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ラスベガスへ続く砂漠で夫婦喧嘩をして車を降り、さびれたモーテルにたどりついた旅行者のドイツ人女性・ヤスミンと、住民たちとの交流を描く『バグダッド・カフェ』。全体にゆったりした雰囲気の映画ですが、ちょっとスリリングなシーンがあります。初老の画家・ルーディの絵のモデルになったヤスミンが自分から少しずつ肌を露出していって、とうとう胸をはだける場面です。といってもラブシーンのようなエロティックなスリルではなく、その瞬間、彼女が自分の殻を破った!と感じたのです。大輪の花がパッと開いたようにも見えました。
私は結婚以来、27年間同じ町に暮らしてきました。都心から電車で40分。大きな公園のそばにあり、物価も安くて駅からも近く、便利です。でも、平日の郊外のベッドタウンは店にも手に入るモノにも人間関係にも新しさがありません。文化的な刺激がないのです。都会が24色のクレヨンで描いた風景だとしたら、こちらはその8分の1、必要最低限の3色の風景。子育てと仕事をし、絵を描き、スープを作るには困りませんが、その退屈さと単調さに、“見えない殻”の中に閉じ込められているような気がしたものです。
砂漠の中のモーテルで鬱屈としていた女主人・ブレンダもまた、見えない殻の中にいました。その殻を外から叩き割ってブレンダを救い出したのが、ヤスミンです。そして同時にヤスミン自身も、モーテルの人々との関係を新たに築くことによって、彼女を囲む厚い殻、つまり夫との関係性を破って外の世界に出たのです。
自分の行動を阻む一番の原因は、自分の心ではないでしょうか。今いる場所が嫌なら、外に出ても、仕事を変えても、引っ越してもよかったのです。でも、以前の私はやらなかった。言い訳はたくさんあります。違うことをやるのは難しい、常識的じゃない、恥ずかしい、私らしくない…でも、本当は外へ出ていく勇気がなく、閉じこもっていただけ。
自ら殻を破るのは難しいものです。殻を破るパワーが足りない人、分厚い殻の中にいる人、そして殻の中にいると気づかない人も。 そんなとき、ブレンダに対するヤスミンのように、そしてヤスミンに対するルーディのように、外から声をかけてくれる人がいたら、あと少しだけがんばって殻を壊し、外の世界を見てみよう、そう思えるのではないでしょうか。
私自身、スープ作家としての仕事をはじめてから、編集者やイベントの関係者、新しい友人たち、さまざまな方が自分の殻を叩いてくれているのを感じます。それに応えて、私も内側から外の世界へ出ようとしている、そんな今日この頃です。殻が割れたら、同じ場所に違う風景が見えるのでしょうか。今から楽しみです。
よく「味付けがマンネリになってしまいます」と相談を受けます。きっと自分の味付けの殻の中に閉じ込められているのでしょう。長年やってきたことへの固定観念を外すのは、難しいもの。そんなときに役立つのが、レシピ本です。自己流を封印して、きちんと調味料をはかって人のレシピを作ることで、いつもと違う味になります。
レシピを作る仕事をしている私にとって、印象深いレシピは、『帰り遅いけどこんなスープなら作れそう』の表紙にもなったスープ。コンビニのサラダチキンを使うアイデアは、編集者の、「帰りが遅くなったときでも手軽に作れるスープをなんとか考えてほしい」と言われ、いつも使わない食材で作ってみたらおいしく、一人なら生まれないアイデアでした。外から殻を破ってもらったのです。
今日はそんな一皿を、ご紹介します。
◎映画のスープレシピ:
『殻を破りたいときに、飲みたいスープ』
(サラダチキンとアスパラのスープ)
サラダチキン…1枚
塩…小さじ1/2
片栗粉…小さじ1
(好みで)落とし卵…1個※
◎つくり方
- 1サラダチキンは一口サイズに切る。アスパラは下固い根の部分を切りおとし、下1/3ほどだけをピーラーでむき、食べやすい長さに切る。
- 2アスパラとサラダチキンを鍋に入れ、水100mLと塩を加えてふたをし、中火にかけて、5~6分蒸し煮する。
- 3さらに水250mLを追加してあたため、片栗粉を同量の水で溶いて加える。好みで落とし卵をのせるのもおすすめ!
※詳しい落とし卵の作り方は、こちらへどうぞ
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