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大人だからこそ夢見てしまう
大人になると、さまざまな”見たくなかったもの”が見えてきてしまう。世の中に大人たちの汚い思惑がはびこっているのを知ったり、大好きだった家族の面倒な一面が見えてきてしまったり……そんなビターな感情を経て、私たちは幼少期という輝かしい時代に別れを告げるのだろう。
三十歳を過ぎた私は今、まさに大人の洗礼を受けている気持ちでいる。と同時に、特に”人間とはままならない”と思うことが多い。それはなぜか。家族との付き合いが億劫になる時があるからだ。幼い頃は両親が喧嘩をしていても深く考え込むことはなかったのだが、今は違う。言い争っている姿を見るたび、誰かに心臓を不意に掴まれたかのような不安な気持ちになる。大人になってから母親が言う父親の愚痴に付き合わされることも多々あり、それを聞くたび自分の立場では何もできず、八方ふさがりであることに胸のあたりが苦しくなった。
そう、私は窮屈だったのだ。狭い場所に無理やり閉じ込められているような、苦しくて息が詰まる感じ。この切っても切れない関係から少しの間でも離れることができたらと、最近は昔より友達と外で過ごす時間が増えている。そうすると、ようやく閉塞的なところから抜け出せたような気持ちになるのだ。
そんな私にとって、映画は家族から距離を取るための格好の手段だった。大好きな映画を観ている時だけは、自分が自分のままで、誰にも干渉されず過ごせる気がした。そして離れてみたからこそ分かる「それでも確かに家族を愛しているんだ」という感情を、映画たちはそっと優しく教えてくれるのだった。
映画『シング・ストリート 未来へのうた』(2015)は、家族へのモヤモヤとした感情を抱いている私にとって鬱憤を吹き飛ばしてくれるまるで気の知れた友人のような映画だ。主人公はフェルディア・ウォルシュ=ピーロ演じるどこか冴えない少年コナー。両親同士の仲が悪く、父親の失業を理由に不良校であるシングストリート校に転校させられ、登校早々いじめっ子に目をつけられる。そんなままならない日々を送るさなか、ラフィーナという美女に出会い、なりゆきで思いつきのバンド「シング・ストリート」を組むことに。音楽好きな兄のもと、恋を成就させるために奮闘する。
なぜ私はこの映画を気に入っているのか。それは先に話したような、家族のいざこざに辟易するコナーが、それでも音楽というきらめきを見つけて、仲間たちと没頭し、自分の気持ちに折り合いをつけていく姿が真摯に描かれているからだ。
コナーはまだ10代なので、両親が口喧嘩をしたり、母親が浮気するのを父親が咎めたりするのに素直に傷つき、自分なりにどうにかできないかと密かに思っている。が、事態は一向に良くならない。その、どこまでも不仲な両親のもとに生まれた息子としてのやるせなさを突きつけられるリアルさと、コナーが兄ブレンダンの導きで音楽の素晴らしさに傾倒していく様子が、どこか私の人生に付随する家族に関する苦い思い出や、趣味に没頭して不自由な現実からエスケープした記憶とリンクして、彼に感情移入し、ラストには必ずおいおいと泣いてしまうのだ。
また、彼はどうしようもない両親をそれでも愛そうとしている。それはラストシーンで眠る母親に別れを告げる場面や、兄ブレンダンとともに煙草を吸う母親を見つめる場面から伝わってくる。この”親に対して感じる確かな愛おしさ”というのも、私の心を強く惹きつけた。私もコナーと同じように、反発心や諦観とは相反する愛情めいたものを両親に感じているからだ。
曲がりなりにも大切に育てられた自覚のある私は、特に彼と同じように母親に対して情を感じる時がある。気恥ずかしくて本人にはあまり言えていないのだが、これも血の繋がりだからこそというところなのか、と複雑な気持ちを持て余すことも、最近になって増えてきた気がする。
劇中でいちばん好きなシーンがある。コナーが学校の体育館で、新曲のPVを撮るシーンだ。
「50年代のダンスだ。指を鳴らしたり回転したり」
