PINTSCOPE(ピントスコープ) 心に一本の大切な映画があれば…人と映画の物語

たかが人生、されど人生。映画でも見る?

編集後記 003

【五月病を吹き飛ばせ!】やる気がない時、元気をもらえる映画5選

SNSで最新情報をチェック!
編集後記 003

GWが終わり、そろそろ五月病が発症する時期…。この暑かったり寒かったり雨が降ったりという気候も相まって、なかなかやる気が出にくい時ですよね。

最近ラジオを聴いていたら、こんな話題が。
五月病は、新社会人や大学の新入生などに多い、新しい環境での緊張感が連休で一旦緩み、うつ的な症状が発症することを指します。しかし近頃は、若い人ではなく、30代後半から40代にかけて多く見られる症状なのだとか。今の若い人は、自分にその環境が合わないと思った際「辞める」などの決断が早く、そこへの心的ストレスもあまり感じないケースが多いのですが、いわゆる中年は、なかなかそんな思い切った行動へは進めず、五月病となってしまうらしいのです。

若い人に関わらず、どんな年齢にだってしんどい時期はある! ということで、今回はそんな状況を乗り越えるために、観ると疲労感や倦怠感を打破できる映画を、編集部それぞれの体験に基づいてご紹介します!! (編集部も多かれ少なかれ、五月病を経験しているのだなぁ…。)

持病の五月病。
その処方箋をご紹介しましょう

(編集チーフ・おばら)

社会人になって15年以上になります。好きなことを仕事にしてきたタイプなので、この15年あまりの多くの時間を仕事にあててきました。ですから、やはり…五月じゃないのに五月病になることも多く…。「五月病は持病です」と言える社会人へと立派に成長しました。

持病なのですから、それへの対処も堂に入ったもの。方法はいくつかあるのですが、そのひとつに「精神を刺激して活性化させる映画を観る」というものがあります。私は、本・音楽・映画それぞれに「鎮静剤」と「興奮剤」にあたるものがいくつかあり、興奮して眠れない時には「鎮静剤」となる映画を流して眠りについたり、五月病のように仕事に向き合いたくなくなった時には「興奮剤」になる音楽を聴いてみたりします。好きなことに向き合いすぎて辛くなった身体に、あえてさらにそれらを投入するという“免疫療法”ともいえる治療です。

以前、劇場版『えいがのおそ松さん』の藤田陽一監督に、思春期に観て衝撃を受けた映画を聞いた際、「今でも、定期的に観返していますね。ロジックではなくて、パッションとかテンポとか力強さとか、そういうことが大事だというのを思い出せるんです。身体的に影響を与えられるものづくりを忘れられないでいられる。」とおっしゃっていて、思わず「私もです!」と言ってしまいそうになりました。その映画は、塚本晋也監督の『鉄男』(1989年)です。

今年は公開されてから30周年になり、各地で特別上映されている『鉄男』は、いまなお多くのファンに愛され続けている作品です。また、マーチン・スコセッシ、クエンティン・タランティーノなど、世界的な名だたる監督もファンだと公言する伝説的映画です。私もその一人。何度観返しても、18歳で初めて観たときの衝撃を身体が思い出します。白黒であまりセリフもないのに、いやだからこそ、映像と音楽の力強さが自分に迫ってきて、理解不能な興奮を身体が勝手に覚えるのです。

「仕事したくないー! したくないー、したくないよー」という症状が出たときは、『鉄男』です。ラストシーンの「やーりーまーくーるーぞー!」と叫ぶところから、エンドロールが流れるところまでに映る町中のシーンが、私は最高に興奮します。そこに映し出された空が、白黒なのに、私には澄み渡った青に見える。その青が見えれば、もう大丈夫。五月病状態だった私は「仕事やりまくるぞー! ウギャー!!!!」と覚醒していますから。

(『鉄男』)

五月病も燃やし尽くすような二人の熱量が、
遠い記憶を呼び戻す

(あだち)

ゴールデンウィークのような長期休暇があると、折り返し地点を過ぎたあたりから、「仕事始めまであと◯日…」と脳内でカウントダウンをしてしまう私は、いつも、人より前倒しで五月病になりかけてしまいます。そんな私の沈みかけた気分を吹き飛ばしてくれたのが、今年の10連休で見返したある映画でした。白石和彌監督の『孤狼の血』(2018年)です。

