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誰かの”映画を観た一日”を覗いてみたら、どんな風景が見えるでしょう?
2020年5月4日
目を覚ますと、台所のほうからベーコンの焼ける匂いと、バターがフライパンの上で溶ける「ジュー」という魅惑の音。『クレイマー・クレイマー』のフレンチ・トーストを思い出していると、そのうちに珈琲の香りが漂いはじめ、「これはもう起きなくちゃ」とベッドを飛び出し、僕は台所に立つ彼女を後ろから抱きしめる……。
なぁぁんて事を想像しながら、僕は独り、窓の外をボーっと眺めながらチョコレート・ドーナツを齧りつつコーヒーを淹れている。そして、昨晩観た映画『華氏451度』のことを思い出しながら、「世界から猫が消えたら(これはあの作品のパクリではないか!)、世界からモーニング・コーヒーがなくなったら、世界からロックンロールがなくなったら、世界から本がなくなったら…」と考えを巡らしていた。
そんな想像はちょっと前ならば絵空事だったのかもしれないけれど、この新型コロナ・ウイルスによる世界同時多発外出自粛が起こってからは、どちらかというとリアリティの色が強くなったのかもしれない。実際に2020年5月の時点で、「ライブハウスを守ろう(音楽)」とか「ブックストア・エイド(本)」とか、「SAVE the CINEMA(映画)」などの文化的なスペースの存続を求める運動が立ちあがっている。誰が想像しただろうか、ライブハウスやブックストアやシアターが無くなってしまうという危機に直面することを。
1953年に、アメリカのSF作家レイ・ブラッドベリは『華氏451度』を出版。そして1966年に、フランスの映画監督でヌーヴェルヴァーグを代表するダイレクターでもあるフランソワ・トリュフォーによって映画化される。SF嫌いとしても知られているトリュフォーは、映画『華氏451度』に、ブラッドベリの世界からSF要素をできる限り排除した。そして、そこに自身の「書物愛」を、革命軍がアジビラを配るかのごとくところどころに挿入し、フューチャリスティックではあるけれど、極めてリアリティを追求した作品に仕上げている。映像の美しさは言うまでもない。
さて、このタイトル『華氏451度』は、「(本の素材である)紙が燃え始める温度、華氏451度≒摂氏233度」を意味している。この作品の世界は、2020年かもしれないし2046年かもしれない、60年代当時から見た「随分と未来」という設定。そこでは本の所持や読書が禁じられ、人々は想像力を奪われ、その代わりに映像や音のメディア、いわゆるエンターテインメントを、『プラトーン』でのナパーム弾のごとく投下される。その“エンタメ漬け”により、人々は3日前の記憶すら曖昧になっていて、ある夫婦は自分たちの馴れ初めや、恋人たちの予感を楽しんだことすら思い出せなくなっているという世の中だ。
主人公モンターグは、本を禁じる政府機関のようなところで働き、「焚書係」を担当している。「あそこの家に本がある」という密告者の通報を受けると、サイレンを鳴らしながら出向き、隠し持っていた本を公衆の面前で燃やすのが彼の仕事だ。ところが、その本を燃やすことに従事している本人が、本の中身に興味を持ってしまい、そこから彼の人生は狂い始める(まさに『バックドラフト』ではないか。)……といった話。前途の通り、トリュフォーが仕掛けた書物愛が随所に見られるいっぽう、物語の中では「本を燃やす」という描写があり、ブッキッシュ(本好き)な人々にとっては「愛と憎悪」を同時に味わえるユニークな作品となっている。さてネタばれにならないうちに本題に戻そう。
ハッキリ言って荒唐無稽な話なのかもしれないけれど、少しだけ解像度を上げていくと、いくつかの既視感を覚えてくる。「世界から本がなくなるか?」と問われると、「そんなことないでしょ」と今のところ言い切れるかもしれないが、世界から物語や哲学が必要とされているかというと、これはどうなんだろうと首を傾げてしまう。
スマートフォンから5Gを駆使した動画やゲームなどがなんでもできちゃう現代で、物語の仕組みや構造だけが利用され、次から次へ投入されるコンテンツとして消費され、僕らはこの映画の登場人物たちのように、思考を、想像を止めてはいないだろうか。
そしてその先の未来にどんなことが待っているのか、考えたことはあるだろうか。
なんてことを思いながら、冷めたコーヒーを飲み、しけたシガレットは吸わずに、この映画に登場する焼かれた本の代わりに、その物語そのものになり、口頭伝承で語り継ごうとするブックピープルになりたいと思っている。そうだな僕なら何を名乗るだろうか、やはり『グレート・ギャツビー』だろうか。『オン・ザ・ロード』だろうか。
そんな妄想をしながら、今日も本のページをめくり物語の世界に潜っていく。そしてまた朝がやってくる。たぶん。これが『インセプション』でなければ。

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