PINTSCOPE(ピントスコープ) 心に一本の映画があれば PINTSCOPE(ピントスコープ) 心に一本の映画があれば

どうしても語らせてほしい一本「鬱憤を吹き飛ばす映画」

ままならない家族への感情……それでも確かに愛してる。『シング・ストリート 未来へのうた』で描く私の夢

『シング・ストリート』場面写真
©︎2015 Cosmo Films Limited. All Rights Reserved
ひとつの映画体験が、人生を動かすことがあります。
「あの時、あの映画を観て、私の人生が動きだした」 そんな自分にとって特別な、そして誰かに語りたい映画体験記。
今回のテーマは、「鬱憤を吹き飛ばしてくれる映画」です。
今回の語り手
ライター
安藤エヌ
Enu Ando
日芸卒フリーライター。WEB書評サイト編集職を経てライターに転身。現在は主に映画レビュー/コラムを執筆し各メディアに寄稿中。クィアムービーと青春映画が好き。

大人だからこそ夢見てしまう

大人になると、さまざまな”見たくなかったもの”が見えてきてしまう。世の中に大人たちの汚い思惑がはびこっているのを知ったり、大好きだった家族の面倒な一面が見えてきてしまったり……そんなビターな感情を経て、私たちは幼少期という輝かしい時代に別れを告げるのだろう。

三十歳を過ぎた私は今、まさに大人の洗礼を受けている気持ちでいる。と同時に、特に”人間とはままならない”と思うことが多い。それはなぜか。家族との付き合いが億劫になる時があるからだ。幼い頃は両親が喧嘩をしていても深く考え込むことはなかったのだが、今は違う。言い争っている姿を見るたび、誰かに心臓を不意に掴まれたかのような不安な気持ちになる。大人になってから母親が言う父親の愚痴に付き合わされることも多々あり、それを聞くたび自分の立場では何もできず、八方ふさがりであることに胸のあたりが苦しくなった。
そう、私は窮屈だったのだ。狭い場所に無理やり閉じ込められているような、苦しくて息が詰まる感じ。この切っても切れない関係から少しの間でも離れることができたらと、最近は昔より友達と外で過ごす時間が増えている。そうすると、ようやく閉塞的なところから抜け出せたような気持ちになるのだ。

そんな私にとって、映画は家族から距離を取るための格好の手段だった。大好きな映画を観ている時だけは、自分が自分のままで、誰にも干渉されず過ごせる気がした。そして離れてみたからこそ分かる「それでも確かに家族を愛しているんだ」という感情を、映画たちはそっと優しく教えてくれるのだった。

映画『シング・ストリート 未来へのうた』(2015)は、家族へのモヤモヤとした感情を抱いている私にとって鬱憤を吹き飛ばしてくれるまるで気の知れた友人のような映画だ。主人公はフェルディア・ウォルシュ=ピーロ演じるどこか冴えない少年コナー。両親同士の仲が悪く、父親の失業を理由に不良校であるシングストリート校に転校させられ、登校早々いじめっ子に目をつけられる。そんなままならない日々を送るさなか、ラフィーナという美女に出会い、なりゆきで思いつきのバンド「シング・ストリート」を組むことに。音楽好きな兄のもと、恋を成就させるために奮闘する。

なぜ私はこの映画を気に入っているのか。それは先に話したような、家族のいざこざに辟易するコナーが、それでも音楽というきらめきを見つけて、仲間たちと没頭し、自分の気持ちに折り合いをつけていく姿が真摯に描かれているからだ。

『シング・ストリート』場面写真
©︎2015 Cosmo Films Limited. All Rights Reserved

コナーはまだ10代なので、両親が口喧嘩をしたり、母親が浮気するのを父親が咎めたりするのに素直に傷つき、自分なりにどうにかできないかと密かに思っている。が、事態は一向に良くならない。その、どこまでも不仲な両親のもとに生まれた息子としてのやるせなさを突きつけられるリアルさと、コナーが兄ブレンダンの導きで音楽の素晴らしさに傾倒していく様子が、どこか私の人生に付随する家族に関する苦い思い出や、趣味に没頭して不自由な現実からエスケープした記憶とリンクして、彼に感情移入し、ラストには必ずおいおいと泣いてしまうのだ。