昭和の終わり、暴力団対策法成立直前の広島を舞台に、警察と暴力団の対立を描いた『孤狼の血』。広島弁による怒号と銃声が飛び交い、権力争いや保身のための裏切りが交錯するこの映画には、血や汗、酒やタバコの匂いが、観ている自分の身体にもこびりついてくるような熱量があります。そんな『孤狼の血』で最も惹きつけられたのは、狂犬のようなベテラン刑事・大上(役所広司)と、キャリア組の新人刑事・日岡(松坂桃李)、二人の刑事の関係性、いわゆる「バディもの」としての人間ドラマです。

犯罪ギリギリの破天荒な捜査を繰り返す大上に対して、モラルに反することだと疑問をぶつけていく新人刑事の日岡。ところが、大上の心の奥に触れ、関係性に変化が生まれてくる後半、あるひとつの真相に辿り着いたことから、日岡が信じてきた「正義」が崩れる転機がやってきます。

自分の信じてきたものが揺らいだ瞬間の狂気の表情、そこから取り憑かれたように新たな信念へと食らいついていく姿など、主要人物の中で一番「観客側」であった日岡の変貌は、この映画最大のカタルシスでもあります。目を背けたくなるような暴力シーンも、男たちの権力争いや欲望も、全てが日岡のこの姿に昇華され、ギラギラと輝く。それは五月病に沈みかけていた気分も焼き付けるほどの迫力で、気高く、かっこいいのです。

一方で、日岡が殻を破ることができたのは、大上という特別な存在が心の奥にあったからこそ。『孤狼の血』の大上を観ると、私は一人の知人を思い出します。大学時代からいつも将来の相談に乗ってくれていた、フリーランスの編集者。いつも酔っ払っていて、人の名前が覚えられず、遅刻や忘れ物も多い。学生の私から見ると変な大人でしたが、人の本質を見極める嗅覚に優れ、仕事でもプライベートでも、相手の本音をさり気なく引き出してしまう、不思議な魅力を持った男性でした。仕事にまつわる具体的なことは何も教えてくれなかったけど、その知人が見せてくれた、仕事における情熱や信念は、今でも私の中に残り続けている。そのことを、この映画を観て思い出したのです。

人として成長する日岡の姿と、自分を原点に立ち戻らせてくれる知人の記憶。映画から発される熱量を通して触れた、この二人の姿が、連休終わりに沈みかけていた気分を吹き飛ばし、日常に向き合う強さをくれたのでした。

(『孤狼の血』)

五月病になりそうなほど、優しさに溢れた監督と主人公。
彼らが“フツーの人”だからこそ、共感できる!

(かわぐち)

五月病になってもおかしくなさそう!?な監督が、どう考えても五月病になりそうな青年を主人公に撮った、とびきり優しくてポジティブな映画をご紹介します。もし私が五月病になったとしても、本作があればマイルドに治せそうなんです。

五月病って誰でもなりうる症状ですが、中には無縁の人もいそうな気がします。というのは、最近仕事の都合で漢方の本を読んでいたのですが、その中で「実証」「虚証」「中庸」という概念があることを知りました。それぞれ体質を表す言葉なのですが、「実証」はエネルギッシュで声が大きく、体力もあって無理が効くタイプ。それこそ「5月病、それって何?おいしいの?」と言わんばかりの、いわゆる社長を務めるようなパワフルな人のイメージです(でも無理が効きすぎて、突然大病にかかることも)。「虚証」とは、頻繁に体調を崩す虚弱体質の人のこと。「中庸」とは、実証と虚証のどちらにも転び過ぎない、大多数の普通の人のことを言います。

映画監督になる人は上の3パターンで言うと、ものすごく知力も体力も要る仕事だと思うので、「実証」タイプが多いんじゃないかと思うんです、私の勝手な見解ですが。だから、たとえば自信がなくて気弱な主人公を自身の作品では描いているけれど、監督本人は超自信家、ということも往々にしてあるはず。

そんなことを思う中で見つけたのが、『アバウト・タイム ~愛おしい時間について~』(2013年)という、ラブコメ要素入りのヒューマンドラマです。自由に過去へ戻れるタイムトラベル能力を持つ家系に生まれた、冴えない青年ティムが、能力を駆使して意中の女性との関係を進めようとがんばる物語。徐々にティムは、人生の大切な秘けつに気づいていきます。監督は、ヒット作『ラブ・アクチュアリー』を撮ったリチャード・カーティスです。この物語自体、脚本家でもある彼自身のアイデア。友だちとの何気ないランチが、ふと自分にとって理想の1日だと思えた経験をきっかけに、「平凡な日々にどう幸せを見つけるか」をテーマに考えた物語なのだそう。

