PINTSCOPE(ピントスコープ) 心に一本の映画があれば PINTSCOPE(ピントスコープ) 心に一本の映画があれば

映画を観た日のアレコレ No.79

ラジオパーソナリティ・翻訳者
キニマンス塚本ニキの映画日記
2023年1月31日

映画を観た日のアレコレ
なかなか思うように外に出かけられなかった時を経て、今どんな風に1日を過ごしていますか? 映画を観ていますか?
何を食べ、何を思い、どんな映画を観たのか。 誰かの“映画を観た一日”を覗いてみたら、どんな風景が見えるでしょう? 日常の中に溶け込む、映画のある風景を映し出す連載「映画を観た日のアレコレ」。
79回目は、ラジオパーソナリティ・翻訳者 キニマンス塚本ニキさんの映画日記です。
日記の持ち主
ラジオパーソナリティ・翻訳者
キニマンス塚本ニキ
Nikki Tsukamoto Kininmonth
東京都生まれ、ニュージーランド育ち。オークランド大学で社会学、映像学やジェンダー学などを学び、フェアトレード事業や人権擁護団体での勤務を経て2009年に日本帰国。25歳で英語翻訳者・通訳として独立後、ビジネス、政治、エンタメなど幅広い現場を渡り歩く。2020年映画『もったいないキッチン』出演がきっかけでスカウトされ、TBSラジオ『アシタノカレッジ』パーソナリティを3年間務めた。多面的な視点で社会を見続けながらエッセイ執筆や講演活動も行なっている。

2023年1月31日

TOKYO、トーキョー、またはトーキオとも呼ばれるこのメトロポリスは世界中の人々が「一度は訪れたい街」と口をそろえて羨望するほど魅力に溢れた街だ。

気がついたら人生の半分以上をこの街で過ごしてきた私にとっては、スクランブル交差点も浅草寺のでかい提灯もゴールデン街の路地も、早足で通り過ぎる景色の一部になりつつある。

日本の人口密度の20分の1にも満たないニュージーランドで育った10代、一時帰国中に池袋駅前の交差点を歩いていたら突然「ああ、今の私は何者でもないんだ」と思った。埼玉の植民地といわれる池袋ですら十分に人を飲み込む威力があった。

人混みの中で突然おのれを見失ってしまいそうな恐怖を、なぜか心地良さと共に感じた不思議な感覚は、20年経った今も微かに身体の中に残っている。今では自分が何者なのか何者でないのかなんて考える余裕も少なくなってしまったけど、スマホをブラインドタッチしながら群衆の中を歩けるほどには東京をマスターできたのではないかと思う。けど、人も建物も情報もこんなに溢れかえっている街にいながら、ときどき、しょうもないぐらい空虚さを感じてしまうのは、街のせいなのか、それとも私なのか。

夜間に外で仕事する身になってからは深夜に帰宅して明け方までなんとなく起きているのがデフォルトの生活だ。気安めにしかならない暖房をかけながら狭くて寒い部屋に一晩中こもっていれば、当然、逃避願望の一つや二つは出てくる。

そんなふうに東京にアンビバレントな気持ちをずっと抱えているからこそ、別の誰かの物語を通してこの街を追体験したくなる夜がある。

今から約20年前に公開された『ロスト・イン・トランスレーション』は言葉が通じない外国人のアウトサイダー視点から描かれていて、その舞台であるTOKYOは美しく洗練されていながらもどことなく奇抜な異様さを放っている。内側にいながら外から覗いているような自分の気持ちを代弁してくれるような作品だ。

夫の日本出張に特に用もなく同行した若妻シャーロットと、CM撮影のために来日した枯れ気味の中年俳優ボブが新宿のパークハイアットで出逢い、互いの孤独を少しずつ埋めていく様子が繊細で儚く美しい。

ホテルの高層階にひとり残されたシャーロットがギザギザした建築物で埋め尽くされた地平線を膝を抱えながらぼんやりと眺めている頃、ボブは撮影現場でLとRの発音が区別できないカメラマンや無能な通訳に翻弄されている。

日常生活でも言葉が通じ合う相手が少ない二人の孤独は、東京という異国の地で増幅されるように見える。ここでの言葉は日本語や英語みたいな「言語」だけではなく、喜びや哀しみを感じる瞬間だったり、共通の好奇心や無関心だったり、わざわざ言葉で確認しなくても信頼できる安心だったり、無言のまま一口もらう煙草かもしれない。

ただでさえ自分を見失いやすい大都会で、流されるように漂っている異邦人は自分の存在が少しずつかき消されていくような不安に蓋をして、一番身近な存在であるはずの家族にも、貴重な仕事をくれる取引先にも「分かりあえない」「つながれない」と切望と拒絶をくりかえす。

自暴自棄な心の引力で引き寄せられたボブとシャーロットは親子ほど年が離れているにもかかわらず、ホテルのエレベーターやバーですれ違うたびに目配せする仕草はまるで懐かしい旧友のそれだ。

この作品の9年後に出た『フランシス・ハ』という映画のこんなセリフを思い出す。
「特別な存在だと 自分も相手も わかってる でも そこはパーティ お互い 別の人と話してる 笑って 楽しんで ふと部屋の端と端で 目が合う 嫉妬でも 性的な引力のせいでもない 相手がーーこの人生での運命の人だから 不思議で 切ない 人生は短いけどーー二人だけの秘密の世界があるの 他の人達からは見えない 私達の周りにはそんな次元がある ただ 気づいてないの」

30も歳が離れた男女のロマンス、さらには白人目線で描かれる奇妙で不可解なジャパニーズピーポー、という要素がメインである以上、昨今のポリコレ基準で批評されてしまいそうな作品だけど、私は今でもキュンとしたりシュンとしたりしながら魅入ってしまう。

眠らない街で眠れない二人が徐々に距離を縮めていく様子に「戦友」という言葉がふさわしく感じる。恋とか性愛とは全く違う、何も言わずに肩をあずけられる関係性があれば、寂しい喧騒の中でも自分を見失わずに生き続けていけるのかもしれない。

キニマンス塚本ニキの映画日記
BACK NUMBER
PROFILE
ラジオパーソナリティ・翻訳者
キニマンス塚本ニキ
Nikki Tsukamoto Kininmonth
東京都生まれ、ニュージーランド育ち。オークランド大学で社会学、映像学やジェンダー学などを学び、フェアトレード事業や人権擁護団体での勤務を経て2009年に日本帰国。25歳で英語翻訳者・通訳として独立後、ビジネス、政治、エンタメなど幅広い現場を渡り歩く。2020年映画『もったいないキッチン』出演がきっかけでスカウトされ、TBSラジオ『アシタノカレッジ』パーソナリティを3年間務めた。多面的な視点で社会を見続けながらエッセイ執筆や講演活動も行なっている。
FEATURED FILM
監督・脚本:ソフィア・コッポラ
出演:ビル・マーレイ、スカーレット・ヨハンソン
シェアする