また、彼はどうしようもない両親をそれでも愛そうとしている。それはラストシーンで眠る母親に別れを告げる場面や、兄ブレンダンとともに煙草を吸う母親を見つめる場面から伝わってくる。この”親に対して感じる確かな愛おしさ”というのも、私の心を強く惹きつけた。私もコナーと同じように、反発心や諦観とは相反する愛情めいたものを両親に感じているからだ。
曲がりなりにも大切に育てられた自覚のある私は、特に彼と同じように母親に対して情を感じる時がある。気恥ずかしくて本人にはあまり言えていないのだが、これも血の繋がりだからこそというところなのか、と複雑な気持ちを持て余すことも、最近になって増えてきた気がする。

劇中でいちばん好きなシーンがある。コナーが学校の体育館で、新曲のPVを撮るシーンだ。

「50年代のダンスだ。指を鳴らしたり回転したり」

オーディエンス役の生徒たちにそう指示するも、どう見てもピンと来ていない彼らを後目に曲が始まる。コナーが歌い始めた瞬間、そこはアメリカ、NYの高校のクールなダンスプロム会場になる。ドレスアップして登場するラフィーナ。ステージには赤のタキシードを着てばっちり決めるコナー。両親や意地悪な学校の校長、全盛期だったイケイケな兄も登場して、全員で一丸となってダンスを踊る。

『シング・ストリート』場面写真
©︎2015 Cosmo Films Limited. All Rights Reserved

曲が終わったと同時に、その煌びやかな”夢”も終わる。すべてはコナーが「こうであったらいいな」と願う想像でしかなかったーー、というのがこのシーンの種明かしなのだが、見るたび涙ぐんだ声で、「コナー、私だって君みたいな夢を見てしまうときがあるんだ」と彼に伝えたくなってしまう。
家族との関係が好ましく、恋人が自分をうっとりと見つめる中、かっこよく音楽をかき鳴らせたら、どんなに人生は素晴らしいか。
大人になっても、夢は見てしまうよ。むしろ、大人だからこそ、夢見てしまうんだ。そんな風に、スクリーンの向こうの彼に叫びそうになってしまう。

成長、という避けては通れない苦い経験。きっと誰しもが感じているであろう、家族への複雑な感情とほんの少しの、けれど確かにある愛おしさ。完全な人間などいない。人間が形づくる家族もまた、完全ではない。でも、時に衝突し時にいがみ合う、そんな情けないところも含めて愛おしいと思えるのが家族というつながりなのかもしれない。『シング・ストリート 未来へのうた』は、私の”今”を、鮮やかに美しく切り取ってくれている。そしてまた、音楽や映画が悩めるときの最高の友人になりえることも思い出させてくれた。

コナーが歌をうたっている姿を見るときに感じる、ぎゅっと胸が掴まれるような感覚。それはきっと、私が彼と近しいがゆえの最大限の”親愛”と”友愛”のはざまにある、名前のつけられない愛情なのだろう。

これからもずっと心の中にあり続ける作品として、未来で経験する人生の節目、家族と向き合わなければらなくなったとき、そんな大切な瞬間に観返したい映画だ。

『シング・ストリート』場面写真
©︎2015 Cosmo Films Limited. All Rights Reserved
「家族」って?
BACK NUMBER
INFORMATION
シング・ストリート 未来へのうた
1985年、大不況のダブリン。人生14年、どん底を迎えるコナー。父親の失業のせいで公立の荒れた学校に転校させられ、家では両親のけんかで家庭崩壊寸前。音楽狂いの兄と一緒に、隣国ロンドンのPVをテレビで見ている時だけがハッピーだ。ある日、街で見かけたラフィナの大人びた美しさにひと目で心を撃ち抜かれたコナーは、「僕のバンドのPVに出ない?」と口走る。慌ててバンドを組んだコナーは、無謀にもロンドンの音楽シーンを驚愕させるPVを撮ると決意、猛練習&曲作りの日々が始まったーー。
©︎2015 Cosmo Films Limited. All Rights Reserved
監督・脚本:ジョン・カーニー
出演:フェルディア・ウォルシュ=ピーロ/ルーシー・ボイントン/ジャック・レイナー

ブルーレイ:¥2,200(税込)
DVD:¥1,257(税込)
発売・販売元:ギャガ
発売中
PROFILE
ライター
安藤エヌ
Enu Ando
日芸卒フリーライター。WEB書評サイト編集職を経てライターに転身。現在は主に映画レビュー/コラムを執筆し各メディアに寄稿中。クィアムービーと青春映画が好き。
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