだから、勘違いしたままポジティブに暮らしていたい。ただね、それならそれで完璧に嘘をつき通してほしいんだよな。

グーグル検索のおかげで分かり合えたかもしれないスタッフたちとの食事を終え、夜の街に出かけた。さっきの顛末について何があったのか仙人君に聞いてみた。予想通り、仕事にミスがあり、そのことについて議論をしていたようだ。ただ、そのミスを非難して説教するだけでなく、「何がいけないのかを一所懸命説こうとして時間がかかってしまった」と言っていた。
言われたことをただ行動に移しているのが問題なのであって、それが何のためのものなのかを自分で考えて動けるようになってほしい。そうすれば、こういうミスは起こりえない。初歩的なことだけれど、誰がやった、誰が悪いではなく、なぜそうなったのかを理解してもらいたい。
熱く語る彼の言葉にこれっぽっちも曇りはない。日本から遠く離れたこの国で、クオリティの高い商品を作るため懸命に分かり合おうとしている。経営者としてリスクを減らすために効果的な手段だと思っているからなのか、それとも、スタッフと本当に心を通わせたいと思っているからなのか。真意はわからないし、確認するつもりもない。いずれにせよ僕には到底できないことだ。

アディはともに旅をするモーゼのことを、「本当は自分の実の父親なんじゃないか」と疑っている。あごの感じがとてもよく似ているから。モーゼは全面的に否定するが、真実を知っているかもしれない母親はこの世にいない。アディはモーゼが父親であってほしいのだろうか、それとも父親でなくてほしいのだろうか。あってほしいんだよね。気づけば少女に肩入れしている自分がいる。僕がモーゼなら、と妄想する自分がいる。 一緒にいれば金を稼げるから、という理由は見せかけだ。アディとモーゼは互いに頼り合っている。そんな絆は強くもあり、もろくもあると僕は思う。だって人は心変わりをする生き物じゃないか。僕なんて他人のことどころか自分自身のことさえ信じられない。

カレーに魅了され、カレーを探求し続けている。このままずっとそうしていたいと思う。多くの仲間に恵まれてひとかたならぬ信頼関係で結ばれている(はずだよね)。でも、その誰一人に対しても「僕と同じテンションでカレーと向き合ってほしい」だなんて期待はしていない。ましてや「いつまでも一緒に活動しよう」だなんて……。そもそもこの僕が本当にずっとカレーに情熱を絶やさずいられるかどうか、自信はないのに。
先日、仙人君から開発中だというナツメグのチャツネが届いた。このボトルも彼女たちが充填したのかな。彼も僕と同じようなことを浮かべて思考の闇をうろつくことはあるのだろうか。

モーゼは身寄りのないアディを唯一の親戚である叔母の家へ送り届けた。彼女が来るのを心待ちにしていた叔母と温かい家庭。文字通り保護されたアディに戸惑いの表情が浮かぶ。ああ、間もなく彼女はこの家を出るんだろうな。
そして映画は期待通りのクライマックスを迎える。坂道でトラックを止め、ひと息つくモーゼの元へ、さっきと同じ荷物を抱えたアディが駆けてくる。
「ついてくるな」
「だって200ドルの貸しがあるじゃない」
口論するふたりを尻目にそろそろと坂道を下り始めるトラック。慌てて追いかけるふたりを見ながら、安堵と不安に包み込まれた。このふたりの信頼関係がこれからも続きますように。

エンドロールが終わった後も、1週間経っても1か月経っても、頭の中であの曲がリフレインしている。
いい映画を観たなぁ。「見せかけなんかじゃない」と言ってくれる人はきっとそばにいる。それは誰かなのかもしれないし、僕自身なのかもしれない。トラックを追いかけたアディの後ろ姿を見て僕はそう信じることにした。

BACK NUMBER
FEATURED FILM
製作・監督: ピーター・ボグダノヴィッチ
原作: ジョー・デヴィッド・ブラウン
出演: ライアン・オニール、テイタム・オニール、マデリン・カーン、ジョン・ヒラーマン
PROFILE
カレー研究家
水野仁輔
Jinsuke Mizuno
AIR SPICE代表。1999年以来、カレー専門の出張料理人として全国各地で活動。「カレーの教科書」(NHK出版)、「わたしだけのおいしいカレーを作るために」(PIE INTERNATIONAL)など、カレーに関する著書は50冊以上。カレーを求めて世界各国への旅を続けている。現在は、本格カレーのレシピつきスパイスセットを定期頒布するサービス「AIR SPICE」を運営中
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