
あなたにとっての特別な“言葉”となり、
世界を広げ、人生をちょっと豊かにしてくれるかもしれない。
でもママとは別々よ
By リリー
『マギーズ・プラン 幸せのあとしまつ』より
今日一緒にご飯を食べる人に「何を食べたい?」と聞かれたら、どんな返答をしますか? 私はつい「合わせるよ」とか「○○が食べたいものでいいよ」と答え、決断を相手にゆだねてしまうことがあります。食事のメニューに限らず、小さなことから大きなことまで、自分の決断をおろそかにするくせに、他人の選択にはつい口を出したくなってしまう。自分と他人の境界線はいつも曖昧。それが家族であればなおさら…。そんな性分の人、実は結構多いのではないでしょうか。
小さなころから、私は家族のなかで、いつも“面白くてしっかりもののお姉ちゃん”でした(と、自負しています)。成人した後もずっと、一番のアイデンティティは “お姉ちゃんでいること”で、家族に問題が起きたときは我先にと口を出し、各人の生活態度に対して約300km離れた土地からうるさく干渉してきました。
『マギーズ・プラン 幸せのあとしまつ』は、新しい家族の在り方を模索して奔走する、マギー(グレタ・ガーウィグ)とジョン(イーサン・ホーク)、ジョーゼット(ジュリアン・ムーア)という男女三人の奇妙な三角関係を描いたコメディ映画です。
取り上げたのは、物語の後半でマギーと娘のリリーがシャボン玉をしながらお風呂に入るという可愛らしいシーンのセリフ。母親であるマギーの「シャボン玉のなかで暮らしたい」というつぶやきに対し、3歳のリリーが「私も」と言ってから続けたこの言葉は、人はみなそれぞれの人生を生きているということを示唆しています。そしてそれは、自分の安心のためだけに過干渉で、その実誰よりも家族に依存的な私を顧みさせてくれた、痛くて重い真実のセリフでした。
自己中心的で大人になりきれない三人が、右往左往しながら迎える物語のラスト。その姿は、人はみな、まず自分の人生を生きて幸せになること。そのうえで、ときには支え合い助け合うということの大切さを教えてくれました。それは、家族のためだけでなく、自分のためにも忘れないでいたいことです。
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- 大きい変化の中にいても、これを見失わなければ大丈夫。 周りに流されて、後悔しないために必要なこと。
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- 大事なものを失うことは怖いけれど。「今」を大切にする生き方とは?
- 好きなものを好きと言えない? 自分の「好き」を大切にするといい理由。
- 「そんなに苦しまなくていいんだよ」
- 「我々には世界を知る手段が必要です」
- 「空気読んで何もしないくらいなら、間違っててもやる方がいいんです」
- 「でもママとは別々よ」
- 「物事は単純だ。それに対し人間は不可解なことばかり。物事を複雑にする」
- 「作家は書かなきゃ」
- 「言霊ってあるんだよ、言葉の力って凄いんだから」
- 「僕、生きてますよ、今」
- 「誰かと走るって、楽しい!」
- 「僕は、僕の世界を諦めない」
- 「すてきな荷物が運べた。金なんか要らない」
- 「自分自身の体でさ、実際にやったことと、その中で感じたこと考えたこと、自分の責任で話せるのってそのぐらいだろ?」
- 「割れたガラスの破片をただ片付けたくて、人生を片付けてしまった」
- 「同じ人間なんだよ」
- 「実際は迷ってばっかりだけどさ やるしかないよね」
- 「思ってるだけで何もしないんじゃな、愛してないのと同じなんだよ」
- 「正しいとか間違ってるとかじゃない。多数派の意見があるだけなんだ」
- 「明日のことは分からない。だから毎晩が舞台の初日であり、千秋楽でもある」
- 「本当に好きなら、逃げてばっかりじゃだめだよ」
- 「思い切って、人の助けを借りる勇気も、必要なんだよね」
- 「君は幸せになっていいんだ」
- 「私たちは一組の古い靴下みたいね」
- 「ノーマル? そんな人いないわ」
- 「技術とかね、魚も大事だけど、そこに対する気持ちが一番大事なんですよ」
- 「整理とは、捨てることなり」
- 「他の人の気持ちが分からないなんて当たり前じゃないか。 分からないから興味を持つんだろ。分からないから話をするんだろ」
- 「テメェでテメェを大事にしなくて、誰が大事にするもんか」
- 「壊れたら、直せばいいんだからな」
- 「人がどう思うかは関係ない。誰を愛するかは私が決める。私の人生よ」
- 「やってけなくても、やってかなきゃならないと思います」
- 「自分を醜いと知った人間は、決してもう醜くねぇって」