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有賀薫の心においしい映画とスープ 15皿目

時間の大海へ泳ぎ出す
『舟を編む』

有賀薫の心においしい映画とスープ 15皿目
シンプルレシピを通じ、日々ごきげんな暮らしを発信する、スープ作家・有賀薫さん。スープの周辺にある物語性は、映画につながる部分があるかも? とのことで、映画コラム連載をお引き受けいただきました! 題して「心においしい映画とスープ」。映画を観て思いついたスープレシピ付きで、隔月連載中です。
スープ作家
有賀薫
Kaoru Ariga
1964年生まれ、東京都出身。スープ作家。ライターとして文章を書く仕事を続けるかたわら、2011年に息子を朝起こすためにスープを作りはじめる。スープを毎朝作り続けて10年、その日数は3500日以上に。現在は雑誌、ネット、テレビ・ラジオなど各種媒体でレシピや暮らしの考え方を発信。著書に『帰り遅いけどこんなスープなら作れそう』(文響社)で第5回レシピ本大賞入賞、『朝10分でできる スープ弁当』(マガジンハウス)で第7回レシピ本大賞入賞。ほかに『スープ・レッスン』(プレジデント社)、『有賀薫のベジ食べる!』(文藝春秋)など。11月29日『私のおいしい味噌汁』(新星出版社)発売予定。

今日の私はフル回転でした。朝起きて、スープ作り、そして写真と動画の撮影。SNSにこの写真をアップして、続けて新刊の告知。エプロンをかけ直してキッチンを片付け、今度は連載用の撮影に入ります。スープを仕込み、火にかけている間は消毒しておいた大量のふきんを洗って干して、届いたばかりの丸鶏の下処理をして冷蔵庫にしまったら、撮影の続きです。「そうだ、昼ごはん」。バタバタっと用意して片づけるように食べ、午後は撮った写真を選んで修整して、レシピにはめこんで、編集者に送信。「あっ、原稿の校正が今日までだった!」。メールで返事をしたら、外は暗くなっていました。ふぅ。

人それぞれ、生活や仕事の時間の単位は違います。野菜の生産者は四季が巡る1年単位で畑を見ています。大工が一軒の家を建て終えるまでは半年ちょっと。雑誌の編集者には月、あるいは週単位で仕事の山がやってきます。あなたの仕事はどうですか?
『舟を編む』の主人公である編集者・馬締(まじめ)は、1冊の辞書の編纂に13年を捧げました。この映画を観て、毎日、分単位で時間に追われている私は、感覚の違いにクラクラしながらも、その大きな、ゆったりした時の流れに強い憧れを持ったのです。

辞書編纂の仕事のペースはゆったりとはいえ、のんびり、ではありません。言葉を集め、見出しを選定し、語釈を執筆、そして5回にもわたる校正……その数、24万語分。指先が言葉と語釈を書き込む大量の用紙に触れて、指紋がなくなるほど。映画は、平和で淡々とした作業の様子を伝えますが、実際には恐ろしく先の見えない仕事ともいえます。マイペースでおっとりした馬締がプレッシャーのあまり、夢の中で“言葉の海”に溺れかけるシーンが印象的でした。

私も含め、現代人は時間を細かく切り売りし、どう効率化するかということに必死です。それは、結果がすぐに手に入る仕事を求めてしまうから。渡るのに長くかかる、大きな海で溺れるリスクを回避し、すぐ向こう岸にたどり着けるような小さな池ばかりを選んでいると、時間の単位はどんどん細かく、どんどん早回しになっていくのでしょう。
私はずっと、自分にゆとりがないのは時間の使い方が下手だからだと思い込んでいました。でも「今を生きる辞書」を完成させるという壮大な意志を持って、言葉の大海を泳ぎ続ける辞書編纂部のチームの仕事を眺めていると、「必要なのはタイムマネジメントではなく、自分が向かう未来像をはっきりさせることなのだ」、あらためてそう気づいたのです。
今日のこの仕事はどこにつながるのか。自分がこの先十年か、二十年か取り組む仕事を大きな海にたとえて考えます。向かうべき進路が見えれば、行ったり来たりの無駄な動きもなくなり、前を見てまっすぐ進むことができるでしょう。集めた言葉がひとつの辞書にまとまるように、細切れの時間がひとつの仕事にまとまる感覚になるのだと思います。
必要なのは、目的地を定め、しっかりした羅針盤を持つこと。『舟を編む』というタイトルは、辞書を“言葉の海を間違いなく渡るための舟”に例えたものです。でも、登場人物たちの心は辞書を作り始めた瞬間から、すでに心の中で形作られていたその舟に乗り、漕ぎ出していたのです。

