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有賀薫の心においしい映画とスープ 21皿目

なんにもしない、をする人の効用
『めがね』『トイレット』

シンプルレシピを通じ、ごきげんな暮らしのアイデアを日々発信する、スープ作家・有賀薫さん。スープの周りにある物語性は、映画につながる部分があるかも? とのことで、映画コラム連載をお引き受けいただきました。題して「心においしい映画とスープ」。映画を観て思いついたスープレシピ付きです。
スープ作家
有賀薫
Kaoru Ariga
1964年生まれ、東京都出身。スープ作家。2011年から10年間、3000日以上にわたり朝のスープづくり『スープ・カレンダー』を日々更新。スープの実験室「スープ・ラボ」をはじめ、イベントや各種媒体を通じ、おいしさに最短距離で届くシンプルなレシピや、日々楽に料理をする考え方などを発信中。著書に『スープ・レッスン』(プレジデント社)、『帰り遅いけどこんなスープなら作れそう』(文響社)、『おつかれさまスープ』(学研プラス)、『なんにも考えたくない日は スープかけごはん で、いいんじゃない?』(ライツ社)、『有賀薫の豚汁レボリューション』(家の光協会)、『こうして私は料理が得意になってしまった』(大和書房)など多数。『朝10分でできる スープ弁当』(マガジンハウス)で第7回レシピ本大賞入賞。新刊『ライフ・スープ――くらしが整う、わたしたちの新定番48品』(プレジデント社)が好評発売中。

学生の頃、駅への道で会うおばあちゃんがいました。狭い路地に面した家の窓を開けたところに、お天気の日だけ背中を丸めてちょこんと座り、通りがかる人に「いってらっしゃいまし」と声をかけてきます。こちらが返事をしてもスルーなのは、少々ボケていたのでしょう。
荻上直子監督の『めがね』を観ながら「なにもしないでいる」とはどういうことだろう、と考えたとき、あのおばあちゃんの姿をふと思い出しました。

子ども・大人問わず常にやることをたくさん抱えている現代人にとって「なにもしないでいる」ということは、憧れであると同時に不安を感じさせる状態です。小林聡美演じる主人公・タエコもそんな一人。やすらぎを求めて携帯電話のつながらない南の島へやってきたものの、観光地のようなもてなしを期待した彼女は民宿ハマダで出会う、仕事とプライベートの区別もあいまいな人たちの行動や距離感に面食らい、戸惑います。
中でも、もたいまさこ演じるサクラはタエコにとってつかみどころのない人物です。かき氷屋を営んでいるようで、商売でもなさそう。毎朝、サクラを中心に浜辺で行われる「メルシー体操」の3拍子のリズムが、落ち着きどころをみつけられないタエコの心をいっそうモヤモヤさせます。ハイスピードについていけないのと同様、人はスローペースにもついていけないのです。

宿の生活のあまりのゆるさに耐えきれなくなったタエコが向かった、島のもう一軒のホテル・マリンパレスは、ある意味で民宿ハマダとは真逆の場所でした。やることがあり、役割がはっきりしていて、スケジュールもちゃんとしています。コミカルなシーンに笑ってしまいながらも(薬師丸ひろ子が最高!)、もしかして自分もマリンパレスの宿泊客なのかも…などと思います。
ハマダに帰ろうとして歩き疲れ、途方に暮れるタエコ。そんなとき、道の向こうからサクラが三輪車に乗って助けにきます。自分の頭では説明のつかない存在と、この島での過ごし方を、タエコが受け入れたシーンでした。
もたいまさこの無表情とも仏のような笑顔ともとれる顔が印象的です。ほとんどしゃべらず、感情を表に出すこともなくそこにいるのに、存在感がすごい。彼女のはまり役は「なにもせずにそこにいる人」なのではないでしょうか。

彼女は同じ荻上監督作品『トイレット』でも、部屋に閉じこもって、喋らないばーちゃん役を怪演しています。引きこもりの長兄モーリー、プラモデルおたくの次男レイ、ぱっとしない女子大生の末っ子リサの三兄弟と、完全に無反応なばーちゃんの組み合わせ。私たちはつい「ハートフルな心のふれあい」とでもいうような、わかりやすい交流が生まれることを期待しながら観てしまうのですが、簡単にそうならないところが面白さでもあり、リアルな人間関係って案外こういうものだと共感するのです。それでも、人が同じ場所にいるときに伝わる温度や匂い、心のたゆたいがあり、言葉では説明のしきれないやりとりを無意識のうちに兄弟は感じています。それはまた、ばーちゃんにとっても同じです。一言も発しなかったばーちゃんの最後の言動に、誰もが小さな衝撃を覚えるはず。

