PINTSCOPE(ピントスコープ) 心に一本の映画があれば PINTSCOPE(ピントスコープ) 心に一本の映画があれば

どうしても語らせてほしい一本 『新生活・挑戦』

不安になるたび、傷つくたび
逃げ込んだ映画の中のパリ。
『猫が行方不明』

© 1996 Vertigo Productions – France 2 Cinéma. Tous droits réservés
ひとつの映画体験が、人生を動かすことがあります。
「あの時、あの映画を観て、私の人生が動きだした」
そんな自分にとって特別な、そして誰かに語りたい映画体験記。
今回のテーマは「新たな生活・挑戦」です。
新たな挑戦に向かうあなたの心に、ぴったりの一本が見つかるかもしれませんよ!
編集者
川口ミリ
Milli Kawaguchi
編集者、ライター。映画誌、ライフスタイル誌の編集部を経て、2016年からフリー。2018年からPINTSCOPEに参加。次に名古屋に行くときは、センチュリーシネマ、大須シネマ、伏見ミリオン座といった新しめのミニシアターにも行ってみたい!

新生活ってわくわくする反面、不慣れな環境に立たされるという意味では、心細い日々のはじまりでもあります。そんなときに効くかもしれない、わたしなりの、映画を心のよりどころにする方法をおすすめしたいと思います。それは、映画を通じて自分の“ホームタウン”をつくることです。

2006年春、大学進学のために地元から上京し、武蔵境のマンションで一人暮らしをはじめました。しばらくして「憧れの東京に住んでるぞ!」という最初の興奮が落ち着くと、だんだんホームシックに。気力があまり湧かず、休日はほとんど外に出なくなっていきました。それと反比例するように、フランスの首都パリを舞台にした映画を観漁りはじめたのです。

パリの映画を観はじめたきっかけは、フランス文学科専攻だったから、という簡単なもの。さすがは東京で、TSUTAYAはもちろん、大学の図書館、日仏学院、ミニシアターなどフランス映画へのアクセスはたくさんあったから、往年の名画から今の作品までチェックできました。観たいものがありすぎて、DVDなら家で1日3本くらい平気で観ていたと思います。きっかけこそ、簡単なものでしたが、結局、ホームシックを脱してからも、大学院を卒業して社会人になるまでの6年、映画のパリを愛で続けました。

どうしてそんなにパリの映画にハマったのか。その理由を手っ取り早く説明できる映画が、『猫が行方不明』(1996年)。主人公は、パリでヘアメイクの仕事をして暮らしている、20代半ばの女性クロエ。彼女の飼い猫グリグリが行方不明になって見つかるまでの、ひと夏の物語です。

© 1996 Vertigo Productions – France 2 Cinéma. Tous droits réservés

そう、とびきりシンプルな物語。でも引き込まれたのはまず、クロエが引っ込み思案で根暗なところ。ティーンの自分が感情移入しやすい主人公でした。彼女の几帳面さ、たとえば旅行に行く準備のTO DOリストを細かくつけるようなところは、日本人に近い感性かもしれません。

そんな人生にビクついているクロエが、愛猫グリグリが行方不明になったことから、とびきりユニークな面々とかかわらざるをえない状況になっていきます。ゲイの同居人、猫好きおばあちゃんたち、ちょっとドジなアルジェリア系移民の若者、スノッブな女性雑誌編集長、ドレッドがイケてるドラマー青年……。個性バリバリな人々からもみくちゃにされ、嵐のようなひと夏が過ぎて、最後にグリグリが意外な場所から見つかったとき、クロエは少し大人になっているのでした。

© 1996 Vertigo Productions – France 2 Cinéma. Tous droits réservés

大学生当時、周りには自分と似たような同年代の人しかいませんでした。「東京でどんなあたらしい出会いがあるんだろう?」と期待してきたのに、東京に来てさえ地元の中高と変わりばえのしない没個性的な環境に、息が詰まりそうでした。だからこそ『猫が行方不明』などパリが舞台の映画で出会えた、登場人物がみんなどこかヘンテコな、多様性のある社会にどうしようもなく惹かれたのです。不安になるたび、傷つくたび、映画の中の誰もが自由で平等なパリに逃げ込みました。別に、それが本当のパリじゃなくてもよかったのです。ただ、自分が天国のように憧れるこの街が地球上のどこかに今も存在していると想像するだけで、心が満たされました。

はじめてのパリ旅行は、大学1年生の秋。それも含め、これまでに5回足を運んでいるのですが、想像以上に邪険に扱われたり、反対にとてもレアでおもしろい出会いがあったり、いろいろな経験をしました。正直、今の自分にとってパリは、天国とはいえません。それは、映画や旅行を通じていろんな街に興味が湧くようになったし、今も住み続けている東京で地に足をつけて生きたいと考えているから。でもやっぱりこうして『猫が行方不明』を観返せば、パリの映画をお守りのように観続けていた頃のことを思い出します。あの頃、パリはわたしの大切なホームでした。

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PROFILE
編集者
川口ミリ
Milli Kawaguchi
編集者、ライター。映画誌、ライフスタイル誌の編集部を経て、2016年からフリー。2018年からPINTSCOPEに参加。次に名古屋に行くときは、センチュリーシネマ、大須シネマ、伏見ミリオン座といった新しめのミニシアターにも行ってみたい!
FEATURED FILM
© 1996 Vertigo Productions - France 2 Cinéma. Tous droits réservés
発売元:アイ・ヴィー・シー
価格:DVD¥3,800+税 BD¥4,800+税
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