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水野仁輔の旅と映画をめぐる話 vol.14

1つさ。 それに頼れば、ほかはどうでもいい /『シティ・スリッカーズ』

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水野仁輔の旅と映画をめぐる話
カレーの全容を解明するため世界を旅している水野仁輔(みずの・じんすけ)さんが、これまでの旅の経験を重ね合わせながら、映画の風景を巡ります。あなたは今、どこへ出かけ、どんな風を感じたいですか?
カレー研究家
水野仁輔
Jinsuke Mizuno
AIR SPICE代表。1999年以来、カレー専門の出張料理人として全国各地で活動。「カレーの教科書」(NHK出版)、「わたしだけのおいしいカレーを作るために」(PIE INTERNATIONAL)など、カレーに関する著書は50冊以上。カレーを求めて世界各国への旅を続けている。現在は、本格カレーのレシピつきスパイスセットを定期頒布するサービス「AIR SPICE」を運営中

インドと『シティ・スリッカーズ』

今思えば、旅が好きで旅に焦がれていた時期は本当に長かった。20年くらいだろうか。「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」と詠んだのは、松尾芭蕉だ。当時の水野“芭蕉”仁輔は、旅に焦がれていても夢で世界をかけ廻るしかなかった。焦がれて、焦がれて、ついにあのときの僕は、サラリーマンを辞めたのだ。誰に気兼ねすることもなく、行きたい国に行ける自由を手にし、リアルに世界中をかけ廻った。
旅は最も効果的なインプットを得る手段だ。まだ見ぬカレーやスパイス料理を求めて旅をしたかったから、長期的な休みを取れないサラリーマンという身分に窮屈を感じていたのだ。

水野仁輔の旅と映画をめぐる話

映画『シティ・スリッカーズ』を観始めたとき、ラジオ局で広告枠の販売をする主人公のミッチにはすっと入り込めた。そして、彼のおかれた境遇にサラリーマン時代の自分を重ね合わせ、思い出したくない過去を思い出してしまった。頭がグルグルしないように気を付けながら、映画の世界に没頭できるよう努める。
最近、仕事に身が入っていないんじゃないかと上司に指摘されたミッチは、思い切って2週間の休みを取り、仲間のフィル、エドと共にカウボーイ体験ツアーにでかける。自分を探すつもりはなかったかもしれないが、現状を打破する手がかりを旅に求めたのである。

広告会社のコミュニケーション・プランニング局(だったかな、たしか)に所属していた僕は、ある春の日、40名ほどの局員と一緒に大会議室の椅子に座っていた。前方のスライド前にいる局長が、年度の決意表明演説的なものを始める。冒頭で局長がスライドに表示した言葉を見た途端、僕は固まってしまった。
「人の心を動かすマーケティング」
巨大な文字でそう書いてある。「今年の方針はこれで行く」と局長は言い、局員たちは頷いた。僕は意味が分からず頭が混乱し、目が泳ぐ。しばらく具体的な解説が続き、何人かの同僚たちが意見を求められ、誰もが前向きに自分なりの解釈を話す。僕は困ってしまって、黙ったままうつむいた。わからない。意味がわからなかった。ダメかもしれない。広告業界で働き始めて20年。あれほど大きな挫折を感じたのは初めてだった。あのとき僕が『シティ・スリッカーズ』をすでに観ていたとしたら、すぐにでもカウボーイ体験ツアーに参加したくなっていただろう。

都会生活に慣れたやわなオジサンたちが、大草原で馬にまたがり、牛を追う。予測のつかないハプニングが次々と起こる。ミッチはとにかく保守的で何事も後ろ向きに捉えてしまい、不安が先行して動けなくなる性格。一方、フィルやエドは天然だったり破天荒だったり、底抜けに明るい一面があったりする。まるでタイプの違う3人が、オロオロとしながらも適度なバランスで目の前の問題を切り抜けていく。
大自然を相手に大きな試練が襲ってきたりもするが、大いなる愛と勇気を持って彼らは立ち向かった。現実的には考えにくいストーリーなのだが、それでも3人に肩入れしていく自分がいる。

何日もかけて牛の群れと共に移動する彼らを眺めながら、頭の片隅にときおり“あのときの挫折感”がフラッシュバックする。映画に没頭しようとする自分を邪魔するのだ。
大会議室で黙りこくる僕。早くこの時間が終わってくれないかな、と思い始めていた矢先に局長の声が飛んだ。
「水野は? どう思う?」
ほんの少しの沈黙の後、僕は意を決して口を開いた。
「マーケティングで心が動くということがどういうことなのか、僕にはわかりません」
直後、水を打ったように室内は静まり返った。打った水が瞬時に凍り付いたかのようだった。その後の展開はあまり覚えていないが、あの発言をした会議室の光景は、自分の座っていた席の位置まではっきりと記憶に残っている。