作中、ティムは父の勧めで、ある退屈な1日をタイムトラベルして2度繰り返してみます。すると1度目は不安や緊張で見過ごしていたその日のすばらしさに気づきます。たとえば落ち込んだ同僚を励ます喜び、コンビニ店員の笑顔、職場の建築物の美しさ、仕事をやりきった達成感…。

散々タイムトラベルを繰り返した後、ラストでティムは、さらなる人生を楽しく生きるコツに気づきます。それは、1日も過去に戻らないこと。「この日を楽しむために自分は未来から来ていて、最後だと思って今日を生きる」という意識で日々を生きていくというのです。そうすればタイムトラベルしなくても、毎日をまるで旅行者のような新鮮な目で、ワクワクしながら過ごすことができる。まさに私たちの五月病にも効きそうなコツですよね。

『アバウト・タイム』がすごくいい映画だったので、「新しい監督作はあるかな?」と思って調べたら、なんとカーティス氏、この映画で監督業は辞めると宣言しているそう。監督作、まだ全部で3作しかないのに…でもなんか納得。というのは、こんな優しい映画を撮る人には多分、「実証」タイプ向きそうな監督という職業はあまり合わないのかもなと。でも逆に言えば、そんな普通の人に近い感覚の監督だからこそ、こんなに素敵な映画を撮れたのではないかとも思います。脚本家としては今も引っ張りだこですが、また監督もしてほしい…。多くの五月病になりうる普通の人のためにも。

(『アバウト・タイム ~愛おしい時間について~』)

社会人初のGW。その中で観た“浜ちゃん”の輝きが、
僕のこれからを照らし出す

(すずき)

正直なことを言うと、僕はまだ社会人として本格的な五月病と言うものを経験したことがありません。それもそのはずで、今年の4月下旬から社会人になったので、働き始めて1週間でGWに突入。だから「経験したことがない」というよりは、「今後経験する」といった方が正しいかもしれません。そんな社会人になって初めてのGWに観ていた映画の中で、大きな出会いがありました。その人物を見ていると、「生きがいとなるような楽しみがあれば、五月病にならないのでは」と思えてきます。

それは『釣りバカ日誌』(1988年)の主人公、浜崎伝助・通称“浜ちゃん”です。彼はタイトル通り筋金入りの「釣りバカ」。1に「釣り」、2に愛妻の「美智子さん」その次に「会社」と、転勤初日の会社で上司に公言して怒られてしまうほど。勤務中にも釣り雑誌を読んだり、デスクの引き出しを開ければ釣り道具が入っていたり。おまけに毎日遅刻で上司に怒られてばかり、もちろん出世とも無縁。ただ、不思議なことに彼のその明るい人柄に惹かれてか、浜ちゃんの周りに人が絶えることはありません。釣果を同僚に報告する彼の姿は、どこか光り輝いているようにも見えます。

そんな浜ちゃんを見ていると、同じように釣りが大好きだった学生時代の友人のことを思い出します。その友達もやはり、週末になれば親と2人で海に出向き、釣果を翌日の学校でニコニコ話すような人でした。釣り道具をカバンのキーホルダーとして付けていたくらい、釣りへの愛がはたから見ても溢れ出ていた(それが原因でけが人が出る事件が起き、先生にこっ酷く叱られていた)まさに「釣りバカ」で、周りもそれに釣られてかどこか楽しそうで、彼に影響されて釣りを始める友人もいました。最近ではネット上で社会人の同乗者を募集して、釣り船に乗っている姿をSNS上で目にしました。

『釣りバカ日誌』での浜ちゃんも、会社の社長である「スーさん」をひょんなことから社長であることを知らずに釣りへ誘います。それまで仕事一筋で疲れていたスーさんは釣りと出会ったことで、毎週末の浜ちゃんとの釣りが生きがいとなり、その魅力に取り憑かれていくのです。

