短いようで長い3日間だった。
初日。できあがったばかりの自費出版本を紙に包み、僕は車で高幡不動へ向かっていた。とあるインド料理店へ納品するために。カーラジオは最近、もっぱらクラシックやオールディーズがよくかかる番組ばかり聴いている。ところが、その日は野球中継が始まってしまい、ラジオ局を変えた。
すると、懐かしい声が聞こえる。ゲストらしき女性は、吉祥寺の写真集専門古書店を営むKさんだ。4年前の秋に開店時に訪れて以来、ご無沙汰している。ラジオの声は快活で、ヨゼフ・クーデルカについて語っている。僕が大学時代に好きだった写真家の一人だ。久しぶりに訪れてみようかな、と決めた。
4年という歳月が長いか短いかは捉え方によるだろう。「もう4年前かぁ」という感慨に引っ張られて思い出した映画がある。『パリ、テキサス』である。荒野を彷徨う主人公、トラヴィスが4歳の息子、ハンターを置いて家を出て4年が経過した。8歳になったハンターはトラヴィスの弟、ウォルトが預かっている。
僕がこの映画を観たのは大学時代。25年以上前だが、断片的なシーンと共に「4年」というキーワードは妙に覚えている。「8歳の子供にとって4年は人生の半分だ」というセリフがあってハッとしたからだ。
2日目。懐かしい書店名を耳にした翌日、僕は吉祥寺へ向かった。扉をそおっと開けると出迎えてくれたKさんが目を丸くした。
「水野さん! 変わらないですね。歳を取らない薬でも飲んでるんですか?」
「いや、そんなことないよ。そっちこそ」
久しぶりに言葉を交わす。この4年で僕もずいぶん老けた。だから4年ぶりに会った人が変わったか変わらないかも捉え方によるだろう。ラジオを聞いて来たなんてなんだか野暮だから僕は小さな嘘をついた。
「Oさんの個展をやっているっていうから」
地図を調べたときに開催情報を入手していた。Oさんという写真家には僕が大学時代に1度か2度お会いしたことがある。あいにく本人は不在だし、いたとしても何者でもなかった大学生のことなんて覚えていないだろう。店内に展示された写真をしばらく眺め、平棚に目を移すと絶版となった彼の写真集が目に入った。「あ、これ、持っている」と25年前が断片的に蘇る。その後も写真集を生み出し続けているOさんを想い、勝手に胸を熱くした。
大学時代、僕は写真部に所属していた。アナログカメラにモノクロフィルムを詰めて街中を徘徊し、スナップを撮った。フィルムがたまると現像し、暗室にこもった。印画紙に露光する加減によって朝焼けの写真が夕暮れのように見えたり、さっき撮影したばかりの新しい景色に郷愁を宿らせることができたりして、僕はプリントという行為に次第にハマっていった。あの頃の僕は暗室作業を通して時空を行き来し、「時間の経過」という不思議に思いを馳せていた。
人は知らず知らずのうちに何かしらの“手がかり”を残しながら生きているのだと思う。Kさんが古書店を営み、ラジオに出て「クーデルカが好きだ」と語ったこと。僕が学生時代に写真をやっていて友人を通してOさんと面識を持ったこと。Oさんがずっと写真家であり続けていること。互いが意図せず残した手がかりどうしが時間を超えて互いを結びつけている。
トラヴィスの身にいったい何が起きたのか。妻のジェーンと息子のハンターを残し、4年もの間、ひたすら荒野を彷徨い続けるなんて狂気の沙汰。ショッキングな出来事を機にトラウマを抱えて過ごした4年間を想像することはできない。
居場所が見つかり、連れ戻しに来たウォルトの家で彼はハンターと再会する。そして、別れたジェーンを一緒に探しに行くのだ。ヒューストンの銀行で母親を見つけたハンターと共に車で追いかけ、職場を突き止める。マジックミラー越しにジェーンと会話するトラヴィス。話の展開にハラハラしながら3人の家族をとりまく時間の経過にいつしか巻き込まれている。
吉祥寺の古書店を出た僕は、フィッシュマンズのドキュメンタリーを観るために映画館へ向かった。フィッシュマンズは、恥ずかしげもなく言うなら僕が青春を共にしたバンドである。写真部の暗室にこもるとき、そこには決まってフィッシュマンズの音、佐藤伸治の声があった。暗室から漏れ聴こえる音楽を聴いた仲間たちが、「ああ、水野が中にいるんだな」と認識できたほどだ。大好きな曲の一つに「IN THE FLIGHT」がある。10年後を想い10年後を憂う歌詞の影響で、自分の活動を「10年」という区切りで見つめなおす癖がついた。あと10年経ったら僕には何ができるのだろう?