水野仁輔の旅と映画をめぐる話

年度の方針を決める大事な会議であんな風に空気を読めない発言をしてしまったのは、前日の日曜日に観た映画の影響だ。『借りぐらしのアリエッティ』を映画館で観た。映画が終わり、エンドロールが流れ始めたところでちょっとした事件が起こった。
たまたま僕の隣りに座っていた幼稚園児が、突然、館内に響き渡るような大声で号泣し始めたのだ。驚きのあまり、息が止まりそうになった。全員の注目が僕の隣りの席に集まる。彼は一向に泣き止まない。一緒にいたご両親は、本人が泣き止むまで見守ることに決めたようで、黙って子供を見つめている。きっとこのご両親もいろんなことを思っただろうし、僕だって感じ入るところがあった。そう、僕は映画で人の心が動いた瞬間を目の当たりにしていたのだ。
静まり返った会議室で、号泣する幼稚園児を思い出す。きっとマーケティングで人の心が動くこともあるのだろう。そう信じている人たちが僕の周りにたくさんいる。それがこの仕事のやりがいだろうし、そう思えることが適性なのだろう。だとしたら、僕にはこの仕事を続ける素質が足りていないのかもしれない。

水野仁輔の旅と映画をめぐる話

ミッチがカウボーイ体験で心を通わせたのは、集団を率いる正真正銘のカウボーイ、カーリーだ。強面の初老の男性。多くを語らず朴訥としているが、目つきは鋭く、一挙手一投足に迫力がある。仲間のいざこざなどは一喝して黙らせる。

カーリー:人生の秘訣は何だ?(Do you know what the secret of life is?)
ミッチ:知らないね。(No.)
カーリー:これだ。(This.)
ミッチ:指かい?(Your finger?)
カーリー:1つさ。1つだけという事だ。それに頼れば、ほかはどうでもいい。(One thing. Just one thing. You stick to that and the rest don’t mean shit.)
ミッチ:それはすごい。その1つって何だ?(That’s great but, what is the “one thing?”)
カーリー:自分で考えろ。(That’s what you have to find out.)

くわえ煙草で人生の大事な教訓を伝えたカーリーは、旅の途中で眠るように死んでしまう。
1つさ。自分で考えろ。
1つさ。自分で考えろ。
1つさ。自分で考えろ。
この映画を通して伝えたいメッセージは、これに尽きるだろう。でも極めて難解な問いかけだ。頼るべき1つが僕にとってマーケティングであるはずがない。1つなら、あれしかないよな。

水野仁輔の旅と映画をめぐる話

20年続けたサラリーマンを辞めてカレーという“1つ”に決めたのは、もう5年ほど前になる。傍から見れば独立後が「あの人はついにカレー1つに絞ったんだな」となるのかもしれない。でもカレー活動も20数年続けているわけで、自分の中ではずっと前から「カレー1つさ」ということだった。でも、カーリーがミッチに伝えた“1つ”とは、仕事や活動の選択についてではないことも理解しているつもりだ。
カレーでやると決め、カレーと向き合った先に見つけることができるかもしれない何か、本質的かつ普遍的に大事にするべき何か1つのことについて言っている。それが見つかれば、それに頼れば、確かに他のことはどうでもいいのだろう。旅の先に僕はそこにたどり着くことができるだろうか。

僕は妄想する。誰もいない広い会議室の中で、スライドの前に僕が立っている。バーン! とスライドに大きな文字が映し出された。
「人の心を動かすカレー」
静まり返った会議室で自分の声が響き渡る。
「これからの方針はこれで行く」
シーン。そこには誰もいないのだから、賛同してくれる人も当然いない。いやいや、違うな。違う。そもそもカレーで誰かの心を動かしたいだなんて思ってはいない。旅の先に求めるものは、自分自身の心が動く何かなのだから。いつまで経ってもたどり着けそうもなかったら、やっぱり僕もカウボーイ体験ツアーに出るしかないと思っている。

BACK NUMBER
FEATURED FILM
監督:ロン・アンダーウッド
製作総指揮:ビリー・クリスタル
出演者:ビリー・クリスタル、ダニエル・スターン、ブルーノ・カービー
PROFILE
カレー研究家
水野仁輔
Jinsuke Mizuno
AIR SPICE代表。1999年以来、カレー専門の出張料理人として全国各地で活動。「カレーの教科書」(NHK出版)、「わたしだけのおいしいカレーを作るために」(PIE INTERNATIONAL)など、カレーに関する著書は50冊以上。カレーを求めて世界各国への旅を続けている。現在は、本格カレーのレシピつきスパイスセットを定期頒布するサービス「AIR SPICE」を運営中
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