そんな彼らを、社会人になって初めてのGW中に観て思ったのは、譲れない生きがいを持っている人は、周りを照らしてしまうほど輝いているということ。僕はまだ、浜ちゃんにとっての釣りのような、周りをも巻き込んでしまうほどの生きがいは持っていません。ですが、これだけは譲れないというものはあります。それは、学生の頃から僕にとってずっと大切な存在です。今後仕事でつまずいたとしても、五月病になったとしても、それを信じてさえいれば乗り越えていけるのではないかと思いました。また、『釣りバカ日誌』は22作もあるシリーズもの。今回は一作しか観れなかったので、これからひとつずつ観ていくのも、社会人となった僕の楽しみのひとつとなったのでした。

(『釣りバカ日誌』)

陰キャの私はこう呟き、憂鬱な季節を乗り切った。
「Keep passing the open windows」

(やまき)

今でいう“陰キャ”だった小学校時代、私が笑ってその日々を乗り越えられたのは、ある映画の存在があります。どんなにツラくても時間は流れ、いつか苦しみは去るはず、とこの作品に出会い思えるようになったのです。

私にとって春は大嫌いな季節でした。「暗い」とか「キモい」といったマイナスの印象を与えることすらないほど、私はとにかく存在感が薄かったのです。そういう人間にとって、新しい集団でいちから関係性を作り始めないといけない春は試練でした。特に、新学期にありがちな残酷な儀式――他己紹介、隣の人とペア、好きな人とグループを組む等――の攻撃力はハンパではありません。自分と組むことになった相手が、落胆と困惑の表情を必死で隠そうとしているのを見たことはありますか? なにせ、名前はおろか、顔すらロクに覚えてもらえていないのです。

そんな私も小学校高学年になり、とある映画を観てクリスチャン・スレーターに一目惚れ。それがきっかけですっかり映画にハマり、ジョディ・フォスターにも憧れた私は、彼女の出演作を端からレンタルして鑑賞する日々を過ごしていました。そして出会ったのが『ホテル・ニューハンプシャー』(1984年)だったのです。

ジョン・アーヴィングの同名小説を映画化した『ホテル・ニューハンプシャー』は、なんとも荒唐無稽な物語です。ホテル経営を夢見る父、美しく優しい母、ゲイでいじめられっ子の長男、勝ち気で美人の長女、ハンサムな次男、小人症の次女、まだ幼い三男という風変わりなベリー一家が辿る運命は、はっきりいって不幸の連続です。登場人物はバンバン死に、長女は集団レイプされ、家族ぐるみで過激派のテロに巻き込まれ、父は失明し……と、とにかく不幸ばかりが起こる上に、語り部である次男は長女に本気で恋しているという有様(近親相姦)。しかし、不思議なことに全然暗い映画ではないのです。むしろ終始カラッと明るくて、最後までテンション高く進んでいきます。(とはいえ、傷ついた悲しみや怒りもしっかりと表現されています。決して、犯罪被害や人間の死を矮小化した作品というわけではありません)

当時の私の心に強く残ったのは、ベリー一家の明るさと、繰り返し出てくる「Keep passing the open windows」(開いた窓は見過ごせ)というフレーズでした。「人生がどんなに大変でも、開いた窓から飛び降りずに生き続けなければいけない」という意味が込められたこの言葉の通り、ベリー一家は不幸の度に傷つきながらも互いに微笑み、軽やかに前に進み続けます。妙な明るさで突き進んでいく強烈なストーリーを追いながら(今考えると、小学生が観る内容ではありませんね)、存在感が薄いことくらいで悩んでいるのがバカバカしくなったのを、今でもハッキリと覚えています。

『ホテル・ニューハンプシャー』を観てからしばらく経ったとき、学校で再び残酷な儀式が実行されました。それぞれの生徒に対して、他の生徒全員が一言ずつ褒め言葉を紙に書いていくという企画です。私は、自分の紙に書かれた言葉の羅列を見て失笑しました。その大部分が「運動神経が良い」だったからです。意味がわかりません! だって、私は100m走に20秒かかるほどの極端な運動音痴だったのですから。よほど書くことが思いつかなかったのでしょう。自分の特徴にかすりもしない言葉が並んでいるのを眺めながら、私はどこか他人事のようにその状況を面白がっていました。

それは、他人の悪意や無関心なんて、笑い飛ばしてやり過ごしてやる! そう感じていたからだと思います。もしも今、あなたが周りに溶け込めずに苦しい思いをしているのならば、『ホテル・ニューハンプシャー』を観てください。とんでもなく不幸な物語なのに、なぜか笑えて元気になれると約束します。そして、ツラいときは一緒にこう呟きましょう。Keep passing the open windows!

(『ホテル・ニューハンプシャー』)