PINTSCOPE(ピントスコープ) 心に一本の映画があれば PINTSCOPE(ピントスコープ) 心に一本の映画があれば

水野仁輔の映画とカレーをめぐる話 vol.10

指した手が最善手。別の人生は歩めないのだから『男はつらいよ
寅次郎夕焼け小焼け』

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(カレーの全容を解明するため世界を旅している水野仁輔さんが、映画を旅するように巡りながら、映画とカレーと自身の”カレー人生”について綴ります。カレーと映画の新たな魅力を発見できるコラムです! 隔月連載中。)

ある日、僕は突然、炭酸水メーカーが欲しくなった。つい最近のことである。気分が盛り上がったので、すぐに買おうと決め、通販サイトで吟味して一番よさそうな商品を選択した。ところが、なんとなく購入決定ボタンを押す気にならないまま数日が経過した。
ある時、僕はなんとなく購入ボタンを押す気になった。商品はあっという間に届いたが、今度はなんとなく段ボール箱を開ける気にならない。玄関に放置したまま数日が経過した。その後、なんとなく使う気になったので、炭酸水メーカーを取り出した。結果、買うと決めてから使うまでに10日をかけることになったのだ。
普段から僕は「なんとなく」という気分に寄りかかって過ごしている。困ったことになぜなのかは自分でも説明がつかない。

世間では、僕みたいな人のことを“気分屋”と呼ぶのかもしれない。気分屋の大先輩といえば寅さんである。『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』を観た。
居酒屋で無銭飲食をしようとする、薄汚れたじいさんを連れて帰る寅次郎。そのじいさんが日本を代表する画家・池ノ内青観だったことが判明して物語が展開する。一枚の絵を描き、去って行った青観と寅次郎は偶然、旅先で再会。ドラマチックな展開にのめり込んでしまう。

僕にも先月、思わぬ出来事があった。書籍の撮影でタイカレーを何品か作ったときのことだ。あろうことか自作のカレーを食べて「なんてうまいんだろう!」とおおいに感動してしまったのだ。念のため言っておくが、こんなことは滅多にない。
それをキッカケに僕の中で急激にタイカレーとハーブ料理への興味が沸き起こった。今までに経験のないほどの盛り上がりである。来る日も来る日もハーブのことばかり考え始め、昨年、訪れたタイ・チェンマイに思いを馳せたりした。何の前触れもなくタイカレーの“気分”がやってきたのだ。
タイへはこれまで10回以上は訪れている。タイ料理もタイカレーもそれなりに好きだったが、本気になったことは一度もなかった。カレーの世界で活動している以上、掘りたい世界のひとつではあるけれど、なんとなく没頭できない自分がいたし、そんな気分を優先させてきた。「まあ、焦らなくてもいつかのめり込む日が来るだろう」と思ったまま、気づけば20年が経っていた。

青観に誘われた寅次郎は、夜の宴席で歓待を受け、芸者ぼたんと出会う。ふたりは意気投合し、後日、ぼたんが東京の寅さんを訪ねる。彼女が大金をだまし取られて困っていることを知り、激昂した寅次郎は殴り込みをかけようとする。さくらをはじめ『とらや』の面々が必死で止め、社長が代わりに交渉へ。
気分で動く寅次郎に周囲が振り回されまくるお決まりのパターンだ。いつだって行き当たりばったりだが、寅次郎の言動には「目の前にいる人間のためになんとかしたい」という“人情”がついて回る。若輩者の僕は大先輩のように尊い感情を秘めてはいないが、気分の裏に“人情”ならぬ“カレーへの情熱”は持っているつもりだ。

ハーブで作るカレーや料理に頭を支配され始めた僕に旧友から10数年ぶりに連絡があった。その昔、イタリア料理の屋台をやっていたジョンという男だ。「ちょっと相談したいことがある」という彼と久しぶりに再会してみると、なんとオリジナルのハーブソースを開発しているという。口に運ぶとレモングラスの香りがふわっとしてうまい。なんとタイミングがいいことだろう。
盛り上がった僕はほかにも仲間を誘ってハーブ料理ユニットを結成することにした。何気なくSNSを見ていたら、サラームさんという友人がクッキングライブを披露している。自宅のプランターからどっさりハーブを摘んでは中東料理に散らしまくっているじゃないか。おおお! またもタイミングがいい。ひょんなことからつながる展開に気分は盛り上がるばかり。やはり気分で動くというのは心地よい。

にわか“ハーブ寅さん”はすぐにサラームさんの自宅を訪ね、ハーブユニットの話をした。帰宅したら、ジョンから連絡があった。メキシコ料理のシェフを仲間に誘ってくれたという。僕はその日のうちにユニット名を考え、夜を通してロゴマークを描いた。いつまでも炭酸水メーカーを使えないでいた自分とは別人のようなスピード感だが、それもこれもハーブ気分のおかげなのである。
気分屋として生きる僕のモットーは、「流れに身を任せる」だ。何が起こるのか、どう転ぶのか、先のことはわからない。だから起こってから考える。転んでから反応する。要するに行き当たりばったりでやっていく。起きようと起きまいと転ぼうと転ぶまいと常にそこからの展開を楽しめる自分でいようと心掛けているつもりだ。