オーディエンス役の生徒たちにそう指示するも、どう見てもピンと来ていない彼らを後目に曲が始まる。コナーが歌い始めた瞬間、そこはアメリカ、NYの高校のクールなダンスプロム会場になる。ドレスアップして登場するラフィーナ。ステージには赤のタキシードを着てばっちり決めるコナー。両親や意地悪な学校の校長、全盛期だったイケイケな兄も登場して、全員で一丸となってダンスを踊る。
曲が終わったと同時に、その煌びやかな”夢”も終わる。すべてはコナーが「こうであったらいいな」と願う想像でしかなかったーー、というのがこのシーンの種明かしなのだが、見るたび涙ぐんだ声で、「コナー、私だって君みたいな夢を見てしまうときがあるんだ」と彼に伝えたくなってしまう。
家族との関係が好ましく、恋人が自分をうっとりと見つめる中、かっこよく音楽をかき鳴らせたら、どんなに人生は素晴らしいか。
大人になっても、夢は見てしまうよ。むしろ、大人だからこそ、夢見てしまうんだ。そんな風に、スクリーンの向こうの彼に叫びそうになってしまう。
成長、という避けては通れない苦い経験。きっと誰しもが感じているであろう、家族への複雑な感情とほんの少しの、けれど確かにある愛おしさ。完全な人間などいない。人間が形づくる家族もまた、完全ではない。でも、時に衝突し時にいがみ合う、そんな情けないところも含めて愛おしいと思えるのが家族というつながりなのかもしれない。『シング・ストリート 未来へのうた』は、私の”今”を、鮮やかに美しく切り取ってくれている。そしてまた、音楽や映画が悩めるときの最高の友人になりえることも思い出させてくれた。
コナーが歌をうたっている姿を見るときに感じる、ぎゅっと胸が掴まれるような感覚。それはきっと、私が彼と近しいがゆえの最大限の”親愛”と”友愛”のはざまにある、名前のつけられない愛情なのだろう。
これからもずっと心の中にあり続ける作品として、未来で経験する人生の節目、家族と向き合わなければらなくなったとき、そんな大切な瞬間に観返したい映画だ。
- 介護の中、夢を捨てずにいられたのは、あいつの「ただいま」が希望に向かわせてくれたから。映画『大脱走』
- 眠れない夜に私を救ってくれたのは、70年前の名作ミュージカル映画だった 『雨に唄えば』
- ままならない家族への感情……それでも確かに愛してる。『シング・ストリート 未来へのうた』で描く私の夢
- 嘘の中の紛れもない「リアル」。 いつまでも彼の踊る姿を観たいと思った 『リトル・ダンサー』
- 「どんな自分も愛してあげよう」 肩の力を抜くことができた『HOMESTAY(ホームステイ)』
- 映画って、こんなに自由でいいんだ。そんなことを気づかせてくれた『はなればなれに』
- 日々の選択を、愛ある方へ。自分を大切にするための映画『パパが遺した物語』
- 大丈夫。あなたが私を忘れても、私があなたを思い出すから 『43年後のアイ・ラブ・ユー』
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- 幸せになるには、まず「幸せに気づく」こと。こんな2020年を希望にかえて締めくくる『食堂かたつむり』
- 仕事も休めばいい、恋もなんとだってなる。人生の舵は、自分が握っているのだ『嗤う分身』
- 号泣したワンシーンが、思いを届けるきっかけになる『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』
- 「私の人生、まんざらでもないのかも」見過ごしていた“当たり前”に魔法がかかる『顔たち、ところどころ』
- 東京という大きな「生き物」が、 人生の岐路に立つ人を静かにつつんでくれる『珈琲時光』
- 狂気を殺さない!愛してみる。生きていく『逆噴射家族』
- 動き出さない夜を積み重ねて、たどり着く場所がきっとある『ナイト・オン・ザ・プラネット』
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- 慣れない「新しい生活」のなかでも、人生に思いきり「イエス!」と言おう!『イエスマン “YES”は人生のパスワード』
- 夢や希望、生きる意味を見失った時、再び立ち上がる力をくれた映画『ライムライト』
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