2021年は私も、もう少し大きな海に泳ぎ出したい。何をしようと考えつつ新年を迎えた自分の気持ちに、ゆっくり重く、響いた映画でした。

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「スープって、煮込む時間がかかるでしょう?」とよく言われます。コトコトじっくり、というイメージが強いのでしょう。私はみんなのその思い込みをとりのぞくために、10分でできるような、クイックスープのレシピを作り、スープの魅力を伝えてきました。
でも、冬の寒い時期にはぜひ、時間をかけてじっくり煮込むスープを作ってみてほしいのです。牛すね肉で作るポトフや、塩豚のスープ、豆のスープなど、コトコト煮込んだおいしさは格別です。なにより、そのスープを作る時間自体が、贅沢で、心を落ち着けてくれます。

今回は、骨付きの鶏でポトフを作ってみます。骨付きの鶏はあまり使うことがないと思いますが、じっくり時間をかけると、深いうまみのだしが出ます。一緒に煮込む野菜は、キャベツ、にんじん、長ねぎ。そのほかにも、かぶやセロリ、たまねぎなど、家にある野菜を何でも入れられます。大根やごぼう、れんこんなど和の野菜でもよいですね。もしぶつ切りでなく、ローストチキンなどに使うようなチキンレッグが見つかったら、そのまま鍋に入れてみましょう。

野菜を切る感触、弱火で煮込むスープの鍋から断続的に、ぽこ、ぽこ、と聞こえる音。そしてブイヨンの香り。鶏の骨からだしをとるには、やはり少し時間がかかります。でも、その先には、湯気のたちのぼる豊かなスープの食卓が待っています。ぜひ作ってみてください。

◎映画のスープレシピ:
ゆったり時間に身をまかせるスープ
骨付き鶏のポトフ

◎材料(2人分) 所要時間60分 (漬け込み時間は除く)
鶏もも肉(骨付き)600g ※1本ママのもも肉なら2本
 塩 大さじ2/3(10g)
 黒胡椒 少々
昆布 5cm
キャベツ 150g(キャベツ1/12の串切り2つ分)
にんじん 1本
長ねぎ 1/2本
野菜くず(あれば。長ねぎの青い部分や野菜の皮など)

◎つくり方

  • 鶏もも肉に、塩と胡椒をすりこみ、ビニール袋などに入れて冷蔵庫で3時間から1日置く。
  • 鶏もも肉をサッと洗い、昆布、野菜くずと一緒に鍋に入れる。水1000mLぐらいを、ひたひたになるまで加えて中火にかける。アクがたくさん出てきたらまとめてすくい、火を落として弱火で煮込む。
  • にんじんはヘタを落として、まずヨコ半分、さらにタテ半分にして、4つに切り分ける。キャベツは串切りにする。長ねぎは5~6cm幅に切る。
    30分したら、まずにんじんを加えて20分煮込む。キャベツと長ねぎを加えてさらに15~20分煮込み、キャベツがしっかりやわらかくなったら、味を見て、塩と胡椒で調節してできあがり。
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FEATURED FILM
舟を編む
監督:石井裕也
原作:三浦しをん『舟を編む』(光文社刊)
脚本:渡辺謙作
音楽:渡邊崇
出演:松田龍平、宮﨑あおい、オダギリジョー、黒木華、渡辺美佐子、池脇千鶴、鶴見辰吾、伊佐山ひろ子、八千草薫、小林薫、加藤剛
©2013「舟を編む」製作委員会
三浦しをん作の同名ベストセラー小説を、監督にこれからの日本映画界を担う石井裕也、メインキャストに松田龍平や宮﨑あおいら豪華俳優陣で映画化。人と人との思いをつなぐ“言葉”を整理し、意味を示し、もっともふさわしい形で使えるようにするもの――辞書。辞書という“舟”を、編集する=“編む”、ある出版社編集部の物語。
PROFILE
スープ作家
有賀薫
Kaoru Ariga
1964年生まれ、東京都出身。スープ作家。ライターとして文章を書く仕事を続けるかたわら、2011年に息子を朝起こすためにスープを作りはじめる。スープを毎朝作り続けて10年、その日数は3500日以上に。現在は雑誌、ネット、テレビ・ラジオなど各種媒体でレシピや暮らしの考え方を発信。著書に『帰り遅いけどこんなスープなら作れそう』(文響社)で第5回レシピ本大賞入賞、『朝10分でできる スープ弁当』(マガジンハウス)で第7回レシピ本大賞入賞。ほかに『スープ・レッスン』(プレジデント社)、『有賀薫のベジ食べる!』(文藝春秋)など。11月29日『私のおいしい味噌汁』(新星出版社)発売予定。
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