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有賀薫の心においしい映画とスープ 20皿目

私の周りに世界があるのか、世界の中に私がいるのか
『リトル・フォレスト』日本版・韓国版

シンプルレシピを通じ、ごきげんな暮らしのアイデアを日々発信する、スープ作家・有賀薫さん。スープの周りにある物語性は、映画につながる部分があるかも? とのことで、映画コラム連載をお引き受けいただきました。題して「心においしい映画とスープ」。映画を観て思いついたスープレシピ付きです。
スープ作家
有賀薫
Kaoru Ariga
1964年生まれ、東京都出身。スープ作家。ライターとして文章を書く仕事を続けるかたわら、2011年に息子を朝起こすためにスープを作りはじめる。スープを毎朝作り続けて10年、その日数は3500日以上に。現在は雑誌、ネット、テレビ・ラジオなど各種媒体でレシピや暮らしの考え方を発信。著書に『帰り遅いけどこんなスープなら作れそう』(文響社)で第5回レシピ本大賞入賞、『朝10分でできる スープ弁当』(マガジンハウス)で第7回レシピ本大賞入賞。ほかに『スープ・レッスン』(プレジデント社)、『有賀薫のベジ食べる!』(文藝春秋)など。11月29日『私のおいしい味噌汁』(新星出版社)発売予定。

料理好きな私にとって、『リトル・フォレスト』は観るたびにわくわくする映画です。
故郷の村で自給自足的な生活をする主人公・いち子。畑を耕し、草むしりをし、薪を割って、なんでも手作りしてしまいます。ストーブで焼くパン、木の実のジャム、甘酒、ウスターソース、干し柿――数々の料理にお腹が鳴りっぱなしです。
この映画に、韓国版があったと知ったのはつい最近のこと。クール・ビューティな橋本愛が演じたいち子に対して、キム・テリ演じるへウォンには生き生きした力強い魅力があります。また、チヂミや小豆の蒸し菓子、マッコリ、クレーム・ブリュレなど、劇中の料理も日本版に劣らずおいしそうでした。

同じ原作から作られていて、設定も登場人物も同じ。ですが、ふたつの映画の印象はかなり違っていて、私にはそれがとても面白く感じられました。どこに差があるのかというと、自分を中心にして世界を見るのか、世界の中に自分を見るのかという視点の置き方なのです。
韓国版は、あくまでもへウォンの心、悩みや生き方を中心に物語が進んでいきます。教員の採用試験に落ち、彼とうまくいかなくなったこと、そして母親の失踪の事情も最初に語られ、観る人はへウォンと自分を重ねやすくなります。幼馴染のジェハとウンスクと3人で食事をするシーンも日本版と比べて多く、この映画はへウォンが故郷の自然や心許せる友人、そして畑仕事や料理などを通じて傷ついた心を癒しつつ、自身を取り戻していくという、彼女自身のストーリーになっていることがわかります。
一方、日本版は、いち子が誰かも、いち子にどんな過去があるかもわからないまま、彼女の村での生活を描いたシーンが淡々と続きます。ところどころに、あ、そういうことだったのね、という程度の説明がはさまるくらい。

どちらかといえば、現代の私たちはヘウォンのような物語になじみがあるのではないでしょうか。つまり、自分を中心に世界をとらえるような物語です。風景描写はそれほど多くなく、時間の経過を表すなど、あくまで背景として扱われていました。へウォンは料理をする時間も思い出をたぐり、自問自答する時間を繰り返します。
いち子の視点はへウォンとは反対で、自分自身を自然におけるひとつのパーツのように扱います。だから畑の作物はもちろん、空に浮かぶ雲から小さな虫まで、あらゆる自然物がだんだん人と同等の存在に見えてくるのです。かといって、人の心が見えないかと言われれば決してそうではなく、ちょっとした会話から人物の心情は私たちにじわじわと伝わってきます。橋本愛の、ほんのわずかな表情の変化で気持ちを表す演技が効いているなと思います。
この差が韓国と日本という国の違いなのか、あるいは作品固有の解釈の違いなのかはわかりません。ただ、森羅万象に神の存在を見出しながら、自然とともに生きてきた日本人の精神性、宗教観が出ている気もします。自分の中に問題を抱えているときも、単にその悩みにフォーカスしていくばかりが解決法ではありません。大きな世界の中で自らの存在の小ささに気づいたとき、ようやく私たちは抱えていた悩みを手放せる。そんな場合もあると思うのです。