フィッシュマンズというバンドは、メンバーや関係者が一人ずつ離れ、結成から12年目に佐藤さんは還らぬ人となった。それでも佐藤さんが残した手がかりが昔の自分と今の自分をつなげてくれている気がして、電車に乗り、それからトボトボと夜道を歩いて家路についた。
3日目。朝から部屋を真っ暗にして『パリ、テキサス』を観た。マジックミラー越しに会話したトラヴィスと妻は、それぞれが過ごした空白の4年間を埋められた、だろうか。互いに見つめ合うことのできない環境で自分の気持ちを伝え、相手を理解しようとするのは難しい。マジックミラーという設定はただの壁よりもはるかに残酷で、近づこうとしても近づけない人間関係の難しさやふたりの距離を物語っていた。
会話を終え、ジェーンはハンターに会いに行き、トラヴィスは2人から去ることを選択する。トラヴィスはまだ自分がジェーンと心を通わせる人間になれていないことを悟ったのだろう。そんな自分と向き合うのが怖いのだろう。
でも彼は、いつかジェーンとハンターの元に帰るはずだ。あのエンディングの後、すぐに車を引き返すことはないにしても。4年後に戻るのかもしれないし、10年後や25年後なのかもしれない。いつかは3人がテキサスのパリで一緒に暮らす結末を迎えるんだと思う。生きてさえいれば、失ったものも取り戻せる。「ジェーンとハンターの再会」という思いもよらぬ手がかりを残したのはトラヴィスなのだから。
短いようで長い3日間は、短かったのか。長かったのか。この3日間で僕のしたことをおさらいしたところで、さして特別なこともなく過ぎた日常だったと言わざるを得ない。インド料理店へ行き、カーラジオを聞いた翌日に古書店を訪れ、映画館へ行った。翌朝、自宅でまた別の映画を観た。それだけのことだ。
ただ、この3日間に僕を通り過ぎた記憶は、25年前にさかのぼり、4年前を振り返り、10年先をウロウロとしたのである。時間の経過というひとつのテーマが勝手に僕の頭の中に芽生え、3日間とは思えないような長い時間を旅した気分になった。そう、物理的な移動を伴う旅だって、現地に何かしらの手がかりを残している行為だ。毎年インドへ通い続けていたことが、今の自分につながる何かになっている。
どこでどんなふうに過ごしていたって僕はこれからも何かを失ったり、誰かと疎遠になったり、どこかを彷徨ったりするだろう。トラヴィスのようにある部分の記憶をなくすこともあるかもしれない。どうなろうと失ったものはいつか取り戻せるように、ちょっとした手がかりをちりばめておきたいと思う。日常に、思いつくままに。
- 夢かうつつか、カレーと向き合う日々/『WALK UP』
- なぜ絵を描くのか?なぜなのか?/『世界で一番ゴッホを描いた男』
- そこに到達するまでの旅が心に残る。/『アルピニスト』
- 若い頃にしたことやしなかったことの夢だ。/『ダゲール街の人々』
- 美しい光は危険なんだ。おいしいカレーもね。/『旅する写真家 レイモン・ドゥパルドンの愛したフランス』
- ケキッキは、ケキッキだ。それで、いいのだ。/『カメラが捉えたキューバ』
- 臆病なライダーが、カレーの脇道をひた走る。/『イージー・ライダー』
- 気を抜くんじゃないよ、あの男が見張っている。/『世界一美しい本を作る男〜シュタイデルとの旅〜』
- 失ったものもいつかは取り戻せる、 といいなぁ。 /『パリ、テキサス』
- 1つさ。 それに頼れば、ほかはどうでもいい /『シティ・スリッカーズ』
- 嘘でも言ってくれ 「見せかけなんかじゃない」 /『ペーパー・ムーン』
- 誰かにもらった正解よりも、自ら手にした不正解 /『80日間世界一周』
- 笑いの裏に苦悩が隠れ、 怒りの裏に孤独が潜む。/『スケアクロウ』
- 指した手が最善手。別の人生は歩めないのだから /『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』
- 希望はいつも足元にあり 仲間はすぐそばにいる /『オズの魔法使』
- 「何のため?」…なんて悩んでいるうちは、ひよっこだ。 /『さらば冬のかもめ』
- 独創性は生むより生まれるもの、なのかもなぁ。/『SUPER8』
- どうして探しモノは見つからないのだろう?/『オー・ブラザー!』
- 答えは見つからず、理由は説明できないのだ。/『ブロークン・フラワーズ』
- 寸胴鍋をグルグルとかき混ぜる、身勝手な男。/『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』
- チラ見せに魅せられて、魔都・上海。/『ラスト、コーション』
- スリルは続くよ、スリランカ。/『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』
- 普通だよね、好きだよ、ポルトガル。/『リスボン物語』