生まれ故郷の観光を盛り上げるために絵を描くことになった池ノ内青観が、人目を忍んでかつての恋人・志乃を訪ねるシーンがある。縁側でタバコをふかす青観が志乃にぼそりと話す。

青観僕はあなたの人生に責任がある

(水野:「な、何ダサいこと言ってんだよ~」)

志乃あなたがもう一つの生き方をなさっていたら、ちっとも後悔しなかったと言い切れますか?

(水野:「そうだ、そうだ! もっと言ってやれ~!」)

志乃人生には後悔はつきものなんじゃないかしら。「ああすりゃよかったなぁ」という後悔と、「どうしてあんなことしてしまったんだろう」という後悔

(水野:「ん? んんん……」)

ふたりが会話するシーンは、この映画で最も印象に残った。ふたりの醸し出す空気がしっとりしてなんともよく、思わず巻き戻して繰り返し観てしまった。が、一方で交わされている会話の内容にはイマイチ共感できない。僕には「たら」とか「れば」とかいう仮定は存在しないからだ。
もしカレーに出会っていなかったら、何をしていると思いますか? たまに聞かれることがある。なんと答えていいのかわからない。だって僕はもうずいぶん前に出会ってしまっているわけで、カレーのない人生を知る由もないのだから。僕がタイムマシーンに乗って過去に戻り、誰かの人生や別の人生を歩むことはもうできない。
だから反省することはあっても後悔することはない。将棋の世界には「指した手が最善手」という言葉がある。僕はこの言葉が大好きだ。たとえその一手が悪手だったとしても指してしまったら仕方ないじゃないか。くよくよしたって何も始まらないから、その局面をより良くしていくために次の一手を探したい。悪手を最善手に変えられるのは自分自身なのだ。

成功や名声を手にしながら過去を悔いる青観と、何も手にはしていないが今を生きる寅次郎。対照的なふたりがつかず離れずする物語がこの映画の見どころだ。空気を読まずに食って掛かる寅次郎に最後は青観が粋な計らいをして幕を閉じる。エンドロールを眺めながら「もしかしたら寅さんみたいに生きられるんじゃないか」と思う自分がいる。『男はつらいよ』はそれが魅力なんだよなぁ。

これまでのカレー人生は思うようにならいことばかりだった。原因は自分に運がないか実力がないかのどちらかしかない。だからこそ自分と向き合って前を見るしかない。それでもどうにもならないのなら、仲間を誘って酒でも飲もうか。あの「とらや」の居間で飲む酒のように。
ハーブユニットの名前は、「ザ・ハーブズメン」に決めた。そのうち4人で顔合わせをする予定だ。何をするかはそれから考えよう。まあ気分が乗ればやり続けるし、気分が冷めれば休めばいいと思っている。それでいいよね、寅さん。

BACK NUMBER
FEATURED FILM
男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け(Blu-ray)4Kデジタル修復版
監督:山田洋次
出演:渥美清、太地喜和子、宇野重吉、岡田嘉子、倍賞千恵子、前田吟、下條正巳、三﨑千恵子
お金の大切さと難しさを描き、寅さんが正義感に燃えるシリーズ第17作。甥・満男の新入学祝いに帰ってきた寅さんは、飲み屋で財布を持たない老人に奢り、とらやへ連れて帰った。とらやを宿屋と勘違いした老人は、おわびにと絵を描き寅さんに贈る。その絵が神田の古書店で七万円で売れたので仰天、実はこの老人は日本画壇の重鎮・青観だった。時は経ち播州・龍野市で青観と再会した寅さんは、青観の歓迎会の宴席で芸者・ぼたんを見染めて…。マドンナぼたんを体当たりで演じた太地喜和子は、本作でキネマ旬報賞・報知映画賞の助演女優賞に輝いた。山田真歩さんが文中で触れている、寅さんが満男へのご祝儀を渡そうとするも結局ドタバタ騒動になる場面も『男はつらいよ』らしい見所のひとつ。
PROFILE
カレー研究家
水野仁輔
Jinsuke Mizuno
AIR SPICE代表。1999年以来、カレー専門の出張料理人として全国各地で活動。「カレーの教科書」(NHK出版)、「わたしだけのおいしいカレーを作るために」(PIE INTERNATIONAL)など、カレーに関する著書は50冊以上。カレーを求めて世界各国への旅を続けている。現在は、本格カレーのレシピつきスパイスセットを定期頒布するサービス「AIR SPICE」を運営中
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