『めがね』のタエコや、『トイレット』のレイのように、ふだん頭を使って生きている人ほど、なにもしないことに戸惑い、なにもしないで過ごしている(ように見える)人をいぶかしむのです。その効用を言葉で説明するのはとても難しい。でも「なにもしない」をうまく自分の中に落とし込めると、人は空白を怖がらず、ゆったり心を休められるようになるのではないでしょうか。
ただ窓辺に座っていただけのおばあちゃんは私の心のどこかにずっと棲み続け、何十年も経った今でも、思い出したときにふと自分をゆるめてくれる存在になっているような気がしています。

+++

『めがね』に出てくる食事は、獲れたての野菜をゆでて塩とオリーブオイルを振った温サラダ、新鮮な伊勢海老をゆでて豪快にかぶりつくなど、素材を活かしたシンプルな料理でお腹が鳴ります。サクラの作るあずきのかき氷や、タエコを追いかけて島にやってきたヨモギが飲むビールも本当においしそう。
でも、私が気になったのは、地味なようですが民宿ハマダの朝食に出てくる梅干しでした。主人であるユージ手製の梅干しはパン食の朝にも出てきます。登場人物の関係がぎくしゃくしている頃もみんなが梅干しには同じように手を伸ばし、人の仲をとりもつような雰囲気を出していたのが面白かったです。

梅干しはそのまま食べるだけでなく、スープの具として静かに煮出すと、塩気と酸味と梅の風味がほんのりスープについて、おいしいです。
劇中、「梅はその日の難逃れ」といって、朝に梅干しを食べると一日災難を免れるという言葉があるという話が出てきました。その言葉通り、梅干しを食べずに出かけた日、タエコは災難に会ってしまいます。梅干しこそ、なにもしていないようで大きな仕事をしていたといえますね。

今回は、朝ごはんにもぴったり、梅干しとえのきをだしがわりに煮出したスープをご紹介します。おだやかに健やかに今日を過ごすために、こんなスープで一日をスタートしてみてはいかがでしょうか。

◎映画のスープレシピ:
一粒食べて一日の難を逃れる
梅干しとえのき、豆腐のスープ

▼材料(2人分) 所要時間20分
梅干し 大2個 ※なるべく減塩ではないもの
えのき 1/2パック
豆腐 小1丁
塩 小さじ1/4~1/3 ※梅干しの塩分による
醤油 少々
(あれば)青ネギ、または青じそ少々

◎つくり方

  • 1. えのきはいしづきを切り落として2cm幅ぐらいに切り、手でざっくり割った梅干し(種も)と一緒に鍋に入れ、水500mLを注いで中火にかける。
  • 2. 煮立ったら弱火にして、12~15分ほどコトコト煮込む。
  • 3. 豆腐を小さく切って入れる。味を見て、塩と醤油少々でととのえる。梅干しの塩分によるので塩は少な目で入れておいて、加減する。好みで青ネギや青じそをのせてもおいしい。

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PROFILE
スープ作家
有賀薫
Kaoru Ariga
1964年生まれ、東京都出身。スープ作家。2011年から10年間、3000日以上にわたり朝のスープづくり『スープ・カレンダー』を日々更新。スープの実験室「スープ・ラボ」をはじめ、イベントや各種媒体を通じ、おいしさに最短距離で届くシンプルなレシピや、日々楽に料理をする考え方などを発信中。著書に『スープ・レッスン』(プレジデント社)、『帰り遅いけどこんなスープなら作れそう』(文響社)、『おつかれさまスープ』(学研プラス)、『なんにも考えたくない日は スープかけごはん で、いいんじゃない?』(ライツ社)、『有賀薫の豚汁レボリューション』(家の光協会)、『こうして私は料理が得意になってしまった』(大和書房)など多数。『朝10分でできる スープ弁当』(マガジンハウス)で第7回レシピ本大賞入賞。新刊『ライフ・スープ――くらしが整う、わたしたちの新定番48品』(プレジデント社)が好評発売中。
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