どちらの作品も本当に素敵だったので、ぜひ観比べてほしいです。世界の捉え方がひとつではないと気づけるか。より豊かに生きるには、たくさんの視点を持つということが大事なのかもしれません。

+++

いち子やへウォンが料理するところを観ていると、自分までうずうずしてきて、何か作りたくなります。映画の後にいきなりケーキを焼いたり、鶏ガラのスープストックをとったりすることも。
今回、ふたつの映画を観た後で作りたくなったものがありました。それが「すいとん」です。小麦粉を練った生地を、野菜を入れたスープに入れて煮る料理は世界中にあって、具材や味つけ、生地の配合や形状に、地域それぞれの個性があります。
お腹を空かせたへウォンが、雪の中からなんとか掘り出した白菜とねぎ、少しの小麦粉で作ったほんのり赤い「すいとん」も、いち子が作る奥州の郷土料理「はっと」も、調理の本質は同じもの。日本でははっとのほかにも、ひっつみ、ほうとう、だんご汁など、各地に似たような郷土料理があります。

映画でコツが明かされていましたが、小麦粉の生地は練ってから少し寝かせておくと扱いやすくなります。レシピはあってないようなもの。野菜は葉物でも根菜でも、ありあわせのもので大丈夫です。味つけだって、醤油でも味噌でもよいのです。見た目は地味ですが体の芯からあたたまり、お腹も心も満たせる最高の汁物。気軽にやってみてくださいね。

◎映画のスープレシピ:
命を満たす、シンプルすいとん

▼材料(3~4人分) 所要時間30分 ※寝かせる時間のぞく
すいとん
 小麦粉(薄力粉) 80g(カップ3/4ほど)
 水 カップ1/4弱
 塩 ひとつまみ
鶏肉 1/2枚(150g) ※豚でも/省いてもOK
大根 5cm
にんじん 5cm
ごぼう 15cm
長ねぎ 1/2本
まいたけ 1/2パック ※しめじやしいたけでも
好みのだし、または水 800mL
酒 大さじ1
醤油 大さじ1
塩 小さじ1/2
七味唐辛子 好みで適量

◎つくり方

  • 1. まずはすいとんの生地作りから。ボウルに小麦粉と塩を入れて混ぜ、水を少しずつ加えてひとまとめにする(水の量はそのときどきによるので一度に全量加えず、様子を見ながら加えるとよい)。そのまま1〜2時間寝かせる。
  • 2. 鶏と野菜は食べやすい大きさに切る。長ねぎをのぞいた野菜と鶏を鍋に入れ、だしまたは水を加えて火にかける。沸騰したら10分ほど煮て、酒と塩を加える。
  • 3. 生地を手で少しずつのばし、ちぎりながら鍋に加える(くっついて扱いにくいときは水を少しだけ手につけるとうまくいきます)。長ねぎも入れて、7~8分煮込み、醤油で味をととのえる。好みで七味唐辛子をふる。

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PROFILE
スープ作家
有賀薫
Kaoru Ariga
1964年生まれ、東京都出身。スープ作家。ライターとして文章を書く仕事を続けるかたわら、2011年に息子を朝起こすためにスープを作りはじめる。スープを毎朝作り続けて10年、その日数は3500日以上に。現在は雑誌、ネット、テレビ・ラジオなど各種媒体でレシピや暮らしの考え方を発信。著書に『帰り遅いけどこんなスープなら作れそう』(文響社)で第5回レシピ本大賞入賞、『朝10分でできる スープ弁当』(マガジンハウス)で第7回レシピ本大賞入賞。ほかに『スープ・レッスン』(プレジデント社)、『有賀薫のベジ食べる!』(文藝春秋)など。11月29日『私のおいしい味噌汁』(新星出版社)発売予定。
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